逆は決して真にあらず (2021.4.17甲府戦 一気のレビュウ)

たやすく先制したと思ったら、難なく逆転されて畳みかけられてしまう( 1 – 3 )。けれど、しぶとくやって追いついた結果、3 – 3 のドローで、ジ・エンド。

ヴァンフォーレにしてみたら、負けに等しいゲームだったかも知れないが、では逆に、山雅にとっては、勝ちに等しいか?

いやいや、そうでは決してないだろう。

勝てるゲームを、安易な失点で獲れなかった事実を虚心に反省すべき、と思います。
ハットトリッカーが生まれたゲームが、引き分けに過ぎない、というリアルな現実を。

対戦相手の総合力(現状)と、もらっている給料(個のクオリティ)の違いからすれば、対ヴァンフォーレ戦こそ、勝ち点3で締めるのがやるべき仕事でありましょうから。

もちろん、最後までゲームを捨てず奮闘したチームと、ファンサポーターには心からの称賛を贈りますがね。

〈前半で見切るな、と言わせておくれ〉
イレギュラーな観戦となりました。

自宅で、前半20分過ぎまでDAZN観戦。
それからパソコンを畳むと、用事があった家人に立ち寄りをお願いして、アルウィンまで送ってもらう。
到着して、見上げたオーロラビジョンには、1 – 3 の文字がくっきり、と。

― なによ、あれ。またたくまに逆転されて。それでも観るの?
― あぁ。行って、後半で勝たせないといけないからね。

ゲート4まで歩いて行く途中、すでに帰途を決め込んで立ち去る御方が、けっこうな人数いらっしゃる。

そんなに早く諦めずとも、と言いたいんだが、2点のビハインドをはね返すという信頼をなかなか得られていないんだろうなぁ、今の山雅、との実感ひしひし。

それでも、この戦績で雨の中、4,800人超。

ここから挽回、との期待感も伝わってきた (観客数上乗せに一役買ってくださったヴァンフォーレサポーターの皆様には、それこそ深謝)。

ゲーム後は、臨空工業団地あたりまで徒歩だったんですが、信号待ちで停車の運転手さんからゲーム結果を尋ねられ、両手の指を三本立てて、ドローでした、と報告したんだけれど、まさか、勝ち点3と勘違いなさっていないよな。

……、とまぁ、これが、山雅を取り巻く現状認識と、市民に広がる関心への感謝をおろそかにはすまい、との決意。

総括は、こんなもん。
ただ少々、ゲーム内容に触れておきます。

〈すべてを 勝利のために投入せよ〉
❶甲府の、アジリティ豊富とはいえない最終ライン(3バック)に対し、横山 歩夢を先発で持ってきて、河合、横山、鈴木を3トップ気味に配したのは、萬年の注文でもあったので、これはずいぶん腑に落ちる。
3点目の起点となった前 貴之からのボールは、そこを狙って入れたものでしたし。
ただ、もう少し歩夢を長く使っても良いのでは?

❷DAZNの布陣図をみて、えっ! となったのが、下川 陽太(右)と外山 凌(左)の布陣。
これ反対でしょう、と。
泉澤(甲府)が躍動する攻撃へは下川を当てて抑える、という意図だったんでしょう。
確かに、外山の守備は軽いけれど、下川が格段にいいか、といえばクエッションなわけで、むしろ、左右を変えることによる攻撃力減退はまづいのではありませんかね。
それよりも、もしもクロスやカットインを許したとしても、次の防波堤として中を強固にしないと。
野々村、まったく競えていなかった。
3失点すべては、甲府の左からのボールに対して、身体で寄せ切れない守備のタマモノ!であったから、毎回のうんざりするような、緩いマーキングをなんとかしないと。

❸得点しなければ、決して勝ちはあらず。
という意味では、3得点は、期待が明日につながるゲームではありました。
後半、けっこうパスのズレが多く(スタジアム嘆息)、リズムが創れずに苦しみましたが、甲府もミスにつき合ってくださったお蔭で、特に、右サイドからの攻撃テンポが上がる。

ああやってボールを支配することの練度を上げていくなかで、センターバック陣がどれだけ巧く、攻撃の起点として機能するのか?、ここに注目です。

特に、中盤(ボランチ)との連携をより深化せよ!

