積雪は どれほどだったのか?

1936年 2月26日。

今から、ちょうど87年前の早朝、

陸軍の若手将校の一群が、 1,500名の指揮下部隊を使って、東京府下、霞が関、永田町辺りで武装蜂起。

政財界の要人(複数)を襲撃し、これを殺傷するテロリズムを敢行した。

クーデータによる国家改造をめざしたものの、〈叛乱軍〉として鎮圧される。

テロの騒ぎは3日間にわたり、結局は、クーデターは未遂に終わる。

叛乱軍との決めつけは、昭和天皇の(激怒をともなう)明確な裁定であったから、結果、首謀者は自決した者をのぞけば、処刑された。

さて。

この事件の描写はおおかたが、東京が大雪を見舞った、その朝という書き出しで始まったりする。

これだと、前夜にドカっと降雪があった、となんとなく頭に入ってしまうんですが、では、実際はどうだったのか?

いまわかる範囲では、次のようなもの。

(まるで2014年2月の甲信地方のように)この年の2月、東京は、史上稀な大雪であったことは確かで、

2月4日、32㎝の積雪。
ついで、23日にも大雪があって、積雪 は 36㎝に。

で、事の起こった26日朝には、12㎝の残雪の上に、再度の降雪があって、最深で22㎝の積雪となっていた。

(前夜から)26日朝の、実際の降雪は、これだと、10㎝程度か。

その雪を踏んで、叛乱軍が要人殺害に向かって移動した、ということになる。

事件の頃、東京は、大雪の 2月を過していた、で間違いはなく……、

それが、どうした?、と言われても、ただそれだけのこと、なんですけれどね。

では。

妻と夫をつくること。

伊丹 万作 (1900~1946 ) を、ご存知だろうか?

(もちろん、萬年の名は、彼から思いついたのではありません)

映画監督、シナリオライター、俳優にして、文筆家。

多才な御方だったけれど、戦後すぐ、46歳で病没。

奧様のキミさんのほうは、2004年に 満100歳で亡くなった。

僕は、この度はじめて、万作の著作を読んだけれど、『戦争責任者の問題』(1946年8月『映画春秋』掲載) などは、平明な文体でありながら、かなり読み応えがあった。

あれから80年経つが、この国の民として、伊丹が、この中で提議している戦争責任に関し、いまだ明快な答えを出し切っていないからよけいに、示唆に富むエッセイだ。

こういう文章を、高校あたりのテキストに乗せたらいいのに、とつくづく思う。

そういう教育が蓄積すれば、
例えば、NHKのドラマの中、主人公とその身内だけは、あの戦争について反戦思想を抱く人間だった、などという薄っぺらい平和主義など一掃されるだろう。
(機会があれば、別に書きます)

で、実は、ここまでは、前置きでして。

ついでに読んだ『わが妻の記』(18946年4月発表)には、いやぁ、参ってしまった。

最後の部分を、そのまま抜き書くと。

〈考えてみると、何とかして妻を自分の思うように変えてみたいという気持ちが私にある間、私の家ではあらそいの絶え間がなかった。しかし、そのようなことは所詮人間の力でできることではないと悟ってからはむだな努力を放棄したから、今ではほとんどけんかがなくなってしまった。
つまり、亭主というものは、妻をもらうことはできるが、妻を作ることはできないらしい.。〉

当時よりもフェミニズムが進んだ今、僕は、次のように付け足さなくてはならぬ。

― つまり同じように、妻というものは、夫を得ることはできるが、夫を作ることはできないらしい、と。

余談ですが、伊丹 十三  (1933~1997 俳優、映画監督)は、この夫妻の長男です。

では。

得点にフォーカスせよ。


(版権帰属先: オフィスウエストウッド)

鹿児島キャンプも、いよいよ明日で打ち上げ。

松本へ戻っても、かりがねの天然芝は、まだ使えないのでは?

ならば、近畿あたりで開幕に備えたほうが、効率的ではなかろうか?

