女性と子と,サンタクロース。

暇に任せてソファーにひっくり返っていると、ロクな考えしか思い浮かんでこない。

たとえば、女性専用車両。

或る時間帯を限って、その車両には女性だけが乗車を許される仕組み。

昔、山の手線のホームに立って、発車していく電車を眺めていたら、ちょうど先ほどから女性専用になった車両らしかった。

で、その中、男性がたったひとり、窓際に立っている。

その時の、周囲の女性たちから向けられた、憤懣の、厳しい視線。
それが、いまでも思い出される。
孤立無援、ってやつです。

― あぁ、彼、いつ、どうやって気づくんだろうか?
その時はきっと狼狽するだろうな、とやがて来る悲劇を、ヒヤヒヤしてお見送りしたのである……。

たしかに、痴漢は、卑劣で下品な犯罪だ。

けれど、男性全体をその予備軍、温床みたいに一括して見なし、エイやっ、と規制することには、どうも、違和感を覚えている。

こういう乱暴な社会的な分離、隔離は疑ってかからないと、世の中変にならないか?

そう思いついたキッカケは、なんとか一時給付金。

事と次第では、ほどこし政策を、全否定はしない。

けれど、いまや廃止されつつある〈家族手当〉の古い考え方にとどまっているし、そもそも、生活の困窮度は、資産の有る無しと金の使い方によるんじゃあないか?

生活のやりくりにおける汗水と苦労を、どこかで愚弄しているみたいな感じ。

それならば、労働し得た結果に対して、個人の税金を軽くするとかできないのか。

給与所得者ほとんどからの徴税事務は、所詮、企業に押し付けているんだから、国の経費もそれほどかからない。

で、こういうバラマキは、そのうちに条件闘争に堕すがオチなんですが、線引きには根拠もないので、これまた紛糾する。

さて、話は戻る。

先の専用車両にしても、免除要件はあって、

〈小学生以下の男の子、お身体の不自由な方とその介助者の男性〉は、利用可なんです。

この例外にもいろいろと文句もつけたくなるけれど、こういうルール決めを、懸命に仕事として取り組んだ人がJR東日本の中にいたんですな。

ところで、外国からの入国は一切停止、かつ、隔離の経過観察。

これを発表する時に、
―ただし、サンタクロースは例外です、とか言ったならば、絶賛を浴びたと思うんだがなぁ。

……、とここまで考えてきたら、ひと時の昼寝から、ハッと目が醒めた。

では。

来たか! 騒音,その第1弾 (降格論❸?)

職場の天童氏が、
― 孫が(サッカーやってて)、この前、初めて山雅に勝ったって、喜んでてね。

察するに、U – 11年代の話。
少年に、打倒山雅のチャレンジを提供できるのだから、こんなところにも、クラブの価値が在るではありませんか。

さて、昨日。

京子さんから、都度都度のメールが入ったとのことで、家人が見せてくれる。

某市の首長が、定例の記者会見で発言した、その内容。

ふむ……、総括、責任の所在を明確に、松本らしいサッカー、新しい態勢……だと。

これをそのまま発言した、というメディア報道が本当だとして、

さも、もっともらしい言葉が並ぶけれど、こういうのは所詮は他人事、直近のトピックに関してなにか言っておくか、で発しているので、クラブにとっての支援でもなんでもなくて、むしろ、騒音の部類に入る。

前の記事に書いた、喧騒のひとつと思って、距離を置きながら、丁重に承るような姿勢で対処すればいい話。

クラブ自身が死ぬか生きるかの瀬戸際、と思っているのならば、見栄なんか脇に置いて、媚びを売るなり、頭下げとくだね。

注意しないと、プライドは、時として命取りになります。

― いちおうホームタウンとして出資者であるわけだし、それ、税金から出ているからね、と家人。

そうか、市の代表、公人として発言しているんだ。

で、身銭を切って観戦した相模原戦の失点を持ち出してきて、CKからの失点が今季を象徴している、とか指摘のご様子なんだが、

フリーキックからの失点そのものは、J2優勝の2018シーズンと比べて、失点パターンの割合において、ほとんど変わっていない(1%多いだけ)。

まぁ、あのシーズン山雅と歩いていないのだから、その程度の認識で仕方ないっていえば、それまでなんですけれど、わかったような口は、慎んだほうがいい。

こうなったら、その失職と、山雅の捲土重来が叶うその日の、どちらが早く到来するのか、楽しみのひとつにしてやろうか。

でも今は、来季、飯尾氏と片山氏の、DAZN解説者としての仕事がなくなることのほうが、ずっと残念で気がかり。

某SBCのアナウンサーには、せいぜい気の効いた実況を願いたいが、
できれば、平ちゃんこと、平畠 啓史氏に全部丸投げしてもらいたいわ。

この際、山雅専属ということで、いかが?

