萬年の 怨念。

この前の日曜日、久しぶりに、高遠に在る松茸山のオーナー(松本在住) と会って食事をした。

聞けば、10月下旬頃に、

左足の甲と指のひとつを骨折(骨にひびが入る)した、と言う。

それも、萬年の怨念の所為だ、というから、ずいぶんと穏やかでない。

高遠の親戚筋に挨拶にでかけた際のこと。

ついでに、山にいってみようか?、となった。

クマよけの鈴はふたつ身につけて、用意万端。(ちゃんと準備したんだ)

おかげで、松茸を数本手に入れることができたが、途中、イノシシと遭遇した。

不幸にも目があってしまって、追いかけられるハメに。

途中、切り株につまづいて転倒したものの、なんとか逃げおおせた。

帰路、日帰り温泉に寄って、そこで靴下を脱ぐと、

なんと左足が、ひどく腫れあがっている。

すぐにかかりつけ病院の整形へ行って診てもらったら、左足甲部と指骨骨折の確定診断。

湿布にて保存的治療となったが、しばらくは松葉づえの生活。

骨折して、すぐに頭に浮かんだのは、

― 萬年氏に報せもせず、自分だけ(彼女と)松茸採りに来たが、これはきっと、声をかけてもらえなかった萬年氏の怨念が作用して、イノシシに自分を襲わせたのだ、という想念。

たしかに。

秋口から初冬にかけて、今年は叶わなかった松茸狩りのことが、時々は脳裡を去来したことはあったけれど、

まさか、それが怨念に昇華して他人を傷つけるエネルギーになるとは!!、当のご本人も、まったく知らなかった。

待てよ?、するとですよ。

ひょっとしたら、鹿児島と富山の 2連敗は、この僕の怨念が作用しているかも知れないな。

けれども。

クロス30本を投入するゲームを続けながら、それを、勝ちにつなげられないとは、

山雅には、よっぽど、〈運〉というものがないのだろう。

では。

天使は, 静かに微笑んでいる。

数日前のこと。

2歳半の子に贈るには、仕掛け絵本は、どうだろう?

ページをめくると、画が立体として起き上がってきたり、

タグをひっぱると、絵の中の品物が、こっちからあっちへと動いたりするやつ。

そこで。

駅前の丸善なら、すこしはマシな品揃えをしてやしないか、と思い、

夫婦で物色しに出掛けた。

入店して、エスカレーターで2階に上がったところには、テーブルがあって、

これからのシーズンを反映したテーマで、仕掛け絵本が、山と平積みになっている。

そこには、男児 (おそらくは小学生未満、保育園の年長とおぼしき)がひとり。

次から次へと、絵本をあちこちしていた。

夫婦が、どれどれ?、と端から手に取り始めると、そっとそばに来て、一緒にページをめくる風情。

― ここをねぇ、こうすると、ロケットが飛び出すよ。

― ほらね、虹が、つながるんだ。

今が始めて試す手つきではない調子で、それはそれは、丁寧なレクチヤアが続いた。

おかげで、数ある中から、お洒落な、かつ、手ごろな価格の絵本に決まった。

けれど、そうこうするうち時間も経っているから、

一緒に来店したであろうご家族が心配していないか、と気にかかる。

聞けば、母親と同行らしい。

店内を捜して、この子をお返ししなくちゃあ、と家人が、

― お母さんは、黒い服着ているの?

捜しやすくしようと、母親の特徴を聞き出そうとするが、横に首を振っているばかりで、要領を得ない。

本人には、不安で寂しそうな様子が微塵もなくて、

碧いフレームの眼鏡の奥では、つぶらで大きな瞳が、柔らかく笑っている。

すると、売り場のそばに居た、同じような年恰好の子を連れたご婦人が、

わたしがその子が母と一緒になるまで様子をみていますから、という感じで引き取ってくださった。

都合30分も使わず、迷うことなく済んだ絵本の購入。

……あとになって、僕は考え続けているんだけれど、

あのなんとも言えぬ落ち着きと、柔和。

しかも、月曜日のお昼近くに、書店にひとりきり。

たとえ、あの子が、この街のどこかに、実在の人間であろうと、

僕ら夫婦にとっては、遣わされた天使であった、に違いない。

では。

『小倉日記』から。

(ライトアップに浮かぶ小倉城、by ジョー氏)

ジョー氏から、

北九州には、『小倉日記』という名の、有名なお菓子があると聞いた。

1899年(明治32年)。

森 鴎外は、置かれて間もない陸軍第12師団の軍医部長として小倉に赴任し、そこで、2年余りを暮らした。

その地で書き綴っていたのが、『小倉日記』。

後年。

夏目 漱石の葬儀で、芥川 龍之介がその受付を務めていたら、

なんともいえぬ気品をたたえた人物が訪れ、その雰囲気に圧倒された。

この紳士が、会葬簿に記帳しているのを覗くと、

森 林太郎 (鴎外の本名) とあった。

……このエピソードの出典がどこなのか、僕は知れないけれど、

こういった出来過ぎのお話しはやはり、誰かの創造に違いない、と思う。

では。

権威を借りて来る。

吉田 健一 (1912~1977 文芸評論、小説家) が、いまから半世紀前に、こんなことを書いている。

……この頃、新聞その他で目に留まる最も不愉快な言葉のひとつに、何々と言われているというのがあって、もっと簡単に、そうであると書けばよさそうなものなのに、それをそう言われていることにするのは、責任回避の目的を果たすばかりでなくて、そういう表現をした方が信じられやすいところにからくりがあるのが感じられる……

(原文の歴史的かなづかいを、萬年が改めた、下線も付記した)

こういう事情は、いまも、あまり変わっていなくて、

要は、自分の発言に対する他からの反論をあらかじめ想定するので、それに向かって、なんらかの権威づけをしておきたい。

そういう時の、常套句なんだと思う。

極論にはなるけれど、

他人の好悪にびくびくしない個人主義を、いまだに曖昧にしておきたい身につけられない僕ら、

そんな事情背景が、こういう言葉を使わせるんだろうか?

せいぜい気をつけたいものだ、自分の生み出す文章や態度には。

では。

好天に飛ぶ。

直近の、信州まつもと空港では。

JALの、ジンベイザメを描き込んだ、ボーイング737 – 800 が、離着陸した。

松本から沖縄への、3泊4日のツアー便、ということ(ジャガー氏から聞いた)。

JAL(グループ) の保有は、62機。

座席数は、JALの公式ページでは、165。

1967年の初飛行以来、

2023年現在でも生産販売されて、累計製造は、11,000機を越えているから、空前のベストセラー機。

この機種の保有第1位は、サウスウエスト航空で、733機を、すべて737シリーズで統一。

運用機種の単一化は、同社のユニークで、かつ好収益な企業活動の秘密のひとつ。

(生産年数が長く、製造数も多いので、事故は他の機種に比べて、また多い。あきらかに機体の欠陥によるものも発生している)

短距離用小型ジェット機のカテゴリーに属すゆえに、まつもと空港でも運用が可能なわけです。

ボーイングの年度別売上(納入)機数をみると、年間では、300~400機とあり、

商用機のこの機種だけでも、一日あたり、1機以上製造する航空機メーカーなんだが、

この規模は、僕の想像力などを、はるかに超える。

だいたいが、あれだけ重そうな機体が、それなりの出力を有するとはいえ、

なぜ空中に浮かび、そして巡航できるのか?、僕には、正直いって心底、理解できてはいない。

では。

(註:画像版権所属先 オフィスウエストウッド)