昔も今も怖いもの。

つい先日も何度か聞かされた、

地震発生時の 携帯電話のアラーム。

こういうシステムは、この国だけなのか、どうか。

そのけたたましさは、地震そのものより、恐怖心を呼び起こす。

土曜日は、ちょうど小学一年生(女児) と居間にいた時だったが、

その反応たるや、

ギャーと叫んで突っ伏し、パニックになった。

魂消える、とはこのことなのだろう、それから小一時間は、それはもう、静かなもの。

この子にとっては、

〈おやじ〉は、まったくのランキング外だが、

〈地震〉〈かみなり〉が、恐怖を呼び覚ます、断然のワンツーであるらしい。

となれば、

こっちの言い分に従わせたい時には、地震やかみなりを持ち出そう、という誘惑も生じるけれど、

それは、やはり、フェアでなかろう、と自分を戒めている。

では。

異変がひとつ。

 

大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ

軒燕古書売りし日は海へ行く      

(ともに、寺山 修司)

 

四月も、そろそろ下旬だというのに、

隣家のつばめは、いまだに、姿を見せない。

車庫の軒下に残された巣はみっつ、空のまま、補修された跡もなく……。

  

  つばめ来ぬ 家の息子の  三周忌      萬年

では。

あまのじゃくと花ざかり。

やれ、桜だ、み吉野だ、と。

この時季、あたり前に過ぎるお題目で、陳腐なこと。

横を通り過ぎる時は愛でもするが、

わざわざ出かけて行ってまでして、観桜はしないかな。

と、うそぶいては、

新古今和歌集の〈冬歌〉のところをめくっていたら、

駒とめて袖うち拂(はら)ふかげもなし 佐野のわたりの雪のゆふぐれ   (藤原 定家)

が目につく。

おそらく、これは、

同歌集の〈春歌〉に収まった、親父である、皇太后宮大夫俊成 (=藤原俊成) の作、

駒とめてなほ水かはむ山吹の はなの露そふ井出の玉川 、を意識しているんだろうが、    (☞山吹の花に露がしたたる清流で、乗る馬に水を飲ませよう……の意)

なかなかに、技巧的な一首。(定家の得意顔が、目に浮かぶ)

袖に降りつもった雪をうちはらう馬上の殿上人(公家)、といっておいて、

瞬時に、そんな姿はみえないけれど、と打ち消してみせる。

ゆかしき華やかさの、突然の否定。

寂寥として暮れかかる、なにもない冬の野が、いっそう引き立つ効果。

作者が、言葉によって読み手を翻弄する手法のひとつだ。

調べれば、このネガティブなトリックはきっと、定家より前に開発されていると思いますが、

近くでは、石川 啄木や、寺山 修司も使っているから、

日本短歌、あるいは、日本的抒情に存する、根っこのひとつなのかも知れない。

では。

生きる価値の源泉。

レオナルド ダ ヴィンチ(1452~1519年) 。

この名を知っている人は、ずいぶん多い。

けれど、あぁ、絵画モナリザの作者か、で済ませがち。

だが。

その生涯をざっとみると、画才のみか、その才能は、極めて多領域に発揮されていて、

もしも、モナリザ制作に精力を注ぐことなどせずに、

当時の、都市国家の君主いづれかにでも雇用されて、

国家における、設計建築、軍事/外交から民生にいたる統治(行政)、さらに、芸術文化のすべてを含んでのプロデューサーの職に就いていたら、

かなり面白い歴史的な遺産をみられたかも知れない、僕らは。

……つまらん夢想はこれくらい。

で、彼は、こんな言葉を残した。

自分が、如何に生く可きかを学んでいると思つてゐる間に、自分は、如何に死す可きかを学んでゐたのである。  (訳 芥川 龍之介)

大正初めの硬い翻訳文を、いまふうに言い変えれば、

自分では、どのように生きるべきかを究めようとしたつもりが

なんのことたあない、どのように死ねばよいのかを学んでいたのだ……、となろう。

誰にでも、(すくなくとも一度の)死が、いつかは、訪れるからこそ、

いま生きている人生(=瞬間、瞬間の堆積) に価値が生じること。

これに、ダ ヴィンチが気づいたのは、いつ頃だったんでしょうね。

それから200年後。

『葉隠』の著者(1716年頃成立、佐賀藩士山本 常朝の口述を筆録)もまた、

同様な真理に辿りついて、

〈武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり〉とする。

これを、ただただ、死を厭うな的の特攻精神と、誤ってとらえたのが、

国家、天皇陛下のためには命を棄てよ、とされた、あの当時のこと。

ところが、1945年8月を境に、今度は、

どんなことをしてもわが命を棄てるな、我が身が一等大事、と振り子が真反対に振り切ってしまってから、80余年。

結果。

今の日本人には、生物学的な生命第一主義の死生観しか存在しないから、

命を賭してでも事をおこなえ、などとやったり言ったりした者には、

頑迷な好戦主義の烙印が押されるばかりなり……。

では。

ものを言うこと。

半世紀前に、ひとりの文筆家が、こう記したー。

ものを言ふというのは本来は言ひたいことがあるから言つたのであり、

言つた以上はその責任を取るのが常識だった(by 吉田 健一)

どうやら当時、世の中が、すでに、そうなってはおらずに、

言いたいことよりも、言って得になることが重要視されたり、

言ったことに責任を取るなんてのは損だ、という風潮があったから、

こういう言葉が、吐かれた、と思う。

それから。

ずいぶんと時間が経ちまして、

一個人のつぶやきさえもが、これだけおおっぴらに、大勢の耳目に届く今日。

注目されたいだけのために発する言葉が、あまりにも、飛び交い過ぎている。

では。