ふさわしい勝者 (2022W杯ファイナル)

たまたま今日が非番だったので、真夜中に起きて、決勝戦を観ました、初めてのフルタイムで。

アルゼンチンが常に先手を獲る格好で、延長戦までやって、3 – 3 。

このため、5人制ペナルティキック戦となる。

フランスが、ふたり失敗。

アルゼンチンは4人目までが成功して、そこでジ エンド。優勝(通算3度目) を決めた。

……感じたことを、いくつか箇条書きします。

❶公共放送による放映。
実況、解説ともに、終始絶叫型には程遠いトーン。
落ち着いた語り口で貫かれていたので、気障りでなくて、おおいに救われた。

❷保有するプレイヤーを活かすやり口、あるいは、追求するサッカースタイルにそれらタレントを当てはめる戦略など、指揮官(首脳陣) の仕事ぶりが、こちらに強く伝わってきた。

完熟度には差があった(アルゼンチン>仏) 。

が、やりたいサッカーが双方はっきりしていて、ブレずにそれが表現されるのを観るのは、なんとも心地よかった。

❸上の❷に関連して。

球際の競り合いでのボールロストはあったけれど、アルゼンチンのほうには、120分間とおしてのミスは 1 、2 度のみ。

安易にタッチライン、ゴールラインへと逃げるプレイは皆無。
刻々のプレイに責任感が、当たり前のように驕りもなく込められていて感服。

ジャッジへのアピールは、リードしているアルゼンチンのほうに、はるかに必死さと執拗さがあった。

これこそ、勝ちを自分たちに引き寄せる地味なプレイだったかも知れません。

月並みになってしまうけれど、国旗を背負う、背負わせる、ってことが、これくらい高まらないと、ここまで到達できないのか……。

ホンネを言えば、メッシに勝たせたかった。

そして、勝利の女神(ニケ)は、それを胸(ナイキマーク) にして戦ったフランスには微笑まなかった。

けれど、ふたつの国いづれもが、頂点に立つにふさわしい者たちであったことは確かでありましょう。

では。

妄想その❷ (新しき葡萄酒は 新しき革袋に入れよ)

そもそも、サッカースタイルについての、議論のはじめ。

ボールを動かすことに(客観/主観で) 長けていれば、より長い時間ボールを握るサッカーを、チームとして目指すに違いない。

こっちがボールを持っている限り、相手は攻撃に出られないわけだから。

さらには、敢えてボールをイーヴンにするような空中などでの競合戦も避けるだろう。

そうする技量に乏しいから、初動態勢としてボール保持は捨ておき、守備からボールを奪取することを狙い、一閃反転攻撃を仕掛ける。

それが、ひと昔前、しんがりからJリーグにやって来た山雅が、採らざるを得ない戦法だった。

そのために、ボールホルダーに振り回されてもへこたれない走力と、奪うための、球際に厳しいスタイルが導入された。

アルウィンでは、そういう情景をおおく観ながら、10年が経過。

さて、今。

山雅(力量)の現在地を測ったときに、果たして、こういうサッカーが選択されるべきかどうか?

そこら辺の議論から組み立てないと、スタイル論は、おかしな方向へ行く。

実際フタを開けてみなければわからいない。

けれど、はじめから、過去のサッカースタイルの全受容ありき、でいいのか?

たしかに、絶対昇格、といった尻に火が付く緊急的な欲求はあるにせよ、

もっと自由、闊達に、現有および新しいタレントを活かすような、新スタイルを掲げないと、せっかくの監督交代に価値もあったもんじゃない。

さて、この記事のタイトルは、聖書、ルカ傳第5章38節からの引用。

この直前で、キリストは、

― 誰も新しい葡萄酒を古い革袋に入れたりはしない、もしそうしたなら、葡萄酒は革袋を裂いて漏れ出し、革袋もダメになるだろう、と言っている。

山雅の〈のれん〉= サッカースタイル、という乱暴なロジックで、すべてが語られてしまうと話にならないのでは?

