アメトラは シーラカンスなのか?

ルノワール氏 曰く。

きょうび、アメリカントラディショナルのいでたちを重んずるなんてぇのは、せいぜい戦後ベビーブーマー世代(~1964年生れ)までのお話。

要は、(化石化した)シーラカンス的な存在、なんだそうだ。

半世紀前は、若人の遊び着としてもてはやされたものが、いまじゃぁ、爺いのご趣味。

今の若い世代には、見向きもされない、とか。

確かに。

なんとかビズが定着、タイを締めないのが当たり前になって、レギュラーカラーだと襟がつぶれてしまう首元のだらしなさを避けるため、ボタンダウンシャツが主流だ。

けれど、そこでは、やってはいけない無分別な、襟まわりの配色やら、色ボタンの使用やらが横行しているからなぁ。

……とか、こんな苦言を呈しているからこその、シーラカンスなんだろうね、きっと。

すると、1960年代末におこった、かの国の流行は、みづからのトラディショナル(伝統) からの息抜きだったんだろうか?

人間性というやつに変わりはないが、風俗は生まれ滅びる。ゆえに、風俗は記録して保存されなければならない。 (by 不詳)

では。

【コメント】
☞ルノワール氏より (2021.10.31 13:36)

恋人は底抜けの笑顔で
街角で楽しんだものよ♪
アイビールックの2人連れ♪
byシンシア

アメトラは街着なのです。アメトラスーツを着て自動車で移動ってのは🆖
電車で移動して
街を楽しむのがルーツ
晴れの日のタウンアンブレラ(グリーンのブラックウォッチターン
懐中時計、黒縁のメガネ
は欠かせないアイテム
 ↑
だからシーラカンスなのかも?
シーラカンス は絶滅危惧種
だが生き伸びて欲しい!

足許を見習え (マックイーン流)

最近になって、

アメリカン トラディショナルの着こなしの最高の見本は、スティーヴ マックイーン(1930~1980) だろうな、と思うにいたった。

50歳そこそこで他界したから、若々しい画像しか残っていないことも彼に有利なんだろうが、段返り三つボタンのフランネル スーツを、襟のロールもしっくりと着こなしている姿は、一級品です。

アメリカン エスタブリッシュの出身でもなく、反体制派だったのに。

特筆は、パンツの丈。

それがスーツであっても、綿パンであっても、常に絶妙な短さ、これです。

マックイーンは、身長175㎝ (一説には 177㎝)、ウエイト 73㎏ だった。

アメリカ人、しかもスターとしては、決して押し出しがいいとはいえない体格であったがゆえの、パンツの短さへの配慮だったはずだ。

この身長は、日本人と大差ない。

ゆえに、アメリカントラッドを装うならば、ぜひマックイーンの着こなしを参考にすべきだろう、と、特に、若人にはお奨めしたい。

なお、首が細い若年層の骨格を考えれば、アンソニーパーキンス (1932~1992) の襟ロールの作り方、カラーの高さを取り入れると、破綻がないように思う。

パーキンスは60歳で亡くなっているので、こちらも若々しさに富んだ着こなし例が多い。

まぁ、いちばん大切なのは、上から下までが、傍から見ていて気づまりするようなガチガチ感を避けること。

どこか抜いた肩の凝らなさ、気障りのない平静さ、それが、トラッドの基本でしょうね。

そして、なにかに一段落したら、ニット タイをばグッと緩めて、こんな曲でリラックスしましょうよ。

では。

【コメント】
☞ルノワール氏より (2021.10.26 21:04)

パンツ丈にもこだわりを持つ萬年さん
流石です!
アメトラの基本は
⭐
パンツ裾幅23㎝
3、5㎝幅のマッキン付です
裾がダブルの為パンツ丈は後で修理不可
よって、とても気を遣います。
⭐
また靴によってもパンツ丈は、変わります
プレーントゥ、ウイングチップの場合はタッセルやコインローファーより1㎝長いパンツ丈が綺麗です。
こだわりこそがアメトラの醍醐味ですね。

フェア について悩んで育つ。

子どもの思想は、やはり、単眼的な観点に偏りがちです。

萬年ご幼少の頃、どうしても解せないことがあって。

それは、戦争という残虐非道なことを犯していながら、どうしてその渦中へ、捕虜の正当な扱い、救護要員の尊重、武器の制限(毒ガス、鉛不使用)といったルールを持ち込めるのだろうか?、という疑問。

殺し合いの中のルール?

