霧のカシオペア。

EF64形(電気機関車)に牽引されて、寝台特急カシオペアが通過していく。
そんな幻想的な光景に出逢えた、霧の明け方。

その数日前に、お人を介して、旧知の姉妹からお便りをいただいた。

松本に生まれ育ち、すでに30数年前にはこの地を離れ、今は在京の方々だけれど、このたび、いよいよ松本に残してあった土地と建物を処分します、と書いてあった。

戦争で未亡人となった母親が、57年前に手に入れたもの、とのこと。

城山の登り口にあって、夜景の美しい場所にそれは在る。

萬年家族は、しばらくの間ここをお借りしていた恩義があるのだ。

処分の前に整理したのであろう、母上の形見として書物が一冊添えられてあった。

母の墓所は松本に残してあるので、墓参のため帰松することもあるでしょう、とあったけれど、きっと、人生のうちでお会いすることは、最早あるまいなぁ、と何故かひとり決めしている萬年ではある。

あのカシオペアの、人知れず静かに走り去る姿を想いながら……。

では。

プロをなめたら あきまへん (ガンバって 大阪)

居間に居た家人に、
―ガンバ大阪のアデミウソンね、山雅戦でやたら得点した、彼。
と、切り出したら、すかさず、

―えっ、山雅で獲ったの?

山雅ファンの一途さには、ほんとうに涙が出てくる。

でも、2015年アルウィンまでやって来ては、山雅 J2落ちろ! を連呼するようなファンを飼っているクラブからは、高木 彰人を借りれば、それで十分。

朝の8時半過ぎ、近畿道で走行車線を走っていたら、追い越し車線の車がぶつかって来ると、そのまま走り去っちゃいました、と(おそらく)被害者からの通報。

ナンバーを頼りに調べたら、どうもガンバ大阪の選手らしいね。

今日はクラブハウスに居るようだから、そちらに急行します。
この際、高速隊の担当者はもちろん、駐車してあった当事車輌の損傷を事前に確認しておく。

練習が終わるまで待ってくれた、とはなんとも温情的だなぁと思うが、ふつうは、呼気検査まではしません。

事故に至る経緯を聴き取っている過程で、
深夜の飲酒についての告知があったのか、あるいは、事案発生や当人の様子にピンと来た担当官の判断があったかのどちらかで、おそらくは前者。

とにかく事故処理の場数を踏んでるプロフェッショナルをなめてはいけないのです。

相手方からも調書は取りつけてあって、その最後で、どうですか、厳罰を希望します?、と訊ねている。

一歩間違えたら命を落とすところでした、これって。
えっ、酒があったの?!
当然厳しく罰してください。
となれば、送致後の処分にも影響してくる塩梅。

僕たちが勤務する、いわゆるフツーの会社では、こういう非行をおこなった者を(将来性や地位はともかく) 組織に置いておくだろうか? 否か?

この質問への答えの集積が、そのまま社会通念になる、と思われるが、

(理念上)存在価値無しと、チェアマンは、お怒りをメディアにぶちまけたらしく、既に大阪城の外堀は埋まったか。

さて、ガンバさん。

泣いて馬謖を斬れるかどうか?

では。

狩った、克った、勝った (2020.10.25 北九州戦レビュウ)

ミクスタのバックスタンドの向こう、湾を隔てたちょうどあのあたりに、ジョー氏の生家があるんだ。

コイントスに勝ったセルジ―ニョは、逆光を嫌ってエンドを変えたね、と思いながら、DAZNの、あまり調子よくない画面を眺めておりました。

さて、ゲーム。
前半の終り際に、塚川が叩き込んだゴールを守りきって、1 – 0 の勝利。

〈ひたすら狩りまくることが奏功〉
予想どおり、前節の先発メンバーをひとり入れ替え、(塚川先発で)より攻撃的な特性を強めて、ゲームに臨んだ山雅。

前節大宮に勝ち切れなかった宿題を、次節まで一週間が空く日程(余裕)を考えて、どうしても同じメンバーで書き上げてしまうんだ。
―やっぱりこうでなくちゃあ、いけませんよ。
今節の柴田山雅であれば。

小林ギラバンツの特長は、ボール離れを速くして、小気味よくゴールに迫る潔癖さであって、そこには相対的に弱い各個の力を、連携でカヴァーしようという計算が潜む。

対し、山雅は、2列目(中盤)に、狩人(佐藤、前、塚川)を配す。
しかも、このうちのひとりが前線に飛び出していって、北九州の基底(最終ライン)にボールがある時点で、圧力をかけ続ける策に打って出た。
相手のセンターバック2人に対し、3トップ気味にして数的優位をつくり出しながら。

前半、北九州のディフェンスラインは喰いついてくる山雅最前線の強烈な追いかけまわしにいっぱいいっぱいとなって、有機的なパスを供給できない。

この策が上手く機能し、ギラバンツの守から攻への切り替えを高い位置でことごとく遅らせ、なおかつ、中盤でのボール奪取に成功する。

塚川の得点も、たしか、前が相手からボールを奪ったところが起点だった。

〈後半のガス欠も想定内〉
とにかく、はじめから攻撃的に飛ばす、が至上命題だったはず。

ゆえに、足が止まり始めた70分過ぎになって、5 – 4 – 1 の陣形を組んでガチガチに守る局面へと舵を切ったのも、やむなしだろう。

正直に自身の現在地を認めて、いちばんほしい〈勝ち〉を獲りに行くことが大事だったのだから。

それぞれのポジションにあって、連携において各プレイヤーが自分のチャレンジに打ち克った、そこが収穫。
それによって、個の技量が、すなおに表現されるようになりますしね。

