心より感謝します (社長交代にあたり)

去る11日、㈱松本山雅の役員人事の内定 (正式の就退任は、定時株主総会とその後の臨時取締役会で) が、発表された。

内容は……、

神田 文之氏が、代表取締役社長を降り(役員としては留任)、あらたに、

小澤 修一氏が、代表権を持つ社長に昇任する。

㈱松本山雅を立ち上げた、第一世代の方々が退任し、社外取締役(非常勤)が 3名新任する。

神田氏については、5期10年、経営トップとしてご尽力くださったことに心より御礼申し上げます。

クラブ急成長(参戦リーグ上昇など)の体制づくりと、そのひずみの解消、さらには、直近では新型インフルエンザによる収益落ち込み等々、

この10年間、暢気に眠れない日々が続いたことだろうし、氏を支えるために、ご家族は多く犠牲を払われたことと拝察します。

引き続き、役員としてのご尽力をよろしく。

小澤氏については、喫茶山雅を立ち上げたリーダーにして立役者、と思ってきたが、

その経営戦略、営業的手腕を、今度は、運営会社全体と、その周辺に及ぼしてもらいたいと望みます。

All Things Must Pass  ☞ 不変なものなど何一つない、のが不変原則。

今回の経営(指導)体制の変更は、さまざまの変化に対応して未来を切り開くことを狙ったもの、と思いますが、こうなったら、変化の先頭に立つくらいに、果敢に攻めてもらいたい。

たとえば、運営会社をスリム化して、より機敏な組織にするとか。

江戸幕府は、首都の機能を、わずか200人(旗本と御家人ら)程度の組織でまわしていたらしい。

これにはカラクリがあって、

その行政機能を、町人層へ、警察(岡っ引き)、消防(火消し組)、自治(長屋における大家店子制、し尿処理システム)によって、最大限に外注化したので可能だった。

いまや、(売上高はべつにして) 大きいことは、決して、組織の成長と生き残りを約束しないのだから、

これだけ良質なファン&サポーターの、参画と自助意識を分けてもらえば、
きっといろいろなアイデアはあります。

アルウィンで行列の最後尾の看板を、観客自身が持つ流儀、あれですよ、あれ。

街にこれだけ溶け込んでしまうと、

市民、ファン&サポーター各個が、それぞれ共通幻想としての〈松本山雅〉を自分の中に持っている。

ところが、㈱松本山雅までが、自分の所有物と勘違いしている向きもあって、内部事情に通じているフリをして、または、噂を鵜呑みにしては、要らんチャチャを入れる。

しかも、そこには、フィールドマネジメントと企業経営の区別も出来ていない無知があるもんだから、手に負えない。

こういうのは、結局、ただ勝ち馬に乗りたい(勝つ山雅だけを楽しみたい)欲求に過ぎないので、まぁ、ほっとくに限ります。

好不調、参戦リーグによって、その価値が増減するような(その人にとっての)〈松本山雅〉ならば、一緒に歩めないでしょうに。

価値観の相違から、残念ながら、㈱松本山雅を去る御方もあるだろう。

けれど、チーム山雅で現役生活の最後を過したプレイヤーに対しては、手厚く報いる(引退セレモニイ等)、

そして、クラブOBを組織内外で大切にする、戦力化する。

これが、今後も、伝統であり続けますように。

では。

あれもこれもじゃ,荷が重い?(2024.4.13奈良戦レビュウ)

― 意地をみせたね!!

ゲーム終了 10分もしたら、(仕事中の) 家人から電話が入る。

― あぁ、そうね、と答えはしたけれど、

やってる内容は、敗戦の前節、前々節よりかは劣っていたので、スッキリしない僕ではある。

が、ひとり夕食にいただいた家人お手製の、

牛すじ入りタケノコ煮、これが絶品過ぎたことに免じ、

アウェイの地で、

0 – 2 から、2 – 2へ持ち込んで勝ち点1は、悪い仕事でもないし、と決め込んでしまった。

〈よくなかったこと〉
❶過剰反応でしょう。
金沢戦の敗戦。
あれは、カウンターとセットプレイ特化(の擬態?)に徹した金沢に、してやられた事故みたいなもの、と僕は考えるが、

あれ、プロとして、そんなに効いていたのか? (サバサバやり過ごせない?)

安藤 翼のワントップは、感心しない。
(無人のゴールに押し込めなかったのは、ご愛嬌としても)

安藤はサイドで馬渡と絡んだり、上下動の縦の動きでボランチエリアもカヴァーする機動力が魅力。(金沢戦などで証明されている)

むしろ、山口か、佐相をワントップに起用するか、
あるいは、左からスリートップ(滝、山口、安藤)で、菊井がその後方、ですよ。

やはり、滝が投入されてから、前線が活性化されたでしょう?

