『探偵物語』(1984年) には参った。

成田 三樹夫扮する四流刑事が、

だみ声で、工藤ちゃーん、と登場するテレビドラマではなくて、

劇場公開された、角川映画のほう。

手持ちぶさたから、つい魔がさして、図書館で借りたので、

せっかくだからと、観始めたのに、

30分くらいで、我慢できなくなって、観るのをやめにした。

当時、売り出し中の薬師丸ひろ子(19歳?)に、

松田 優作の、コメディ役者としての軽妙や面白さを絡ませる、といった趣向はわかる。

が、それだったら、『家族ゲーム』(1983年) で足りる

ちっとも面白くない、で片づけてしまえば、それきりの話だが、

僕にとっては。

2026年の今だから面白くないのか?、

はたまた、もしも、公開当時に観たとして、やはり、面白くなかったのか?

この辺は、かなり重要なことに思える。

映画そのものとして、耐えられないのか、

あるいは、ああいう描き方、ジョークの提示が、時代的に褪色いちじるしいためなのか。

笑わせたい、感心させたい、そのための演出(と演技)が、ことごとく笑えない。

これには、困った。

……もともと、僕の中で、80年代とは、70年代の燃えさしに等しく
(70年代は、60年代が終わったあとのつんのめり)

素直に笑えないのは、いまだに、そんな時代感覚から自由になれない自分があるからかも知れない。

では。

無題。

一昨日、友人から、ショートメールで、

― バケバケやっと終わった、高石の笑顔だけでまわすNHKくだらない……。

これが、毎朝 15分やってる番組であるのは、

居間のTV画面に映るのが自然と目に入るから、

観る習慣のまったくない僕にでもわかった。

高石、というのは、おそらく、主役を演じている女優の姓だろう。

早速、

―くだらない、と言うのなら、観ているのもどうか?と思うが。

と返そうとしたが、たまたま病院でいまかと会計待ちをしていたこともあって、やめにした。

つまり。

この手の番組を、下る下らないと評するのは、ほとんど意味をなさない。

合計30時間超分を、小刻みで構成するのだから、毎回が、高密度な作品になるわけがないし、

そもそも、極悪人は登場せず、主人公は、かならず反戦主義者、という不品行のないステレオタイプで創ってあるのだし、

おもに高齢者層の習慣性に訴えること、それが、商品価値なのだ。

だから、家庭(夫婦)生活を描くにしても、

凄絶だった、漱石や、萩原 朔太郎(詩人)のそれは、絶対に採りあげられるはずはない。

ところで。

日本で、1961年とは、

映画館の年間入場者数が、10億人を下回って、8億6千万になった年。

それから年を追うごと減少して、5年後(1966年)には、3億4千万人になる。

(参考値☞2025年の入場者は、1億9千万人弱)

この流れを、当時は、映画産業の斜陽、と呼んだらしいが、それは、一面的は観方で、

テレビ業界が、映画にかわって、主に、

日常の家庭生活を描く〈ホームドラマ〉、紋切り型な〈時代劇〉〈刑事物〉などを受け持つ格好で、制作配信するようになったのが実情だと思う。

だから、

誰がどうのこうの言ったって、

これからも、15分刻みの、健全たるホームドラマは、なくならない。

では。

あぁ、平穏……。

― 爭いを好む女と一緒に家におるよりは、屋根のすみにおるほうがよい 
(旧約聖書 箴言21章8節)

イスラエル王ソロモンが、そんな婦女子に囲まれていたのか、

または、他人の家庭をみて、そう思ったのかは知らないけれど、

『風前の灯』(1957年、松竹)を観ていて、この言葉が思い出された。

映画は、洒落た脚本と演出(木下恵介)、それと、達者な役者によるコメディで、

この作品に先立つこと、ちょうど2か月前に公開された、

『喜びも悲しみも幾年月』(同監督)と同じく、佐田 啓二と高峰 秀子が、夫婦を演じている。

が、ふたつの作品における夫婦像の〈落差〉とその演技に、終始、抱腹絶倒だ。

……風前の灯については、機会あれば、また書くことにして、

〈These Foolish Things〉(たわいないことに(あなたを想う)) は、ジャズのスタンダードソング。1936年発表。

……口紅のついた煙草、
素敵な場所への航空券、
隣のアパートから聞こえるピアノ、
水仙の花と 空を横切る電線、
小さなテーブルにある蝋燭の灯火、
通過する真夜中の電車、
放り投げたストッキングの下のパーティー券、
グレタ ガルボの微笑みとバラの香り、

