2月のお楽しみ。

今、金星は〈明けの明星〉として、東山の上、白みかけた空に輝く。

太陽から2番目に近い惑星で、地球のすぐ隣の軌道上を回っている。(周期は、約225日)
(註: 地球は、太陽から3番目に近い)

地球とは、大きさと平均密度において、とても似かよっていて、地球からだと、明け方と夕暮れにだけ観測できる天体なんですな。

僕たちの眼からすると、太陽、月についで明るくみえるから、これにヴィーナス(ローマ神話の、愛と美の女神) と命名した気持ちが、わかるような気がする。

ところで、あと一週間もすれば、1部、2部のリーグ戦が開幕だ。

萬年、自信と確信をもって言えるのは、それらゲームを、DAZNで観戦することもないだろうな、ということ。

となると、3部リーグ開幕までの一箇月、なにかで気を紛らすわけだが、
昨日、職場でルノワール氏からメモを1枚渡された。

みると……、
2/13  実業団ハーフマラソン (山口市維新みらいふスタ発着)

2/26  福岡クロスカントリー (福岡市海の中道海浜公園)
シニア女子の部 ☞ 8,000m       ……、とある。

特に、26日のやつは、田中 希美 と 不破聖衣良 が、直接に渡りあう格好とな?

かたや、1,000m、1,500m、3,000mの日本記録保持者が田中、他方、昨年12月の記録会で 10,000m 歴代2位を叩き出したのが不破。

ルノワール氏は、田中はトラックスペシャリストゆえに、ロードランナーである不破が圧倒的に有利、のようなことをおっしゃっている。

とにかく、22歳と18歳の進境著しいランナーの対決というだけで、TBS系列で放送(録画かも)というから、今から、かなりの注目を集めていると思われる。

ちなみに、昨2021大会では、
第3位に、長野東高校出身の 和田 有菜 (名城大)が入り、4位に田中 希美。
前者が 26分21秒、後者が それより1秒遅れでゴールした。

不破聖衣良にしてみると、1,000m毎を 3分05秒で刻んでいって、24分台から25分前半のタイムでゴール、みたいな作戦なんでしょうかね。

➡追補:ルノワール氏曰く、クロカンなので悪路も挟むから、プラス3秒はみたほうがいい。となると、25秒くらいは上乗せの、25分台なのか。

というわけで、今月の第4土曜日は、ヴィーナス達の熱闘を楽しむことで決まり。
スタート時間は、15:00 です。

では。

結局は バルカンだって …

…、エネルギーの話が根っこに在り、というお題。

― バルタン星人とはね、シルビー バルタンからもらった命名なんだよ。

とルノワール氏に言っても、彼、すこしも信用しない。

当時の円谷プロの人が明かしているから本当なんですが、これには他説もあって、〈バルカン半島〉からいただいたという発言もあるらしい。

紛争の火種が存す、ことからの連想でしょうか?

半島、とはいうものの、その広さは、日本の2倍弱で、ミャンマー国土の大きさにほぼ匹敵。

その中に、領土の全部または一部を持つ国家が13個もあるから、東南ヨーロッパ(地域)と呼んだほうが、より正確な理解だろう。

シルビーバルタンの生まれ故郷ブルガリアは、そっくりバルカンに含まれるから、ここにも、バルタンつながり。

今回、緊張が高まっているのは、バルカン半島からは黒海を隔てて北方のウクライナとその周辺。

ここへ相当な軍隊を集結することで恫喝にかかっているロシアに対し、米国が制裁を科す、とか言って脅し返す。

けれど、飛ぶ鳥後を濁す投げやりさで、とっととアフガニスタンから撤退してしまった身勝手さ。

そいつを見せつけられた欧州各国にしてみれば、もちろん、USAをアテにできるわけがない。

だから、NATO、なんて米国都合の言葉は、マジメには出て来やしない。

ひたすら、EUとしての結束、それを前面に押し出してロシアに対抗しようとしているが、どうやら国ごとの思惑もあるようだからイマイチ強烈さに、乏しい。

思惑の根源は、その国が、ロシアに資源をどの程度頼っているか?ということ。

軍事衝突、ということばかりに目がいってしまうが、要は、政治経済的な自立の引っ張り合いっこが、正体。

欧州各国からすれば、ロシアからの天然ガス依存体質から抜け出すことが、できることのほとんど全てなんでは?

となると、結局は、原子力発電によるエネルギー自立の道が切実となる。

最近、EUが、原子力もグリーンエネルギー(脱炭素)のひとつ、と表明したことはその証拠でありましょう。

2011年の震災、という特殊な事情があるにせよ、いまだに電力政策で迷走しているどこかの国の民にも、これは他人事でない。

この国にいると、原子力発電のとどまることなき増加、という世界的なトレンドが見えなくなる。

脱炭素、はいい。

が、では、電気料金が今の2倍、月5万円以上となり、夜道の街灯がほとんど点かない夜。
暖房を、我慢して入れずに過ごす冬。

そういう生活に耐えられるのか?、ということを僕たちは、マジメに考える必要がある。

特に、ノー原発、を表明している勢力は。

EUの原子力のグリーン認定はけしからん、ということで抗議した、某国の首相経験者5人よ、君たちのことだよ。

ならば、きちんと責任を持てる現実的な代案を示せ。

僕は、きちんとしたコントロール下で原子力を使うほかに途はない、と思う。

では。

賢治 , 部下, 勝利の女神

先日、半日をかけて生活習慣病予防健診を受けた。

半日人間ドック、と呼んだほうがわかりやすいか。

そして、その午前中、佳いことが、なんとみっつもあったのだ。

❶宮澤 賢治の詩集『春と修羅』(1924年4月刊行、第一集)
作者が生前に、世に問うた唯一の詩集。
23の詩篇から成っていて、序の日付は、同年1月20日なので、約100年前の冬に、賢治は、出版準備にとりかかっていたのだ。

