僕の知っているところで、または、知らないところで、
世界は さまざまの死でいっぱいだ。
それを、あたかも、自分が看取るの、支えるのと、どれほど傲慢なんだろう、人間は……。
勝利だの……敗北だの……これらの言葉には、意味がない。生命は、こうした表象を超越して、すでに早くも新しい表象を準備しつつあった。
(『夜間飛行』1931年刊、サン テグジュペリ著、堀口大學訳)
秀歌だと思う、しかも、これくらいの低さで歌ってもらうと、その良さが断然に引き立つ。
では。
僕の知っているところで、または、知らないところで、
世界は さまざまの死でいっぱいだ。
それを、あたかも、自分が看取るの、支えるのと、どれほど傲慢なんだろう、人間は……。
勝利だの……敗北だの……これらの言葉には、意味がない。生命は、こうした表象を超越して、すでに早くも新しい表象を準備しつつあった。
(『夜間飛行』1931年刊、サン テグジュペリ著、堀口大學訳)
秀歌だと思う、しかも、これくらいの低さで歌ってもらうと、その良さが断然に引き立つ。
では。
もしも、晴天であれば。
太陽光を受けて白く輝きながら、
北北西から東南東に向かって、
夜明け前の空を、おおよそ北から東へと横切っていく、
ISS(国際宇宙ステーション)が観られます、という情報。
最も接近する時は、
仰角が 60°で、この地からの距離は、 500㎞以内。
天気予報ですと、可能性が高くて、見やすい観測日和です。
……さて。
パッヘルベルのカノンは、かなり有名(過ぎるくらい) な曲なので、
したがって、そのカヴァーは幾千もあるでしょうが、
やはり、
当時の演奏様式(=オリジナル)で聴くところに落ち着いてしまう。
作曲年の詳細は、不明。
でも、作曲者はバロック時代の人で、
1600年代の終わり(1680~1698)に近い時期と推定されるらしい。
3つのヴァイオリンによる追っかけを、チェンバロなどの低音楽器がずっと支える、そんな編曲。
こんな動画をみると、素人の僕にさえ、実によく曲の作りがわかる。
ここでは、チェンバロ、チェロにリュートが加わって、セクステット。
では。
土曜日の午後(夕方)。
自室のソファーでまどろんでいたら、
― 父さん、ちおあ きなおみが TVに出てますよ、と知らせてくれる。
― 観たら、きっと泣いちゃうから、止めとくよ。
気を効かせて呼んでくれたんだが、
なに、ほんとは、もうすこし、ウトウトしたかっただけ……。
その後で、居間を通る際に、画面をみたら、
どうも、かつての年末定番歌番組を流しているらしかった。
それも半世紀ぐらい前のやつか。ドリフターズがコントをやっている。
当日、娘や息子の家族が来ていて、総勢10人近くが集うなか、
当時生きていたのは、たったのふたり。
そう遠くない将来、次の世に向かうであろう者への、
これは年末プレゼントなのだと思うと、そのご厚情に泣けてきた。
極上のまどろみ、と日本語に訳すのがよいのか、
〈Golden Slumbers〉は、ビートルズが、1969年に発表したアルバムの、最後のほうに置かれた小曲。
だから、この曲も、もう半世紀前に作られた。
タイトルは、マザーグースの童謡の一節から採られているから、
彼らなりの昔語りをしている風な趣きなのかも知れない。
今回は、ブラド メルド―のソロピアノで。
では。
公式サイトを定期的に見る生活なので、
不適切発言うんぬんの記事も、目に入ってくる。
愚行をおこなった者が、たまたま山雅ファン&サポーターか、観戦者だったらしい。
愚かなことをしまくるのが人間の常だから、
それに対し、どこまでクラブが責を負うのか、あるいは是正を求めるのかには、べき論などはない。
事が起こった時、
サッカー観戦の際は、周囲に不快を与える行為は慎んでくれ、くらいは(興行主として)言っておくか、おかないか?、クラブが判断すればそれで良し。
いちばん嫌なのは、こういう行為に対し、
やれ、人として~とか、だから山雅サポーター~は、とか、あたかも正義漢ぶって責めの声をあげる者たちだ。
世の中、愚行そのものよりも、それを糾弾する声によって千倍も煩わしく、不快になる。
たとえば。
クルマから道路に灰皿の中身を棄てるドライヴァーに向かって、
大声でその悪を指摘する子を、「シッ」と抑えるような親御であるならば、
ダブルスタンダードの正義で他人を責めるのは、それこそ偽善だろう。
愚行とは、その瞬間にこれを糺さないと、永遠にその機会が失われる。
……と、そんな記事を横目で見て思いながらも、
いまは。
ただ、チーム山雅に感謝するのみ。
では、富山にて。
居心地の良いことばかりを求めるのに、
なんとなく気が引けてしまうのが、自分の可笑しなところ、と思うこの頃。
でも、やはりこんな曲を聴いているとは……。
おおいに矛盾してはいます。
では。