堅守、速攻を、我がチームの専売特許と思うのは、時代錯誤ですよ。

では。

サッカー批評の いいかげん。

まづは、お帰り、北の雪国から。

村越 凱旋,、また一緒に闘おう。

JFLで半年やって、3得点。

柴田さんのラインメール青森は、最終順位 4着でシーズンを終えたと記憶している。
どこかのチームと同じような戦績で、惜しくもJリーグ昇格を逃がしたわけか。

ところで。

先日、職場にやってくるドライバー氏が、

― 霜田さんは、どう?
ラジオで、〇〇さんが、ハマったら面白い、と言ってたけどね。

― あぁ、そうですか、と御愛想でお返しした。

けれど、それって。

野球実況で、ランナー2塁、1塁でバッターが立った時、凡庸な解説者氏が、

― ここで長打が出れば、2得点ですからねぇ。

と、当たり前のことを、さも意味深いかのように言うのと、まるで同じじゃん、

ご高名を存じ申し上げる御方の発言ゆえ、もちろん、口には出さず。

要は、たいした情報も得ずして、いまだフタが開かないことに乗じ、後でどうとでも言い訳できるようなコメントに過ぎないからだ。

僕のような素人と、ほぼ、同等レヴェルのことを言い散らかし、

これで、出演料をもらっているとしたら、サッカーのコメンテーターってのは、よほどお気楽な仕事に違いない。

では。

その日が 再び巡り来る (人麻呂を想う朝)

およそ 1,300年近くは仰ぎ見られてきた天体の運行について、寄り道でもいたしましょう。

東の野にかぎろひの立つ見えて  かえり見すれば月かたぶきぬ

(読み: ひむがしの のにかぎろいのたつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ)

万葉集巻一、歌番号48。

軽皇子(のちの天武天皇 683~707年) 一行が、安騎野に(狩猟で)宿った際、随行した柿本人麻呂が歌った短歌。

狩りは、林が(落葉によって)明るく、見通しがよい冬季にするのがならわし。

とすれば、歌われた情景、すなわち、

東の方には曙光が射し始め、振り返ると中空にあった月は西に傾きつつある

、といった景色はいつごろ現れるのか?

こういう疑問を持つ者がやはり居るらしくて、

現在では、西暦695年前後の、陰暦11月中旬というのが、おおよその定説。

今年に当てはめると、おそらくは、12月15日から2日間くらいのことだろう。

今日の朝。

強風のせいで霜は降りなかったものの、寒風が、それはそれは厳しく、屋外に5分も居たら、手足がしびれてしまった。

よくもまぁ、こんな寒い中に野宿したもんだ、と奈良朝の宮廷人の忍耐が知れた。

短歌そのものは、ダイナミックな情景描写として楽しむとして、

安騎野行の一連の歌が、万葉集の冒頭近くに置かれたのは、やはり、大和朝廷統治の権威を広めたい狙い、と思う。

政治と文学、というテーマは当時から在ったんですな。

軽皇子は、14歳という異例の若さで(天武天皇として)即位したため、祖母の持統帝が、太上天皇となって後見役に就く。

彼の治世に、大宝律令は完成、〈日本〉という国号も確定したらしい。

1,000年以上の昔の、単なる朝ひとつ。

いまでも人の心に迫ってくる、これこそ、古典の魅力でしょうか。

では。

石の上にも 三年となるか?

が、今だわからない。

横山 歩夢の契約更新については。

もちろん、そうなることを望んでいるんだけれど、

ワールドカップ準決勝、アルゼンチン vs クロアチア をハイライト映像(メッシドリブル&アシスト篇をここからどうぞ)で観て、つくづく思ったこととは、

歩夢には、やはり、リオネル メッシのようなプレイを究めてもらいたい、ということ。

― あの、リズミカルで小刻みなドリブル、まるでメッシみたい!、

と、横で観戦する家人には、呟いていた手前もあって。

シュートまで持っていこうとする執着心、加えて、ボールの芯を叩く(=蹴る) 技術(by チノ氏評) は、今後も追求してもらうとして、

他者を使う余裕、ピッチ全体を見渡す視野、そんなものを増し加えたら、さらなるゴール量産への道がひらけるんじゃあないか?、と思う。

思い切って、横山ありきの戦術への固執を振りほどいたところに、彼自身のグレードアップが拓かれるといいんだが。

ま、すべては、彼が、プロ3年目山雅で過ごすことが大前提ではありますけれど。

では。