どのように生きるか?

ひとつ。
私は、なぜ、ここに在るのか?

ふたつ。
私は、なぜ、生きなければならないのか?

これを、まったく考えなくたって、僕らは毎日を、生きて過すことはできる。

が、ふと。

魔が射すと、こんな自問をすることもあるだろう。

問いふたつ、への答えの中身はともかく、

ひとつめは、宗教に、ふたつめは、哲学にその役目を負わせるべきことが、

この年齢になって、やっとわかるようになった。

さて。

宗教と哲学に鍛えられて辿り着きたいのは、

今、ここに生きていて、

私は、どのように生きるのか?、を知るに尽きる。

もちろん、自問などしなくたってかまやしない、

自分を偽らず、実際に、そう生きていれば。

では。

どうして,軍艦 ?

― 海苔でぐるりと巻いた、この寿司、なんで、これを軍艦と呼ぶのか?

昔(20世紀のはじめ) のバトルシップ(軍艦) は、こういう姿をしていた。

(iPadで、画像をみせながら)
黒く寸胴な船体を横からみたら、ほら、イクラ巻きによく似てる。

これはね、日露戦争(1904~05年)の、連合艦隊の写真。

日本海海戦では、ロシアのバルチック艦隊と交戦して、ほとんど全滅させてしまった。

で、これが現代の軍艦。

イージス艦といって、米国が建造した、コンピューター制御をふんだんに使った、最新鋭船。

舳先がこんなに突き出ていてスマート。甲板上は、箱の塊で、素っ気もないね。

機密で、高度な技術を多く搭載していから、米国が信用している国にしか売ってくれない。

たしか 6つの国くらいで、日本は、そのひとつだよ。

 

……寿司に関する知識から始まってのいろいろを伝授しようとしている者よりは、

その話を、我慢してきいている 8歳男児のほうが、もちろん、

格段におとなであることは、間違いない。

では。

なにをいまさら。

職場で、喫煙に関するアンケートをおこなっている。

なにをいまさら、と思いながら、記入して回収箱に放り込んでおく。

択一的な質問に回答していくうちに……、

ははぁん、これ、受動喫煙の害毒について(医学的な) 知識を提供することが、ひとつの目的だな。

多くは単純を装ってはいるけれど、

元来、アンケートには、なんらかの問題意識や、予定される施策実施が根底に在るはずだから、

それを、回答者にあらかじめ告げるのがフェアだろう、といつも思う。

さらに、お手数をわずらわさせているのだから、

回答の集計結果は、そのまま正直に開示するのが礼節のはずだが、

今の組織では、一切、そういう配慮が見当たらないのは残念だ。

こういうのを、配慮に足りない会社の風土、という。

或る質問の回答の選択肢として、

会社敷地内を禁煙にすべき、なんてのには笑ってしまった。

きちんと分煙すればいい話であって、

喫煙者の皆様は、国に税金を納めるという市民の義務を率先して果たしているのだから、まるで喫煙行為が社会悪、と匂わせるのは失礼だ。

ここまでシビアな回答を設定するなら、

たとえば。

外勤者が、客先を訪問するに際し、タバコ臭をさせない配慮についても質問してもらいたいものだが、

それがないのは、お客様第一が口先だけであることが、よくわかる。

しかし、まぁ、こんなような、よくわからん社会的な流行だと、

今から20年後には、〈大麻に関する受動喫煙〉の話をしているんじゃあないか?

では。

勝ち目のうすい戦いは続く。

註) 既に散った、だいこんの花、白☞紫のグラデーションが美しい。

……山雅について。

八戸戦レビュウから導けることは、

現状レベルのゲーム運びと、ボール運びを続けている限り

(以前からの僕の読みでもあるけれど)

勝ち負けが交互に現れて、最終盤、勝ち数が、負けのそれよりか数個多くなる。

で、3部リーグは、序列格差があまりなく実力フラットなので、勝ち点基準は下がる傾向にあって、

結果、相対、順位がプレイオフ圏内に……というのが、希望的な観測。

それ以上に戦績が上向けば、もちろん、素晴らしい。

ここで。注文をつけるなら。

実直な正攻法に磨きをかけることを、より深めるべきだけれど、

もっと、トリッキーな、別の言い方だと、豪胆な巧妙さ、を追求するべき。

たとえば。

(コーナーキック数はリーグトップなんだから) デザインした セットプレイを立て続けに見舞う。

あるいは。

長野戦のゲーム冒頭でみせたような、基底から組み立てる、と見せかけて、センターバックが猛烈ダッシュ、同時に、大内がロングボールを蹴り上げる、そんな工夫。

それには、肉体的に走れるは当たり前で、フルタイム、頭が相手の予想より素早く回転しつづける〈体力〉が要るだろう、と昨日、書いた。

他にも課題はあるだろうが、山雅の奮戦には、まだまだ可能性があろう。

実は。

それよりも、ずっと苛酷な戦いを強いられているのが、この萬年。

数週間前から、家庭菜園の中を、モグラめが一匹、縦横無尽に走り回り、ミミズバレに土を盛り上げて、トンネルを掘りまくっている。

対し、トラップを仕掛けるなどして、とにかく、庭にだけは入らないようにと苦戦中。

つまりは、いまだに捕獲、あるいは、奴めの逃走には至っていない。

で、昨日やってきた息子が、

モグラとの交信によって追い払うのがいい、という。

訊けば、彼、小学生時代にやった実績があるらしい。

モグラは、縄張り意識が強く、単独で生活している。

その習性を利用して、

地面を叩くことで〈Go Away from Here!!〉のメッセージを送ると、

地中のトンネル上部を鼻先で叩いて、返信してくるのだそうだ。

それを執拗に繰り返して、ついには、根負けしてこの地から去ってもらう、というストーリー。

しかし、まぁ、コップを地面にあてて、さかんに地表を叩き続けるジジイの姿は、これまた、異様であるまいか?

……とは思えども、梅雨の今、なりふり構わず、あらゆる手段を使ってでも、

この希望なき戦いは続くのです。

では。

画業には,腕力も必要。

レンブラント ファン レイン (1606~1669年,蘭の画家) の作品をみると、

かなり大きな画面を、破綻なく構成できている。

たとえば、『夜警』(1642年作)と呼ばれるものは、縦3.6m × 横4.4mのサイズ。

あれだけの画一枚を仕上げるには、相当の体力と肉体労働を要したはずだ。

ただし。

当時、レンブラントは多くの弟子を抱え、工房システムで制作していたから、

画面の細部まですべてを本人が描き切ったのか、どうか?

 

世評が確立された大画家。

人の肖像は巧いから、その方面では繁盛したんだと思う。

が、描かれた人物たちに、あまり素直な共感を抱けない。

何故だろう?

聖書の劇的なシーンを題材にした作品も多いが、それほど心を掴まれるってことはない。

ただし、これは、レンブラントの腕前がどうのこうのではなく、

僕自身の、バイブルの登場人物たちへの、感情移入の貧困なのかも知れません。

でも。

唯一、例外として気に入っている作があって、

タイトルは、『屠殺された牛』(1655年作、サイズ96㎝ × 69㎝、板に油彩)。

こういう題材を選ぶところには、きっと、注文による制約もなかっただろうから、

画家が、心底、描きたかった画のはずで、

つまり。

俺は、単に絵筆を巧く操れる職人ではないぞ、

この物体が置かれた空間こそ、確かな世界、いままでの〈美〉の概念を変えるやる

……みたいな気概、を感じますね。

400年前に描かれた、この一枚には。

では