このタイミングこそ。

外交上、かなり巧妙に計算されていた、とは言え、

時季といい、出向き先といい、歓迎されないはずがない

このほど、ここ10箇月間、侵略者との苛酷な戦いを続ける国のトップが、米国を訪問した。

西欧的な価値観を同じくしたい者として、友人の地へみづからが赴き、彼への感謝を表すには、絶好のタイミングに違いなかったのだ。

この友人にとっては、家族が集い、愛と平和について心を向ける、そういう季節なのだから。

なんとなく贈り物をし、なんとなくおごった食事をするだけの極東の僕等には、そこらの心情など、心底わかるはずもなかろう。

黄と青の配色をみると、これ、ウクライナ国旗だね、と子供が憶えてしまった年。

これもまた、辛い話ではないか。

では。

イチかバチかで いいこと悪いこと。

一週間くらい前に、息子家族が、遊びに来た。

COVID- 19 陽性者が判明したため、家族隔離状態の長い日々もあったりで、実に久しぶりの来訪だ。

自然、話題が山雅談義へと移っていき、ついちゃあ、新監督について議論となる。

息子曰く、
― 彼が、過去に指揮を執ったチームすべてにおいては、年を追って成績が下降。
要は、ジリ貧になったという結果からして、今回の招聘については大いに疑問、あり得ないでしょう。

― なるほど、そういう見方もあるか。
他にものさしも見つからなけれぼ、それが、正論なんだろう。
ただし、大宮での指揮は、最悪のチーム状況で引き受けているんだけどね、と僕。

ところで、以前、僕が批判した、某サッカーコメンテーター氏の〈ハマれば面白い〉発言。

あれは、結局のところ。

これといって、来季アウトプット(戦績) の良否については、確信はないが、
この際、イチかバチかでやるってもんでしょう、クラブが選択したんだから。

― そういう感触を、違うコトバで表現したに過ぎないのだ。

かっこう良くいうと、乾坤一擲(けんこんいってき) ってやつ。

意味は、命運を賭けて、のるかそるかの勝負をする。

ま、サイコロは既に投ぜられたのだから、そっち(監督就任) のほうは最早良い、として。

この前のW杯決勝戦を観ながらつくづく考えたことなんですが、

来季目指そうとする蹴球スタイルの根本的な思想においては、

どうか、イチかバチかのサッカー、という文字を、徹底して排除してもらいたいものだ。

端的にいえば、ピッチを目いっぱい使い、やすやすとタッチラインに逃げることはもう止めて、ボール支配を諦めずに、相手より先手先手で多くボールを動かしてゴールに向かう、そんなサッカー。

そのためには、まづは、ゆるぎないほどに、各個の技量を磨くことから。

どうです?

実に、ささやかで控えめな注文でしょう?

では。

敢えて,狭き門より入れ (ナショナルチームの今後)

4年後。

W杯本大会の切符は、48枚に増える。

予選リーグは、3チーム毎の16組に分かれてやるらしい。

その場合、各組第1位が、ベスト16。
(註:その後、再検討の話があるとかないとか?)

大会への道はかなり広くなり、本大会の総体的クオリティは確実に下がっていく。

で、安心してしまって、それでいいのか?

否。

敢えて〈狭き門より入る〉発想こそが必要では?

JFAとJリーグが結託することで、トップリーグのチーム 2つ、3つを偏重して強化し、そこを基幹的に用いるようなナショナルチームを形成していく。

今回のアルゼンチン優勝によって、

たとえ代表チームであっても、まるでクラブのような結束と連係に秀でなければ、トップを獲れない事実がはっきりした。

オールスターの集団ながらも、誰もが、自分を殺して〈水を運ぶ者〉に成れるチーム創りが世界基準、ということ。

これ、リーグの上位クラブには手厚い、資金の偏重的な投下を意味しますが、

本気でベスト8を狙うのならば僕は、それくらいのことをやって、Jリーグとナショナルチームとを、同時に強化するような戦略があっていいと思うが、どうだろう?

