ようやく一人前のクラブへ。

先日、岐阜戦終了後の、アルウィンで。

小林 陽介コーチに、日頃のユース指導を感謝する機会に恵まれた。

― いやぁ、レディース U – 15 は、北信越では、なかなか無双じゃあないですか?、と申し上げたら、

― 長野県ではまぁまぁですけれどね、とかなり謙遜したご返事。

ここ2年、レディースのゲームは、観戦できないでいるけれど、結成後、比較的日が浅いながら、育成の成果は著しい。

今後は、中学年代の彼等が、高校、大学、そして願わくばプロの世界へ進めるような受け皿創り、そこに注目します。

続いて、昨19日。

U – 18 北信越プリンスリーグ2022 の日程終了がリリースされた。

COVID – 19 のおかげで今季も変則的な終わり方。
チーム毎に消化ゲーム数に違いが出たので、よって、平均勝ち点での順位づけ。

我が山雅は、平均勝ち点1.50 で、第5位 (全10チーム)と、健闘。

時には、田中 想来を(トップチーム出場によって)欠きながらも、よくやりました。
とにかく、来季もこのステージに参戦できるのが嬉しい。

で、その田中 想来の来季トップチーム昇格の、メディア披露がそれに先行した。

神田、稲福、そして田中。

こういう筋道が、できれば毎季続いていってこそ、プロクラブとして〈核〉のひとつを持ちつつある、と言えましょう。

松本の街、そこに、いわば、松本の息子、弟たちが活躍するサッカーチームが在る。

こう言えること、それが大切。

では。

コロンボついでに、

『ベルリン 天使の詩』(1987年、仏/西独 合作) でございます。

原題は、独語では〈ベルリンの空〉、英訳だと〈望みの翼 Wing of Desire〉。

ヴィム ヴェンダースが、以前ご紹介した『パリス テキサス』(1984年) の次に撮った(フィクション)映画。

今となれば、それから直に起こったベルリンの壁崩壊(1989.11.9) が、切々と想い出されます。

お話しは……、

主人公ダミエル (ブルーノ ガンツ) は、都市ベルリンを守護する天使。

けれど、40数年前、狂気の戦争によってこの街が徹底的に破壊されるを止められなかった罪を、永遠に引き受けて生きる者。

ダミエルは、永遠の命を棄ててでも人間になりたいと願うようになり、やがて、サーカスのブランコ乗り娘マリオンに、恋心を抱いて……、という筋。

この作品によって、都市ベルリンと、先の対戦の犠牲者と残った者たちには、なにがしかの鎮魂が与えられた。

けれど、我々の犠牲者とあの時代は、何時になったら、きちんとした魂の鎮めを受けられるんだろうか?

……、などと、ロシアウクライナ戦争の時代だからこそ、ますますと感じてしまう。

で、なぜ、コロンボついでか?

そう、ここに、ピーター フォークがご本人役で出演しているから。

元天使、いわば、ダミエルの先輩、といった風情で演っています。

なお、ダミエル役のブルーノ ガンツは、後年、アドルフ ヒトラーを演じてました(『ヒトラー最期の12日』2004年公開)。

では。

隣の芝生は どうでもよくて。

きのうの早朝、出勤前の食卓で。

某公共放送のニュースが、天皇杯の決勝戦を、ハイライトで流していた。

ほほう。

ハンドによるPKがあって、そのPKをヴァンフォーレのゴールキーパーが止めたりで、1 – 1のドロースコア。

最後はPK戦まで行って、甲府が優勝したという内容。

こういう展開って、贔屓のチームが演ったら、さぞかし痛快、感動モノなんだろうなぁと、ヴァンフォーレ甲府には、こころからおめでとうと言いたい。

と、天皇杯決勝がこの時季であることの、自分内部での盛り上がらなさもあってか、ただ、如才なく挨拶する、それだけのことなんですよ。

自分のココロの狭量なのかと疑うものの、
いや、我が山雅の行く末が切羽詰まっているきょう日、それどころじゃあないわい、というのがホンネなんでしょうかね?、やっぱ。

では。

よせばいいのに、八か月。

事が起こった時、こんな展開は、まるで想像もできなかった。

が、いざ、それが現実になると、そうだろうなぁ、と前から知っていたような気分になるとは、我ながら赤面。

けれど、2022年10月17日時点での思いをば、記録しておきます。

友人K君の言葉を借りると、結局は〈ロシアとは、こういう国(=民)なんだ〉。

(ポツダム会談で密約はあったろうが) 1945年8月9日。

不可侵条約を一方的に破棄、旧満州国に侵攻すると、数日間で数万人単位の日本人を殺害して、暴行、奪略を繰り返し、40万人とも言われる日本人をシベリアに連れ去った。

その残虐性は、70年経っても同じ。
かつて満州で暮らした義母(故人) のロシア評は、そのとおりだった。

領土的野心に駆られて一度振り上げた拳が、けれど、簡単には下げられず。

ウクライナ大統領は、プチンとは停戦協議しないと、既にハシゴを外してしまったが、これって、ロシア国民に対し、戦争をやめたかったら、リーダーを換えて話に来い、というメッセージですかね?

すくなくとも、ロシア大統領は今後、非ロシア圏へ安全に出ていけないし、
そもそもこんなふうに、心底の愛情を交わす人々が期待できるんだろうか?

では。

正念場は続く (FC岐阜戦レビュウ❷)

昨日、息子家族を訪問した際、山雅の昇格可能性はどのくらいと思う?、と訊かれたので、
― そうだなぁ、21%くらいかな、とかなり大甘な予想を語った次第。

で、この正念場をクリアしていく上で、今節も感じた課題とは……、

前半、岐阜はしっかりと陣形(4 – 4 – 2)を作り、センターサークルくらいまでしか出てこない、つまり、山雅がけっこうボールを握っていられた。

こういう局面で、得点できなかったこと。

けっこうパスはつないで、それなりにサイドを侵せたが、決定的なシーンが創れない。

❶相手の意表を衝く格好でボールを通すことで、もっと陣形に揺さぶりをかけ、穴を開ける。
❷ゴール前では、ふたり以上が同時に、動きながらボールを操ってシュートまでもって行く。
― どうしても、これら2つの課題をクリヤしないとゴールが獲れません。

例えば、ハーフタイムの指示、ひとつ飛ばしのパスを使え、はそういうことを言っているのでしょうし、事実、田中パウロ淳一の1点目は、前進しながらのルカオとのワンツーが奏功した。

最近の岐阜は、ぜいぜい1得点で精一杯らしいから、あまり悲観的なムードもなかったとは言え、ボールを持ち続ける攻撃の停滞は、とにかく辛い。

それが、後半、陣形を、5 – 3 – 2 に変更して、相手がボールを握る状況になると、
むしろこっちに躍動感が出てしまうのは、そういうのが居心地のいい我がスタイルと言い切ってしまえばそれまでですが、ひとつの皮肉な現象です。

ま、ここまで来たら、この皮肉を最大限活用するしかないと割り切れ。

2得点のパウロは別格として、このゲーム観るべきプレイが多かったのは、常田 克人。

2点目の起点となった、駆け上がりとクロス投入、これだけでも魅せた。
(それだけ自由にやらせてくれるFC岐阜ではあったが)

対照的に、正念場を迎えているのは、フォワード陣、特に、小松、横山、榎本。

(後半アディショナルタイムでのチャンス、少なくとも1点はモノにしないと)

ピッチ上で全力でやっているのが観ていてわかるからこそ、それぞれの壁を打ち破り、いまひとつ上への成長を強く望みます、チャンスあるうちに。

では。