港を優先する 不謹慎 (沼津戦プレビュウに代えて?)

火曜日(9/27)に、山雅課長が寄って来て、

― とにかく、がっかり。点が獲れないね。

YS横浜戦をぼやくこと、ぼやくこと。

それりゃあ、そうでしょうよ。

手に負えないような相手でもなく、むしろ、技量はこちらにかなり分が良いのに、あのような結果( 0 – 1 ) だったんですから。

相手の順位云々を持ち出すまでも無い話でして、

ざっとスタッツをあげつらってみれば……、

シュートは、相手の2倍強の 16本

クロスは、25本を入れながら

相手陣内、ペナルティエリア近辺まで 60回近くは攻め込むと

特に、ラスト15分はボールを6割がた握りつつ、10本近くのシュートを固め打ち

……で、ゴールをば、1度も割れなかった。

ひと言でいえば、八戸戦 (0 – 1) のデジャブ。

YS横浜のやったことといえば、ぜいぜい時間稼ぎの嫌がらせくらいなもんだった。

萬年的には、なんらかの新規チャレンジの不発、と好意的に捉えてはいるんだけれど、単なる攻撃力の貧弱さじゃん、と見なされても、なんら抗弁もできません。

さて。

第27節の対戦相手、アスルクラロにしてみても、彼我の立ち位置はそれほど違っているわけでもありはしない。

知ったプレイヤーもほとんどなくて、サッカースタイルの印象も薄い。

お恥ずかしい話、プレビュウを開示できるほどに僕に情報も意欲もない、ってのが正直なところなんです。

台風被災のゴタゴタのところにお邪魔する居心地の悪さはともかく、

千本港での昼食のほうへと、つい心惹かれてしまう不謹慎を抑えがたし。

『松福』(沼津港入り口真ん前) のラーメンと炒飯を楽しみたいが、13:00キックオフでは、とてもやりくりできないじゃん、とか。

我が山雅には、工夫なきクロスをなんとかしてよ、とも言いたいが、

中盤の構成と、横山 歩夢の先発可否は注視するとして、ひたすら自己スタイルをまっとうせよ、というのがプレビュウの結論とは、なんとも、申し訳のないことです。

では。

漱石先生の 秋。

夏目 漱石 (1867~ 1916年) は、俳人としても一流だった。

小説家として名を挙げるもっと前から、秀句を多く詠んでいて、俳壇的にも、それなりの地位を得ていたらしい。

明治32(1899)年。

漱石 32歳。

第五高等学校(後の熊本大学)の英語教師として、熊本に赴任して 3年が過ぎる(最後の年)。

妻帯して、やはり3年目だったが、家庭生活には不穏な暗い影が落ちつつあった。

 

阿蘇山あたりに遊んだ時の句と思われるものを、いくつか拾う。

灰に濡れて  立つや薄と  萩の中

行けど萩 行けど薄の 原広し

野菊一輪 手帳の中に 挟みけり

 

変わり映えもしないまま、さつまいもは何時収穫したらいいんだろう? と思案しては、こんな曲を聴いているのが、萬年の秋。

では。

要は 義理を感じるか。

   女房と    相談をして    義理を欠き

『柳多留』に収められた川柳。

ここでいう義理とは、おそらくは葬儀の参列とか、香典にかかわることだろう。

江戸時代のつきあいも、今とそんなに変わらない感がありますよね。

妻のほうがずっと、渡世に関するリアリストであることを暗示するところに、句の妙味があるわけです。

誰の葬式であっても、そして喪主が誰であろうと、いそいそと出かけて行ったり、ココロを向けたりするのは、結局は、亡くなった御方等に義理や恩義を感じているかどうか、の一点に尽きる。

(もちろん、参列することで社会的な体裁を保とうとすることもはなはだ多い)

国葬に関して、やれその法的根拠がどうのこうのと言うが、政権を執る者(世間のトップ)がやるというのなら、やってもかまわない。

そもそも法的根拠を持ち出す側は、反対派なんだし。

今度のことでいろいろと揉めてる本質は、

自分でその地位になりたくてなって、そして、最期がたまたま畳の上でなかったというだけで、これを国を挙げた形式で弔うことについて、それが本然とは感じられない、腑に落ちない、それだけのことではないか。

だから、その器や功績をあげつらってみても、その周囲で起こったダーティーな側面で反論されるだけのことで、議論がかみあうはずもない。

呆れるのは、海外のほうがその政治的功績を評価しているとまで言い出すマヌケがいること。
これ、外国人を持ち出して来て、要は、クールジャパンを宣伝したい手法とそう変わらない思考回路。

弔うのはかまわないけれど、義理の強要は勘弁してよ、というのがおおかたの正直な感想。

僕の場合など、日本武道館、と聞いてだけで、あ、これは自分には無関係だわ、と独り決め。

結論。

国葬に値するかの基準など、いまの日本では、おそらくは策定不能だと思う。

国旗を揚げて祝ったり、弔ったりすることの規範を、80年近くかけて否定し続けて来たのは、他でもない僕たち日本人なんだから。

やりたければやればいい、こっちはこっちで、勝手に自分の腑に落とすから、というのが今の日本大衆のニヒリズム。

もしも、戦争に行けという動員令がかかったら、このニヒリズムはその時、どう反応するんでしょう?

