突き放して 眺める。

或るSNS上の書き込みを読んでいて、ずいぶんと笑いながら、しかし、考えさせられてしまった。

その内容は、こうだ。

―自分が若かった、ずいぶん昔のこと。
入院した時に、同室になった爺さんは、戦争中はいかに大変だったか、今の若い者がどれだけ恵まれているかを説教する人だったが、食事の時に、こんなものが喰えるか!、と病院食を放り投げていたので、案外戦争の時って楽だったんな、と思うようになった―

くどくどとコメントするつもりもないが、あの戦争をまるごと、ナマのままで読み解くには、こういう観点が必要だろうなぁ、と思う。

これを、フテブテしく眺める視点、といってもいい。

けれどね、老いての傲慢さ、これだけは、いただけません。

老醜、という言葉があるくらいですから。

では。

碌山美術館の ケチ

荻原 守衛(もりえ、1879~1910年) は、第一級の彫刻家である。
号は、碌山。

安曇野穂高の、碌山美術館は、たまたま碌山の生まれ故郷に在る、ってだけの話。

ご当地が生んだ芸術家、とわざわざことわる必要のない、卓越した才能なのだ。

思い立ったら簡単に、その作品に接することができるしあわせを、僕らは持っている。

が、この地へ赴く楽しみのひとつは、美術館のチャペル風なたたずまいを味わえるところにあった。(1957年建設)

ところが、である。

いまや、この敷地内へ足を一歩踏み入れるだけで、入館料(大人700円也)が求められる。

いつから、なぜに、こうなったのかは知らないけれど、たとえば、今回は、館内へは入らずに、この敷地内を散策したいと思っても、あなたは、散策料を払わなければならない。

たとえば、静かなる庭の緑陰。

落ち着いて恋人と時間を過そう、なんてお洒落を禁ずるとは、まったく、なんというケチで、無粋なココロなんだろうか。

もちろん、碌山氏には、これぽっちも恨みはない。

では。

【秘話】東京五輪を人質にとれ

〈かつてからの萬年の主張〉
もうオリンピックという壮大な浪費は、ヤメにしたらどうか?

しかも、ナショナリズムを殊更に煽ってどうする。

どうしてもやりたければ、開催地固定で十分、それで経費も抑えれらるし。
名乗りを挙げ、ゼニをかけての誘致競争など、調子づいた見世物だ。

〈潜行するプランとは〉
一年先送りしたものの、COVID-19蔓延の状況下、とてもじゃあないが開催できないから、中止にすべき、という議論があちこち湧き起こっている。

日本医師会(=政治的な圧力団体)も、おら、知らね、と言い出した。

そんな中、日本政府や実行組織の幹部が、あくまで開催準備を怠りなくやる、と発言するので、一斉に反論、批判の集中砲火となる。

実は、こういう批判の高まりこそ、政府の思うつぼであり、その狙っているところ。
裏で手を回して、医師会にも悲観論を発言してもらっているのだ。

演説や会見の揚げ足取りばかり、さも、支持率が政権の生命線のごとくに吹聴する、アホなメディアには、この件、中止、中止と騒がせておけ。

もちろん、某公共放送には、五輪を目指すアスリート特番をさかんに打つよう、総務省をとおして手配を怠らない。

惜しむらくは、東京都トップが、あまり開催決意をアピールしないことか。

やりたくもない緊急事態宣言を発令して尻ぬぐいしてやったんだから、その義理を果たせ、と電話しないと。

東京(と日本国)の立場からすると、止めるなら、あくまで〈返上〉というのがスジ。
中止うんぬんは、国際オリンピック委員会が決済する権限を持つはず。

で、日本としては現状、安全な開催には自信のカケラもないのがホンネ。

数万人規模の渡航者の監視手続きと収容などは、非現実的だ。

けれどですよ、ここで自分から返上を言い出してしまうと、膨大なお金が動く権益構造のゆえに、中止による多額の賠償を引き受けなければならない。

ならば、最後まで決して音を上げずにこのまま進み、IOC自身に、残念ながら開催が不可です、を言わせねばならない。

リーダーたちの、一見優柔不断、硬直的な発言は、こういう青写真の存在のほかに説明のしようがない。

あなたが日本国民なら、かような秘匿のストーリーをキチンと理解したうえで、あたかもそれを知らぬかのように、行動しなくてはいけませんぞ。

でないと、更なる税金を、この茶番に投入しなくてはならないのだ。

なお、ここだけの極秘話なんだが、
開催国として、あくまで万全の体制をつくるので、ワクチンを日本に優先的に回せ、と裏交渉していることも付記しておこう。

五輪を人質にして権益を引きこもうとは、したたかな外交ではないか。

こんなこと、老いた君の母さんだって、知ってるはず。

では。

恐怖のレントゲン。

 

メンテナンスなどで、定期的に歯医者にお世話になっている。

診察室の椅子に座るたんび、
―痛くさえなければ、それこそ、どんなことをしてもらってもかまいませんから、と言うので、呆れられている。

生活習慣病予防健診を受ける時期が迫ると、歯医者の予約日と同じように、だいぶ気分が滅入ってしまうのは、なぜなんだろうか。

前回の健診の時のこと。

自分の名が呼ばれたので前のほうに出て行くと、中年の男性が、満面にこやかな笑顔をたたえながら、

―は~い、〇〇さん、恐怖のレントゲンです。

おいおい、冗談にもほどがあるだろう、と一瞬思ったがすぐに、そうか、胸部のレントゲンのことね。

採決時の、チクっとしますよにも、いやいやのココロは、ふと耳に入る言葉にも過敏に反応するらしい。

では。

逃げたい心、

は、阪口 安吾による短編(1935年発表) で、松之山温泉(十日町市)がその舞台。
途中には、長野市が描かれている。
五十路に近い男の逃げたい心、を扱っているのだから当たり前なんだろうが、なんとも暗い気分を持つ作品だ。

紀伊国屋書店。
といえば、たいていの人は知っている日本有数の書店。
他に出版もやっていて、劇場(紀伊国屋ホール)も持っている。

この紀伊国屋が、書店として創業したのが、94年前の、ちょうどきのう1月22日だった。

もともと薪炭業を営んでいた商家の跡取り息子が、在った。

彼、『丸善』(書店、日本橋)に魅了されて、家業を本屋に求めようと決意したのだ。

当時、『丸善』は単なる本屋以上の、なにか文化的イメージの本拠みたいな存在だったんでしょう。
梶井 基次郎の短編『檸檬』(1925年発表)には、丸善河原町店(京都)の本の上に、檸檬をひとつ、あたかも爆弾と夢想して置き去りにする、という描写がある。

さて、一念発起したこの倅が、田辺 茂一(1905~1981年)。
当時は、22歳の青年だ。

それから50数年後、田辺は、ラジオ番組に出演し、パーソナリティーの小室 等(歌手)にこう問われる。

― 炭家の片隅ではじめた本屋が日本一の本屋になるような、そんな時代はもう来ないんでしょうね?

で、この時の田辺の答えが、ふるっている。

―そりゃあ、おめぇ、何でも時代のせいにしてりゃあ、それゃあ楽だわな。

こういう江戸弁というのは、軽妙で、かつ、こちらに響いてきますね。

……〈逃げたい心〉から、なんとなく連想されたお話ではありました。

ところで、紀伊国屋ビル(新宿3丁目)の地階、〈モンスナック〉のスープカレー。
ここのは、スープとライスの分量のバランスが絶妙で、しかも美味い。

新宿あたりに出かけた際には立ち寄ることしているけれど、近年はトンとご無沙汰であります。

では。