狡智で 拮抗をモノにする (愛媛FC戦プレビュウ)

上のタイトルはむしろ、勝ったうえで、レビュウに使いたい。

それほどに、対愛媛FC戦こそ、勝ち点3 が渇望される。

なぜなら。
【サッカーらしいサッカーの予感】

昨シーズンから、愛媛とやったゲームでは、3連敗中。

ただし、前半戦のアウェイ(6/18)では、茂木 駿佑(フリーキック)と佐々木 匠(ミドルシュート)の、スーパーなやつを叩き込まれたものの、山雅は、けっこういいゲームを披歴していた。(スコアは 2 – 3)

個の力量ではほぼ互角、対いわき だと沈黙のサッカーを強いられるが、対戦相手に応じて、しぶといサッカーで凌いでいる、といった、けっこう似たようなレヴェルにある両者。

だから、シーソーが片方に大きく傾くことはない、攻守入れ替わり盛んなサッカーになることはほぼ必定。

上記、スーパーゴールを決めた茂木と佐々木はたしか、あの夜、途中投入だった。

こういうタレントが控えであったり、他には、松田、横谷、矢田、内田といった2部でやり馴れている猛者を多く擁している愛媛。

そこへ持ってきて、気の効いたやさしいボールを後方から供給できるセンターバック森下 怜也。
新卒加入2年目で早くも #10を背負う気鋭の、小原 基樹。
森下と小原、このふたりに絡んで左サイドを沸かす、高木 利弥。
右サイドには、俊足の、チームアシスト王 近藤 真司。

もう、切りがありません。

だから、こういった状況下で勝ってこそ、チームとそれを取り巻くファン&サポーターの真価が問われる、ひょっとしたら、今季最大の大一番だと思います。

【山雅の武器とは?】
前回と比べると、やはり守備陣に安定が増したこと、そこへ、パウリ―ニョ、佐藤 和弘、ルカオといった屈強さが加わる(であろう)ことを、活かしたい。

余裕があるからこそ、どこか鷹揚な愛媛に対して、ゲームが流れている中ではとにかく、手数少なくゴールに迫ること。

前節讃岐戦における横山 歩夢のゴール、あれが好例。

外山 凌からのスローインを、佐藤が外山に返し、外山がタッチライン沿いに前方へ渡すと、そこでルカオがワンタッチで叩いて菊井 悠介へ、菊井は迷わずに前へ横山を走らせるやわらかいボールを供給した、あのような流れの再現でありましょう。

それと、ゲームが一旦止まるセットプレイ。
愛媛はセットプレイからの失点が目立つので、とにかくデザインされたキックがモノをいうはず。

……、こういうわけで、〈試合巧者の愛媛〉を、〈フレッシュな狡智〉で抑え込む、ってのはいかがでしょうか?

もちろん、アルウィンは、完全なアウェイ環境を相手チームに提供することで、チームを後押しするのであります。

では。

損失は 見積もれない。

持っていたものを失うことは、人生において、多々ある。

その喪失感をどうこうしろ、っていわれても、どうしようもならない。

大抵は、ひたすら時間の経過に任すしかないが、かと言って、時間が癒してくれる保証などないのが辛いところ。

どこかの映画のセリフに、
― 時が癒す?、でも、時が病んでいたらどうするの、なんてのがあったな。

でも、もっとマズイことを、人は往々にしてやっている。

おそらくは、現在の自分を幸運な者として考えたいために。

それは、

もしも自分がこれこれを知らずに、これを身につけずに生きてきたら、どんなにか不幸だったろうか?、と想像すること。

知らないでいれば必ず、その損失も感じないで生きているに違いない。

残念に思う自分など、決してどこにもいない。

だから、仮定さえ成り立たない話だけれど、人間は、わざわざ喪失感の裏返しまでやることで、現在の境遇を慰めたいらしい。

これを自分についてやっているうちはいいが、他人の身の上についてそれを行なうようになると、かなり悲惨な人格が出来上がる。

一見、他の者を肯定的にみているようだが、実は、けっこう厳しく裁いているのに気づかない。

他人を裁くのは、人の仕事ではないのに、とつくづく思う。

では。

80年代も まんざらでない?