繰り返しますが、こういう作戦が巧くいくのには、やはり最終ラインの強化と安定があればこその話。
(自陣空中戦勝率100%を、特筆します)
そこを忘れちゃあいけません。


〈ベンチマークの深化〉

前と佐藤を補強、活用することで見出し得た、このスタイル。
次節からは、ここに何を上手く加えていって、畳みかける得点力をまとうのか?、これがテーマでありましょう。

では。

ひたすら先手で攻めよ! (北九州戦プレビュウ)

〈あれもこれもの時間は もう無い〉
リーグ戦も、前節で3分の2を消化した。

本日は、ギラヴァンツ北九州とアウェイの地で対戦だ。

お恥ずかしいが、萬年いよいよズボラになり果て、公式ハイライト映像、それも京都サンガFCによるものを観て、適当に書く、という有り様。

というのも、リーグ戦の局面は、善戦(good fight)などはもはや必要とせず、ひたすら勝つべし、というところへ突入しているからだ。
山雅にとっては。

残り3分の1、今季の通知簿の内容をでき得る限りマトモにしなければならず、
しかも来季へと糧を残さなければならず、そのためには勝利こそほしけれ、となるわけ。

まだ次の監督も決まっちゃいないけれど、2020シーズン、すこしでも上等に帯を巻くこと。

チマチマと勝ち点1を積んではいるが、そんなでは、テイク オフする前に滑走路が尽きてしまうぞ。

で、勝つためには、(相手よりも1点でも多く) ゴールを挙げなくてはならぬ。

捨て鉢になっているわけではないが、いくら無失点で堪えてみたところで、胸はもう張れない。

〈ひたすら攻撃的であれ〉
先制点を与えることはとっくにお馴染みの光景なんだから、たとえ先制されてもひっくり返す意思と戦略、これに専念しようではないか。

ゆえに、北九州の、一途にやり切る攻撃への対処に汲々としないで、みづからの攻撃を、より意図的に鋭利なものにすることに傾注だ。

前節の大宮は、凋落の匂いさえあった。
ゆえにあれだけボールを持てて、パスも積めたけれど、今節は、そんなに巧くはいくはずもない。

かっきり構築された守備網の周りを、足元へのパスをいくら繋いでみてもおそらくは詮無くて、パスを入れるにしても、スピードダウンしない攻撃、これに特化しよう。
相手の陣形が整うまえにフィニッシュしてしまうということ。

パスサッカーに挑んでいる看板を下げろとは、もちろん言いませんけれど、ワンタッチによる意表性、そこだけは外さないでお願いしますよ。

連戦も今節で一区切り。
ならば、できうる限り前節のメンツでやれば勝てる、それを証明するぐらいの気概を望みますね。
注文をつけるとしたら、前 貴之は冒頭からサイドバックに配し、シャドウに鈴木 雄斗を置くほうがいいのでは?

相手のファーストGK(永井 堅吾)が契約上不在であることを最大限に衝くのが眼目でしょう。

では。

むしろ有害、街の声。

〈ヤラセ〉という捏造(デッチあげ)の問題が起こるたんび、槍玉にあがったメディアの言いわけは、誤解を与えるような〈過剰な演出〉がありました、が決まり文句だ。

これって、演出がかならず在ることを認めているんだが、では、どのくらいやれば過剰となるのか? が示されたためしがない。

観る側にしたところで、事前にいろいろと打ち合わせがあって、不都合な映像や言動はカットされてんだろうぐらいに思っているから、あたかも実際そのままのように見せた〈嘘〉を、発信側と受信側の双方が楽しんでいる、と済ませてしまうのが賢明に思われる。

だいたいが、カメラを従えた若いのが、「NHKですが……」と突然玄関先に現われたら、やぁ、これは、これは、いつもお世話になります、とウエルカムするはずがない。

これだけダマシのテクニックが、周囲に転がっている当世だというのに。

あとひとつ。
主にニュース番組などで、街頭でマイクを突きつけられて意見を求められるシーン。
街の声を聞きました、とか前置きが入るやつだ。

あれこそ、メディアによる、巧妙な、出来事/事件/事故についての心象操作に違いない。

素人が、素人なりに感じていることが暗示され、そこには切り捨てられたさまざまな意見があったことなど、考える間もなく過ぎ去るしくみになっている。

そもそも制作側が望む意見が採用されるに決まっているんだろうし、街の声こそ要らないわ、といつも思う。

そうか、そういう考えもあるのか!、とハッとする意見になど、お目にかかったことないでしょう?

人の命が傷つけられた凶悪な犯罪が起こると、近隣の住人と但し書きされた、胸から下だけが映り、時々見かけたけれど、ふつうに挨拶する人でしたよ、とか喋っている。

そりゃ、そうでしょうよ、たいして関心もない他人だったんだろうし、犯罪者だって挨拶はするだろうし。

何時こういうことが起こってもおかしくない、とあたしゃ思ってましたよ、というインタビュウに是非お目にかかりたいものだ。

でもね最近、ついにやったか、やっぱりねぇ、といった人殺しの未遂事件がありまして、また別の機会にご紹介します。

では。