橋内の先発も、あまり効いていなかったように思う。
右野々村、左橋内だと、どうしても窮屈で、これを90分間は、チトきつい。

首脳陣が、動き過ぎた感があります。

❷俊敏に欠けた。
どっちが中2日のチームなのか?、といったアジリティの無さ。
走る、速く動くとかいう、単に、身体的なことではなく、

〈頭〉の回転における機敏さが不足。

たとえば。

アテにしているところにボールが入らない。

逆に、意表を衝いて自分にボールが来るので、準備がないからトラップがぎこちなくて、瞬間をロスするとか、そんなのが目についた。

日頃、寒冷でやってるチームが、25℃の暑さでやると、集中が落ちるのか、ま、言い訳にはならないが。

前後半開始早々の猛然ダッシュは、本来うちがやるべき命綱であって、円陣でなに話してんだ?

2失点は、奈良のスカウティングがハマったもので、

結局は、山雅のサイドプレイヤーが高く位置取りするから、

縦に速く、特に、カウンターを喰らうと、戻り切れなくなって、ケアすべき相手プレイヤーを、フリーな状態に置いてしまう。

陣形全般を高くあげること、と同時に、縦に素早い相手の侵攻に対処すること、これ、ここまで改善の兆しがないのなら、トレードオフの原則と見極めて、

後者を棄ててしまうのも、手ではないか。

悪く言うと、失点しても、それ以上にゴールを獲って勝つ、と覚悟する。

いにしえ想ふファン&サポーターの期待値が過剰なところへ持って来て、

さらに、チーム自身で多くを背負ってどうするの?

〈良いところもあって〉
ペナルティーエリア直近の狭いスペースへ、縦にパスを入れる。
これ自体は悪手ではないが、どこかでワンタッチのプレイを挿さないと、相手を置き去りにできない。
(サイドの切り崩しも、同じこと)
今季の福島は、これを巧くやってるが、あのレベルにしたいよね。

ただ、2得点は、そこまでチョコマカとやらず、シュートコースが空いたら打ってしまう、セットプレイで一番の高み(長身)を狙う、といった割り切りで決めることができたのだから、

相手守備を崩すことばかりに注力しなくたって、

ボクシングに譬えると、ガードしたグラブの上から強引に打ち続けるのも手ですよ。

……、以上、面白くない部分もあり、最後まで我慢して打ち続けた良さもあり。

僕からすると、センターバック、あるいはボランチから、大胆な意表を衝くサイドチェンジ(=ビッグスイッチ)が、最近、鳴りを潜めているのが不満。

片方のサイドへ寄せてチマチマ見せておいて、ドンッ、そういうのを望みます。

ゲーム残り時間が減ずるにつれて、より高い位置でプレイする山本 康裕を高く評価する僕ですが、やはりゲームでその姿勢が活きたので、

MIPは、やはり、山本、ということで決まり。

では。

友だち。

『箴言』(旧約聖書)は、古代イスラエルのソロモン王(紀元前1011?~931年?)が綴った、というのが一般的な定説

学者でもない僕らには、〈~と言われている〉だけで十分だと思うが、

我が子(つまりは、王権の後継者ら)を、教え諭す表現を採っている。

その中の言葉。

〈世には友らしい見せかけの友がある〉(18章22節)

〈富は多くの新しい友をつくる、しかし貧しい人はその友に捨てられる〉(19章4節)

……こういうのはわかる。数千年前もそうだったのね。

でも、違う箇所には、

〈友はいづれの時も愛する、兄弟はなやみの時のために生まれる〉(17章17節)

(真の友かは、逆境の時にわかる)

ともあるから、父の教えには、手落ちがない。

『You’ve Got a Friend』は、キャロル キング(1942~ )の作詞作曲。

1971年に発表された。

友人であるジェームス テイラー(1948~ )もカヴァーしていて、むしろこっちのほうがポピュラーかも知れない。

かつて学校で習った初歩的な中学英語でも、なんとか理解できるくらいに平明な歌詞。

キリスト教徒でなくとも、同じ価値観で味わえるので、まことに嬉しいではありませんか。

今回は、歌詞付きの動画で、ジェームスの演奏と歌唱。

☞この動画には字幕が設定されていて、画面下の字幕on/off切り換えアイコン(四角形)をタップすると字幕(英語)が表示されます。

では。

とにかく押し込め,休まずに(奈良クラブ戦プレビュウ)

まづは、間違ってはいけません。

このゲームは、我らにとっては、第10節。

第9節は、今月20日のホーム讃岐戦ですから、節の順序が、今週は逆転してる。

松本など4チームをのぞく3部リーグのチームは、去る10日に、それぞれ第9節を戦っているのです。
(この記事を書いているのは、実は、そのゲームの前)

