もうひとつの 1966年。

明日対戦する、東京ヴェルディは、その後ろに、1969、と続く。

ヴェルディ(当時は読売サッカークラブ)の創設された1969年は、昭和にすると、44年。

1月早々、全共闘らの学生が占拠していた東大安田講堂を、大学側の依頼により警視庁の機動隊が投入されて、封鎖解除した年。

60年代は、まるで世界の終わりみたいに、世相や事物が沸騰していたんだろうか。

……さて、昨日、1966年について書いのだが、さらに、この曲だけには言い及ぶべきと考え、未練がましくここに追加しておきます。

以前、山崎ハコのカヴァーで採り上げたやつを、やっぱりオリジナルで。

『今夜は踊ろう』(1966年10月15日発売)、荒木 一郎 作詞作曲、そして歌唱。

今回聴いてみて、実に丁寧、かつユニークに作り込んでいることを、しきりに感じている僕。

荒木 一郎は、『最も危険な遊戯』(1978年公開、松田 優作主演)において、犯罪組織の手先として行動する、悪徳刑事役をこなした。

茫洋の下の陰険、そんな性格表出が魅力の俳優だ。

星の光がステキな……、という歌詞を、〈ホッシ― の〉と歌うところ、なんともお洒落、と思いますが、いかが?

では。

シエラカップは 買いである。


(八ケ岳にて 2019.7.21撮影。版権帰属先:オフィスウエストウッド)

9/4 ジュビロ磐田戦において新発売になるグッズ。

その中では、シエラカップが、断然イチ推しのアイテムだ。

カップの底の、Yamaga Camp と銘打ったデザインは、かなり秀逸。

かつ、1,300円(税込み) という価格設定は、良心的。

旧々世代のバックパッカーである萬年からすると、商品開発の対象としてシエラカップを選んだことに、趣味の良さを感じます。

そもそも、アウトドアは、何を持って行かないのか?、と装具を厳しく切り捨てることから始まる。

その精神からすれば、シエラカップこそ、食器、コップ、そしてヒシャクとして、持ち物に加えるべき必須のアイテム。

自然環境にダメージを与えない配慮をするならば、これに、折りたためる小型のバーナー(五徳)と、カートリッジガスをセットにして山野に入っていくのが、バックパッカーの礼節であろう。

材質はステンレス鋼。
飾り気のないカップが、使い込まれて、そこここに凹みや傷が生じてくるにつれて、アウトドアの愉しみが深まってくる。

近年は、軽量化という名の下、チタニウム製のモノが出回っているようだが、価格がはって、しかも、熱伝導がステンレスに劣るモノを敢えて持つ必要もないだろうに、というのが僕の考え。

そこで、シエラカップについてのご見解を、登山ガイドのジャガー氏に訊いてみると、

― そりゃ、チタンでしょう!  あの軽量感は爽快ですよ。
ただし、空焚きをしてしまうとアウトです。、とのご発言。

― そういうもんなんですかね、最近のトレンドは。

と、〈できるだけお金を惜しんで楽しむ派〉の僕は、少々浮かぬ気分なのだ。

いや、なに、フトコロがさみしい自称バックパッカーのひがみに過ぎないんですけれどネ。

ちなみに、このシエラカップは、〈シエラ クラブ〉の会員証の代わりとして支給されたので、この名がついた。

ザックにぶら下げて歩くことが、隠されたプライドだった、とも言えようか。

シエラクラブは、1892年創設の自然保護団体で、サンフランシスコに本部がある。☞ クラブ公式ホームページはこちらから。

そして、クラブの名称は、米国カリフォルニア州東部を縦に走るシエラ・ネヴァダ山脈に由来する(はず)。

山脈の全長が650km、最高峰のホイットニー山は、標高4,418mというから、にいると、ちょっと想像がつかない規模ですな。

カップひとつにも、けっこう深い歴史がある、というお話。

クラブが資金集めのため一般発売したカップを持っているけれど、どこかに仕舞い忘れて困っております。

では。

ここだけの話 その❶。

数日前のこと。

この度、宣言下に置かれた某県に住んでいるお方と、ご挨拶がわりにメールをやりとりする機会がありまして。

この方の職場で、COVID-19陽性者が出た、という話。

保健所の担当者は現場におもむくことはなく、電話の聴き取りで、濃厚接触者なし、との結論を出したらしい。

要は、単独発生の判断だろう、それ以上、クラスター有無の追及もなかった。

けれど、事業所閉鎖も有りの、危機感を持ったその会社。

設置しているカメラの映像をチェックして、陽性者が軽微に接触した社員を特定。

抗原検査をおこなった結果、陽性者が何人か出てしまいました、とのこと。

そりゃ、そうでしょう。

これだけ感染報告に追われていれば、対応する人数を倍々にしているわけでもないだろうから、保健所だって、いちいち念入りに事案を取り扱ってもいられまい。

責める気持ちはまったくないけれど、
いまや、濃厚接触者なし、というのはあてにならない文言、と思わないと、という教訓。

そこで、ふと思ったんです。

政府による宣言下での対策と措置がなまぬるいと批判するのはいいけれど、

では、これから7日間、対象地域では、行政、医療、介護の一部、救急、公衆衛生(ごみ処理)、金融機関以外は、すべて休業、休校。
交通機関も、災害時のように運休、または、ダイヤを大幅縮小。

ただし、スーパーマーケット(食料/日用品)の類は、ひとつの家族で2回まで利用可、と住民にお願いしたら、皆、応ずるんでしょうかね?

