おかしな順序。

先日、松本駅近くの、(老舗な)書店で買い物をした。

決して豊かな品揃えでもないが、ここら辺ではマシなほうなので、時々利用する。

少年向けに、岩波文庫をひとつ購って、会計カウンターへとおもむくと、

― お客様、本を入れる袋はどうなさいますか?

それって、有料なの?

― はい、〇円です。

じゃあ、やめとくわ。

― (続けて) お客様、本の表紙カヴァー(紙製)をおかけしますか?、こちらは無料です。

じゃぁ、お願いします。

……なんだ。訊く順序が逆だろうに、と言葉が出かかったけれど、

うるさいジジイ、と不興を買うのもなんだし、

日頃、家人からは、ひとを不快にする僕の性向を戒められているから、

ありがとう、とだけ言うと、お店をあとにした。

では。

ひとはそれを,アメリカンと呼ぶ?

先日。

穂高まで出かけて、(お店で) スパゲティを食した。

ナポリタンにハンバーグを載せたもの。

それを、アメリカンと称していたが、世では、その呼び名が流通しているんだろうか?

僕の偏見では、北米の食文化にはパスタがあまり結びつかないので、

いまだにこの名称には、釈然としないでいる。

……どうでもよいことを、こんな静かな曲を聴きながら、思っているのです。

ブレッドの、1971年発表の曲。

では。

松本って。

― なんとまぁ、風の強いところなのか。

家人が、病院で。

たまたまお隣のベッドで治療を受けていた御方が、こう言っていた、という。

その人は、当地へ、十数年前に越してきたらしい。

普段、あまり意識していなかった僕だが、

春の頃、

山形村から波田にかけての扇状地で、盛んに立ち上る褐色の土煙を思えば、

たしかに、そうなのかも……。

ベッツイ&クリスのデュオが、こんな曲をカヴァーしてたとは知らなかった。

『真夜中のカウボーイ』(1969公開、米映画) の、

オープニングクレジットを、あぁ、こんな色調の画面だったか……と、眺めている日。

では。

長野戦プレビュウに代えての,胸算用。

このところ、庭では。

これが芽吹いた、あれが咲いた、と事欠かない。

一昨日は、アゲハ蝶が、葉山椒の樹のまわりを盛んに飛ぶ。

花にら、あやめ(5/4)、そして、鈴蘭、などなど。

植物を、カタカナ表記にする作法の、そのいわれも知らないが、

いまや、店頭には、外国語名の草花ばかりが並んでいて、

渡来の品種で、日本の庭がこうも埋め尽くされるのが、果たしていいのか?

そんな疑問の僕なんであるが、

古来から在ると思っている草花にしたって、

大昔に異国から持ち込まれているわけだから、長い目でみれば、どうでも良いことかも知れない。

……さて。

延期になったホーム開幕戦(第4節)については、

明日(5/11)の結果を踏まえてプレビュウすることになるだろうか?

どっちに転んだとしても、あまり意欲が湧かない(だろう)。

ひょっとしたら、書かないかも知れない。

長野パルセイロのサッカーに、ほとんど興味が湧かないのもあるけれど、

山雅界隈で、プライド、意地といった言葉が持ち出されると、

なおさら醒めている自分が居て、これは僕の傾向性=資質のゆえだから、もうどうしようもない。

フツーに、自分流で勝利をめざせば、それで良し。

できれば日程を、11日と振り替えできればグッドだったが、

水曜日のナイトゲームになったので、

僕の予想だと、7,000人前後が基底で、

そこに、EPSONさんのご厚意で、1,000人が乗っかるから、8,000人かな。

これは、土日開催とほぼ同レヴェルの入場数であって、

クラブが気張っている10,000人には、あと2,000人……。

努力が報われて、たとえ、10,000人を確保できたとしても、

当初からの、予想される集客減の約 4,000人分は、残りのホームゲーム14で埋めるしかない。

ゲームあたりで、300人の挽回。

その際、ファン&サポーターのほうが、

〈チームの戦績が芳しければアルウィンに足を向ける〉と、条件を口にするのだけは、無しね。

では。

(おそらくは) 10年に一度の悲報。

ゆかりを感ずる人々の訃報を別にすれば、

かなり気が滅入る今日、なんであります。

清水港の、河岸の市にあった定食屋さん〈魚河岸 どんぶり君〉が閉店した、との報せ。

お店の入っていた建物を、界隈のリニューアルにともなって駐車場にするので解体するため、と。

ご亭主亡き後、女将さんと、ふたりのご婦人で切り盛りしていたが、

ご自身のお齢も考えあわせた末の、店じまいであったのか。

あぁ。

これで。

エスパルスと対戦する機会がふたたび巡ってきても、

もはや、〈三色丼〉をいただくことも叶わない……。

 

動画は、特段の他意もなくご紹介。

こういう作品が創られるようになると、

2時間もつきあわされる映画などは要らなくなるし、

もっと、内面と向き合う時間を持てるようになる、ってのは思い過ごしか?

では。