最後に。
ヴァン君(甲府マスコット) には、深く感動。
たとえ負けゲームであっても、元甲府の佐藤 和弘に、明るく絡んでくるあたり、こういった度量は、見習いたいもんだ。

では。

不器用な男たちへ (甲府戦プレビュウ)

不器用ですから……、たしか、生命保険会社のCMだった、かと。

健さんを思い出しながらの、今回のプレビュウです。

〈相手にやらせる器量 無し〉
磐田戦のレビュウでも述べたけれど、山雅は、なぜか負け試合のスタッツがかえって優位、という事実を見逃せない。

これ、失点してスコアを追いかけるような敗戦にあっては、挽回しようとヤッキになって攻めにかかる、あるいは、先制した相手が守りに入って出て来ない、と言う事情に多く負うのかも知れない。

けれど、山雅の場合、最初から力を温存することなく全力で飛ばすのが常なんで、自らの戦い方から導かれる、いわば皮肉な現象のように思えて仕方がない。

たとえば、負けた千葉戦、水戸戦は、それぞれクロスを、28本、25本と量産。
また、シュートは、9本(千葉5本)、14本(水戸8本)だった。

前節、磐田戦は、シュート21本(ジュビロ10本)。

ところが、勝利した秋田戦は、クロス5本、シュート9本。
対し、秋田は、クロス29本、シュート22本だ。

…… で、決めつけの結論。

いままでの7戦のスタッツから、肉を切らせて骨を断つ、といった相手の出方を逆手にとるような戦略的なゲームを選択したようにみえるのは、唯一、秋田戦だけ。

ただし、秋田戦は、強風の向かい風下でゲームに入らざるを得なかった。

だから、策として秋田スタイルを封じ込めた、というよりも、風対策を慎重にやったら、結果として、あのようなゲーム進行になった、というのが正確なところに思える。

山雅の現在は、指揮官から始まりチーム全体が、自分たちの技量と連携を実直に前面に押し出すことに終始している、とみてよい。

つまり、策略をこらし相手を陥れるようなバトルは選択されない。

相手にやらしておいてから、さぁ、次は……という器量がなく、プレイヤーにもそういう器用さは求められていないのだろう。
※ここでの器量とは、意思的なものを指す、技量(テクニック)面ではなく。

違う言い方をすると、いったん先制されると、テコ入れのために切るカードは、かなり硬直化したものとなり、変更後の布陣と組み合わせには、現状突破の新味をあまり感じない。

この戦い方の是非の議論は、いまは棚上げだ。

ただ、リーグ戦が4分の1くらいまで進んた時点で、勝ち負けが最低タイ(12位目安)になっていないと、今のやり方が厳しい批判を浴びるだろうことは、覚悟しなくては、と思う。

〈剛よく剛を制するか〉
前節北九州戦を、前半の前半、およびハイライト動画を観た限りの、ヴァンフォーレの印象。

試合は、シュート27本、クロス31本を打ちながら、後半70分に同点にされた。

甲府にとっては、ほとんど負けに等しいゲーム内容。

甲府のサッカーは、無駄な遊びを排した、剛直さ、シンプルさが顕著。
派手さは、ほとんど皆無、合理的な実利主義、って感じ。

常に秀逸な外国籍フォワードを活用しながら闘うのが甲府の戦略的なDNA、と思ってきたが、いまは、三平(大分から加入)が前線で躍動して存在感を示す。

3バックにはヴェテランが登用されて、最終ラインは落ち着きをみせる。
攻撃面では、特に、左サイドからの侵入が脅威。
左サイドバック荒木、加えて、左に張ることの多い泉澤(シャドウ)は自由にさせると厄介だ。

ちなみに、リーグ7戦して、甲府のシュート総数は 103。総得点は 8。
ゴール成功率は、7.8%。

他方、山雅のシュート総数は 88本。総得点 5。成功率は、5.7%。

まぁ、団栗の背比べみたいな数字であって、得点力不足は、両者共通の悩みだろう。

次に、クロス総数。
甲府は 107本、山雅は 115本。
甲府は、北九州戦で31本を積み上げているから、ゲーム当りの本数でみると、山雅のほうに分が有る。

ともに、3バックを採用し、硬派なサッカーを身上とするのだから、チームとして個として山雅がやるべきことは、ひたすら真正面から、相手を上まわる剛直さをむき出しにして戦うこと。

ヴェテラン、そして、腰高の甲府最終ラインに対しては、鈴木 国友、横山 歩夢、河合 秀人、そして田中パウロといった、突っかけるドリブラーで引っ掻き回す、ってのが有効だと思うんですがね。

くれぐれも、柔よく剛を制す、などに色気を出してはなりません。

では。

『山雅人』の創刊に思ふ。

やまがじん、と読むらしい。

月刊誌、A4版48ページ。一冊、980円。

クラブ監修とあるから、オフィシャルブックの単月版、と思えばいいのか。

山雅もここまで来ましたね、と感慨深い。

ただ、いろいろ葛藤したんだが、購読は、なぜか思いとどまっている次第。

山雅がJリーグにやって来た、2012~2013年。

当時、萬年は、単身赴任で山梨(中央市)に在住。

アパートから歩いて数分の山梨大医学部グランドでは、ヴァンフォーレの練習風景を眺めることも、たまにあった。

で、近くの書店に行けば、月刊ヴァンフォーレ(そんな誌名)が、サッカーダイジェストの横に平積みされていた。

いつか山雅にも、こんなマガジンができればなぁ、と思ったのも懐かしい。

あれからほぼ10年。

着実に前に進んでいることを喜ぶんだけれど、勝手な注文を言えば、山雅人が、市中の本屋さんの店頭に並ぶことを切望してしまう。

かならずしも大きな声は発しなくも、山雅の勝利を喜んでくれるフツーの松本市民への露出こそが、必要なのでは?

