なぜ真田 幸村は大阪に散ったのか? その❶

いま、僕の手元に、一冊の本がある。

『真田一族外伝』。

田中 博文著、2014年5月20日刊の、初版本。

田中さんは、フリーランスの編集者で、古書店も経営しており、ある時は、僕の職業上の先輩であった。

入院した田中さんを、長野市内の病院に見舞ったのは、2014年5月だった、と記憶する。

癌と闘っていた彼の枕元には、新刊らしき本が積んであった。

訊くと、これ、最近出したばかりでね、、一冊贈呈するよ、とおっしゃる。

思うところがあって、署名してもらったのだが、その 6月に亡くなった。

先の投稿で、僕は、マジックアワーなんて言葉を使った。

その時に、

まるで人生のマジックアワーを迎えるごとく、最晩年に、ふと輝いて最期を遂げた、真田 信繁が連想されて、

田中氏の著作を、あらためて本棚から引っ張りだしてきた。

さて。

田中氏は、はしがきを、

〈真田幸村という武将は存在しなかった〉と始める。

生前に、幸村という名は一切確認されないのにもかかわらず、

後年の真田ブーム(江戸時代の)で、〈幸村〉の名が、なぜか登場してくることを指しているのだ。

筆者は、ヒーローとして虚飾まみれになった〈真田左衛門佐信繁〉(さなださえもんのすけのぶしげ)を、

(史実にもとづいて)実際の人生に出来る限り即して、とらえようとする。

だから、世に流通していない面を浮かび上がらせたく、

あえて、〈外伝〉と名づけた、が僕の推定。

……いろいろいわれているけれど、ホントウはこうだったでは?、との田中さんによる、優しい手引、幸村入門書、といえようか。

で。

ここからが、僕のさいだいの興味。

すなわち。

人生が50年だった時代。

その 50歳を目前にして、隠遁生活にあった 真田 信繁が、

なぜ、(豊臣家の求めに応じる格好で)  大阪の陣に参戦したのだろう?

それをば、その❷で、考えます。(予告)

では。

〈鏡よ、鏡〉のプレシーズンマッチ(vs甲府)。

さぁ!  いよいよですね。

明日は、17:00キックオフから、4時間くらいの長丁場。(プログラム終了21:00頃)

僕は、翌日が出勤なので、さらに、観戦の体調管理に気をつかおう。

で、炎天も辛いが、雷雨はもっと御免です、となってくる。

……前置きは、ここまで。

選手登録や、交代のレギュレーションの内容は不明ですが、

テストマッチも含めれば、

現在、プレイ可能な山雅戦士は、全員が顔見せとなるだろう。

そこで、観たいのは、おもに、ふたつ。

❶ここひと月かけて作り込んできた山雅の容貌。

布陣、(磨き上げたい)サッカースタイル、序列や交代の手順などなど。

あるいは、既存と新加入との競合と融合のありさま。

なによりも、これです。

❷ほぼ不変なヴァン先輩を介しての、その〈鏡〉に映った山雅の成長。

ヴァンフォーレは、先季から、出入りが、2人づつくらい。

つまり。

特別リーグで対戦した、ほぼそのままの陣容で、アルウィンに来蹴なさるんです。

だから。

そことやることで、こっちの進化(あるいは不進化)の程度が、推定できるのでは?

まぁ、これ、

甲府には、ほとんどエボリューションがない、という非礼な仮定に立った見方ではあるんですがね。

事実、ヴァン先輩は、久しぶりにあたってみて、なにかひとつの踊り場で一休み、といった風情はあった。(取り巻くファン&サポーターを含めて)

……とにかく、遠慮なく、ガツンと、ホンキでいきましょう。

でないと、このようなマッチメイキングに応じてもらえなくなるでしょうから。

では。

そろそろ僕の緑化『Green Sleeves』

  孤蜩(ひぐらし)  奏でる庭に  夕映えの落つ

       蜩(ひぐらし)の  ひとつ奏でて  夕映えの庭  萬年

黄昏前のマジックアワーは、今頃だと、18時半から19時チョイ過ぎ、くらい。

初秋は、すでに忍び込んでいて、これぞ、

〈秋春制〉の季節感には、ピッタリではありませんか。

先日。

山雅から、26/27シーズンのポスター(12月までの) がリリースされた。

今月末には、掲出が解禁されるようだ。

喫茶山雅へ出向いて分けてもらい、

心当たりの処いくつかに、貼り出しをお願いしてみよう。

僕の狙いは、また、木曽街道になるだろう。あの辺は、宣伝が、手薄かも。

そのポスターには、

サイコウの文字に、8人が刷り込まれていて、

なかなかシンプルで、よろしい。(人選に議論あるのは、ゆるす)