僕にあって。

1980年代は、J.D.サウザーの『You’re Only Lonely』(1979年8月リリース)で始まった。

このディケイド(10年間)については、その前の70年代に比べると、どうしても、停滞と保守化の年月のように思われて、あまり見るべきものもないような印象を持っていた。

この感じはこれからも変わらないだろうな、とは思うが、

『Just the Two of Us』(1981年2月リリース)といった曲を聴くと、80年代をあんまり悪くも言えないかなぁ?、という気持ちも湧いてくる。

曲が生み出されるのには時流の影響があるにせよ、出来た作品が良すぎた、ってことだけのことかも知れませんが。

では。

若さの苦さ,射程の歯がゆさ (鹿児島戦チラ見)。

指揮官発言についてのお題、その2、です。

讃岐戦(後半の)不出来は、圧倒的な声援を前に我を失ったせい?、とかの言いぶり。

アルウィン全体が高揚してたんだから、プレイヤーだけに冷静さを求めてもなぁ、とは思う、監督の気持ちもわかるが。

どうだろう?
あのチャント攻撃に免疫を持っていたのは、あの夜だと、パウリ―ニョ、橋内、村山、下川くらいではなかったか。

波状的チャントとコールに初洗礼であった者が大方。

不完全とはいえアルウィン戻って来た〈日常〉が、我が身にとっては〈非日常〉であったプレイヤーがほとんどだった。

空白の 1,000日は、チームにとって諸刃の剣になるほどに重い。

ピッチ内(11人) の平均年齢が(ゲーム終了時点で)、24.45 歳であってみれば、それも致し方ないさ。

【追記】極端な話、ビクトル(33)、パウリ―ニョ(33)をオーバーエイジ枠として使う、U-23 のチームとも呼べた。

プロとは言っても、大学生とそうは変わらないチームの若さでやりくりする道を選んでいる以上、
あと 12ゲームを、それを覚悟で闘い、そして支援するのみ。

もちろん、中堅、ベテランとの結集効果を無視するものではありません。

彼等の力があってこそ、若さが活きる。

 

さて、リーグ戦の3分の2を経過したところで周りを見回してみる。

山雅は、首位いわきに勝ち点4差、2位鹿児島とは、勝ち点で並んだ。

追走の射程内には十分に入れているとはいえ、上位ふたつとは最早対戦がないから、直接は叩けないこの歯がゆさ。

❶いわきFC
ひたすら勝利を積んで快走中。
強いのは確かなんだが、対戦の工夫が皆無か?というと、そうでも無い。
いわきの攻撃起点は、せいぜい、2~3ポイント。

そこにボールを出すから、必ずそこに走っておけ、という戦術的な規律が徹底されているから、それに対して後手を踏みやすくなる。

ペナルティエリアのラインが見えたらシュート!、がお決まり。
だから、単なる被シュート本数にはビビるな。

それらポイントのところへ、山雅がやったように、マンツーマン的にフタをするのが現実的な対処法。

果たして他チームは、それをできないのか、あるいは、敢えてそれをやらないで自己スタイルを貫徹しようとしているのかは不明だが、おそらくは前者が多いのだろう。
藤枝みたいに自分のサッカーをやって散るのは少数派かも知れん、このリーグでは。