つまり、こっちは入念に準備したうえで、アウェイ(盛岡)戦後、実質中1日の相手とやれるわけ。

……と、アウェイ2連戦を、すこしでもポジティブな気持ちになって乗り切りたい。

奈良クラブ。

4 – 1 – 2 – 3システム採用は、攻撃的にやりたい意思だと思います。

中盤の逆さトライアングルのところでもって、ボールを握り捌いては、攻撃を仕掛けたいのでしょう。
守備面は、失点がここまで 12 。(リーグでも最下位レベル)

もっと得点したいが、守備にも悩みあり、そんな現状でしょうか。

得点の源は、なんといってもサイド。

特に、深い位置から持ち出してゴールまで迫れる、下川 陽太(サイドバック)と岡田 優希(スリートップ)の配される左サイド。

これに対し、右サイドは、高い位置でボールを受けてクロスまで持ち込む。

山雅は、したがって、左右サイドプレイヤ(樋口、馬渡ら) が、けっこう忙しい仕事に追われることを、まづは覚悟する。
で、いつも、相手の先手先手で。

ポイント❶は、クロスの投入(回数)でしょう。

岐阜戦32本、金沢戦23本と打ってきて、

8ゲームをこなし、いつのまにやら、ゲーム平均20本超。
この数字は、リーグトップなんです。

前節の山口による先制点は、安藤 翼が右から入れたクロスが起点となって、こぼれ球を押し込んだもの。

〈こぼれ球〉は、いまや、勝利へのキーワード。

つまり、クロスにドンピシャ合わせたゴールでなくとも、とにかくゴール前で、相手守備の乱調を生みだせる。

この時に、3列目のボランチまでが、一気に飛び込むことが求められる。

ポイント❷ セットプレイにも同様なことが言えて。

一旦、相手の動き(とゲーム)を止めておいて、こっちから仕掛けられる。
コーナーキックなどは特に、ペナルティーエリア内に混沌、混乱が生じやすい。

そして、クロス、セットプレイ獲得の要件はともに、

相手陣地の深い位置にまで、ボール保持、あるいはボール奪取のいづれかで、圧力をかけ続けることで、こっちの陣形を押し上げていること。

こうすれば、相手は、苦し紛れ、あるいは局面打開のため、こっちの最終ラインの裏狙いに走るだろう。

けれど、それにおじけて守備ラインを下げることなく、相手からのロングなボールが正確、精妙、グッドタイミングを欠くぐらいまで、押し込みましょう。

ゲーム進行の綾もあるが、

この前のツエ―ゲンのごとく、カウンター攻撃に特化の姿勢を察知したら、こっちも、適時長いボール、高いボール(ジョップがいる!)をかますなどして、ボールの出どころ、タイミングを狂わそう。

ポイント❸最終ラインにアジリティ(俊敏性)を。

今節の奈良に限らず、対戦相手ならば、前節の、山雅大敗に勝機を見いだそうとするだろう。

つまり、山雅の守備は、1対1で背走させられるとかなり脆弱、とインプットされたのではないか。

これに対しては、

必ずしもアジリティ溢れていない常田に疲れが見えたら、逡巡なく、俊足の橋内にスイッチする、といったようなカードが用意される?

では。

希望の花、淡い追憶。

1890年の2月。

サン レミに在った精神病療養所で生活を送っていた、フィンセント ファン ゴッホ (1853~1890年)に、弟から一通の手紙が届く。

生れた長男には兄と同じ名をつける、という文面。

ゴッホはすぐに、新しい画の制作に取りかかる。

画家自身が、快作と認めたこの画は、弟家族に贈られ、

現在は、ゴッホ美術館(@オランダ)が所蔵する。(サイズ73.3㎝×92.4㎝)

蒼空を背景に、アーモンドの樹と、その枝に咲く薄紅色の花。

ヘブライの伝統では、アーモンドは、春一番に咲くことから、〈先駆け〉の表象を与えられている。

療養所から眺める風景の中に、たまたま花を咲かせたアーモンドの樹が在って、ゴッホが、それを題材に選んだに過ぎない、とは思うが、

通俗な評論はきっと、甥っ子の誕生と命名に、

希望と喜びを感じたゴッホが、春の誕生のシンボルであるアーモンドを選んだ……とでも、こじつけるだろう。

実は。

拙宅の庭にも、アーモンドが植わっていて、この7日に開花。

花より団子好みの僕のことゆえ、種子、すなわち、アーモンドの実がなったら食してみるじゃん?、と家人に提案した。

すると、

― 日本で売られている苗は皆、ビター(苦い)種で、その実は有毒、と聞いたよ、とのご返事。

猛毒らしいから、さすがの僕も、ただただ、樹と花を眺めるだけの日々を送っているのです。

こんな曲でも聴いて……。

ユタ ヒップ(1925~2003年)は、ドイツ出身の女性ピアニスト。

なかなかの味わいですよ。

曲は〈Dear Old Stockholm〉(1956年のライブ収録)

では。