真価が問われるとしたら、そうした場合でしょう。

では。

ひとりの読者のため【簡略版】YS横浜戦レビュウ

「家族に路上で逢ったらちょっと照れる」と言ったのは、永島 慎二 (漫画家 1937 ~ 2005年) だった(と思う)。

家人が、 照れつつこのブログを読んでいるはずはなく、むしろ、僕にとっては稀有なる批判者であって、日頃、冗長な記事は読めない、とおっしゃる。

だから、1,400字超の、しかも負け戦に関する投稿(昨日)など、200%お読みにはなるまい。

……、とは思ったが、なにかの間違いもあることだし、

また、きのうの敗戦は、けっこう興味ある事象を含んでいるので、その目に留まる時のために、【簡易版】を作成し掲載します。

ここから本文。

このたびの敗戦。

ys横浜のサッカーが、山雅にとってまったく新奇であって、それゆえに手に負えなかった、とは決して言えない。

敗戦の要因はむしろ、山雅が採った戦略に内在したもの、と診たい。

これまで深めてきた陣形、配置、運用はけっこう機能しており、それが、現在の好成績を生んでいるけれど、今節、新たな試行として目立ったのは、ふたつ。

❶中山 陸が、2列目インサイドハーフで先発したこと。
山雅流サッカーからすると、攻守にかかわるスリーボランチの一角を担った、というべきか。
結果は、陣形内連動においてボランチがなかなか機能せず、相手にボールを持たせておいて➩激しく寄せて奪取➩即カウンター攻撃、という方程式が成立しないままにゲームは終了した。

❷センターバックがサイドのタッチライン際を駆け上がり、同じ側のサイドバックが、ピッチの中央へと絞り込んでいく動き。
そういうシーンがかなりの回数観られたけれど、攻撃への有効性をあまり表現できなかった。要は、その意図が読めなかったくらいに。

❶❷ともに、中山 陸のパフォーマンスが低調であったとか、出場停止明けの 常田 克人のゲーム勘がイマイチだった、といったプレイヤー個の責を糺して済むことでもないだろう。

新たなチャレンジは、これを支持もしようけれど、チームの攻守組立て、連動性、各所の配置と、個それぞれのミッションの再構築という形で、チキンとした答えを出して(モノにできればなお上等)、次節に向かってもらいたい。

以上。

まだ長い?、では。

不可解な 中途半端 (2022.9.25 YS横浜戦レビュウ)

0 – 1 の敗戦。

それも、大してなす術もなくダラダラと時間は過ぎ、スイッチが入ったのが、ようやく 80分を回っての頃。

となれば、勝利の女神に、微笑みなど期待できない相談でした。

さつま美人は他人の話、八方美人は必要ない、とか都々逸で誤魔化してはみるけれど、

高揚も     一夜(ひとや)でしぼむ   鰯雲      (by   萬年)

後ろがグッと迫っては来たけれど、不動の? 3位を保ったまま、ラスト8ゲーム。

ゲーム後のプレイヤー周回挨拶で、北ゴール裏からは、

― テッペン獲るぞ!!、との叱咤激励が飛んだりしてましたが、

まぁ、顔を洗って出直せるチャンスが、まだ8回も!! あることに、まづは感謝するとしましょう。(ただし、ホームで出来るのは、あと三つなり)

……とこれは、あくまで心情的の話ですから、このくらいで、いいや。

実は、ゲーム戦略の具体論こそが、今節においては、重要でして。

つまり、準備の方向性が違っていた、あるいは、ミッションの与え方が間違っていた、と言う意味での采配ミスであったのか ?

または、戦術をプレイに表出できなかったプレイヤー達の、理解と実践不足だったのか?