そんな他愛ないことのすべてが、あなたを想い出させる。
それは、僕には喜びであり、また、痛みでもあって……。

ひとをおもうこころに、平穏のみを願うのは、虫のいい話なのかも知れない。

では。

覚え書のおわり。

J.S.バッハの、ゴールドベルク変奏曲(1741年刊行、BWV988)は、

チェンバロ演奏のために書かれた。

没する9年前の、バッハ 56歳の年。

某伯爵の不眠症を癒すために創られた、というエピソードを、そのまま信じていいのかどうかは疑問。

まぁ。すくなくとも。

聴き手が貴族階級に限定されていたことは、階級社会の世にあっては当然で、

バッハのアタマには、民衆に聴かせる発想などなかっただろう。

現代に生きる、一市民のありがたさよ。

曲は、同一のアリアで始まって、終わりが締めくくられ、

その間に、30の変奏が配される。(前後半15づつ、の趣き)

グレン グールドのピアノだと、

変奏曲 30が、清新で、高貴で、情感が豊かに演奏されていて、素晴らしい。

……と、これは、前置きで。

 

ゴールドベルクの変奏曲数が30なので、

令和キネマ座の集中鑑賞は、真似て、30作品で終わることにする。

29) プロデューサーズ 1968年 米

30) シティーヒート 1984年 米

……30本観終わって、ざっと心に残る俳優は、

丹波 哲郎、ジーン ワイルダー、マックス フォン シドー あたり。

この3人については、今回の作品というより、他作品における演技が、もともと筆者の心象にあって、それらを含めて、彼等の演技力の幅と深さに魅入ってしまったがゆえ

(丹波☞ジャコ萬と鐵、ワイルダー☞ヤングフランケンシュタイン、シドー☞エクソシスト、といった具合)

では。

館主の覚書ひとつ (2025.12月~2026.1月)

元来の、熱しやすく冷めやすい性質のためか、

この年末年始は、初見と再見が入り混じり、ムーヴィーを観散らかしている。

筆者は、令和キネマ座の館主でもあるから、

覚えとして、現時点(1/21)で、それら作品を箇条書きしておこう(観た順序ではない)。

(なお、★を付した映画は、最近のブログで採り上げた、ナンバリングは使える記号の範囲内)

スローターハウス5 ★ 1972年 米

キャッチ22 1970年 米

網走番外地 1965年 日

チャンス 1979年 米

ガントレット ★ 1977年 米

トゥルー クライム 1999年 米

月光仮面 魔人の爪 1958年 日

吶喊 1975年 日

三匹の侍 1964年 日

渚にて 1959年 米

ハートロッカー 2008年 米

自由を我等に 1931年 仏 (日本公開 は 1932年)

マルタの鷹 1941年 米

アリスの恋 ★ 1974年 米

コンドル 1975年 米

ピアニストを撃て 1960年 仏

バルカン超特急 1938年 英米

刑事ニコ 法の死角 1988年 米

ブレージングサドル 1974年 米

ラ ジュテ 1962年 仏

21)アノマリサ 2015年 米

22) スキャナーダークリー 2006年 米

23) 桜桃の味 1997年 イラン

24) ロンゲスト・ヤード 2005年 米

25) アンファヴィル 1965年 仏

26) 夕陽のギャングたち 1971年 伊西米

27) ブルジョワジーの秘かな愉しみ 1972年 仏

28) マーティー 1955年 米

機会があれば言及したい映画ばかりだけれど、

気分的には、No.27の、醒めたリアリズムが、今は、しっくりとくる館主です。

では。