天国と地獄 その続き…… 『Hotel California』

4/12の記事中、This world Can be A Heaven、みたいな願いを記したついでの、今日のお話です。

天国と地獄、と聞けば、黒澤 明による、1963年公開の映画を想い出すお方もいらっしゃるに違いない。

仲代 達也(警部)ら捜査陣と、山崎 努(誘拐犯)の知力を尽くした対決。
特急こだま(新幹線はまだ走っていない)車内、まるで素人っぽく揺れたカメラ撮影でもたらした緊迫感。
あんた(被害者)の住んでる高台の邸宅はまるで天国、それに比べ、俺の住む処は地獄のようなもんだよ、と誘拐犯は、脅迫の電話口でつぶやく……。

つい脱線しました。

1976年に、イーグルスが発表した『Hotel California』には、

And I was thinking to myself “This could be heaven and this could be hell”
〈ここは天国かもしれないし、地獄でもあるかもな、と僕は自分に訊ねたんだ〉……の一節がある。

砂漠の、暗いハイウェイを走っていたら、遠くに煮えたぎったような光を見た。近づいてみると、そこは、ホテル カリフォルニア。
女に案内されて進んでいくと、多くの住人たちと無数の部屋。
ようこそ、ホテルカリフォルニアへ。
1969年以来、ここには酒を置いてないけれど、素敵な人々、愛すべき場所。
チェックアウトはいつでもどうぞ、けれど、あなたは出ていけない。

暗喩がちりばめられた謎解きを強いるような歌詞が続くのは、ドン マクリーンの『American Pie』(1971年)と似ていて、これこそ、クラシカルロックが生み出したおとぎ話たち、とも言えましょうか。

でも、歌詞の解き明かしは、つまるところ、解釈者の素養の浅薄が見え透いてくるばかり。
ゆえに、あまり相手にしないようがよろしいかと。

この曲であれば、不思議な歌詞をそのままに、荒涼な寂寥感を楽しめば、それでいいんでは?

では。

『山雅人』の創刊に思ふ。

やまがじん、と読むらしい。

月刊誌、A4版48ページ。一冊、980円。

クラブ監修とあるから、オフィシャルブックの単月版、と思えばいいのか。

山雅もここまで来ましたね、と感慨深い。

ただ、いろいろ葛藤したんだが、購読は、なぜか思いとどまっている次第。

山雅がJリーグにやって来た、2012~2013年。

当時、萬年は、単身赴任で山梨(中央市)に在住。

アパートから歩いて数分の山梨大医学部グランドでは、ヴァンフォーレの練習風景を眺めることも、たまにあった。

で、近くの書店に行けば、月刊ヴァンフォーレ(そんな誌名)が、サッカーダイジェストの横に平積みされていた。

いつか山雅にも、こんなマガジンができればなぁ、と思ったのも懐かしい。

あれからほぼ10年。

着実に前に進んでいることを喜ぶんだけれど、勝手な注文を言えば、山雅人が、市中の本屋さんの店頭に並ぶことを切望してしまう。

かならずしも大きな声は発しなくも、山雅の勝利を喜んでくれるフツーの松本市民への露出こそが、必要なのでは?

先日のヤマハスタジアム。
萬年の(ひとつ空けて)横に座ったご婦人と会話する機会に恵まれた。

聞けば、この方は浜松在住で、当日は、特に#11を応援(見る)つもりでご来場とのこと。

あまり、サッカーについては知らない、とおっしゃる。

で、ちょいちょい問われるたび、今のがなんでフリーキックになったのか?、ゴールになってもなかなかアナウンスが無いのはですね、おそらくオウンゴールでしょう、とか解説した。

阪野とのゆかりは聞きそびれたけれど、他にも、松本以外の地から参戦しているとおぼしき観客がいらっしゃった。

つまり、実にさまざまのキッカケと事情を持った方が、〈山雅〉ひとつでつながって、同じエリアに席を占めていることに思い当たったのだ。

サッカーのルールになんか精通していなくとも、結構。

誰でもがウエルカムされ、アプローチできる、山雅であってもらいたいんです。

収益確保と出版物の存続、という経済の切実を棚上げにしておいて、言いたいことを申し上げる回となりました。

では。

萬年= COVID-19 の理由。

久しく眠っていた、ルノワール氏のスキー熱が、この冬になって覚醒した。

そのきっかけは、ホームゲーム抽選に当選していただいた野麦峠スキー場のリフト券。

スキーをやらない萬年は、これを、ルノワール氏に進呈したのだった。

(ちなみに、萬年におけるホームゲーム抽選当選率は、約2% )

野麦峠が呼び水となって、シーズン直近は、はくば47 を楽しんでいらっしゃるわけ。
はくば47は、ロケーションからして、雪が遅くまで残るのだそうな。

― それとですね。コロナ騒ぎでマラソン大会が軒並み中止。
そこで浮いた資金をスキー行にまわしている寸法です、とルノワール氏。

よって、ルノ氏のスキー回帰の、根本的な理由とは、萬年とCOVID-19 のふたつ、ということになるのであって、

要は、その意味で、萬年とCOVID-19 は、彼の中にあって等価、すなわち、イコールなんでありまする。

では。

【コメント】
☞ルノワール氏より (4/14 19:12)
萬年さんから頂いた野麦峠スキー場の無料券のおかげ様で今年はスキーを楽しむことが出来ました。
有難う御座いました
🌸が散る季節なりそろそろシーズン終了です
スキーシーズン終了後何をするか?がスキーヤーの大きなテーマですが
鹿島槍スキーヤーの
(つーさん)はじめ全国のスキーヤーはオフ📴をどのように過ごしているのでしょうか?
人それぞれだと思いますが
興味有ります
私は来月から
マラソンランナーに戻って
10月03日開催の
松本マラソンに向けて日々の練習に励みます
リフト券有難う御座いました