なんだかんだ言って、以前と変わりなく職場に通っている者、通学者がほとんどなんでしょう?

テレワークとかいう言葉は、よく聞くけれど。

たとえば、休業による自宅待機は、有給休暇の使用でまかなう、有休のない方にはそれに準ずる特別休暇を与え、事業主にはその分を補填する。

これだと、個人事業者は切ないけれど、ゴーツーなんとかに税金をつぎ込むよりは、よっぽどマシなんでは?

その期間、TV局はニュース天気予報以外は、すべて特別番組で編成。

懐かしの邦画洋画、スポーツドキュメンタリーを、アーカイブから引っ張り出して来て、24時間延々と流しまくる。

これぞ、プレミアムな、秋のヴァケーションではありませんか。

では。

賢者の贈り物。

そう言えば、O・ ヘンリーに、そんな題名の作品があったっけな。

さて、ここでいう賢者とは、マルクス アウレリウス アント二ヌス。

第16代 ローマ皇帝(在位 161~180年)、紀元180年3月17日、58歳で病没。

その著作『自省録』は、自分を戒めるために綴られた、思索の書。

原文の表題は、〈自分自身へ〉とだけ記されている。

その中から、ひとつ……、

「このキュウリは苦い」
ならば、捨てるがよい。

「道にいばらがある」
ならば避けるがよかろう。

それで十分、
「なぜ世の中にこんなものがあるんだ」などと
付け加えてはならぬ。

また、ひとつ……、

良い人間の在り方を論ずるのは
もう終わりにして

そろそろ良い人間になったらどうか。

つぶやきとか、日記形式、を装っていても、結局は、他人に読ませようと自分を主張する、そんなことばかりの、我が身と、自分を取り巻く世界。

皆がクレームを言い合っているようだな、まるで。
……、としばしばうんざりする。

では。

凡庸を責めることの 危険。

8月15日を、終戦の日、と呼ぶことが、なんとも滑稽に思われる。

もう戦いは終わりにします、と自分で決めたような格好にはなっているけれど、実際は、窮地に追い込まれた挙句に、待ったなしの無条件で掲げた白旗だったんだから、どうみたって、〈敗戦〉でありましょう。

敗戦、つまり、完全な武装解除と被占領、から始まったこの76年、という現実をどこかに置き忘れているので、平和論、国家論、果ては死生観までが、不毛な袋小路に入り込んでしまっているのが、僕たちの現実ではあるまいか。

人命はなによりも重い、とか言いながら、心身両面で平気で人を抹殺するような事件や事故が、この〈平和〉の国で跡を絶たない。

あの壊滅的な結末を迎えた戦争をおっぱじめ、そして戦った世代が、この世から去って久しい今。

各界の権威、有識者とか呼ばれる者はすべて、当時、物心もつかない幼児未満だったわけだから、いろんな意味で、戦禍の辛さや深刻さも軽くなるのは、これはもう、当たり前でして。

そうだな、特に、40歳以下の若い世代は、今大きな顔をして語る老人のほとんどが、あの戦いにまつわるところの苦労などしていない、と思って、その言動や教えにつきあったほうがいい。

特に、メディアを通して行われる、浅薄で、民に迎合的な情報操作が、真実を余計に見えなくしているから厄介だ。

COVID-19についても同様で。

人口1億2,600万人に対して、死者15,402人だから、人口100万人当たり 123人。

他方、人口3億3,000万人で、死者614,267人は、人口100万人当たり 1,861人。

日本に比べ、米国の、この流行り病における致死率は 15倍、というリアル。

なんらかの国家戦略が効いてこうなった、と言い切れないところが辛いが、

死亡という最悪の結果からみる限りは、現政権の対応や施策をガタガタ言うようなことでもない、と僕は思っている。

感染状況を災害と同じだ、とセンチメンタルな発言をするリーダーの姿勢。
または、専用の病床を増設もせず、ただただ狭いコップの中で困った困った、とうろたえているのはどうか、とは思うけれど、

批判の多くは、切迫感なき緩慢さとか、対策の不徹底をついているようだ。

けれど、どの政権や首班がやったにせよ、この国の制度下ではおそらく、諸政策は大差ない内容に落ち着くことは間違いない。

ここ数十年かけて日本は、多方面で護送船団方式の経済活動をぶっ壊してきていて、それを多様性の尊重、とかいって称揚してきたんだから、なにをいまさら、制限(規制)と補償をセットでとか、全員が救済されるべきとか、ムシのいいことを言っているんだか。

凡庸、愚策、無策内閣と、あげつらっているうちはまだ良くって、こういう状況の下、颯爽と、期待を浴びるように個人や集団が出現するほうが危険、というのは歴史が証明している。

そういう意味では、出ては叩かれる、足の引っ張り合いがマシな場合もある、と割り切れ。

この国では過去、おそろしいことに突っ込んで行く時、かならず誰かの権威や、他国による圧迫が理由として使われるのが常だった。

これからも、そこのところには注意しないと。

では。