さて、20日月曜日には、ロアッソ熊本とトレーニングマッチをやったのを、2日後くらいに知った次第。

19日はコンサドーレ札幌とやっていたから、連日なわけで、これだと、ほぼ全員をゲームに投入したことだろう。

相手も公式戦翌日だったので、控え中心だから、結果に一喜一憂するようなことでもないけれど、

すべてのプレイヤーの出来、技量、戦術貢献度をみられたのならばけっこう。

得点もできていて、狙った形からならば、なおのこと良い。

ロアッソの現監督は、大木氏のはず。

そのサッカーは極めて攻撃的。

で、ピッチに敢えて濃淡をつけるようにして偏りを生じさせて戦う印象がある。

ある部分では細かくパスでボールを動かしておいて、ここぞとばかりに、サイドチェンジして、大胆にサイドを割ったり、クロスで急襲したり、そんな感じ。

聞けば、2部リーグにあっても、今季前評判はいい様子。

トレーニングマッチが、そんな様相を呈したのかは存じませぬが、

大木サッカーで輝いていた、工藤、安藤、田中パウロ、そんな面々を懐かしく思い出しています。

では。

長短の 哀歓 その❷

くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに春雨のふる      子規 (1900年 作)

万葉集を、たまあに読む。

五七調で言葉が、10回くらい繰り返される〈長歌〉がデンと在って、

その後に、五七五七七の〈反歌〉あるいは〈短歌〉が、1~2首、おまけみたいに続く。

長歌は朗々と、スメラミコト(天皇)や皇子の世の、秀麗さなどが謳われる。

きっと、声に出して詠まれることを予定されていたのだろう。

対し、反歌、短歌は、長く続くフォーマルな賛辞である長歌への、お口直し的な返し、総括のようなものとして感得されるような効果を狙っているなと、1,200年後の読者にも感じられる。

忘却の彼方ではあるが、高校の国語では、こういった味わい方を習った覚えがまったくない。

今は、どうなんだろう?

国語の教師はあいかわらず、現国では中途半端な文学趣味を織り交ぜ、

古文では、受験対策みたいな現代語訳ばかりさせているんだろうか。

 

で、本来はオマケ的存在だった短歌が、万葉の頃に既に独り立ちしてしまったから、

日本においては、叙事詩の伝統は途絶えてしまい、

詩とはそのまま、抒情詩を志向するようになった、というのが僕の考え。

小説の隆盛で隅に追いやられてしまったとは言え、この国ではもともと、詩と詩人が尊ばれない大きな理由が、ここにも在ると思われる。

短歌は、叙景と叙情(感慨) は掬い取れるかも知れないが、社会を撃つ武器としては、とても弱い様式だ。

だから、或る情景を詠んだ短歌を、これはこういう情景を描いてはいるが、背後には作者の、こういう社会的、時代的欲求、関心が隠されている、などといったもったいぶった、ホントかいな?、と言いたくなる解説を読まされる憂き目に遭う、僕たちは。

では。

長短の 哀歓 その❶

 寝て解けば 帯ほど長い ものはなし (柳多留より)

江戸時代の川柳です。

あと30年、一世代も過ぎれば、感覚的には 死滅する風情でありましょう。

露国大統領が演説をおこなって、それに 2時間を要した、という。

ひとりの人間のスピーチに サッカーゲームと同じ時間をまるまるつきあうとは、さぞかし聞き手にとっては、苦痛なことに違いない。

画面を観る限り、メモをとる者は皆無だから、これといって新鮮な内容でもなさそうなんで、まさに、儀礼的なお付き合いのために、そこに居るわけだ。

こういった主に国内向け宣伝のための手続きが、為政者の仕事であるなら、独裁的な体制も時には、民主制と同じように非効率な一面を持つ。

さて。

昨年のワールドカップでは、ゲーム中断が厳密に計測されたおかげで、アディショナルタイムが、多くのゲームで 7分間以上、というのがザラだった。

VAR(ヴィデオアシスタントレフェリー)の導入と同じように、人間の能力(たとえば、視覚)の限界をおぎなうといった考え方がその根底に在ると思う。

よりフェアなジャッジを、というのが狙いだとしても、僕は、この流れには懐疑的。

(人種差別に聞こえると心外だけれど)だいたいがこういう発想は、潔癖な日本人がしていればいいんであって、世界的スタンダードに取り込もうってのが、ある意味、独裁的ではないだろうか。

それより先に手をつけるべきは、レフェリーの笛に対する、プレイヤーやベンチによる、公然で露骨な抗議の風土を失くしていくことだろう。

アディショナルタイムにしても、かなり意図的な中断を許容しているからこその、帳尻合わせの、消極的な仕組みであって、

ラグビーやバスケットボールでは、ジャッジへの不満表明でゲームが〈止まる〉ってことがあるのをあまり観ませんが、何故でしょうかねぇ。

では。