これを、検査の順番を待つあいだあいだに、ひととおり読むことができたこと。

❷会場で、偶然(だろう)、約6年ぶりに、かつての部下と遭う機会に恵まれた。

向こうから声をかけてくれ、お互い現役でやっている、って感じが嬉しかった。
在職中の、僕による〈13番目の男たらん〉という教えについて語ってくれて、あぁ、そんなことを言ってたんだ、と少々居心地が悪い。

❸胃の内視鏡検査。
まぁ、これがいちばん憂鬱なやつでして。

ところが、今回は、僕がもっともその腕を信頼しているドクター(女性)に当ったのだ。
少々敏腕すぎるきらいはあるが、被検査者にたいする指示が的確、仕事が迅速。
あれ、もう終了?、なんて思うほどの手際。

前回など、よっぽど悪い所見があったので、検査中断なのか、と焦った焦った。

今回は、ナイキのスニーカーを召していらっしゃっていて、僕にとっては、まさに勝利の女神(ギリシア神話のニケ) でありました。

検査終了時には、「また、お願いします」とかおっしゃる。
家に帰って、家人に、あれってどういう意味なんだろう?、と訊いてみたら、
― リピーターを創るといった営業努力じゃあないかしら、との返事。

そうだとしたら、なかなかたいしたものです。
こういうのを、技魂商才、というんですかね。

なにごとも感謝しておこない、出来たことを感謝する、といった感じの一日ではありました。

では。

安逸と矮小の日々から。

人生に意味を求めてどうするんだ?
人生とは、願望。 意味ではない。  by チャップリン

どうだろう、7~8割の力を持ってすれば、そこそこやっていける毎日。

身の回りを、お気に入りで固めることに気持ちが向かう日常。

けれど。

ぎりぎりのところ、全力でやっていない日々は、自分を、どんどん小さい者にしていくように思われてならない。

かつての部下が年賀状で、工場長やっています、と近況を報告してくれた。

職業において、より上位者をめざすことはいいことだ。

収入が増えることも大切だけれど、人というむづかしい存在に迫りながらも、組織の全体、いわば森をみるような視点を鍛えられるから、苦しいけれど、そこには自己研鑽と成長があるはず。

自分を乗り越える、という意味で。

かなり複雑、かつ、影響力がこんがらがっている組織を、これほどたくさんの普通の人々がマネジメントするようになったのは、人類史上(日本も)、せいぜい200年にもならいないから、まだまだ上手くいっていないけれど、だからこそ、そこには、やりがいも多い。

……、と言いながら、さて僕も、今の安逸から抜け出さないとな。

必死に一日をやって、ようやくわづかな休息時間の中で、こんな曲に浸る。

そうなりたい。

では。

『疲れた……』で言いたいのは、

つまりは、あまり良い時間を過せなかった、とか、くたびれただけだった、をサラッと言いたいんだろうな。

と、若人の会話を聞くたび、そう思うようにしている。

決して、くどくど説明したくないクセや、その語彙の貧弱をあげつらってはいけない。

しかし、自分ではほとんど意識していないのに、

― 疲れてるみたいね?、と問われると、ハッとしますな。

あぁ、表情や動作に滲み出るものがあったんだろうなぁ、と立ち止まってしまう。

電車の中、立っているのが大義だったり、大変そうにお見受けしたら、自分が座っている席を、サラリと、ごく自然に譲って差し上げたらいい。

好意を受けるか断るかは、その御方にお任せすればよいから、迷うこともいらない。

まぁ、挨拶みたいなもの。

相手がそれを返そうと、返すまいと、こっちの知ったことでなし。

朝の自分を、気持ちよく始めるための儀礼と思えば、向こうの反応はどうでもいい。
あぁ、家で女房とでも喧嘩して出て来たか、または、挨拶することを自分に躾けられずに大人になっちゃったか、ぐらいに思え。

あるブログで、傑作なのがあった。

電車で席を譲る運動、というのをやってる高校があって、そこで回数ナンバーワンを獲った高校生の言い分が、

まずは、自分が席に座ることがポイント、なんだそうだ。

たしかに、一面、おっしゃる通り。

この無邪気な証言、良識を育てようとする善意が、ややもすると陳腐な発想へと向かうことの一例ではありますな。

我先にと空いた席に殺到すると、あとは寝たふりを決め込む無関心。

これは、日本人が、相当に疲れていることから来るのか、どうか?

フィルコリンズによる『Another Day In Paradise』(パラダイスに居られたのに、1989年発表)。

たまには、こんな曲を聴きたくなる時がある。

もう一度考えてみろ(Think Twice!)、と、自分に言い聞かせたい時に。

では。