0 – 1で負ける力 (2021.7.11山形戦レビュウ その❶)


向こうの西空に明るさが増して、低い暗雲が北へと動きだす。

すると、雨はあがり、静かな夕暮れがスタジアムに舞い降りてきた。

そんな中、ゲーム開始のホイッスルが響くとは、これは吉兆かな?、と思って観ていましたが、所詮、負けは負け。

けれど、そこに進化が感ぜられた敗戦だった、というのは決して強がりもないのです。
おそらくは、この感じ、スタジアムを後にする山雅ファン&サポーターの胸中に宿っていたのではないか?

〈プレビュウのハズレをご勘弁〉
カウンターの応酬となればシメシメのチャンスだろう、としたプレビュウとは、かなり違った様相の展開。

最初から飛ばしてボールを巧く動かしてくる山形に対し、前への突っ込みが裏目に出てはボールロスト。

あるいは、前傾をいなされてボールを深く運ばれる、といった歯がゆい前半。
特に、右サイドの下川と宮部は、加藤らに何度もサイドを割られて苦しんだ。

それでも、中に人数をかけて締めることで自由にさせない。

それと、山形のペナルティエリア侵入の特長は、単騎突入と見せておいてショートなパスをかませて仕留めるやり方なんだが、これら第2、第3の侵入者にも人が寄せてスペースを与えない。

藤田 息吹の左サイドでのボール捌きにも、なんとか喰らいついた。

……、そんなで焦れずに我慢し、終了近くになると次第に形勢をこちらにたぐりながら失点なく乗り切った前半、といえました。

ヴェルディ戦でも指摘しましたが、守備にまわった時、縦の列とともに、横の列のスライドをキチンと揃えてブロックを創り、相手の攻撃をこちらの思うところに導いていくような戦略を感じますが、いかがなものなんでしょう?

最後のところで身体を張る、ってのは当然大事なこと。

ですが、その前、相手の攻撃からテンポを奪う視点、そこに工夫をこらさなくては、痛恨の複数失点からは抜け出せだせないだろう。
で、ここ2試合は、そこに手が入っていることが実感される。

その結果としての、最少失点ではなかったか。

これ、まさに〈名波効果〉のひとつ、でありましょう。


さらに、特に守備的なタレントについて。

監督の途中交代という、苦しい2シーズンを闘う山雅ですが、新卒、あるいは20代前半のプレイヤーが、実戦を通じて多く抬頭し、ポジションを確保している姿、ってのは、新しい山雅の、象徴的な出来事として忘れてはなりません。

クラブとして、そういう面までようやくと手がまわる成長局面に入った、とも言えますが、現監督で、その傾向がさらに強まることを願っています。

では。

 

最上の音楽と……。

たまたまビル エヴァンスの、ダニーボーイが、車内に流れている時のこと。

― いいじゃない。こういう曲なんだよなぁ。とおっしゃる。

― いやいや、これに限らず常に極上のモノをご提供しているではありませんか。

― そうかしら? ねぇ。

……、ときたもんだ。

昨日まで再生していたのは、エヴァ キャシディ。
それにご不満があろうとは。

人の好みは、単に数十年を近くに暮らしているだけでは、合一、せめて、ごく近しいものへ、とは決してならないのが、現実ではありますな。

今度、こういうのを聴かしてみようか?、と思案する夏。

では。

願う カウンター VS カウンター (山形戦プレビュウ 後編)


ゲーム様相としては、 カウンターの応酬を渇望する萬年。

チームの勢いからすれば、山形にかなり分があるのは明白。

押し込まれた時間帯に、堪え切れずに失点を重ねてきた山雅。
変化の兆しはあるものの、そういう展開にしないためには、カウンター攻撃に活路を、という願いなんであります。

❶モンテディオ式
ボール保持に長け、パスで組み立てたいのが山形、とみる。
が、インサイドハーフのところ(南 秀仁、藤田 息吹)での高いボール奪取力に注目すれば、そこを起点にして長短のカウンター攻撃を仕掛けられるのが強み。
となれば、ボランチから左右サイドへ展開して、アウトサイドハーフがシュートまで持ち込んでくるだろう。
山形のチーム内高得点者に、加藤 大樹(左アウトサイドハーフ)や山田 康太(右アウトサイドハーフ)、加えて藤田 息吹(ボランチ)が並ぶのは、そうしたスタイルを物語る。

少なくとも、群を抜いて屈強なセンターフォワードめがけてボールを入れる単発攻撃でなくて、左右から素早く入れて仕留める、といった剛毅さ、そんな感じ。

❷山雅流
前節ヴェルディ―戦で奏功したのは、基底から組み立てようとする相手に対し、機をみてかなり高い位置からファーストディフェンスを敢行、そこでボール奪取して攻め込むやり方だった。

全体の陣形をコンパクトに保つのが絶対条件にはなるが、ショートカウンターの発動に活路を見い出す、というのが復習としての今節。

……がぶつかり合う、と考えたい。

〈勝ちを呼び込むためには……〉
❶ひたすら高い位置でボールを奪うことを狙う。

ボランチを含めた5人がパスコースを消しながら追い込むだね。
要は、ゲーム冒頭からこれを徹底して飛ばす。
ボールを動かすことによって、山形がリズムをつかむその前にこちらの時間進行に引きずり込むために。

更に、こういう圧力をかけておくことで、ボール保持が相手に傾いた場合でも、相手ディフェンスにタメライやミスを生じさせる伏線になろう。

❷山形4 – 4 – 2 のシステム、実際には、センターバックふたりが底辺となり、攻撃に推進力を加えるため、サイドバックは高くワイドな位置を取るものと予想。

ならば、センターバック両脇にできるスペースを、当方は3人くらいの連携で深く侵す、これでしょうね。
ヴェルディ戦のように、河合 秀人が、2列目の左右をワイドに動き回ることに専念、そこへ、ボランチ(佐藤、前)が絡むと、サイドをトライアングル殺法でモノにできそう。

