天国と地獄は……、『Tears In Heaven』

(以前記事の、部分的なリライトです)

……、同じような箸を使って食事をしている、というお話。

どんな箸かというと、これが1メートルもの長さがあるようなシロモノ。

地獄では、その長い箸で、ひたすら我先にと食物を口に運ぼうとするから、隣同士の腕や肘がぶつかってしまって、結局、誰もがきちんとした食事ができないでいる。

他方、天国では、食物を長い箸で、目の前に座る人の口へと運んであげるので、皆が苦労せずして、食事ができる。

この寓話、天国と地獄といった、二者択一の世界観を押しつけるのでなく、むしろ現世だって、生きようによっては天国にできるんだ、という希望を与えてくれる。

ということは、次の世に行っても、僕たちは今と同じようなことをやっているんではあるまいか、としばしば考える。

『Tears In Heaven』(天国の悲しみよ)

天国で逢ったら 僕を憶えていてくれる?
天国でも  同じようにだよ
強く 持ち堪えようとしている僕
なぜって、僕は今 天国には居ないのだから

天国で逢ったら   抱きしめてくれるかい?
僕が踏ん張れるように 助けてくれるかな
いつだって  道を探している僕
なぜって、僕は今 天国に住めないのだから

時に 君は落胆して  崩れ落ちてしまい
時に 君は絶望して  助けを乞うだろう

ドアの向こう  そんな場所を信じる僕
悲しみのない天国が  きっとある と

映画『Rush』(1992年公開)のサウンドトラック主題歌として、エリック クラプトン(1940~ )が作った曲。
これより前の半年間、クラプトンは、一切の音楽活動から遠ざかっていた。

1991年3月、4歳半だった息子が、自宅アパート(53階)の窓から誤って転落して亡くなり、その後、失意の日々を送っていたのだ。

もちろん、このエピソードを知らなくたって、この曲の価値は変わるはずもない。

では。

ここからブレずに (2021.4.10 磐田戦レビュウ)

一応、結果は記しておこう……か。

リーグ戦6分の1の節目は、1 – 4 の敗戦。

飯田ICで中央道を降りると、一路国道151号を南下するコースを採る、ってのが、ひねくれ者の萬年の面目です。

いやいや、この季節、南信濃を観るには、このコースなんです。

下條村から阿南町を、花桃が、赤、白、桃色でポッと、街道の庭先に咲いているのを楽しみながら通過すると、県境を越えて。
豊根村、新城市(ともに愛知県)を経由して、浜松へと、遠州路を走る。

磐田市まで行って、駅近くに車を置き、東海道線を使い、東へとひと駅を乗る。

昨年開業した、御厨(みくりや)駅で降りて、スタジアムまで歩いてみた(ゆっくり徒歩で、20分弱)。

この駅、スタジアム最寄り駅、として開業したのです。

ヤマハスタジアム?
アウェイ観客を、入場時に、日陰の、急な階段に誘導するような扱いは、そのまんまでありましたよ。
それと、アウェイ席へは、時計、スコアなど情報提供が皆無、っていう古臭い思想がいまだ健在。入場料は取るくせに、なんとも、ですな……。

〈前半の前半、これを、90分間まっとうせよ〉
風上ということも考えて、もしも磐田が、相手をひきつけておいてからロングボールといった、緩慢なサッカーを戦略的に採用したのならば、評価を差っ引く必要がありますが、ゲームの入りは、今季最高の出来でありました。

ピッチを左右にひろく、ダイナミック、俊敏にパスでつなぎ、推進力豊かに相手ゴールに迫る。
魅せましたね。

これは、ここまで来てゲームメンバー間に、ひとつの落ち着きと連携の深まりが進んでいる証拠。

願わくは、阪野の覚醒と、まだ本領を発揮していない(現状)隠れたタレントのお披露目でありましょうか。

〈攻撃するためにこそ 守れ〉
あのハンドのジャッジにも言いたいことはあるが、前半終了間際39分になって、ルキアンにこの日最低限の仕事をさせてしまったのは、痛恨。
第5節の水戸戦のデジャブかぁ……。

56分のオウンゴールによって 0 – 2 となっても、ファイティングポーズを崩さず、その4分後に 1点返したのは大いに評価したい。

鈴木のヘディングシュートによるゴールをアシストしたのは、なんとセンターバックの篠原 弘次郎だった!

ゴールライン際深くからのクロスは、まっこと見事。
なぜそれを強調するのか?

それは、このゲーム、本職のサイドバックが入れるクロスは真っ正直で、かつ、相手にとってほとんど脅威的でなかったから。

このゲームを落とした最大要因は、自他とものクロス精度とその威力の格差だった、と言ってよい。

もちろんクロスへの反応の側にも課題があるわけで、ここは喫緊な解決すべき課題。

なお、ディフェンス陣の責任感と攻撃参加が増しているのは注目。
中でも野々村の成長が著しく、ファーストディフェンスまで顔を出す、といったシーンもあったり。

……、というわけで、責めているわけじゃあ全然ないんだが、このゲームはある意味、
〈良くも 悪くも 外山凌〉というのが萬年式結論。

攻守にわたる果敢なプレイは唸らせた。
けれど、2度ほどあったペナルティエリア内でのシュートチャンス。
せっかくおいしいところに、ほとんどフリーでボールが来たんだから、あれを決めてこそ、外山ではないか。

違った言葉で総括すれば、スタッツのほとんが優位なのに、なぜ戦果が逆転するの?

