Don’t Let Me Down !!

来たる7/22 八戸戦に際し、グラム スパンキーが公演を打ってくれる、とのこと。

公式サイトでは、バンドメンバーが登場の、お楽しみ動画が見られるけれど、

ギター担当の彼は、2022年ユニフォームを着ていて、趣味の良さを感じさせる。

どうみたって、ユニフォームは、昨季用が、断然、美しかった。

職場のABEちゃんには、

― 次々節、アルウィンには、グリム スパンキーが登場するよ、と煽っているけれど、

彼の場合は、〈キングヌー〉(バンド名) のほうに、ぞっこんのようだから、

どうも、そのこころは、アルウィンには向かないようだ。

さて。

Don’t Let Me Down〉は、69年4月に発表された。

表が〈Get Back〉のシングルアルバムの、裏面の曲として。

極めてクラシカルな時代の、ロックンロール。

ビートルズが演っている原曲は、ビリー プレストンのエレクトリックピアノが絶品で、それだけでも聴く価値がある、と僕は思っている。

今回はカヴァーで、ブラスによるセッション。

各パート持ち回りのソロと、全体が揃うパートが、自在に絡み合って進行する様が、洒落ている。

……がっかりさせるゲームだけはご免だよ、というファン&サポーター心の叫びをこの曲に、乗せよう……。

では。

遅かりし 盛岡冷麺。

僕の場合。

(それを職業にしてもいないので) 食べ物や食事が、人生の関心事ベストスリーに入ってくるようだと、お終いだろうな。

できれば、ジョン スチュアート ミル(1806~1873年、英国の哲学者) の言葉、

― 満足な豚であるよりは、不満足な人間である方が良い。
同様に、満足な愚者であるよりは、不満足なソクラテスである方が良い。

……、を心のどこかで範として生きたいゆえに、食欲の満足を専一に求めることに、なにかしらの罪悪感がぬぐえない。

と言っても、たまには、食品に感銘を受けることも、あっていい。

昨日。

高温多湿の天候が続いたためか、

昼ご飯にほとんど意欲が湧かないままに帰宅すると、

家人が、〈盛岡冷麵〉を作って、待っていてくれた。

取り寄せ注文をしてあったものが、先日届いたので、とのこと。

地元の有名店(繁盛店?)が、テイクアウト用に調製したものを、そのまま調理したという。

食物に関しては、あまり関心がなく、ゆえに、きわめて知識不足の僕なので、

冷麺と呼ばれるメンの食感、キムチを使っていること、スープがさっぱりしていることなど、初めて知りました。

減退した夏の食欲には、夏野菜をふんだんに使うなどすれば、贅沢な一品でありましょう。

包装には、イーハトーヴ云々、と宣伝文句が記してあるが、

このメニューは、その死後30年後に考案されたから、生前の賢治は食べられなかったわけか。

ただ、惜しむらくは、これが3週間くらい前であれば、

グルージャ盛岡を〈喰って〉準備万端で、ゲームに臨めたのに……。

では。

母さんなら知っている。

〈Your Mother Should Know〉は、1967年に放送されたテレビ映画(ビートルズ主演) の挿入歌として作られた。

ポール マッカートニーの作詞作曲。

……さあ、起き上がったら、曲に合わせて踊ろうか。

ずっとずっと昔に流行った曲さ、君の母さんが生まれる もっと前に。

でも、母さんなら、きっとしているはず。

君が思う以上のことをね……。

半世紀前のちょうど今頃って、どんな曲が流行ってたんだろう?

では。

善良な同乗者について。

横に座っている者が、くるまの運転に与える影響は、けっこう大きい。

高速道路を走っていて、ふと時速90㎞にスピードダウンすると、

― こんな(遅い)んじゃあ、高速使ってる意味、ないじゃぁないの、

とお叱りを受ける。

あるいは、歩行者用信号が点滅を始めたので、アクセルを緩めたら、

― このまま、なんで行かないの !