このうち、25シーズンに在籍していたのは、3人。

残りの 5人は、(昨年に2種登録の期間があった2人だが)

ここ半年以来の加入なんですな。

常に、変化と変容の先頭に立つことで活路を拓け、山雅。

さて。

〈グリーンスリーヴスによる幻想曲〉は、

R ヴォーン ウイリアムズ(1872~1958年、英作曲家)が作った歌劇の間奏曲に、ラルフ グリーヴスが、編曲を加えたもの。

僕は、これを、〈All You Need is Love〉(by The Beatles 1967年発表)の中で使われているのを耳にして、知ったようなもん。

曲の〈緑の袖〉とは、高貴な女性のことを暗示する、といわれているが、

そのまま、山雅プレイヤーがまとう、ユニフォームのことでもあるから、巧く、アンセムのひとつとして活かせればいいのですが、

曲調として、哀愁が勝り過ぎる?

では。

Summertime 束の間の自問。

ところで。

個々人の情感に、軽重などあるはずもない、ということが、長い年月わからなかった。

おそらく、ホントウの人生は、また別にあって、いまは間に合わせの時間、といった錯覚が、僕の中に、抜きがたくあったためだ。

きたない筆跡で汚した手帖は棄ててしまって、新しいやつに変える、そんな感覚。

だが、手帖は気軽に更新できるが、生き様は、そうは変えられない。

昔が今よりマシだったのか、あるいは、その逆なのかどうか。

こういうことも、考え出すと、けっこう怪しい。

では。

負け獅子の遠吠え。

(ワールドカップ2026の決勝と、記事の投稿が同時なのは、たまたまであって、他意はありません。)

準決勝で、イングランドを破ったアルゼンチン代表が、

ゲーム後に、

マルビナス(英語でフォークランド)の領有を主張する幕を掲げて、サポーターに応えた一件。

政治をサッカーに持ち込まないとの、FIFA規定からすれば、もちろん、

それは、まづいでしょう、となろう。

だから、なんらかの処分の対象となっても、文句は言えない。

おそらく、処分など受けてもヘーキ(覚悟)で、彼らはやった、と思う。

勝てば官軍の、南米的な挑発ですかね。

結論をいえば……、

政治(状況) からの、サッカー(スポーツ競技)の独立性は、

かなり不透明で、事案の是非判断など、さしあたりのもの、が現実

そこには、長い時間の経過(=歴史)が横たわっていて、

たとえば。

かつての(帝国主義国による)植民地政策を、現在からさかのぼって非難しても、お手上げなのだ。

日章旗はよくて、なぜ、旭日旗はなぜダメなのか。

これだって、突き詰めれば、片方が気に食わないから、に過ぎず、

科学的(=客観的)な正当性は、皆無。

ゆえに、

このことの裁定は、直近の過去のことに基づく以外にない。

まぁ、僕からすれば、

この件が生じた理由は、ひとえに、

イングランドが敗北したからであるから。

勝利に乗じて、領土権を主張されちゃったのだ。

だから。

今後、この件で、もめたくなければ、イングランドは、常にアルゼンチンに勝利するしかないし、

そもそも、両者のマッチメイキングなど、してはいけない。

かりに、いちばんまづいのは、

イングランドの政府関係者あたりが、アルゼンチンチームの行動を責めるコメントを発する(したのかどうか知らんが)ことでしょうね。

敗戦のスリーライオンズ(代表エンブレム)は、ただ黙してこそ、騎士道精神。

……それは、はんぶん冗談としても、

ロシアが締めだされて、なぜ、イランを叩く米国が締め出されないのか、

あるいは、

どこかの大統領から、自国プレイヤーへのレッドカード呈示に不満を伝えられと、出場停止処分に猶予を与える。

二枚舌の連中に、真に義に基づいた裁定を期待することが、悪いジョーク、と思う。

では。