サッカーに優勢勝ちはないしても、今まさに、登り切るべき頂上はそこ。

ファンサポーターが観たいのも、せっかくの魅力あるサッカーを、勝利で締めること、これでありましょう。

では。

御領岳 の記憶から (早すぎる甲府戦プレビュウ)

4/17は、ホーム甲府戦だ。
磐田、甲府と、なじみあるチームとの対戦が続く。

なんだかんだで、リーグ戦も第8節、まだ5分の1なのか、あるいは、もう5分の1なのか。

ところで、ルノワール氏から、今季は、白馬47で滑り納めでした、とうかがう。

47とは、4シーズン×7デイズ、すなわち、1年365日楽しめるリゾートに、という決意を表すネイミングらしい。(ルノワール氏から宿題をもらって調べたのだ)

そのゲレンデから、五竜岳の眺望が素晴らしく、この季節、頂上直下には、
〈武田菱〉の雪形が現れるならわし。

……、なるほど。
確かに、菱型が4つ組み合わさって、おおきな菱型を作るデザインは、〈四割菱〉(よつわりひし)と呼ばれ、これこそは、武田家の家紋。

戦国の世、信濃の国は、その武田氏の領地だった。

ゆえに、武田菱が浮かび上がる、あの頂こそ、〈御領岳〉と呼ぶにふさわしい。

ところが、世が移るにつれて、御領がなまりながら、いつしか五竜となった、という説は有力です、とこれまた、ルノワール氏からの受け売り。

1582(天正10)年2月3日に始まった織田 信長による甲州征伐は、3月11日、天目山の戦いで、武田 勝頼・嫡男 勝信の一行が自刃したことによって終結。(武田宗家の滅亡)

この間、たったのひと月ですよ。

いくら勢力にかげりがみえていたにせよ、世にその名を馳せた武田軍団は、高遠城をのぞいて、組織的な抵抗をほとんどすることなく壊滅。

実際は、離反と織田側への寝返りの連続だったわけで、見事なまでの内部崩壊だった。

人は石垣、といった信玄の組織論は、いったい何だったのか。

萬年は、そこに裏切りへの不快感よりはむしろ、甲斐の民の、リアリズムに徹した現状認識の素早さ、をみます。※
(信長という敵が、いかに強大だったか!)

武田菱をクラブエンブレムにいただく、ヴァンフォーレと対戦する時はですね、甲州人の冷徹な現実透視、ここを、絶対に外してはなりません。

440年も経って、いまさら被支配者根性で言う訳でもないが、しかし、山雅の公式さんよ。
いいかげんにしてもらいたい。

もはや甲信ではなくて、信甲と銘打つべき立場を認識すべきであり、そのくらいの気概を持ちましょうよ。

あえて、ダービーと煽りたいのならば。

※甲州人の名誉のために、付記を。
織田軍の武田侵攻の端緒にあって、寝返りによって織田連合軍に決定的な優位をもたらしたのは、木曾谷の領主 木曾 義昌であった。
正室として信玄の三女を迎えているが、実質的には武田の支配下で不満を募らせていて、武田と結ぶことの将来的な不安も大きかったに違いない。織田氏の勢力下であるほうの魅力に惹かれたのだ。ただ、織田側に通じたことにより、義昌は、人質として差し出していた母、側室、嫡男(13歳)、長女(17歳)を勝頼に処刑されて失うことになった。

では。

【コメント】
☞ルノワール氏より (4/10 20:28)
近々に開催される
甲信ダービーにリンクする話題が欲しい
ならば
白馬47&白馬五竜でしょう
って事で
私、生意気ながら
47の由来を萬年さんに質問したのでした
スキーヤーでも47の由来を知らない人は多い
なのに萬年さんの研究熱心さ、流石です!
HAKUBA47
は登録標章
よって、アイドルグループ
○○46
◎◎48
ってのは有るけど
47は白馬47だけですね
白馬47が平成2年にオープンしたときは単独のスキー場でした
2年後に
隣合わせの五竜とうみスキー場と協定締結
両スキー場を山頂で結ぶリフトを新設して
共存、共通リフト券を発売!
白馬八方尾根に勝るとも劣らないビッグゲレンデになりました
両スキー場が互いにいがみ合うのではなく
お互いの発展のため手を取り合いました
あれから30年今では日本を代表するスキー場に成長しています
遠い昔
武田と上杉は別の国の主
それが当たり前ですが
現在は同じ白馬の地で
白馬五竜と白馬47が共存共栄しています

 

気分よくさせるな (磐田戦プレビュウ)

