雪の名残りに。

まさに、昨日のこと。

これ、もう物置にしまわないと、と思っていたのは。

一夜明けたら、それを使って、愛車のフロントガラスの雪を払っているとは。

明日のゲームが、もしもホーム戦だったら、今頃は大騒ぎしているんだろうなぁ。

今年は降雪が週末にかかることが多いから、雪の朝はよけい静かでいいや。

と、そうそうに家の中に入るのでありました。

おんなじ白でも、今は、こっちのほうに憧れます、ずっと。

では。

常識とは……、

……、18歳までに身についた〈偏見〉のことなり。

とは、A.アインシュタインの言葉。

けれど、その偏見が集まったところの、〈民意〉は、おおかた当てにできる、というか信頼に足るものだ。

今回の武力侵攻について。

思想的、国家的、経済的なモロモロの立場による都合は在るにせよ、そりゃあないだろう、といった不快感が、世界のココロ(民意)の多くに及んだことが、それに対する行動の発端だと思う。

民にとっては生活必需品だから、露国での営業を継続します、とファーストリテイリング社が表明した時。

いまや、その生活必需品を購うための紙幣(ルーブル)が使えなくなるか、それを紙屑同然にしてまでも某国を追いつめようと反対制裁しているのに、その理由づけはないわ、と笑ってしまった。

完全に状況を読み間違っているな、と思っていたら、2日すると、今度は前言を翻して、営業を一時停止、とは、これまた大失態。

他国での不買運動を予想、予告されたのかも知れないが、一度言ったならば、徹頭徹尾、露国の国民に寄り添います、との信念を通すぐらいで、いいではないか。

一旦、こうと決めたならば。

では。

もうひとつの開幕に寄せて。

周りの方々が、いよいよ始まるね、と声をかけてくれるのが誠にありがたいこと。

さて、もうひとつ。

大相撲の大阪場所は、本日が初日。

御嶽海にとっては、大関昇進、という責を負うての特別な場所。

かといって、過度に力むことなく、自分の強みの発揮を追求するだけ、でいいのではあるまいか、などと、スモウ素人の僕なんかは思っている。

(初代)貴ノ花(1950~2005年、横綱貴乃花の父) は、大関在位が50場所という記録を打ち立てた。

けれども、奮闘で魅せるものの、場所を終わってみると、なかなか二桁勝利に届かないことが続くと、〈クンロク〉大関と呼ばれたものだ。

勝ち越しにチョッと上乗せした、9勝6敗がせいぜい、という揶揄ですな。

こういう評価からすると、大関ならば、優勝争いに絡みつつ、最低10勝は確保してよ、というのが相撲ファンの願望なんでしょうが、現在横綱はひとり、となれば、12勝くらいは期待されるのではないか?

僕なんかは、勝ち越しすればいいぐらいに思う派なんだが、それじゃあ、さすがに志が低すぎますかね?

では。

已むに已まれぬ 不正直。

海の向こうの騒乱をみながらも、さて、自分の足許を見つめないわけにもいかぬ。

Global Firepower というところが、毎年、核兵器をのぞいた軍事力ランキングを発表している。

その国の、人口、軍事費、兵力、陸海空の保有兵器、戦略視点からの地理など、50項目を数値化して、順位づけしているらしい。

最新のそれによれば、我が日本は、第5位なんである。

だから、上には、第1位の米国からはじまって、露、シナ、インド、の4つの国しかない。

ちなみに、ウクライナは、22位。

武力はこれを持たない、と内外に宣言したものの、その後、冷戦下の集団的な安全保障体制に組み込まれる過程で、あくまで防衛力とかいいながら、再軍備。

結果、堂々たる軍事力を持っているのですよ、僕らの祖国は。

もちろん、持っていることと、これをどう使うべきか、ということがセットではっきりしていないといけないけれど、

どうしようもなかった、とはいえ、やっぱり国を挙げての不正直だったわけで、これからは、この事実をキチンと受け止めて進まなければと、特に、有為の世代に向かっては、期待を込めて言いたいものだ。

核アレルギーを含め、臭い物に蓋をするような態度でウダウダとやってきたベビーブーマーの世代(1946~1964年生れ) の思想を、葬り去ってしまう迫力でもって。

穏やかな平和愛好者がすむ列島、けれど、ひとたびこれに攻撃を加えた日には、激烈なる反撃を覚悟しなければならない国。

だから、アンタッチャブルな日本として、国際社会では生きて行く。

これからの道はこれしかないだろう、とは前にも書きましたけれどね。

では。

どこが,狂気なものか。

理解できない暴挙であることを強調したいために、〈狂気〉による行動、と言うんだろうが、メディアの煽り文句は論外として、狂気、で片付けてしまうのは、まづい。

あえて言えば、ご本人からすると〈侠気〉だった、と思う。

侵食されて弱まる祖国ロシア、それを建て直すための一手を発動する、という。

原油高騰の追い風による国家財政の好調、米欧とシナのいさかい、国内統治の磐石などなど、ここぞ、というタイミングで仕掛けた、ウクライナ侵攻だったはず。

20世紀末に首相に就任するや、役職に異動があったものの、実質的な国政トップに居続ける力量を持つ頭脳が、冷徹な判断によってゴーを出したのだ。

ただし、今の状況は、相手やその支援者の出方について読み切れなかった、ということにはなっている。

その狙いはともかく、侵攻して4日目にはすばやく停戦協議に応じているんだから、正気でなければできないことだ。

最終兵器の使用にまで言い及んでいるのも、計算づくに違いない。

いまから80年前、欧米相手に単騎決戦を開いた、どこぞの小国にしたって、エネルギーを絶たれようとして相当に焦っていたとは言え、なんとか活路を見い出そうと、〈正気〉でパールハーバーまで出かけていったのだ。

ただし、日本の決定的なミスは、出口、つまり、終戦にもっていく戦略がほとんど無かったことだろう。

それがために、いたづらに人的な損失を招いてしまう。

東条 英機を首班から引きずり下ろす工作はあったんだが、いかんせん、昭和天皇が、終戦の可能性を探れ、とはじめて下命したのが、1945年6月22日だった。

追いつめられ追い詰められ、結局は、敗戦の4箇月前たった2箇月前のこと。

天皇はこの日、最高戦争指導会議において、首相、外相、陸海両相、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長の 6名を前にして、

― これは命令ではなく、あくまで懇談であるが……、という言い方で、
戦争終結について具体的な研究を遂げ、実現に努力せよ、と発言された。

と、当時、鈴木貫太郎内閣の書記官長であった、迫水 久常(さこみず ひさつね 1902~1977)が、その回想録で語っている。

なにかを始める時は、どのようにして終わるのかまでをプランニングすべきなのは、これはもう、仕事師にとっては、当たり前の話でありましょう。

それにしても、今度の件で、僕がいちばん気になるのは、外相や大使などのいわばスポークスマンは別にして、たとえば、メドベーチェフメドベージェフといった、首脳級リーダーたちの動静についての情報が全く入ってこないこと。

こういうのが、一流の警察国家、ということなのか。

では。