損失は 見積もれない。

持っていたものを失うことは、人生において、多々ある。

その喪失感をどうこうしろ、っていわれても、どうしようもならない。

大抵は、ひたすら時間の経過に任すしかないが、かと言って、時間が癒してくれる保証などないのが辛いところ。

どこかの映画のセリフに、
― 時が癒す?、でも、時が病んでいたらどうするの、なんてのがあったな。

でも、もっとマズイことを、人は往々にしてやっている。

おそらくは、現在の自分を幸運な者として考えたいために。

それは、

もしも自分がこれこれを知らずに、これを身につけずに生きてきたら、どんなにか不幸だったろうか?、と想像すること。

知らないでいれば必ず、その損失も感じないで生きているに違いない。

残念に思う自分など、決してどこにもいない。

だから、仮定さえ成り立たない話だけれど、人間は、わざわざ喪失感の裏返しまでやることで、現在の境遇を慰めたいらしい。

これを自分についてやっているうちはいいが、他人の身の上についてそれを行なうようになると、かなり悲惨な人格が出来上がる。

一見、他の者を肯定的にみているようだが、実は、けっこう厳しく裁いているのに気づかない。

他人を裁くのは、人の仕事ではないのに、とつくづく思う。

では。