ならば、戦争そのものをやらなきゃあいいのに。

でも、すこし大人になれば、ジュネーブ条約などで積み重ねてきた、戦争/紛争におけるこういったルールも、結局は、武力行使の効率化、戦闘員の再生産といった、深い意味あいを持つことに気づく。

戦争を遂行したいからこそのルール、ということに。

戦争という手段を決して捨てない意思があってこその条約や、決め事。

同じように、〈フェア〉とか、公平(公正)とか、こういった正義が、もっぱら強者から出てくる主張であることに気づいた者が、分別のある成人、といえる。

この国の武道、武闘に、体格別の考えや、禁じ手がほぼないのは、弱者にも勝機を〈公平〉に与えるという思想に基づく。

宮本 武蔵の戦術など、奇襲、奇異なスタイル(二刀流)、意図的な遅刻など、弱者の手練手管がてんこ盛り。

なのに、誰もそれをアンフェアとも断罪しない。

柔道に階級別が持ち込まれてことによって、それは武道ではなくスポーツに変容した。
つまり、インターナショナルな競技になった。

でも、日本人はいまだに、競技者も観衆も、襟の獲りあいに終始するような柔道を好まないし、投げ技一本による勝ちを尊ぶ。

メンタルは、依然、判官びいき、柔よく剛を制すの世界に在る。

そのような環境下で戦う柔道選手のプレッシャーたるや相当のものと、まったく同情する。

それに比べれば、サッカーのナショナルチームの重圧感など、比較するのが、申し訳くらいではないか。
すくなくとも国民的な関心からすれば。

それをですよ、アウェイの地、手堅く向かってきたオーストラリアにやっと勝ったからといって、狂喜三昧に溺れるとは、なんとも、見苦しい光景ではあった。

と、奇襲、奇策といった勝負を打てないチームに不足を感じています。

では。

アンフェアな物語をどうする?

宗教とか信仰について、キチンと教えられる教師が中高にはほとんどいないこともあって、
「目には目、歯には歯」というハムラビ法典の字句を、復讐に関する掟と理解してしまったのが、大半の日本人。

バビロニア帝国を興した王と官僚たちが、そんな浅薄なことをやるはずもなく、
これは、賠償についての法文であった。

つまり、他人の身体や財産を損ねてしまったら、同等な内容で償うこと、と言っている。

これ、現在、世界や日本の賠償法の根本的な思想であって、たとえば、交通事故では(互いの過失割合で差っ引くにせよ)、相手車両を原状復帰するための費用を保険でまかなう。

元どおりにして落着、だ。

それは、ユダヤの律法でもまったく同じだから、ヘブライとイスラムの宗教観は双子みたいな部分が多い。

この論法によれば、民話『かちかち山』は、現在の語り口ではアンフェアなところが多い。

図書館で童話集を手にとってみると、
お婆さんを転倒させて怪我をさせたぐらいで、タヌキは、ウサギの計略にハマり、浸水する泥船とともに最期を迎えることになっている。

でも、たかが人に怪我をさせたぐらいで命をとられるなんてのは、あんまりだ、と子供に問われたら、親は、はたして、どうやって返答したらよいのか。

そうね、お婆さんはね、これで寝たきりになってずっと介護を受ける身になったから、死んだも同じことでしょ、と逃げるのも一案だが、

もともとは、たぬきがお婆さんを撲殺後、その遺体を煮込んで、これをタヌキ汁と偽って、お爺さんに食させたという非道をおこなったというお話。

それを、残虐な描写を避けたから、ウサギの敵討ちがアンフェアに映るに過ぎないのです。

他人の生命を損ねたら、みづからの生命で償う、やはり、苛酷であっても幼い者に、キチンと伝えないといけないんじゃあないか。

では。

生まじめを 笑え。


註:前橋市街を流れる広瀬川。

生真面目、というか、遊びごころ/洒落のわからない奴、と言ってしまいたい。

2021年都道府県ランキング。

その最下位近くに沈んだ群馬県の、知事なにがしが、順位づけの発信元に対して、〈法的措置を検討〉しているというニュース。

顧問弁護士と、法務的に何ができるかを協議中、ってこと?

その根拠が不明だとして、謝罪して当ランキングを撤回せよ、と裁判に持ち込むことを言ってるんだろうか?

法廷闘争まで持って行くんだったら、その費用は税金でまかなうわけだから、同県民からなんか言われないのか、他人事ながら心配になります。

所詮、相手は、お遊びのノリをマジメにやっているんだから、もっと鷹揚に構えて、むしろ、人気の無さを逆手にとるような発信をやったらいいのに。

法的措置の検討、って発言することが、ランキングを利用した人気とりのひとつと考えているとしたら、ひとつの戦略として感心しますがね。

自分を笑い者にする、ってのはなかなか上級な技法です。

でも、いい加減、カリカリ、ギスギスのタネを多くするようなこと止めましょう。

要は、好感度、といったことへの悪影響が嫌なんでしょうね、きっと。

僕からすれば、上州の人々は、言葉は決してお上品ではないけれど、ふた心のない率直なお方が圧倒的で、うらやましい。
つき合っていて、そのサバサバ、ってやつで救われることが多かった。

ダラダラとへそがないような風景が続く北関東の中にあっては、美しい山々に恵まれ、冬の好天のあの蒼さ、といったらなんとも素晴らしい。

萬年ご幼少の頃。
赤城、榛名、妙義と、群馬県にちなんて命名された戦艦はみな歴史にそれなりの名を刻んでいる。
対し、浅間、信濃はあまり活躍も聞かないなぁ、と羨ましく思うことしきりでありましたし。

他者の低評価を気にしていたら、自分の強みまで失う

(または) 自分の強みを信頼できない者は、他者の評価に敏感になる by 萬年

では。