明日は、アウェイで磐田戦。

3年2年ぶりに、ヤマハスタジアムで参戦しようと思っています。

せいぜい、企業城下 磐田の、スタジアムから始まって、発動機の、発動機による、発動機のためのサッカーを、傍観者的に楽しもう。

さて、前節対岡山戦を、前半30分までと、ハイライト動画を観た。

〈サッカー残酷物語〉
拮抗したゲーム。
岡山のほうに躍動感があって、
ボール保持は、岡山53 : 磐田47。
岡山がより多くボールを持った、という点で、主導権はファジアーノが握った、と思う。

#10宮崎 幾笑は目立つが、#10山田 大記は消えていた。

特に、ゲーム冒頭20分くらいまでの、ジュビロのタジタジ感は印象的で、磐田攻略のヒントはこのあたりに見えた。

つまり、器用な個が寄り集まった磐田には、何をさせないか、そのために、山雅はみずから何をすべきか、という示唆が。

(ただし、ゲームは、岡山ディフェンスの一瞬のスキをついたFWルキアンのゴールで、1 – 0 で磐田が勝利。サッカーは残酷です)

〈わかりやすいジュビロ〉
ボールを握り、テンポよく動かすことによって攻撃のリズムを高め、ペナルティエリアに侵入する.
―  たとえ遠藤 保仁を欠いても、これがジュビロのやりたいサッカーだろう。

相当な技量と体躯の持ち主が、縦や横へのボールを自在に動かしていくサッカー、それが磐田とっての王道なのだ。

前節は、3 – 5 – 2 の陣形。
鈴木 雄斗は、左センターバックで先発、既に、定位置を奪取。
明日同様な位置ならば、外山、表原、田中パウロとのマッチアップか……。

中盤の要には、#8大森 晃太郎。
前線からのディフェンス、基底に下りての組み立て開始、ペナルティエリア侵入の起点と、どこにでも顔を出すユーティリティ。
その大森を、孤立化、無力化するに越したことはない。

〈山雅にとっての処方箋〉
岡山は、山本 大貴をツートップの一角に据えて、その突っかけと、裏抜け能力を多用することによって、また、チームとしてボールホルダーに強く迫ることにより、磐田サッカーに乱調をもたらした。

パスを絶ち、窮屈なスペースに押し込み、苦し紛れのロングボールを回収する、といった作戦がハマった、と言えましょう。

要は、ジュビロに気分よくサッカーをさせない、でチームの意思統一がされていた。

ファジアーノによる作戦の奏功から、おそらく山雅は学んでいるはずだが、それをあくまで、今季続けている自分たちのスタイルの中で完遂せよ。

どちらかと言えば、磐田は、その自信ゆえなのか、ゲームにおけるスロースターター。

ならば、様子見など一切せずに、当初からひたすらこちらの速度とリズムを表現することに傾注する。
特に、中盤。
大森が自在/流動的に動くことで生ずる、磐田陣形の空きスペースを狙って、人とボールが入り込んでいく。
で、そこからサイドに展開。―このことに徹底だ。

ゲームが膠着すれば、セットプレイの比重が高まるわけで、屈強と高さを有するジュビロには極力フリーキックは与えず、こちらは、最大限の工夫を凝らす。

で、やり切って、〈歓喜〉は、我が手に!

では。

フィジカルの強さ について。

秋田戦を観ていて、思い当たったことがありまして。

それは、フィジカルの強さ、ということ。

球際やボールホルダーへの寄せで、対戦相手に自由に仕事をさせないためには、対峙する彼を上回る強度で挑んでいかなくてはならない。

心理的にゲームで優位を得るには、先手でガツーン、とお見舞いするこも必要だろうし。

フィジカルという言葉を、いままで以上のような視点からばかり使い過ぎた、という反省が湧いて来た。

相手との削りあいに競り負けない、という観点を過度に取り込み過ぎたかな。

それは、フィジカルが強い、ほんのひとつの例に過ぎないってことを、秋田戦で教えてもらった。

たとえば、41分に秋田オウンゴールを誘った、#8河合 秀人のグラウンダーのクロスの打ち込み。

CKからの跳ね返りを、いったんトラップした後、すぐにボールをゴールライン方向に蹴り出して、すかさずそのスペースへと突進していった。

この時、近くには、秋田ディフェンダーがふたりいたんだが、河合の意図が読み切れなかったか、瞬時の動きについて行かれなかったのか、とにかく、自在な侵入とクロス投入を許してしまう。

河合の、相手が寄せ切れないほどの、この素早い身のこなし、切り返し。

これだって、フィジカルの強さ、と形容すべきシーンであったと思うんだが、いかがなのものだろうか、読者よ。

つまり、相手をすり抜けてしまい、その追走をゆるさない突破力。

非接触でプレイするために発揮される強度あるフィジカル、これだって大切。

例えば、米原 秀亮。
彼は、体幹もしだいにしっかりしてきたんだから、そこにさらに、相手に競り合いをゆるさないような俊敏さ(=身のこなし)、それを開発してもらいたいと願う。

では。