【追悼】ちば てつや。

ニュースのTV画面で、

漫画家ちば てつやの訃報を伝えていた。

実際、氏の作品を味わった人が、現在、どれだけ生きてるのだろう?

実は、かなり少数派であって、

名前だけは聞いたことがある、って人々が多数なんだと思うけれど、

同じ時代を生きた僕としては、

このブログの一稿を、ささやかではあるが、彼に割くのが、責務のように感じる。

ニュースでは、

ボクシングを描いた作品を代表作に見立てて、プロボクサーのスパーリング映像を流していた。

たしかに、有名かも知れないが、あれは、梶原 一騎(原作者)の代表作とするのが至当であろう。

僕の中では、

ちば てつやの真骨頂は、あくまで、少女漫画に在る。

しかも、その作画のいちばん最上な部分は、

主人公(女性)が、無言の中に、何ごとかを決意する瞬間を描くコマに違いない。

たとえば、それは、

下に引用したような、〈みそっかす〉の中のいちシーンを指す。
(著作権のことには、目をつぶってください)

だから。

どんな作品を読んでいてもかまわないが、

ちば漫画における、ふきだし(=💭)の無い、この静寂の世界、

それを、知っている読者を、ちば漫画の理解者、と呼ぶべき。

ちなみに、〈みそっかす〉は、1966年8月に、『少女フレンド』で、連載が開始された(という)。

今から、ジャスト 60年前のこと。

当時の読者がだんだん減っていても、アタリマエか……。

氏のご冥福をお祈りいたします。

では。

なにもないことの素晴らしさ。

先日。

家人が、その情報をどこかで仕入れた(おそらくTV)、

八千穂高原にある、道の駅に出かけた。

佐久まで行き、中部横断自動車道に入り、そのまま進むと、

現在の終点が、八千穂高原ICで、

道の駅は、そこから出て、すぐの処に在る。

さて、

帰路は、同じ道を採るのは止めにして、

麦草峠(国道299号線) をたどって、茅野の街に出ることにした。

標高2,000m越えの、北八ヶ岳の頂の間を通る、つづら折りの峠道。

この道行きで、いちばん感動したのは、必要最低限の道路標識のほかには、

ほとんど看板のない沿道のたたずまいだった。

だからこそ、

紅葉のピークが終わりかけの、カラマツや白樺の樹林、そこから漏れてくる秋の陽光。

それらの美しさが、いやでも、目に沁みる。

安曇野あたりから、大町や白馬に至る道沿いや原野。

そこに設置された、野放図な看板の多さによって台無しにされた田園と、その向こうに聳えるアルプスの風景とは、これは、天地の差ではないか。

国による自然公園法のありがたさを感じた一日。

感銘ひとつを受けた記念に、

その日、車中に流れていた、J.D.サウザー(1945~2024年) の曲を聴こう。

この〈You`re Only Lonely〉がヒットしてから 30年近く過ぎ、

ふたたび、それを採りあげたヴァージョンは、

ほどよくシンプルでオーセンティックに仕上がっていて、心地よい。

では。

言葉の重み ふたつ。

ふだん、軽々しく言葉を吐いて生きている僕が、このような話題を語るのは、心苦しい。

でも、

コトバに、言の〈葉っぱ〉をあてた昔の人は、言葉の持つ、いい加減なはかなさを知っていたのだろう。

と、これも、いいわけです。

ところで。

山雅のゲーム裏事情を、インサイドと題して、マメに更新してもらえるのは、まことにありがたいことで、広報担当氏の仕事ぶりには感謝している。

その中で、勝ったゲームの事後ミーティングだと、

石﨑さんが、最後に、おめでとう!、と選手をねぎらうシーン。

あれは、いい。

さらり、としているけど、言葉に重みがあるよね、

あくまで、ピッチで戦った者たちを主人公と考える、といった。

リーダーは好かれる必要はないけれど、あれだと、指揮官についていく気持ちになるに違いない。

さて、別の話題。

公報まつもとの 10月号は、

最近逝去された (と僕はメディアの活字で知ったに過ぎないが)

草間 彌生氏の画業を、巻頭特集に組んだ。

そこでは、氏を、〈前衛芸術家〉と紹介。

これなどは、まるっきり、世評の記事からの受け売りだろうけれど、

草間氏が、生前、その名刺に、この肩書を刷っていたのならそうお呼びしても失礼には当たらない。

けれど、作品における思想性の皆無(それが悪いわけではない)から言っても、

ポップアーティストが、もっとも適切な扱いではなかろうか。

(もちろん、僕は、ポップアート全般を評価はする)

思えば、

かつては、前衛芸術という言葉をよく目にした。

が、マルキシズムの退潮と同期するがごとく、すくなくとも僕の辞書からは消去されて久しい。

それでも、

あえて、前衛芸術家の名にふさわしい名をあげるとしたら、

エドアール マネ(1832~1883年、仏画家)くらいかな。

では。

トマトについて語る回。

仕事先から帰宅すると、まづは、畑に踏み入って、

熟したミニトマトを、2~3個つまんでうっとりするのが、僕の夏のならわし。

ただ、今夏は、降雨で表面が割れたりして、出来は、ここ数年で最低だった。

さて。

昨晩、家人から、

農業に転身した、高崎 寛之氏が、

はじめての年に、ミニトマトを作ったけれど、毎日出荷(=収穫)するのが大変で、以降は止めにした、との話を聞いた。

同じ日。

僕は、或る信頼できるトマト農園主から、

― 家庭菜園でトマトを作るならば、ミニトマトではなく、大きい(=ふつうの)トマトにしたほうがいいと思うよ、と助言された。

― どうして?、と訊くと、

ミニトマトは、熟して赤くなったのを摘み取って選果場に持ち込むけれど、

ふつうのやつは、色がまだつかないものを持ってきてる、とのこと。

つまり、流通過程で、追熟をかけてから、店頭に並ぶらしい。

これ、さきほどの高崎氏の話に、ぴったり一致するではありませんか。

だから、樹から採りたての、ふつうのトマトを食そうとしたら、

自分で栽培するのが、いちばん確実、というわけ。

たしかに、色は赤いけれど、なにかぬるっとした食感だけのトマト、ってのが、それなのか知らん?

もちろん、これは、あくまで、見聞した限りの話であるから、

生産者が直接持ち込んでいるような、〇〇〇〇市場、直売所などは、

事情が違ってくるのかも知れません。

トマトひとつでも、それなりの物語……奥が深いなぁ。

では。

この花は オレンジを希う。

オレンジは、真新しいと、目に鮮烈だけれど、色あせると、辛い。

特に、服飾のばあいは。

なので、オレンジが好き、といったら、金木犀の花のそれですかね。

他には、コスモスのオレンジも、捨てがたい。

今秋は。

この14日に、庭の金木犀が、開花を始めた。

が、なぜか、花の色が、黄色、それも、淡いレモン色に近くて、迫力のないことおびただしい。

芳香も、弱い気がする。

早い時期の咲き始め、それと、花の異色、これはふたつとも、かなり異例なこと。

はたして。

金木犀の樹に、なにか季節についていけないような事態が生じているのかどうか、と、雨の中、見上げていた。

……ところがです、

三日目の17日午後に、晴れ間になったら、

花がオレンジ色に変化して、例年どおりの咲き具合となりました。

香りもそこそこで、あと 1週間は、楽しめそう。

では。