失われた味を求めて。

食べることに執着する人生は、どうなんだろう? 、とは思う。

かと言って、他に熱中することもないのに、食にまったく関心が失せてしまうのも、人生の終末へと急いでいるようなもの、かも知れない。

― あそこのスパゲティ、切迫流産で入院していた時にどうしても食べたくなってね。
サっちゃん(実姉) に頼んで、買って来てもらったぐらいなんだから、あたし。
それに、あそこのポテトサラダが特筆モノだったぁ。

……、そのくらい大好物であった、と家人はひたすら強調する。

そのお店、その後場所を転々とした挙句、松本界隈から姿を消して久しい。

ところが、最近になって、そのままのレシピ使用を許されたお店が、今は穂高に在る、とビートル氏(職場の同僚) から聞いた。

いわゆる、暖簾を継承した、という格好のようだ。

そこで、先月、蕎麦をいただきに穂高別荘地の富士尾山荘へ行った折、そのお店の場所を下調べした。

で、ビートル氏に、その場所をご教示申し上げる。

そうしたら、先週になって、ビートル氏、にやにやしてスマフォの画面を見せてくれる。

芝生に飛び石を埋め込んだアプローチ。
その向こうに、お店の玄関が映っている画像だった。

なんと、彼に先を越されてしまったわけです。

― 庭園のテーブルでゆったりと味わいたかったんだけど、今回は、テイクアウト。あらかじめ予約しておいて。
この次は、女房に運転させて、陽射しの中でビールでもやりながら、と思ってる。

ランチタイムのみ、それも週4日の営業なので、家人と休日が合わないと出かけていけないのが、我が家の事情。

さあて、その日が来るのはいつになるのか?

あの懐かしいスパゲティの味に、そこそこに焦がれながら暮らす夏、になりそうです。

こういうのやっぱり、食への妄執、と言うのかな?

では。