テグジュぺリのブレスレット。

サン テグジュペリは、1900年の、6月29日に生まれ、

1944年7月31日、地中海域で偵察機(ロッキードF5型)を操っているところを、ドイツ軍機 (メッサーシュミットBf109) に撃墜されて戦死した。

享年 44歳。

ただし、当時は消息を絶ったのであって、戦死と認められたたのは、かなり後年になってのこと。

1988年、マルセイユ沖で、テグジュぺリと妻の名が刻まれた銀製のブレスレットが、漁船の網にかかって発見された。

それを契機に、2003年の捜索によって、彼の搭乗機の破片などが回収されたことで死亡が確定。(ただし、遺骨は未発見のまま)

テグジュぺリは、1940年に米国に亡命している。

だから、1943年、自由フランス空軍への実戦参加は、外国籍の義勇兵の身分としてだった。

……、と書き下すと、けっこう格好はいいが、御年すでに40代半ば、しかも、実戦投入直後には機体を破損させる事故を起こし、軍規によって飛行禁止処分を受けた身の上。

既に第一線から退くべき者が、あえて搭乗に固執して復帰できた背景に、もしも、テグジュぺリの作家としての名声に対する配慮が在ったとしたら、僕には、かなり興醒めなこと。

もっと有能なパイロットを搭乗させないのは、戦略的に言っても、あり得ない話だろうと思う。

さらにさらに、後年、テグジュぺリ搭乗機を撃墜したと証言した、元独空軍パイロット(ホルスト リッパート 1922~2013 )は、あれがテグジュぺリ機とわかっていたら、撃ち落とすことはしなかった、と述べているらしい。

これ、ご当人からしたら、テグジュぺリへの敬愛を示そうとした発言なのかも知れない。

けれど、相手が無名のパイロットならば平気で撃墜してたんだろうし、それが軍人として当たり前の行動だったわけだから、今さら、後出しじゃんけんのようないい子ぶりに不快感だけが残るのは、僕だけか。

けれど、現実の人生、エピソード、名声などまったく知らなくたって、あるいは、それらに耳を貸さなくたって、テグジュぺリの作品は、それ自体が素晴らしい。

そんなわけで、久しぶりに、『夜間飛行』(1931年発表、1951年 堀口 大學訳) を引っ張り出している。

では。

『ささやかなこの人生』を生きる。

ちょっとした打ち合わせをしようとして、K君にショートメールを送っておくっておいたら、その翌日、返信があった。

ご本人には内緒で、その本分をここで披露してしまおう。

……実は、今日明日と、友人と箱根の温泉に来ています。客足も増えているようです。
雨かと思いきや、気温は、30度。
一緒に来た友は、晴れ女だそうです。……

かように奥ゆかしい文章を操るところが、K君の憎いところ。

実は、来月、彼と一泊の小旅行を予定していて、そのための打ち合わせなんです。

この楽曲は、1976年の、今日6月25日に発売されている。
演奏者は、風。

湘南カラーの電車が泣けます。

では。

我が 鎌倉あたり。

時候の憶え、6/23(葉が裂けていないが、おそらく)タチアオイが開花。

何年か前の夏、僕は、相模湾に面した葉山町を車でうろうろしていた。

或る画家の作品を漁るために、回顧展が開催された、その地に在る美術館を訪れるのが目的だった。

途中、JR逗子駅に立ち寄る。

そこから、三浦半島をくねくねと周回する細い路地路地を美術館へと道をたどると、夏の日に輝く海が眩しい。

葉山は、鎌倉と横須賀の中間くらいにあるところ。

潮風に曝され、清潔に錆ついて眠っているような街の風情は、ふだん山国に暮らす僕にとって、これからいつも、憧憬に近いものを感じる景色に違いない。

だから、できる限り早く、ベルマーレ平塚のホームスタジアムに出向く日が来るのを待ち焦がれよう。

ちょっと寄り道して、藤沢から江ノ電に乗り込んでしまおう、という魂胆なんです。

では。

ニュートンの林檎、萬年の春椿。

きのうは、夏至だったようだ。

庭を歩いていると、ぽさっ、というかすかな音。

振り向いて音のしたほうを見やったら、ちょうど今、春椿(はるつばき) の花が落ちたところ。

気がつけば、一面の、夥しい落花。

アイザック ニュートン (1642~1727年) は、林檎が落下するのを見て、万有引力を発見した、というエピソードが語られる。

けれど、これ、かなり乱暴な話でありまして。

たとえ、眼前で林檎が樹から落ちたのが本当だったにしても、ニュートンの頭の中で、日頃から地球内部への力が想定されていなければ、その光景に飛びつくこともなかったに違いない。

だから、林檎の落果が彼に、ふたつの物体(中心)間の、距離の二乗に反比例するエネルギーの存在を〈再確信〉させた、というぐらいで次世代に伝えるのが無難。

で、僕の頭の中には、取り立ててなんの観念もないので、春椿の落花を前に、閃くことなどは一切なかった、という朝でした。

では。

負けても魅了する その走り。

去る6月9日~12日の四日間。

大阪(長居スタジアム) では、2022日本陸上選手権が開催された。

田中 希美(1999年生れ) は、1,500m(6/10) と 5,000m(6/12) で優勝し、この2種目において、オレゴン世界選手権(7月、米国) 代表に内定した。

これだけだと、その実力から言って、そう驚きもしないけれど、感心してしまうのは、5,000m決勝の約1時間前に、800m決勝を走っていること。

800mは、ラストスパートをかけるも、先行した塩見 綾乃にわずかに及ばずに、2位。
ま、これにしたって、あとすこし距離があれば逆転していただろう。

たとえ負けても、観る者を魅了してしまう走りは、つくづく大したものだ。

才能、といったひと言で片づけられないような、鍛錬の裏付けがこちらに伝わってくるではないか。

さらに付け足すと、田中は、400mにも出場することがあって、これなんかは、機会があれば、ラスト1周のスプリント養成を狙う、貪欲さ。

と、3部リーグで現在3位につける我が山雅には、とにかく、最後の最後まで、かような虎視眈々の追い込みを手本とせよ、と言いたい。

註)お忙しい場合、スタートは、動画2分50秒くらいからです。

 

では。