世間知らずの大騒ぎ。

レストランらしいお店に沿って歩いていたら、

なんと、ちょうど僕の眼の高さを、

灰色の猫が一匹、悠然と歩いているではないか。

― おいおい、あれ、生きてるよ!!、と並んで歩く家人に言う。

以前。

相方が、とある喫茶店で、

カウンターの上を猫、つまりは、その家の飼い猫、が歩いているのを眼にして、

二度とあそこに入るもんか。(要は、食品衛生の欠如)、と繰り返し話してた記憶があるので、

これこそ、その光景の再現ではないか!、と僕は言いたかったんである。

けれど。

その時、家人は、一向に僕の指摘に同調もせずに、

― これが、猫カフェね。

インバウンドの観光客にも、ずいぶんと人気らしいわ。

 

……たしかに。

店内には、けっこうな数の猫が居て、

ところどころに、くつろいでいる人類が、数人いらっしゃる。

入り口の看板には、時間料金が書かれてあった。

 

世事に疎いとは、まったくこのことで、

翌日、このことをジョー氏に話すと、

当たり前のように、ここら辺のお店を教えてくれて、

しかも、それほど新しいトピックでもない、とのことだった。

では。

弱者と強者と……。

僕らは、日常の中で、

なにかを評して、強い、弱い、と言う。

が、そのことがらについて、

丹念に考えてもいない。

つまり、悟性の光を当てているわけでもないから、かなり主観的であることがほとんどだ。

強い=善、弱い=悪、が、ちっとも成立しないことの多さよ。

これが、

スポーツ(競技)の世界になると、

勝利した者を強い、敗れた者を弱い、と評せるので、すこしはスッキリする。

スポーツの良さとは、そうやって断じてしまえる、済ませられる、ことなのかも知れない。

……某介護施設において。

生活保護制度の受給下で、施設で被介護生活を送っている女性(60代後半らしい)が、

その施設で働く女性を指して、

― 77歳にもなって、こんな仕事で働くんて、あの人、よっぽど生活に困っているんだねぇ、と語った。

こういった話を聞くと、いろいろ考えるところはあるけれど、

人生何十年もやってると、それぞれに理解できないような地点にたどり着くものだ。

では。

高齢化時代の終わり。

先日。

人口統計について、論説を読んでいた。

時代が明治に変わった頃(=江戸末期) 、日本の人口は、3,000万人強。

これが、太平洋戦争(80年前)の頃に、5,500万人になった。

この増加は、

出生率は変わらずに、長生き(延命)するようになったため。

そこから、〈人口爆発〉(特異な事態) が起きてしまって、倍以上の人口を抱えることに。

社会や経済も、しかたないから、それを容れる規模にまでしてやってきた。

だから、人口減少の局面となったら、

いろんな方面で、設備過剰に陥り、滅びていくものの手当てに頭と手がまわらない。

災害復興の遅さは、被害の大きさゆえ、というよりは、

原状回復に力を投入しても、将来に期待できないから。

いまさら、でかいショッピングモール作って、どうするんだろう。

で。

現在、高齢化、高齢化と騒ぐのは、

ベビーブーマー世代(1946~64) を先頭に、多量にこの世に生まれてきた人々が、やがて死に絶えるまでの間のことだから、

これから、せいぜい半世紀間の我慢、我慢。 (☜ これは僕の推論)

それ以降は、

新しい人口階層、動向の時代が、おとづれるのだ!!

それが、生産や需要が、今よりずっとシュリンク(縮んだ)した世界だとしたら

テーマ〈持続可能〉は、人類の勢いが消えれば、人類が跡を絶てば、地球上に、自然とそなわるのだから、

ほおっておいても実現する。

ある学説によれば、人類は、耕作に手をつけた時点から、地球の自然環境にダメジを与えてきたという。

自分たちも、この地球も、ともに生き延びたいとは、我らの虫のよさに過ぎない。

では。

福島を斬りながら。

真紅のポロシャツ(気に入ってる)を着て、庭仕事をしていた。

福島(のチームカラー) を着る = 福島を〈斬る〉

と、うそぶいているところなど、カワイイものでしょう。

ひとの希求の深さそのものに、優劣や軽重があるはずもなく、

在るのは、その表出表現の程度に過ぎない

……上の2行は、僕だけに大切なことですから書きますが、忘れてください。

 

雨で小学校の運動会が中止。

庭先に出ていると、雨が時折落ちて来るしで、

時間が、無為に空く。

じゃあ、3部リーグのゲームを観てみるか。

行ったり来たりのボールを、プレイヤーはその都度跳ね返し、または、自分の手に入れようと動き回る。

必死にやってるんだろうが、上手くいったら繋ごうか感ばかりで、その場しのぎのサッカーが続く。

興味や関心のないチームだと、こうも面白くないこと甚だしい。

ところで。

宮崎戦が、アルウィンで催行できない(しかも日程を変更しない)となれば

我がチームは、8日間で3ゲームを、それも、アウェイでこなすことになるのか?

それはそれで、苛酷。

まぁ、なんの言い訳にもならないでしょうけれど。

では。

アマチュア菜園作業者の 憂鬱。

野や畑に入る者にとって、

なにが、不快で、鬱陶しいか、と言えば。

植物の多くが、鋭いトゲや、茨(いばら)を持っているということ。

茄子、きゅうり、オクラ、南瓜……。

そのヘタに、実の表面に、つるや葉の周辺にと、挙げたらまったく切りもない。

迂闊に触れて、微小なトゲが手にささろうものなら、

抜くのに手間取り、実に、厄介。

たしか、庭か畑で刺して、おととしは、どうしようもなくて皮膚科に行った。

……ふたたび、バイブル(旧約聖書) を引き合いに出せば、

人間が、エデンの園を追放された際、

神は人に言われた、

地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ。……とある。

人は、智恵を授かった代償に、自分の周囲でたやすく、トゲといばらと出逢うようになった。

これが真相でよい、と僕は思う。

なぜに、植物にはトゲやイガがあるのか?

巷間、書物には。

なぜなら、外敵(動物)から身を守ったり、モノに引っ掛かって成長するため、と平気で書いてある。

しかし、考えても御覧なさい。

植物に、防衛とか、他への寄りかかりとかいう〈意思/意欲〉を認めること自体が、

科学では認めにくい霊魂論であって、(☜ この部分は、機会あれば追補します)

全能者(=神)が、地を変えたという聖書の主張と、そうは変わらず、

そこを、僕らは、よく考えもせず、素通りしているに過ぎない。

では。