では。

降格論❷ ―自分を何者と思うか? ―

去る11/28の、クイーンズ駅伝(実業団女子 28チーム参戦)では、積水化学が初優勝 (それも大会新記録)。
注目(by ルノワール氏)の、日本郵政の3連覇は、ならなかった。

オリンピック代表を擁しながらもトップを獲れず、ただ、それでも、第4位。

創部6年で優勝3回、ってのは、新興チームの躍進として上等なもの。

それと比べるわけでもないが、Jリーグにあって、山雅は、まだまだ新参者の部類。

それが、幸いにも、トップリーグへと二度も駆け上がってしまったので、今回の件、マスメディアなんぞ、1部からたった2年で3部落ち、とか劇的に書き立ててくれる。

読ませようとするので、そういった見出しになろうが、たしかに1部には居たものの、とても他に伍していけるほどには、クラブおよびチームの力量/技量も不足。

だから、そんなに盛ってくれてかえって申し訳ない、って感じですな。

まぁ、2部にあっては、そこそこ上位に番付を保てればいいか?、くらいの体力だと思っている。

実際、10年間で、順風満帆の、挫折なき平穏なシーズンなんてのは、2、3度くらいしかなかった僕の記憶。

このあたりを見逃してしまうと、ロクな議論は生まれてこない。

もともとが、地域リーグからの成り上がり者ではないか。

ただし、そこにチョイとこだわりを足したクラブと、それを取り巻くこの街と人々、それが〈山雅〉なのだ。

JFLの頃からココロを向けだした者からすると、れっきとしたプロスポーツクラブが自分の街に在って、スタジアムに足を運べば、格安で熱い時間を楽しめる― これだけで、かなり贅沢な人生を送れている。

爺婆や、世代を超えた男女の娯楽であっていいし、そこへもってきて、勝利を多く体感できればさらに嬉しい、ということだろう。

どんな(職業的な)世界でも、上を目指すのは当たり前。

ただし、参戦するリーグを絶対的な基準にするあまり、昇降格によってサッカーを楽しめなくなるなんて、なんという貧しさ、浅はかさ。

― エド シーラン、というイングランドの歌手がいてさぁ、と切り出したら、

― 知っているわよ、という家人の返事。
あたしが知らないとでも思っていたの?、という響きが強くこもっていたので、意外だった、とも言えずに、こう続ける。

― 彼、地元の、リーグ1(3部相当)で戦うクラブ(イプスウィッチタウンFC)のサポーターを公言していてね、今度、来季の胸スポンサーになっちゃった。
自身の2022コンサートツアーのシンボルロゴなんだけれどね、これが、四則の計算記号を並べたユニークさで。