❸3バックでありながら、片方のサイドバックが落ちて4バックを形成するやり方、これヴェルディ―のサイド攻撃への手当てであったと思いますが、それと近親性を有するモンテディオサッカーにも、かならず有効だと思いますよ。

併せて、宮部 大起のオーバーラップは、サイド侵入を厚くするでしょうし。

気になるのは、山形が、山雅に前方へ喰いつかせておいて、ひとつふたつ飛ばしのロングボールを使って裏へ走り込んでくるか?、ということ。

それへの対処としても、4バックもどきにしておいて、相手をタッチライン沿いへ追い出してから、裏を狙ったボールによって背走させたいですね。

追い込むにせよ、侵入するにせよ、先手先手でサイドを制すること、これが焦点でしょうか。

で、コーナーキックが獲れたら、デザイン度が高まっている山雅式で、ゴールを決めるだけ。

今回は、悠長さを捨てて挑むチームに応えよう、と思います。

では。

予習はできたか? (山形戦プレビュウ 前編)

前節ヴェルディ戦は、辛くも勝利できた(2 – 1)が、終わってみれば、ボール支配は……、

37 : 63 と、圧倒的にヴェルディに握られた。

もともと 40 : 60 がいいところ、と思っていたので、大して意外でもフラストレーションでも無かった、というのが ホンネか。

〈モンテディオ戦への遺産〉
光明のひとつめ。
それは、開始から15分を、51 : 49 のボール支配で闘えたこと。
これによってヴェルディの出鼻をくじいた、と言える。

次に、ふたつめは、
阪野による追加点を、ボール保持が 最低水準の30%を記録した、後半の中盤(61~75分)に奪えたこと。

この2点の中に、
ヴェルディほどには華麗でないげ、けれど、もっと剛直で骨太な攻撃スタイルで襲うモンテディオ山形サッカーを攻略するポイントが在る、と思う。

〈わかり過ぎるモンテディオ〉
では、山形がどれほど攻撃的なのか?

成績不振により解任(4/21付)された前監督の石丸 清隆氏はもともとが攻撃的なサッカーを目指していたはずで、その後任(4/30付)の、ピーター クラモフスキー氏は、さらに攻撃的にチームを再構築している、と診てよい。

クラモフ氏は、2018~2019年シーズン、横浜Fマリノスでヘッドコーチを務めた。

山雅がトップリーグにあった2019年11月23日。
アルウィンのピッチ練習に立ち合っていたお姿を拝見した。

その時のFマリノス、シュートに至るまでの練習が、ほとんど実戦形式。

いろんなチームのゲーム前練習を観ているけれど、ここまで本気度と緊張が徹底しているのは稀で、あのシーズン、Fマリノスがペナントレースを制した原動力というか、その根拠を思い知らされた。

そのクラモフ氏、さらに、同時就任のヘッドコーチが元愛媛監督の川井 健太氏となれば、攻撃的以外の道はなし、で突っ走って当たり前ではないか。

で、就任以来、リーグ戦11試合を戦い、8勝2分1敗となれば、いまやノリにノッっているチームのひとつ。

さぁ、山雅、どうする、ってのが、プレビュウ後編に続くお話。

では。

差別の対極は、たとえば。

人種差別の記事に、すこし補足します。

差別は、自分とは異質な、個体や集団に出会った時に感じる驚き、戸惑い、不安といった生理的な反応を、思想的な言い訳で偽装して正当化しながら、ずっと繰り返されて来た。

今世紀になって、自分ではどうしようもないことがら、例えば、出自、性別、容姿、家族関係などを、本人を評価する際に問うのはおかしい、ということになってきていて、まぁ、すこしは喜ばしいけれど、

差別してはいけません、と唱えたり、やたらとハラスメントの種類を増やしてみたところで、差別が無くなるわけがない。

じゃあ、どうする?、差別するところから遠のくには。


1937年のキャパ

例えば、ロバート キャパ(写真家、1913~1954年)が、レンズを通して人間に向けた眼差し、といったものに希望を託せるのかな、と今は思っています。

キャパは、1954年4月、毎日新聞社の招待によって来日。

3週間をかけて、奈良、大阪、焼津、熱海、東京の街を訪ねた。

そこで撮影された作品には子どもを対象にしたものがめだつが、これらをみてびっくりするのは、まるで、日本人が日本人の日常をなんの変哲もなくして撮った、という印象を受けること。

日本人に限らず、キャパの手にかかると、被写体が、どんな民族、階級、老若男女であろうと、個性と行動そのものに迫って捉えられているために、これぽっちも異邦人扱いが、されていない。

画面の中、皆が同郷人として振る舞っているんだが、それを惹き出す力こそが、この写真家の才だったんでしょう。

ひとりひとりに肉薄してつきあう以外、いくらキレイごとをならべてみても、友人にはなれない。
そんな視線か、キャパから学ぶのは。

あとひとつ。

人は、写真家に撮影されるために生きてはいない、ということを思い知っていたのがキャパだったように思う。

だから、かろうじて捉えられた人生の瞬間であれば、焦点が合っていようといまいと、構図が破綻していようと、おかまいなしの彼だったんだ、きっと。

(来日の翌月、5月25日。キャパは、北ベトナム(当時の呼称)の地、抵触した地雷の爆発に巻き込まれ、戦場に散った)

では。