❷鹿児島ユナイテッドFC
前節対今治戦、終盤15分くらいを(ハイライトを含めて)ライブ観戦した。

COVID-19禍によって、なんと!  ゲーム登録が15人という苦境でアウェイを闘い、4 – 3 で勝利した今治を讃えるべき、と言ってしまえば事は簡単だ。

けれど、鹿児島ユナイテッドにしてみれば、これを単なる〈感動の美談〉としたところで、なんら救いもないはず。

失点シーンをみると、特に、センターバックの強度が緩すぎて話にならない。
ただそこに居るだけで、まったくのフリーでシュートを許している。

加え、チーム全体が走れていないから、効果的な守備網が形成できない。

その中、今治の攻撃陣が5人、対し、鹿児島DFが2人となる被カウンター攻撃の決定的シーンが生まれる。

疲れからだろう、今治の仕上げに雑が生まれたので得点にはならなかったが、要は、もっと失点してもおかしくなかった。

でもって、守備破綻の報いとして、ボランチ木村 祐志が、イエロー2枚で退場処分。

だから、対鹿児島攻略法のヒントは、いかにこのチームを後方に走らせて疲弊させるか?、に在る。

素人でさえこれくらいはわかるんだから、これからここと当たるチームは、せいぜい智恵を使ってもらいたいもの。

……と、こう書いてみても、結局は、他力本願のグチか。

という事で、我らはひたすら、(自分自身の)若さに、強さ、速さ、賢さを、シンプルなプレイに注入しませんか?  ( ☜ これ、愛媛戦プレビュウへの伏線です)

では。

若さはすべての理由にならないが (讃岐戦の後に)

勝利の街の余韻に浸っていると、オーロラビジョンで監督会見の一部が上映されたりするんですね、今は。

そしたら、スタジアムによる鼓舞への感謝に続いて述べられたのは、後半65分以降の出来についてだった。

『最後のほうはまるで守備練習をしているような有り様だった』と、これがまぁ、えらい酷評ぶり。

― あの調子だと、ロッカールームでは、指揮官からかなりの喝、が入ったんでしょうかね?、と僕。

― でも、交代カードは監督自身が切っているわけだから、プレイヤーに意図や指示をどれだけ落とし込んだのか?、ってことじゃあないかなぁ? 問題は、とチノ氏。

パウリ―ニョを〈ピッチ上の監督〉と呼ぶべきなのは、彼がピッチを後にすると、ゲームが創れなくなる事情が物語るかも。

それじゃあいけないんでしょうけれど、もちろん。

鹿児島戦といい、一昨夜といい、ゲームの締め方については難ありが続く。

ただし、僕からすると、守備に追われる終盤も気にはなったが、讃岐戦のいちばんの不出来は、後半開始15分間で、攻撃アクセルを巧く踏み込めなかったことにある、と思う。

後半冒頭からの〈疾走〉は、今季のゲーム創りのポイントになっていて、ここをいかに自分たちの時間に持ってこられるか?で、結局は、その後の交代も含め、ゲームの帰趨がある程度決まってくる、と診ているのです。

その根本には、指揮官が存分にその意思を貫ぬける、すなわち、采配を振るいやすい今季チーム編成が在る。

それは、つまり、チームの若返り。

以前にもやったけれど、保有メンバーの平均年齢をみると、我が山雅は、3部リーグでもけっこう若い方。
(某所より流用した最新データでは)、25.3 歳。これは、リーグ8番目の若さ。

で、これをさらに、(登録)ポジション別に分解すると、
ゴールキーパー 26.7歳、ディフェンダー 26.9 歳、ミッドフィルダー 25.27歳、フォワード 21.1歳。

特に、フォワードは、リーグでいちばん!!若い。

もっと重要なのは、実際のゲーム登録メンバーでみたら、さらに若年化するはず、ということ。

❶経験値では劣るけれど、伸び代で期待できるプレイヤーをどんどん投入して戦っているのが山雅であること。

❷そこでは、指揮官采配と、ピッチ上のリーダーシップが大いに問われること。

この2点をしっかりとアタマとココロに叩き込んでおく必要がある、これからのアルウィン劇場なんです。

もちろん、手加減して観戦せよ、ということでもないが、見守る中でそういう視点は必要。

最後に、4敗のすべてが、より平均年齢が高いチームとの対戦であったことを指摘しておきます。

では。