先日のヤマハスタジアム。
萬年の(ひとつ空けて)横に座ったご婦人と会話する機会に恵まれた。

聞けば、この方は浜松在住で、当日は、特に#11を応援(見る)つもりでご来場とのこと。

あまり、サッカーについては知らない、とおっしゃる。

で、ちょいちょい問われるたび、今のがなんでフリーキックになったのか?、ゴールになってもなかなかアナウンスが無いのはですね、おそらくオウンゴールでしょう、とか解説した。

阪野とのゆかりは聞きそびれたけれど、他にも、松本以外の地から参戦しているとおぼしき観客がいらっしゃった。

つまり、実にさまざまのキッカケと事情を持った方が、〈山雅〉ひとつでつながって、同じエリアに席を占めていることに思い当たったのだ。

サッカーのルールになんか精通していなくとも、結構。

誰でもがウエルカムされ、アプローチできる、山雅であってもらいたいんです。

収益確保と出版物の存続、という経済の切実を棚上げにしておいて、言いたいことを申し上げる回となりました。

では。

ここからブレずに (2021.4.10 磐田戦レビュウ)

一応、結果は記しておこう……か。

リーグ戦6分の1の節目は、1 – 4 の敗戦。

飯田ICで中央道を降りると、一路国道151号を南下するコースを採る、ってのが、ひねくれ者の萬年の面目です。

いやいや、この季節、南信濃を観るには、このコースなんです。

下條村から阿南町を、花桃が、赤、白、桃色でポッと、街道の庭先に咲いているのを楽しみながら通過すると、県境を越えて。
豊根村、新城市(ともに愛知県)を経由して、浜松へと、遠州路を走る。

磐田市まで行って、駅近くに車を置き、東海道線を使い、東へとひと駅を乗る。

昨年開業した、御厨(みくりや)駅で降りて、スタジアムまで歩いてみた(ゆっくり徒歩で、20分弱)。

この駅、スタジアム最寄り駅、として開業したのです。

ヤマハスタジアム?
アウェイ観客を、入場時に、日陰の、急な階段に誘導するような扱いは、そのまんまでありましたよ。
それと、アウェイ席へは、時計、スコアなど情報提供が皆無、っていう古臭い思想がいまだ健在。入場料は取るくせに、なんとも、ですな……。

〈前半の前半、これを、90分間まっとうせよ〉
風上ということも考えて、もしも磐田が、相手をひきつけておいてからロングボールといった、緩慢なサッカーを戦略的に採用したのならば、評価を差っ引く必要がありますが、ゲームの入りは、今季最高の出来でありました。

ピッチを左右にひろく、ダイナミック、俊敏にパスでつなぎ、推進力豊かに相手ゴールに迫る。
魅せましたね。

これは、ここまで来てゲームメンバー間に、ひとつの落ち着きと連携の深まりが進んでいる証拠。

願わくは、阪野の覚醒と、まだ本領を発揮していない(現状)隠れたタレントのお披露目でありましょうか。

〈攻撃するためにこそ 守れ〉
あのハンドのジャッジにも言いたいことはあるが、前半終了間際39分になって、ルキアンにこの日最低限の仕事をさせてしまったのは、痛恨。
第5節の水戸戦のデジャブかぁ……。

56分のオウンゴールによって 0 – 2 となっても、ファイティングポーズを崩さず、その4分後に 1点返したのは大いに評価したい。

鈴木のヘディングシュートによるゴールをアシストしたのは、なんとセンターバックの篠原 弘次郎だった!

ゴールライン際深くからのクロスは、まっこと見事。
なぜそれを強調するのか?

それは、このゲーム、本職のサイドバックが入れるクロスは真っ正直で、かつ、相手にとってほとんど脅威的でなかったから。

このゲームを落とした最大要因は、自他とものクロス精度とその威力の格差だった、と言ってよい。

もちろんクロスへの反応の側にも課題があるわけで、ここは喫緊な解決すべき課題。

なお、ディフェンス陣の責任感と攻撃参加が増しているのは注目。
中でも野々村の成長が著しく、ファーストディフェンスまで顔を出す、といったシーンもあったり。

……、というわけで、責めているわけじゃあ全然ないんだが、このゲームはある意味、
〈良くも 悪くも 外山凌〉というのが萬年式結論。

攻守にわたる果敢なプレイは唸らせた。
けれど、2度ほどあったペナルティエリア内でのシュートチャンス。
せっかくおいしいところに、ほとんどフリーでボールが来たんだから、あれを決めてこそ、外山ではないか。

違った言葉で総括すれば、スタッツのほとんが優位なのに、なぜ戦果が逆転するの?