エドのコメントより……、
〈フットボールクラブは、地元のコミュニティにとって大きな部分を占めるもので、これが僕なりの支援の示し方なんだよ〉

要は、おのれの姿をキチンと捉えられれば、今回の降格を機に、何を変え、何を変えざるかが、自然と見えてくるように思うんですがね。

鏡に映った自画像を見すえるというのは、なかなか辛い仕事でもありますが、外部のやかましさと雑音を消し去り、みづからを変革するために前に投げ出していく。

― 他人の火事は面白い。
……なんて諺があるくらい、いろいろ言って他人の逆境を楽しむ輩は湧いてくるが、そんな無責任な論評は放っておきましょう。

では。

降格論❶ ―存在価値から始めよ ―

かなり不満足なゲーム (単に勝てなかったからではない) だったけれど、相模原まで往復した価値は、やはり、在ったと思う。

ゴール裏の芝生席では、

ため息、ポッとこぼれる感嘆や感想、はたまた、同好の者同士の挨拶。

アウェイならではの、聞かずとも耳に入ってくる、そんな言葉には、ずいぶんと考えさせられましてね。

さて、と。

第42節を残し、仕事の仕上げをば、最後まで確かめることはもちろんだが、ここしばらくは、いろいろと喧騒が予想される。

だからこそ少々、萬年式の、来季に向けての生活と意見をば、〈降格論〉としてその都度、綴っておきましょう。

29日付けの公式サイト。
神田社長による、支援者へのメッセージが掲載された。

たかが一文に過ぎないけれど、降格がけっこう重大なことであるからには、SNS上で、それについて覚悟を発信しておくことは必要だ。

こういう事態だと、リーダーは、なにをやっても、あるいはやらなくても、なにかしらの批判を受ける、ってのは世の常。

中には、多分に悪意と発信者の無智と低能をさらしたようなものもあるが、そこは謙遜を装ってでも、上手くやり過ごすことです。

真摯で、建設的な、傾聴に値するご意見は参考にする、といった態度で。

で、メッセージの内容。
この度、降格、という大背信を犯してしまいましたが、ご支援を得られる方向で挽回を図っていきたい。ついては、引き続きご支援を願いたい……。

ま、こんなもんでしょう。

その中で、松本山雅のクラブ理念、そこへの言及があったので、かなりホッとした。

降格という、喜ばしくないことを、あくまでクラブの存在価値を見つめながら、今後の舵取りやら、舵切りをおこなう、これが相当に大切。

逆風の中でこそ、あるべき自分の姿を、まづは外さない。

そこからスタートでありましょう、ね。

地域の中、ここまで拡げてきた風呂敷をたたむ必要はないし、今さらたためやしないんだから、なにをやるにしても、そこがキモです。

ひとつの企業としてのマットウな経営/事業運営と、街に開かれたスポーツクラブ。

ふたつの要求を調和させること、その手腕に期待します。

街に開かれた、というのは、例えば、
フツーの年配ご婦人が、相模のゴール裏で、

―サッカー人生を賭けて戦っているのかね、あなた達?
こんな試合をやっていたら、どこからも声なんかかからないわよ!、
と、まるで身内に言うようにつぶやける、ってこと。

あるいは、自分らの仕事が平気で批判され、ビールをかっ喰らったじじいにヤジられる。

そういうのをひっくるめて、愛と思えるか?、客商売として。

昨日の朝、職場でバルサファンのクレ君が近寄ってきて、やおら、
― 来季は、またチャレンジですね。

単刀直入に、ソッと切り出すところが、彼の良いところ。
で、こう返しておきました。

― そう、まづは、戦力の確保。
そしてねぇ、J3では、またひと味違ったサッカーになるだろうから、その水に巧く適合することかなぁ。

ちなみに周囲には、
― しばらく前から、J3優勝をシュミレーションしてるんで―、とかなりマジメに広言しているので、いろいろとイビられますがね。

相模原戦の行き帰りの車中。
たまたまサイモン&ガーファンクルを流していたんですが、今は、エヴァ キャシディのカヴァーによるこの曲を……。

では。

憤怒で,降格の河を渡る日 (2021.11.28相模原戦レビュウ)

1 – 1 のドロー。

嬉しくはないけれど、降格そのものに、怒っているわけではない。

ラスト5試合、できて1勝だろう、と言っていたくらいなので。
(まだ、3分1敗です)

リーグを落としたら、また、やり直せばいいだけの話。
雷鳥は、いつも頂を目指すんだから。

なにが、腹立たしいのか、って?

リーグ戦のドンづまりで、こんなゲームをやってしまうことに対して。

せっかく前節、内容において一歩進んだと思ったら、昨日は、五歩ぐらい退化したテイタラクを見せられる。

できないのか、やらないのか(外部からは)わからんが、あれが精一杯の仕事、とは、誰も思いませんよ、山雅ウオッチャーならば、決して。

勤め人として、あたしゃあ、こういうのがいちばん嫌でしてねぇ (コロンボ調で)。

返金してもらいたいわ、と思う。

が、チケット代は相模原さんに払ったんで、そうも言えず。

まぁ、不幸中の幸いは、こんなゲームを、8,000人のアルウインでやらなくて良かったこと、でありましょうか。

その分、相模原に参集した、降格を、悲劇と考えるファン&サポーターにとってみれば、
そのカタルシスさえ味わえないような、未練たっぷり、燃焼不足の顛末となったわけです。

ゴール裏芝生席の面々のほとんどは、これからも共闘の同志でありましょう。

けれど、だからこそ、ゲームを作れない不出来に憤懣を憶えるのであって、もしも、これが第三者ならば、ただただ眠たくなるようなゲーム、に違いなかった。

❶ボールが行ったり来たりのゲームで、殺す(切る)べきボールと、活かすボールの読み分けもできずに、ただ一辺倒に球際に向かっていく守備。
次の展開を織り込んでプレイしていないから、簡単に相手ボールにしてしまう。

❷縦にボールを供給することを禁じられてんのか?、と思ってしまうくらい、相手の守備網に対し、ほとんど横、横、にボールが動くような組立て。
たった一回、安東 輝が果敢にボールを持って駆け上がった記憶しかない。

最終ラインから縦パスを入れたくとも、中盤より前のプレイヤーは何故か、相手の陰に入ってしまう。
あれじゃあ、ボールを引き出せないでしょうが。

❸どっかから、ルカオギャンブル失敗、って声が挙がっていたけれど、確かに、ルカオと伊藤を並べる、って手はないわ。
ルカオにボールを当てるならば、その衛星として動けるようなプレイヤーを手当てしないと。
セルジ―ニョは、組立ての起点で手一杯になるはずなんで、あそこには、河合、あるいは榎本あたりを持ってくるべき。

要は、3 – 4 – 1 – 2 ではなく、3 – 3 – 2 -2 でしょう、やっぱり。

ゲーム後、盛り上がりも盛り下がりもないようなゴール裏、お隣のお方とは、

― おそらく、この引分け、山雅と相模原にとっては、そろって討ち死の結果が濃厚でしょうね、

などと、お別れしたのでした。

では。