〈デジャブな敗戦、またひとつ〉
引き分けに持ち込めれば大歓迎、と思いながら書いたプレビュウでありましたが、間違いも起らず。
良い意味で裏切りも期待してたんですがね。
自陣に籠ってひたすら守備ということもなく、それなりにボール保持を渡してもくれた岡山、これも予想どおり。
0 – 3。
3つの失点すべて、こちらのミスを発端にしていたのが、なんともヘルプレス。
うち2点は凄まじいシュートにみえたものの、なんだ、それ以前に、足をリラックスして振り切る十分な余裕を与えていて、かなりの怠慢です。
みづからが、ゴール前にさがってしまって無統一な密集をつくってしまうとは。
これ、当方が押し込んでいって、岡山ディフェンス陣をゴール前に封じ込むことで創り出したかった光景ですが、これじゃあな。
致命的なことはふたつ。
ひとつ、文句を互いにぶつけるくらいの意思統一が感じられないこと。
ふたつ、意地でも繰り返してやってみるコンテンツがいまだ不明であること。
まるで、薄紙のうえからなぞったような画像しかみえて来ない。
ひとつめ。
起点となったミスは単に、村山、佐藤、大野の個人的な落ち度というよりも、
ディフェンスの意思統一。
次に出て来てボールを受けるプレイヤーの備え(位置取り)。
クリアしたボールの繋ぎ。
……といったものの欠如、要は、今後の展開を想定した連携の部分での破綻。
こういう連携のなさは、攻撃面になると、
前方へ〈水を運ぶ〉者として自分を使おうとする者が少ない、といった現象なんですよね。
そういう責任を買って出る者、と表現してもいい。
河合 秀人がひとり奮戦ではダメ、寄ってたかって潰されるのがオチ。
あるいは、キレて強引にでも、シュートを打ってチームに活を入れる、そんなこと。
たとえば、ボールを一旦後方へ叩くのはいいが、その後で、今度は自分がどうするか?、って動きを周囲にみせているか?
あるいは、そこでボールを受けた者が瞬時で、ボールの出し手や、次に現れるプレイヤーへつなぐ体勢に入っているか。
ボールをもらってから考えていては、このリーグ特有のうるさい守備はかわせません。
特に、栃木やファジアーノのような、守備をみづから誇る相手の場合は。
こういうオートマティカリイな連動とは、都度都度スイッチが入るんじゃあなく、既に、練習というリハーサルを積んでおいて表現可能、と思うんですが、どうなんでしょうかね。
全体として、後退、退化の印象が強いゲームをしてしまった、ということで、弁解の余地なしですが、
唯一、前 貴之はみづからのポジション二ングを工夫していた感じ。
ただサイドで張って待つのではなく、ボールを受けにセンター方面へ入っていた。
が、再度、主張しますけれど、ゲーム進行の中ピッチ内での修正、そこに声を挙げる者が不在なんで、歯止めがかからず、先制されたら、淡々と時間ばかりが流れていって、ジ・エンド。― この繰り返しです。
憎まれ役になるのは、だれも気が進まないものですが、チーム内意思統一で〈水を運ぶ〉役を買って出る存在、そこのところはどうなんでしょう。
ま、 ひとりのファンが外から言うことでもないか。
ふたつめ。
残り8ゲームをどう暮らすか?、ということに絡んできますけれど、喫緊の目標(ゴール)を見すえたうえで、どういうサッカーでいくのかを、再度統一。
戦法、戦術、ゲーム先発プレイヤー、すべてについて棚卸する、ってもんでしょう。
山口 一真が、プレイスキッカーでしか目立たないということ自体まづいこと、彼へのポジションとアサイメントを再考すべきです。
いまのやり方を追求するでも、まったくかまわない。
けれど、あれもこれも、という時季でもないので、より集中した局面に自分を追いやれ。
次節は、ピッチで周囲に鼓舞を発散できるプレイヤーが続々先発することを願っています。
この秋、初めて暖房を入れた朝に、では。