ひとはそれを,アメリカンと呼ぶ?

先日。

穂高まで出かけて、(お店で) スパゲティを食した。

ナポリタンにハンバーグを載せたもの。

それを、アメリカンと称していたが、世では、その呼び名が流通しているんだろうか?

僕の偏見では、北米の食文化にはパスタがあまり結びつかないので、

いまだにこの名称には、釈然としないでいる。

……どうでもよいことを、こんな静かな曲を聴きながら、思っているのです。

ブレッドの、1971年発表の曲。

では。

Good Dog Happy Man

ビル フリーゼル(1951~)が、1999年だから、およそ四半世紀前に発表したアルバム名をもらって、

そのまま、本記事のタイトルとしました。

職場のヴァン氏が、最近。

17年間連れ添った愛犬を亡くし、イマイチ元気がないこともあり、その酒量が増さないことを祈りつつ……。

さて。

僕の場合、アルバムを購入する際、多分に、ジャケット写真の良し悪しで選ぶ。

特に、ジャズ(と僕が思う)音楽は、洒落た写真、またはイラストだと、

その内容も優れている、と思い込んでいる。

フリゼールだと、『blues dream』(2001年) は、手に取って、即、購入した。

☟これが、そのジャケットの表紙。

これなど、ジャンル分けは無用で無意味、このアメリカ合衆国で生きて来た俺が紡ぐ音楽を聴いてくれ、というメッセージそのままのイラストに違いない。

……ならば。

その音楽に惹かれて同調しているこの自分とは、一体何者なのか?

……という疑問や不審感を感じることが、けっこうあります。

で、今回は。

その〈Good Dog Happy Man〉から、『Shenandoah』を聴こう。

シェナンドウは、米国の民謡で、シェナンドウ河とか、ミズーリ河への郷愁とか、いくとおりかの歌詞があるが、

開拓時代(19世紀)を歌っているから、要は、アメリカそのものでありましょう。

まぁ、心に沁みてくれば、どこの国の音楽だって、いいんですけどね。

セッションには、ライ クーダ―(ギター)や、ジム ケルトナー(ドラムス)も参加しているから、僕にとっては、ボーナスみたいなもん。

では。

こっちだって、60周年だぞ。

60th アニバーサリイの、(安永が着用モデルの) 特別ユニフォーム。

僕の好みの襟付き、でもあるので購入を相談してみたが、

誰かのお許しが下りずにいて、まぁ、諦めることになりそう……。

……愚痴はこれくらいで。

グラント グリーン (1935~ 1979年 ジャズギタリスト) による

『I Want To Hold Your Hand 』(原曲はビートルズ) のカヴァー。

この曲は、1965年3月に録音されている。

ゆえに、こちらだって、60周年なんだが、

まったく古びていないのに驚く始末、なんだ、この縛られない縦横無尽さは。

もちろん。

山雅だって、古びずに、これからも、時代の先頭に立ち続けてもらいたい、と願っている。

では。

(おそらくは) 10年に一度の悲報。

ゆかりを感ずる人々の訃報を別にすれば、

かなり気が滅入る今日、なんであります。

清水港の、河岸の市にあった定食屋さん〈魚河岸 どんぶり君〉が閉店した、との報せ。

お店の入っていた建物を、界隈のリニューアルにともなって駐車場にするので解体するため、と。

ご亭主亡き後、女将さんと、ふたりのご婦人で切り盛りしていたが、

ご自身のお齢も考えあわせた末の、店じまいであったのか。

あぁ。

これで。

エスパルスと対戦する機会がふたたび巡ってきても、

もはや、〈三色丼〉をいただくことも叶わない……。

 

動画は、特段の他意もなくご紹介。

こういう作品が創られるようになると、

2時間もつきあわされる映画などは要らなくなるし、

もっと、内面と向き合う時間を持てるようになる、ってのは思い過ごしか?

では。

5月1日のルーティン。

『The First Of May』(1969年発表 by ビージーズ)を、

今日、引っ張り出してくるのを、

僕が、このブログを書いている限りは、もう、ならわしにしてしまおう。

……幼い頃の想い出は、小さくなって遠ざかり、

時は、いつか、僕らを通り過ぎていって、

僕らは、互いに離れてしまったけれど、

あの日、君の頬にくちづけた、あの恋はホンモノだったんだ……

子ども時代に見た、あの深く大きな川。

それが、いま訪れてみると、ホンの小川に過ぎない。

そんな、経験は、ないだろうか。

時間の経過と、自分の成長にともなって、いつしか消え去った昔。

けれど、あの幼い恋心は、いまだって私のこころに息づく……そんな歌詞。

たまたま、今日。

数箇月の入院生活のままに、

友人のひとりが帰らぬ途を行ってしまったことを知ったので、

時と人の過ぎ去るのを、いつもよりも深く感じている。

では。