天国と地獄は……、『Tears In Heaven』

(以前記事の、部分的なリライトです)

……、同じような箸を使って食事をしている、というお話。

どんな箸かというと、これが1メートルもの長さがあるようなシロモノ。

地獄では、その長い箸で、ひたすら我先にと食物を口に運ぼうとするから、隣同士の腕や肘がぶつかってしまって、結局、誰もがきちんとした食事ができないでいる。

他方、天国では、食物を長い箸で、目の前に座る人の口へと運んであげるので、皆が苦労せずして、食事ができる。

この寓話、天国と地獄といった、二者択一の世界観を押しつけるのでなく、むしろ現世だって、生きようによっては天国にできるんだ、という希望を与えてくれる。

ということは、次の世に行っても、僕たちは今と同じようなことをやっているんではあるまいか、としばしば考える。

『Tears In Heaven』(天国の悲しみよ)

天国で逢ったら 僕を憶えていてくれる?
天国でも  同じようにだよ
強く 持ち堪えようとしている僕
なぜって、僕は今 天国には居ないのだから

天国で逢ったら   抱きしめてくれるかい?
僕が踏ん張れるように 助けてくれるかな
いつだって  道を探している僕
なぜって、僕は今 天国に住めないのだから

時に 君は落胆して  崩れ落ちてしまい
時に 君は絶望して  助けを乞うだろう

ドアの向こう  そんな場所を信じる僕
悲しみのない天国が  きっとある と

映画『Rush』(1992年公開)のサウンドトラック主題歌として、エリック クラプトン(1940~ )が作った曲。
これより前の半年間、クラプトンは、一切の音楽活動から遠ざかっていた。

1991年3月、4歳半だった息子が、自宅アパート(53階)の窓から誤って転落して亡くなり、その後、失意の日々を送っていたのだ。

もちろん、このエピソードを知らなくたって、この曲の価値は変わるはずもない。

では。

ここからブレずに (2021.4.10 磐田戦レビュウ)

一応、結果は記しておこう……か。

リーグ戦6分の1の節目は、1 – 4 の敗戦。

飯田ICで中央道を降りると、一路国道151号を南下するコースを採る、ってのが、ひねくれ者の萬年の面目です。

いやいや、この季節、南信濃を観るには、このコースなんです。

下條村から阿南町を、花桃が、赤、白、桃色でポッと、街道の庭先に咲いているのを楽しみながら通過すると、県境を越えて。
豊根村、新城市(ともに愛知県)を経由して、浜松へと、遠州路を走る。

磐田市まで行って、駅近くに車を置き、東海道線を使い、東へとひと駅を乗る。

昨年開業した、御厨(みくりや)駅で降りて、スタジアムまで歩いてみた(ゆっくり徒歩で、20分弱)。

この駅、スタジアム最寄り駅、として開業したのです。

ヤマハスタジアム?
アウェイ観客を、入場時に、日陰の、急な階段に誘導するような扱いは、そのまんまでありましたよ。
それと、アウェイ席へは、時計、スコアなど情報提供が皆無、っていう古臭い思想がいまだ健在。入場料は取るくせに、なんとも、ですな……。

〈前半の前半、これを、90分間まっとうせよ〉
風上ということも考えて、もしも磐田が、相手をひきつけておいてからロングボールといった、緩慢なサッカーを戦略的に採用したのならば、評価を差っ引く必要がありますが、ゲームの入りは、今季最高の出来でありました。

ピッチを左右にひろく、ダイナミック、俊敏にパスでつなぎ、推進力豊かに相手ゴールに迫る。
魅せましたね。

これは、ここまで来てゲームメンバー間に、ひとつの落ち着きと連携の深まりが進んでいる証拠。

願わくは、阪野の覚醒と、まだ本領を発揮していない(現状)隠れたタレントのお披露目でありましょうか。

〈攻撃するためにこそ 守れ〉
あのハンドのジャッジにも言いたいことはあるが、前半終了間際39分になって、ルキアンにこの日最低限の仕事をさせてしまったのは、痛恨。
第5節の水戸戦のデジャブかぁ……。

56分のオウンゴールによって 0 – 2 となっても、ファイティングポーズを崩さず、その4分後に 1点返したのは大いに評価したい。

鈴木のヘディングシュートによるゴールをアシストしたのは、なんとセンターバックの篠原 弘次郎だった!

ゴールライン際深くからのクロスは、まっこと見事。
なぜそれを強調するのか?

それは、このゲーム、本職のサイドバックが入れるクロスは真っ正直で、かつ、相手にとってほとんど脅威的でなかったから。

このゲームを落とした最大要因は、自他とものクロス精度とその威力の格差だった、と言ってよい。

もちろんクロスへの反応の側にも課題があるわけで、ここは喫緊な解決すべき課題。

なお、ディフェンス陣の責任感と攻撃参加が増しているのは注目。
中でも野々村の成長が著しく、ファーストディフェンスまで顔を出す、といったシーンもあったり。

……、というわけで、責めているわけじゃあ全然ないんだが、このゲームはある意味、
〈良くも 悪くも 外山凌〉というのが萬年式結論。

攻守にわたる果敢なプレイは唸らせた。
けれど、2度ほどあったペナルティエリア内でのシュートチャンス。
せっかくおいしいところに、ほとんどフリーでボールが来たんだから、あれを決めてこそ、外山ではないか。

違った言葉で総括すれば、スタッツのほとんが優位なのに、なぜ戦果が逆転するの?

サッカーに優勢勝ちはないしても、今まさに、登り切るべき頂上はそこ。

ファンサポーターが観たいのも、せっかくの魅力あるサッカーを、勝利で締めること、これでありましょう。

では。