はたまた、
― ほら、あそこに! 、と脇見を強要されたりで、たまったもんじゃあない。

 

数日前、友人(差し障りあるため、名は秘す) の奥さんが、自動車事故を起こした。

信号のある交差点に進入した際、左方から来た直進車と出合い頭に衝突したのだ。

友人は、この時、助手席に搭乗していたが、交差点にさし当った処で、

― あぁ、この交差点のたもとは、今は、花壇になってるんだ、と信号も注視しないで、漫然としていた。

で、次の瞬間、自分の側からアウディが突っ込んできて、ビックリ、唖然。

信号が青に変わったから自分は発信したのだ、と奧さんは主張したようだが、

自車のドライヴレコーダの画像で確認すると、当時、信号は赤、だった(らしい)。

どこの交差点だったのか?、教えてもらって、ピンときた。

そこは、僕の通勤経路で、交差点の数十メートル先には、信号が 2つ、川をはさんで、こっちの堤防と向かう岸に、それぞれ設置されていて、

事故が起きた交差点の信号よりも、2~3秒(おそらく)早く、2つ同時に青になるようプログラムされている。

推定だが、奥さんは、手前の信号を見落としてしまい、向かうの信号ふたつが青に切り替わったのをみて、つい発進してしまったのではないか。

友人には、

― ともかく、 君が (自分で)運転する気持ちで信号を見ていたら、事故は食い止められたかもね、と言ったんだけれど、

彼もまったく同意見。

あれこれと運転に口出する者。

他方、さしたる注意を払わず座って風景を観ている者。

どちらが同乗してくれれば、ドライヴァーは救われるんだろう?

では。

ムダな有能感は いただけない (琉球戦評価について)

今日(月曜日)になってようやく、ゲーム後のインタビュウを読んだ。

へぇー。

指揮官もプレイヤーも、このゲームにつき、散々な低評価なので、驚いている。

まぁ、敗戦直後の感情が大きく織り込まれた発言だから(あるいは、誘導尋問への返答ゆえ)、ムリもないだろうが、僕には、かなり意外。

あのゲームでひどく悪かったのは、先制してから後の前半。

それでも、後半は持ち直し、特に時間が進むにつれて、琉球の勢いを、もらったファールのセットプレイで再三寸断しながら時計を進めていたから、かなり巧くやっていた、と今でも思っている。

琉球も、2年前と比べれば、相当こじんまりしてしまったけれど、4点、5点と叩き込まれるようなテイタラクな山雅、でもなくて、

最後の最後で、なんとかの手から水がこぼれた、そんな印象だった。

つまりは、現況山雅の、未完成、未熟度については、

僕のほうが、(下手したらチーム関係者より) よっぽど、リアリスト。

なので、あの程度にできてれば、実力からすれば、まぁまぁ及第、と診るからなんでして、

根拠のない有能感、それこそが、チームをおかしくしますよ。
(もしも、ハッタリでいうのなら、構いませんがね)

もちろん、敗戦は仕方がない、とは言わない。

けれど、村山は、チームメイトの出来を、

― 怖気づいたのか、練習でやってることを出そうともしない、などと責めているが、

そこまで言うのなら、

そもそも、申し合わせた練習をこなしてないか?、本当に、実戦レベルの強度、切迫度でやっている?

……と、何度かゲーム形式の公開練習をみせてもらった者として、問いたくもなる。

つまり、今節ならば、

ボールを60%強も握りつつ、他方、ファールを山雅の倍犯すといった琉球スタイルの、どこをどう衝くべきかを、トコトン追求し、指示したのか?

指示を出しても、やろうとしなかったのか、どうか?

たしかに、我が山雅、個々の技量をみれば、3部ではかなり上等なメンツを抱える。

とは言え、それがどうして、まるで自動的に、〈昇格の筆頭候補〉となってしまうのか?

そう表現するライターも、中にはいらっしゃるが、

サッカー批評でメシを喰っているにしては、ずいぶんと論旨が粗くないかい?

こういうのが、〈逆境〉になると責めに転ずる、根拠なき有能感の裏返しであって、

実に、うるさく、煩わしい。

今季目標がどこにあるか?、は脇に置くとして、

大卒2~3年目の年代に自由度を与えながら、その活発さを全面に押し出しつつ、

戦っている現況が、いまだに、肚に落ちない向きが多過ぎはしまいか。

ヴェテラン風を吹かせるプレイヤー達でないことが救い、ではあるんだけれど、

ヴェテラン、といえるほどに、狡猾さや決断力をチームに浸透させているのは、いまのところパウリ―ニョくらいでは? (感謝)。

では。