サッカーに優勢勝ちはないしても、今まさに、登り切るべき頂上はそこ。

ファンサポーターが観たいのも、せっかくの魅力あるサッカーを、勝利で締めること、これでありましょう。

では。

御領岳 の記憶から (早すぎる甲府戦プレビュウ)

4/17は、ホーム甲府戦だ。
磐田、甲府と、なじみあるチームとの対戦が続く。

なんだかんだで、リーグ戦も第8節、まだ5分の1なのか、あるいは、もう5分の1なのか。

ところで、ルノワール氏から、今季は、白馬47で滑り納めでした、とうかがう。

47とは、4シーズン×7デイズ、すなわち、1年365日楽しめるリゾートに、という決意を表すネイミングらしい。(ルノワール氏から宿題をもらって調べたのだ)

そのゲレンデから、五竜岳の眺望が素晴らしく、この季節、頂上直下には、
〈武田菱〉の雪形が現れるならわし。

……、なるほど。
確かに、菱型が4つ組み合わさって、おおきな菱型を作るデザインは、〈四割菱〉(よつわりひし)と呼ばれ、これこそは、武田家の家紋。

戦国の世、信濃の国は、その武田氏の領地だった。

ゆえに、武田菱が浮かび上がる、あの頂こそ、〈御領岳〉と呼ぶにふさわしい。

ところが、世が移るにつれて、御領がなまりながら、いつしか五竜となった、という説は有力です、とこれまた、ルノワール氏からの受け売り。

1582(天正10)年2月3日に始まった織田 信長による甲州征伐は、3月11日、天目山の戦いで、武田 勝頼・嫡男 勝信の一行が自刃したことによって終結。(武田宗家の滅亡)

この間、たったのひと月ですよ。

いくら勢力にかげりがみえていたにせよ、世にその名を馳せた武田軍団は、高遠城をのぞいて、組織的な抵抗をほとんどすることなく壊滅。

実際は、離反と織田側への寝返りの連続だったわけで、見事なまでの内部崩壊だった。

人は石垣、といった信玄の組織論は、いったい何だったのか。

萬年は、そこに裏切りへの不快感よりはむしろ、甲斐の民の、リアリズムに徹した現状認識の素早さ、をみます。※
(信長という敵が、いかに強大だったか!)

武田菱をクラブエンブレムにいただく、ヴァンフォーレと対戦する時はですね、甲州人の冷徹な現実透視、ここを、絶対に外してはなりません。

440年も経って、いまさら被支配者根性で言う訳でもないが、しかし、山雅の公式さんよ。
いいかげんにしてもらいたい。

もはや甲信ではなくて、信甲と銘打つべき立場を認識すべきであり、そのくらいの気概を持ちましょうよ。

あえて、ダービーと煽りたいのならば。

※甲州人の名誉のために、付記を。
織田軍の武田侵攻の端緒にあって、寝返りによって織田連合軍に決定的な優位をもたらしたのは、木曾谷の領主 木曾 義昌であった。
正室として信玄の三女を迎えているが、実質的には武田の支配下で不満を募らせていて、武田と結ぶことの将来的な不安も大きかったに違いない。織田氏の勢力下であるほうの魅力に惹かれたのだ。ただ、織田側に通じたことにより、義昌は、人質として差し出していた母、側室、嫡男(13歳)、長女(17歳)を勝頼に処刑されて失うことになった。

では。

【コメント】
☞ルノワール氏より (4/10 20:28)
近々に開催される
甲信ダービーにリンクする話題が欲しい
ならば
白馬47&白馬五竜でしょう
って事で
私、生意気ながら
47の由来を萬年さんに質問したのでした
スキーヤーでも47の由来を知らない人は多い
なのに萬年さんの研究熱心さ、流石です!
HAKUBA47
は登録標章
よって、アイドルグループ
○○46
◎◎48
ってのは有るけど
47は白馬47だけですね
白馬47が平成2年にオープンしたときは単独のスキー場でした
2年後に
隣合わせの五竜とうみスキー場と協定締結
両スキー場を山頂で結ぶリフトを新設して
共存、共通リフト券を発売!
白馬八方尾根に勝るとも劣らないビッグゲレンデになりました
両スキー場が互いにいがみ合うのではなく
お互いの発展のため手を取り合いました
あれから30年今では日本を代表するスキー場に成長しています
遠い昔
武田と上杉は別の国の主
それが当たり前ですが
現在は同じ白馬の地で
白馬五竜と白馬47が共存共栄しています