どっちなのかは解からないが、

チーム山雅は、ゲームを創れなかったほどに不調。

そこに、どうしても不可解な感触がぬぐえない。

❶良くも悪くも、中山 陸。
数日前のブログ予測が、なんと本当になってしまうとは。

つまりは、ボランチにコンバート、という新手。

ゲームは、中山 陸を、逆トライアングルの一角に据えた、3 – 3 – 2 – 2 でスタート。

つまり、この初期システムは従来、スリートップ(菊井、小松、ルカオ)気味の前線の下に、ツーボランチ(パウリ―ニョ、中山)を配しておいて、つまり、3 – 4 – 3 に可変しながら、前線、中盤、基底の3列が、コンパクトな格好で連動するはず。

前線からの守備に、中盤と最後列が追従することでスペースを埋め、そうしておいて、相手のパスコースを消しつつボールホルダーに寄せてボールを奪取する。

そのための、大前提の陣形なんです。

〈相手に持たせる〉サッカーは、これが巧く出来てこそ、成り立つ。

ところが、今節は、この縦の連動性が破綻。

特に、最前線と中盤(ボランチ)の間にスペースがポッカリと空いてしまった。

そこを、ys横浜のボランチ(インサイドハーフ)にいいように使われてしまうと、ボールを左右に捌かれ、サイド攻撃をゆるしました。

ここらの連動については、ボランチふたりの役割が、うやむやでたがいに孤立、引き過ぎたりして距離感が不明瞭で、悪し。

中山には、パス出しなどに逡巡の姿勢が明らかだった。

そういうリスク(と期待値)を含め、彼をボランチに使うのであれば、今節は、その授業料と引き換えにしたくらいの覚悟でいい、とは思います。

(後半、そこへのテコ入れで、中山に替えて、浜崎 琢磨を投入したにせよ)

という具合で、相手ボールの獲り処に照準が合わせられないままの前半。

この出来の悪さが、結局は、ゲームを決した、と言うべきでしょう。

後追いと、いなされるばかりで、切迫できない球際に馴れてしまった挙句、後半も、ys横浜のパスサッカーには、さしたるクサビを打ち込めないままに経過しましたから。

結論。

ここまで上手くやりくりして来た、3 – 3 – 2 – 2 陣形への、個の技量に適合した配置と運用、そこを、次節以降どう立て直すのか?

その解答を、チームとして書いて準備しなくてはなりません。

もちろん、これは中山 陸がどうこう、といった、個のプレイヤーレヴェルの解決ではありますまい。

❷サイドの入れ替わりの意味は?
上記の視点は、陣形の縦系列のことでしたが、今節の不可解感をより鮮明にしたのは、実は、横レーンの部分。

具体的には、左右のセンターバックが、同じ側のサイドバックの外方向へ広く開き、サイドバックが中に入り込む、という動き。

右では、下川 陽太を追い越して、野々村鷹人が前に走り込む、あるいは、彼がサイドライン際へ出て来て、下川がそれより中に入ってくる。

左では、外山 凌と常田 克人の関係で、同様な動き。

これ、ゲームを通じて何度も、両サイドで繰り返されました。

この連動に対し、意味不明、釈然としない感をもよおしてしまったのは、どうも、その程度が、ひどく中途半端であったから、としか思われない。

要は、そうする目的が、納得できないままだった。

野々村や常田がサイドバックの外側を追い越すのならば、全回数をムダ走りにするのではなく、機をみて、そこへボールを預けクロスを入れるべき。

あるいは、それを囮に使うのならば、サイドバックが内側に絞り込んだ時の、前線(フォワード) との連動はどうなっているのか?

確かに、外山が横にドリブルして放ったシュートシーンはありましたが、単発。

たまたま同じことをやって、ys横浜は先制したけれど、この時の、守備の受け渡し、サイドバックとセンターバックの間で、あれで良かったのか?、とか。

本職というべきサイドバックからのクロスが、あれほど単調で、一本調子でゴールキーパーにキャッチされてしまうのを観ると、センターバックの攻撃参加は今後も必要とは思います。

けれど、攻守共に、ペナルティエリア付近での、横方向の組み立ての具体的な〈画〉がハッキリしているのか?

今日は、それが可視化された、とはとても言い難い出来でした。

これはあくまでも推察に過ぎませんが、今節、この方面で、なにか新規なチャレンジが仕込まれていたに違いない、と僕は診ます。

それが、相手の出来や出方もあって、上手く表現されなかった、そういうふうに。
(山雅に深追いさせて、陣形を崩してから縦に一本、に何回やられたか ☜追記)

であるならば、ここにも最終的な解答が、与えられなければならない。

直近、迷いが無くなった、とホメた手前、上記❶❷はともに、もし新たなチャレンジに着手しているなら、早急にモノにするのか、それとも、修正をほどこすのか?

時間もだいぶ少なくなっている中、チームが、自己との闘いをやり遂げることを切に願うばかり。

残り8ゲーム、かっきりと刻み出されたサッカーで戦うためには。

では。