代表プレイヤーは、結局は海外リーグでやっていなければ、という話は、そういう潮流にただただ流されつつ、特段の手当てをしていないからゆえの発想であって、

今回のメンツにしたところで、

技量のベースは、圧倒的な外国籍多数プレイヤーの中で揉まれることで高まっているとは言え、世界ベスト10にランクインするようなクラブのメンバーはひとりもいないのだから、絶対的な要件でもありはしないのだ。

僕は、環太平洋に位置していることを口実にしてでも、

日本は、アジアサッカー連盟からはもう足を洗って、中南米サッカー連盟に加入させてもらうべき、と前々から主張しています。

では。

失われないものを求めて。

ジョー氏は、その年代にはめずらしいほど、回顧趣味の気質を持つ (と思う)。

懐かしさへの深い愛の持ち主、というべきか。

思うに、小倉(北九州)という、かつて時代の栄華を誇った街に生まれ育った生い立ちが影響している。

今年、上田方面へ秋を楽しみに出かけた際、その地で、昔ながらのスーパーマーケットを見つけ、早速、画像を何枚か送ってくれた。

動画も送ろうとしたが、こっちは、容量オーヴァーで叶わなかったらしく、

おそらく、ご自身のインスタグラムでは公開しているはずだ。

同行した奥様曰く、価格的には、それほど特筆すべきほどでもない。

けれど、今からずっと昔の市場へとタイムスリップした感覚に、感動したんでしょう。

たしかに、画像を見る限り、ノスタルジック。

画像を分かち合ってくれたジョー氏への義理を果たすため、〈蠅取りテープ〉なんぞを持ち出してきて、家のキッチンに吊り下げていた僕からすると、

道の駅や、ファーマーズガーデンなる仕掛けが、現在、昔ながらの地場産品を見てまわる楽しみを提供している。

もちろん、その市場の〈やる気〉こそが、生命線には違いない。

先日、富士宮のファーマーズガーデンへ出向いたが、体育館のような建物内の活気と盛況には、感動してしまった。

富士宮人ならば、ここと、ドラッグストアを使えば、日用品の要は足りてしまうくらいに、野菜、海鮮、惣菜と、とにかく種類が豊富。

客をほどよく放っておいてくれる一方で、店内のマネジャーらしき人物が、マイクを通して、おすすめ品やら、時間帯の値引きなどの情報を、聞くにわずらわしくなく紹介している。

おかげで、旨い富士宮焼きそばを味わえたし、ゆず湯も楽しめています。

では。

背負うものが どうやら違う (我がナショナルチームの総括)

決勝戦のクオリティーの高さは、普段なら寝落ちしてしまう家人が、120分の録画をずっと観ていられたこと、それが一番わかりやすい証明でした。(……以上、昨日の記事へ付記)

(以下は、2022大会が終わったのをもって、5日前の原稿を、ほぼそのままで投稿)

予選突破したとは言え、成績的に、前回を上回ったわけでもない。

(予選敗退、予選突破の繰り返しで来て、ここ2大会連続の突破ではあった)

おそらくドイツ、スペインといった強豪と呼ばれる相手に勝ったこと(勝ち点6)が、余計な印象として、そのリアルをおぼろげにしている。

その戦績で帰国して、どちらから発案したのか?、義務的な表敬とは言え、

プライムミニスターが歓迎面談してくれるんだから、日本選抜は、なんとまぁシアワセなことか。

言いたい文句はいろいろあるが、出ると決まったからには応援するわ、が大会前、おおかたのムードだった。

で、この成績でご苦労さん、の笑顔で終わっているあたりが、この国のサッカーの限界なんだなぁ。

(ここで、彼の名誉のため断っておくが、ハリルホッジの轍〈主力プレイヤーとの衝突〉を回避するため、叛旗を挙げそうなプレイヤーはあらかじめ呼ばず、背番号#10を、薬にも毒にもならないように起用した今回の監督は、なかなかの策士。

ただ、三苫、三苫に偏り過ぎて、結果、久保 建英を活かせなかったのが限界)

たとえば、柔道をやる者が日の丸を背負う時のような過重な負荷を想い起してしまう。

とは言っても、蹴球ナショナルチームに対し、それなりの負担(=必死さ)しか負わせられないのは、こっち側の落ち度でしょうけど。

では。