身の程を知る賢さ。

学業に齟齬をきたしたのはわかるが、なにも、学歴においてもっとも象徴的な学校の受験会場まで出かけていって、わざわざ人を傷つけることもなかろう。

いちばん不快なのは、自分と同世代に切っ先を向ける姿勢。

やるからには、自分に理不尽を押しつけた体制( = 強者)を攻撃しないと、筋が通らない。

学歴社会という名の、実は、学校名格差社会の幻想。

分相応、身の程を知る、といった美徳が廃れてしまったので、日本の国で生きることが、より一層辛くなっていることは、確かだ。

例えば、神社仏閣の庭で引いたおみくじ。
その恋愛運のところに〈身の程をわきまえろ〉とあれば、誰もがカチン、とくる。

けれど、今日び、こういうサバサバした渡世の真理や現実は、おみくじくらいしか教えてくれないのだから切ない。

他方、せいぜい成城とか学習院卒で、一国の政治リーダーになれたのは、
有り余る財力と、ふんだんな勉学環境を使った挙句、たとえその程度の学歴を刻めなくとも、世襲の恩恵を利用することでなんとかなった、という結果だ。

校名格差と、世襲による職業固定化、これって、今日を生きる青年諸君に対する往復ビンタみたいなもので、

今回、事を犯した彼は、このふたつの罠で、身動きが取れなかったのかも知れない。

学校の勉強が好き、出来る、それはそれでかまわない。

でも、それとはまったく違った意味の、頭の良さ。

いわば、聡明さや賢さのようなものが、世の中に多く恵みをもたらしているのに。

では。

山雅 NOW ❿ シリーズを終える時

シーズンの突入時における総括……、

成績の低迷、下位リーグへの降格を前にして
残念と無念が、まるで、枯れ尾花を幽霊と錯覚するような錯乱に変わり果てると、やれ原点だ、一体への復帰だとか、要でもない出直し論に、ずいぶんと騒がしかった。

勝てば嬉しく、負ければご不満の、山雅ファン&サポーターの一途さがそれほど変わるわけもないのに、なにをうろうろ。

僕にいわせると、たしかに客商売とはいえど、クラブが必要以上に動揺し、周囲に忖度し過ぎるんです。

プロクラブをサポート、スポンサードするのは、勝利の歓喜と、敗戦の落胆。

この両方を引き受ける、ってことでしょうに。

かつての #10レジェンドが、今回クラブを去ることが、組織解体への布石でないのをただただ祈るのみ。

が、すったもんだは、七十五日(2~3箇月)も経ちつつあるから、人々の口先もすり減ってきて、いわば、終息気味。

もともと攻守に精彩なきサッカーが治らない、というお話に過ぎなかったんだから、そこをさぁ、どうする? 、が課題として残ったのみ。

スタイルの徹底に乏しかったことは、山雅にあって、スタッツのランキングに顔を出したのは、GK圍 謙太郎のセーヴ数に過ぎないことが顕著。

圍のやつにしたって、攻め立てられ続けたことの結果だもの。

たいして変わり映えのしないメンツ
降格の2年目に、多くのチームは、スクラップ&ビルドを迫られる。
山雅にとっては、それが、2021シーズンだった。

傍からみるに、けっこう攻めの姿勢による編成、と好感を持ったんだが、タレントが活きなかった、活かせなかった、という感じ。

で、今季は流出を防いで、変わり映えのない陣容に持っていくのが、編成の狙いだったんだろう。
まづは、そこが原点か、とは僕も思う。

さて、ここから、どうやって、劇的に変わっていくのか? 変えていくのか?

復帰組も多いことなんで、ポジションのコンバート、ポジション競争におけるチーム内序列見直しなどを、遠慮なくやるべきでしょう。

チームがみづから変わろうしているのが、ピッチ上から察知されれば、ファン&サポーターは敏感に反応します。

まづは、そこをやってもらいましょう。

リーグをざっと見渡せば
千差万別のストーブリーグの様相。

でも、結局は、2部リーグからの降格組が、いちばんのライバルになりそう。
すなわち、相模原、愛媛、北九州。

この3チームの強みは、J2を闘ったタレントを多く擁すること。

指揮官の異動にしても、相模原は続投、愛媛は復帰(石丸氏)、北Qは内部昇格なので、それほどのギャップなしのスタートと診る。

あとは、岐阜がけっこう、トップチームの有名どころを加入させている。
川西 翔太だけが得点源、といったスタイルからの変貌を期してだろう。
ただ、そのタレントが加算されて、ひとつのチームになれるかどうか、そこでしょうね。

