六月の空に 詩ふたつ。

〈シャボン玉〉

シャボン玉の中へは

庭は這入れません

まはりをくるくる廻ってゐます
          (ジャン コクトー作、堀口 大学 訳1925年)

 

〈紙風船〉

落ちてきたら

今度は

もっと高く

もっともっと高く

何度でも打ち上げよう

美しい

願いごとのように  (黒田 三郎 作 1964年)

 

六月の空に、そんな気分を懐かしんでいる。

では。

負ける技量。

子供の、将棋に対する興味を保つにはどうしたらよいか?、と訊かれた時、
棋士の、羽生 善治九段はこう答えたらしい。

― 負けてあげることです。そのほかに方法はありません。

これから孫(5歳)のところに向かう家人に、この言葉をはなむけにした。

こういうふうにサラリと言い切って終わりたい、と思ったが、少々付け加えておいた。

― ただしね、これには、相手が幼くともキチンと対局する、という誠実さと、巧く負けてみせるという技量、このふたつが大前提です。

将棋の心得のない僕らにはせいぜい、ババ抜きの卓を囲む時の教訓になりそうだね。

(もちろん、サッカーのゲームに、負ける度量や技量は要りません)

では。

疑う者は 嫌われる。

議論がもつれてくると、たいてい、

― あなたって、なんでも否定から入るのね !

と、最後通牒を突きつけられている。

既成、所定の事実を疑ってかかる、という習性がどうも染みついてしまっている萬年。

そもそも、自分の考えや行いの妥当性さえ信用できない奴なので、待てよ、と自問自答するのが、習慣になっている。

まして、他人のやることとなれば、理解できるというのが、むしろ幻想なのではあるまいか?

わかったふりして、上っ面を流しているようなことは極力避けたいわけだ。

むしろ、こちらのほうだって、

― その絶対的な自信はどこから来るの?、と問い詰めたくもなるが、

キッチン周りの平和を乱さないためにと、言葉を飲み込んでいる。

いろいろと騒がしいワクチン接種についても、なぜ高齢者からなのか?、しばしば疑問に思っていて。

加齢により体力が落ち、疾患も抱えていれば、重症化や死亡するリスクが高いから、というのがタテマエだろうが、果たして、それがコロナ禍終息において、社会全体として最適な選択かどうか?

実際は、面倒な手続きを略したいがために、年齢を切り口にしたに過ぎないんであって、そこには長幼の序、といった匂いは皆無。

職場の同僚、ビートル氏のご母堂は 当年93歳。
その母上に、接種の案内が来た。

けれど、まったく外出もせず家内で日常生活を送る者を外に連れ廻すほうが、よっぽど心配なので受けさせない、と言っていた。

やれ早く全国民に、というかけ声と、現場の不手際ばかりを吊し上げる論調ばかり。

未経験の、ヨーイドン! ならば、齟齬があってフツーだろう。

得点競走でもなかろうし、まさか、100%実施とか本気に考えているのだろうか?

まづは60~70%に行き渡るくらいまで行ってみる、でいいし、そもそも免疫効果は一生でもなさそうだから、今回のワクチン一斉接種は、決してゴールじゃあない。

それよりか、いままでの季節性とCOVID-19 の両方に対し、1回で済むようなワクチンの開発に着手すべきだろう。

はたして、来年にかけての冬は、何回ワクチンを打つことになるのやら?、いまからそれが気にかかる。

では。

無知を恥じず、居直りもせず

❶日本で暮らす外国の方が、PCR検査を受けに行ったら、会場に梅干しの絵が貼ってあった。
この人、いままで梅干しを食べたことがない。
なんでそんな絵が掲げてあるのか皆目わからなかった、というお話。
なお、PCR検査は、唾液を使って行なった。

❷米国人は、マスクをするのがとても嫌、と聞いた。
そこで、日本人にその苦痛がわかるように説明してくれと頼んだら、
明日から、家の中で靴を履け、って言われたら日本人はとてもやりきれないでしょう?
それと同じくらいのことだよ、と教えてくれた。

❸目の不自由な人が電車に乗っていて、時刻を知ろうと携帯電話を使ったら、そばにいたご婦人が、電車の中は使っちゃあダメじゃない、と激怒。
あまりの剣幕に、弁解する気も失せた、という話。

……SNSを漁っていて、目についた話題。

たいした疑問も感じないで生きている中、それが当たり前ではない人々のココロを汲み取ることができないこともあるだろう。

無知であることをすべて恥じる必要もないが、知らないことは知らない、と正直になって教えを乞う姿勢を持ちたい、と思う昨今。

では。

〈コメント〉(ただし、憧れのリネン、の記事へ)
☞ルノワール氏より (6/15 15:43)
今から35年前
当時の景気は絶好調!
我が国では空前のリネンブーム
夏服は麻に限る
って謳い文句で
麻のスーツを沢山オーダーしました。
今日日のスーツは
タイトフィット&ショート
ですが
麻のスーツは
スーツの中を涼風が泳がないといけない
でないとリネンスーツの意味が無い
よってややルーズフィットのノーベント
2本タックのパンツ
涼しい夏のスーツです
これぞ季節の風物詩ですね
街のアイビーリーガーの成れの果て
の萬年さんと私ですが
リネンスーツに関しては
♪そんなの関係ない♪
で御座います。

☞萬年より (6/15 16:37)
街のアイビーリーガー、と言われてもわからない世代が
もはや肩で風切って?、いるんでしょうかね。
なれの果て、らしくサラリと闊歩したいものですね。

ストレスチェック を信じるか?

年に一回、職場で自答式のストレスチェックが行われる。

案内に、趣旨は、社員のメンタルヘルス不調を未然に防ぐため、とあった。

貧富、貴賤におかまいなく、トップアスリートだって罹患する病なんだから、甘くみてはいけない。

ただ、前職に比べれば、現職の心理的な負荷など取るに足りないように思え、たとえ感じるにせよ、その要因はかなりわかり切ったものである僕からすると、自己採点にあまり意義を感じていない。

しかも、こういうテストは、回答者の、テストそのものへの批判的な姿勢を汲み取れないだろうからと、どうも信用できない。

せいぜい、本人に記入させることで、変調に気づかせる、ってことが最大の利点なんだろう。

……といったもろもろで、もっと苛酷な職業生活を送っている家人にこそ断然価値があるはずと、毎年、回答をお願いしてきた。

で、今年もと、頼んだけれど、なぜか拒絶される。

そこをなんとか、と頼み込むと、しぶしぶご記入のご様子。

数日後、用紙を封緘しようとしたら、あれっ、裏面が未記入。

― 表面しか回答してないんだけれど?

― 裏は、職場の上司との関係性を問うているから、あなたがやるべきでしょう、とのご託宣。

うーん。
議論しても疲れるから、仕方なく自分で記入した。

しかし、別の人間による合作回答が、マトモな評価を導くんだろうか?、果たして。

もしもですよ。

あなたのストレス表出はかなり不自然で、かつ、回答姿勢に問題有り、との結果であれば、それこそ、この方式を100%信頼してしまうんですがね。

では。