我が 鎌倉あたり。

時候の憶え、6/23(葉が裂けていないが、おそらく)タチアオイが開花。

何年か前の夏、僕は、相模湾に面した葉山町を車でうろうろしていた。

或る画家の作品を漁るために、回顧展が開催された、その地に在る美術館を訪れるのが目的だった。

途中、JR逗子駅に立ち寄る。

そこから、三浦半島をくねくねと周回する細い路地路地を美術館へと道をたどると、夏の日に輝く海が眩しい。

葉山は、鎌倉と横須賀の中間くらいにあるところ。

潮風に曝され、清潔に錆ついて眠っているような街の風情は、ふだん山国に暮らす僕にとって、これからいつも、憧憬に近いものを感じる景色に違いない。

だから、できる限り早く、ベルマーレ平塚のホームスタジアムに出向く日が来るのを待ち焦がれよう。

ちょっと寄り道して、藤沢から江ノ電に乗り込んでしまおう、という魂胆なんです。

では。

ニュートンの林檎、萬年の春椿。

きのうは、夏至だったようだ。

庭を歩いていると、ぽさっ、というかすかな音。

振り向いて音のしたほうを見やったら、ちょうど今、春椿(はるつばき) の花が落ちたところ。

気がつけば、一面の、夥しい落花。

アイザック ニュートン (1642~1727年) は、林檎が落下するのを見て、万有引力を発見した、というエピソードが語られる。

けれど、これ、かなり乱暴な話でありまして。

たとえ、眼前で林檎が樹から落ちたのが本当だったにしても、ニュートンの頭の中で、日頃から地球内部への力が想定されていなければ、その光景に飛びつくこともなかったに違いない。

だから、林檎の落果が彼に、ふたつの物体(中心)間の、距離の二乗に反比例するエネルギーの存在を〈再確信〉させた、というぐらいで次世代に伝えるのが無難。

で、僕の頭の中には、取り立ててなんの観念もないので、春椿の落花を前に、閃くことなどは一切なかった、という朝でした。

では。

負けても魅了する その走り。

去る6月9日~12日の四日間。

大阪(長居スタジアム) では、2022日本陸上選手権が開催された。

田中 希美(1999年生れ) は、1,500m(6/10) と 5,000m(6/12) で優勝し、この2種目において、オレゴン世界選手権(7月、米国) 代表に内定した。

これだけだと、その実力から言って、そう驚きもしないけれど、感心してしまうのは、5,000m決勝の約1時間前に、800m決勝を走っていること。

800mは、ラストスパートをかけるも、先行した塩見 綾乃にわずかに及ばずに、2位。
ま、これにしたって、あとすこし距離があれば逆転していただろう。

たとえ負けても、観る者を魅了してしまう走りは、つくづく大したものだ。

才能、といったひと言で片づけられないような、鍛錬の裏付けがこちらに伝わってくるではないか。

さらに付け足すと、田中は、400mにも出場することがあって、これなんかは、機会があれば、ラスト1周のスプリント養成を狙う、貪欲さ。

と、3部リーグで現在3位につける我が山雅には、とにかく、最後の最後まで、かような虎視眈々の追い込みを手本とせよ、と言いたい。

註)お忙しい場合、スタートは、動画2分50秒くらいからです。

 

では。

失われた味を求めて。

食べることに執着する人生は、どうなんだろう? 、とは思う。

かと言って、他に熱中することもないのに、食にまったく関心が失せてしまうのも、人生の終末へと急いでいるようなもの、かも知れない。

― あそこのスパゲティ、切迫流産で入院していた時にどうしても食べたくなってね。
サっちゃん(実姉) に頼んで、買って来てもらったぐらいなんだから、あたし。
それに、あそこのポテトサラダが特筆モノだったぁ。

……、そのくらい大好物であった、と家人はひたすら強調する。

そのお店、その後場所を転々とした挙句、松本界隈から姿を消して久しい。

ところが、最近になって、そのままのレシピ使用を許されたお店が、今は穂高に在る、とビートル氏(職場の同僚) から聞いた。

いわゆる、暖簾を継承した、という格好のようだ。

そこで、先月、蕎麦をいただきに穂高別荘地の富士尾山荘へ行った折、そのお店の場所を下調べした。

で、ビートル氏に、その場所をご教示申し上げる。

そうしたら、先週になって、ビートル氏、にやにやしてスマフォの画面を見せてくれる。

芝生に飛び石を埋め込んだアプローチ。
その向こうに、お店の玄関が映っている画像だった。

なんと、彼に先を越されてしまったわけです。

― 庭園のテーブルでゆったりと味わいたかったんだけど、今回は、テイクアウト。あらかじめ予約しておいて。
この次は、女房に運転させて、陽射しの中でビールでもやりながら、と思ってる。

ランチタイムのみ、それも週4日の営業なので、家人と休日が合わないと出かけていけないのが、我が家の事情。

さあて、その日が来るのはいつになるのか?

あの懐かしいスパゲティの味に、そこそこに焦がれながら暮らす夏、になりそうです。

こういうのやっぱり、食への妄執、と言うのかな?

では。

草むしりの空に。

(時候の憶え、6/17 マルバハギの咲く)

数日前のこと、うちの畑をみた義姉に、

― 馬鈴薯に花がついたよ、と教えられる。

きっと来るともっぱら評判の、世界的な食糧難に備え、今年初めてジャガイモを植え付けてみた、というのは、真っ赤なウソ。

昨日は、ほとんどプロ級な菜園主が、上の畑からからこっちの庭を見下ろすと、

― 今年は優秀じゃん、とのご託宣。

いろいろとそれなりに作ってるね、というお褒めの言葉だろう。

― いやぁ、相方が凝り出しましてね。
けれど、あまり育ちが芳しくないやつもありますよ。

というわけで、僕がやってることは、せいぜいそこの草むしりなんですがね。

馬鈴薯の
花に 啄木思ふ雨
遠き宇国に降るは 砲弾   萬年

では。