で、その川西の移籍先の、富山にも目配りしないと。

ただし、僕が、一番手に推すのは、実は、鹿児島。

新加入を眺めると、このメンツが巧く融合すれば、けっこう面白いサッカーになる、と診ていて、山雅ホーム開幕戦は、そういう意味で試金石。

他はいいから、ひたすら自分のチーム内融合と、タレントの化学反応を気にしたら?……、ですかね。

では。

冬の訃報 『Be My Baby』を聴く

元旦那の、フィル スペクター (1939~2021.1.16) が亡くなった時は、記事にしたはず。

だから、この度の逝去を採り上げなかったら、それこそ片手落ちというもの。

ロニー スペクター が、1月12日、次の世に旅立った。

1943年生れの、享年78歳。

その魅力は、絶頂な頃の映像を観るだけで、十分に納得できるから、あまりいろいろ言わない。

フィル追悼の折は、たしか、ベット ミドラー (1945~ ) のカヴァーをご紹介した。

最近のでは、ケリイ クラークソン (1982~ ) が素顔で演ってるカヴァーに惹かれるけれど、今度こそは、ご本人のオリジナルで、ご冥福を祈ろう。

では。

山雅 NOW ❾ 傾聴しつつも,上を向く

いつの間にか、眠りに落ちたようだ。

メールの着信音に反射的に起き上がって、画面を確かめた。

あまり前面に押し出さず、けれど、山雅に関心と思いを寄せるファン、というかシンパは、けっこういらっしゃる。

その中のおひとりからのメール。

なになに?、と読むと、次のようなこと。

……、山雅の新布陣を、ネット上のニュースで拝見。

入れ替えはそれほど多くないようです。

落ちた責任をとって契約更新、ということかしらん?

他からオファーがなければ残る、ってことでしょうか。

チームが大幅に変わらないということは、これ、巧く機能しないと、昨季の二の舞、ということもあるってこと。

ダメなところを各人がどれだけ思い知ってリーグに参戦するか、が問われるのでは?……。

短くも、言いにくいところをグサッとご指摘ですなぁ……、と思ったところで、今度は、本当に目が醒めた。

いま一度、携帯の画面を開けてみたけれど、そんなメールの痕跡がない。

冬の夜の夢ひとつだったのか?、という思いでずっと一日暮らして、勤務から戻ると、

居間で家人が、チャーリイ チャップリン(1889~1977) の『キッド』(The Kid)を観ていた。

いまから、ちょうど一世紀前(1921年公開) の映画か……。

不思議な一日にふさわしいよなぁ、作品には夢のくだりもあるし。

で、チャップリンの言葉を、ひとつ思い出す。

    ―下を向いていては、虹は見つからないよ。

では。

美は,やはり,敗残者に宿る?

それに近い現象を、判官(ほうがん)びいき、とか言いますな。

源 九郎義経。

兄頼朝の不興(怒り)を買って、追討される身に転じ、やがて滅びて(自害させらせる)いった。

平家を滅ぼした後、義経には増長、傲慢の姿勢が顕著となって、独断専行をおこなったこともあったから、一族の主たる頼朝が、弟の行動に反感と激怒を覚えるのも当然ではあった。

けれど、滅びる義経に対し、世人が、義経の行動の是非などにはかまわずに、ひたすら同情を寄せる。

そうした心の動きを、義経の官位をそのまま使って、判官びいき と呼ぶようになった。

高校サッカー選手権の決勝(1/10) をご覧になった、クレ君いわく、

―あれだけ青森山田が強いと、大津のほうを応援したくなりますよ。
公立校なのに、良く勝ち上がってきたと思います。

僕は、このゲーム、ハイライトさえ観ておらず、また、観る気にもならないのだが、こういうのも、確かなる判官びいき。

クレ君に言わせると、山田のプレイヤーは、これが高校生か!、といったフィジカルの強さで、ずば抜けて強靭なサッカーをやってみせたらしい。

それほどまでの鍛錬と研鑽は、称賛されていい。

なのに、まるで悪役(ヒール)みたいに取り上げられてしまうのは、人間の根性が、そもそもマットウにできていない証拠に違いない。

対象が弱くなってはじめて、それに憐れみを覚えるのが、人間の哀しさ、というべきか。

余談ですが、山雅の常田は、青森山田高の出身なんだけれど、その風貌に、鍛え上げた剛性を感じないのは、何故なんだろう?

むしろ、キョトンと柔和すぎるくらいだよね。(もちろんホメているんです)

敗れた、というものの、大津高校は、高校年代サッカーの最高峰であるJFA高円宮杯プレミアリーグの西地区で 4位(2021季)なので、ばりばりの強豪校。

ちなみに、プレミアリーグには20チームが参戦、東と西にわかれ、それぞれ10チームでリーグ戦をやっている。
Jクラブユース16チームと、高校では、青森山田、市立船橋、流経大柏、大津の 4つ。青森山田は、東地区で 1位(2021季)でした。

ところで、全豪オープンへの出場で、豪州政府などと揉めているジョコヴィッチ。
この事案、彼の強者ぶりが災いしている部分が、かなりあるように思えるんですね。

愛される強者であること、これは至難。

出る杭は、かならず打たれます。

他方、いくら愛されても、敗残の身は辛かろうに。

でも、こういう不条理への理解があったからこそ、アントン チェーホフ(1860~1904)の戯曲や小説は、読むに値すると思っています。

(以前の投稿のリライトに近いことをお断りします)

では。