議論がもつれてくると、たいてい、
― あなたって、なんでも否定から入るのね !
と、最後通牒を突きつけられている。
既成、所定の事実を疑ってかかる、という習性がどうも染みついてしまっている萬年。
そもそも、自分の考えや行いの妥当性さえ信用できない奴なので、待てよ、と自問自答するのが、習慣になっている。
まして、他人のやることとなれば、理解できるというのが、むしろ幻想なのではあるまいか?
わかったふりして、上っ面を流しているようなことは極力避けたいわけだ。
むしろ、こちらのほうだって、
― その絶対的な自信はどこから来るの?、と問い詰めたくもなるが、
キッチン周りの平和を乱さないためにと、言葉を飲み込んでいる。
いろいろと騒がしいワクチン接種についても、なぜ高齢者からなのか?、しばしば疑問に思っていて。
加齢により体力が落ち、疾患も抱えていれば、重症化や死亡するリスクが高いから、というのがタテマエだろうが、果たして、それがコロナ禍終息において、社会全体として最適な選択かどうか?
実際は、面倒な手続きを略したいがために、年齢を切り口にしたに過ぎないんであって、そこには長幼の序、といった匂いは皆無。
職場の同僚、ビートル氏のご母堂は 当年93歳。
その母上に、接種の案内が来た。
けれど、まったく外出もせず家内で日常生活を送る者を外に連れ廻すほうが、よっぽど心配なので受けさせない、と言っていた。
やれ早く全国民に、というかけ声と、現場の不手際ばかりを吊し上げる論調ばかり。
未経験の、ヨーイドン! ならば、齟齬があってフツーだろう。
得点競走でもなかろうし、まさか、100%実施とか本気に考えているのだろうか?
まづは60~70%に行き渡るくらいまで行ってみる、でいいし、そもそも免疫効果は一生でもなさそうだから、今回のワクチン一斉接種は、決してゴールじゃあない。
それよりか、いままでの季節性とCOVID-19 の両方に対し、1回で済むようなワクチンの開発に着手すべきだろう。
はたして、来年にかけての冬は、何回ワクチンを打つことになるのやら?、いまからそれが気にかかる。
では。