幼い人種差別主義者を 擁護する。

幼い、つまりは、幼稚なお話をひとつ。

フランス代表のサッカー選手がふたり、何年か前に来日した折のこと。

宿泊先のホテルで、そこの日本人スタッフを愚弄している動画を蒸し返され、東洋人への人種差別だ、と糾弾されているらしい。

FCバルセロナという有数のビッグクラブに所属していることもあって、その世界ではそれなりに有名なんだろうから、メディアやSNSなんかにとってはオイシイ餌食になるんだろう。

糾弾に対する釈明を読んでみたら……、

―たまたま日本の地で日本人相手だから、ああいったマネをしただけ。
自分たちの交友の中では、ああやって人を侮蔑することはよくやること。
ただ、気に障ったのなら、謝るよ。
……、とひどく正直に語っている。

特段の悪意ではなく、これからもこの程度の無節操な会話をしながらサッカーやって生きて行くんだ宣言、という感じがした。

サッカーの技量に優れていれば、自動的に、人格的に洗練された知性を有しているわけでもあるまいし、あまり目くじら立ててもなぁ、というのが僕の考え。

渦中のふたりにしたところで、その素養の低さを責められるほどに、高級な教育を受けてきた、とも思えない。

良いこととは思わないが、人種の壁がやすやす乗り越えられる(べき)と思うことのほうが、むしろお気楽な考え。

―フランス人てのは、ケチでねぇ。
そのくせプライドが高い。
こちらが英語で話しかけても、そんな野蛮な言葉を使えるか!、って態度で知らんぷりするんだよ。
そうなると、こっちも頭にくるから、金銭的な話題を匂わせるのね。
すると、お金で損すると困るから、途端に英語で返してくるわけ。

これ、数十年前、昔フランスへ留学した人(故人のフランス語教師) から聞いた話。

結局のところ、人種その他の差別には、こういった個人的な応酬で報いるしかない。

自分の裡に在る差別意識や行動を、いつも検証しながら、その時のために、せいぜい差別の突破口を開けるような武器(もちろん比喩です)を準備しておくことだ。

ただ、フランス人の肩を持つわけじゃあないけれど、パリの真ん中で、大部分が塩化ビニールで仕立てたバッグに群がる若輩の日本人、ってのはいいお客さんなんだろうが、尊敬はできない人種でしょうね、きっと。

僕にしたって、ブランドマークを大きくあしらったポロシャツを着込んだ東洋人などを冷ややかに観てますしねぇ。

とまぁ、あまり熱くなっても仕方のない話題ですが、ただ、ミステリアスなのは、なぜ今ごろになって、数年前の差別行動が蒸し返されたんでしょうか?

もしもですよ、プレイヤーふたりとの契約交渉を有利に運びたい陰謀がそこに在るのならば、これこそ、冷酷なクラブ経営と言えましょう。

もちろん、山雅にはやってもらいたい手法ではありません。

では。

梅雨に憧れる 『さらば恋人』

ジャガー氏は先日、リハビリを兼ねて、車山高原に登った。

人の出はどうだったの?、と訊いたら、近くの駐車場は満杯。

なんで、すこし離れたところに駐めました。

山は恋人、という方々はこの季節、多く繰り出しているんだなぁ。

ニッコウキスゲには、まだ早いとのこと。

ジャガー氏が、はて?、それから八島湿原に足を延ばしたのかどうか、会話の最後のほう、いい加減になってしまって定かではありません。

そのジャガー氏情報によれば、国道19号の〈芳野〉交差点のたもと、元ガスステイションの在った場所に、現在、一風堂の松本店が建設中。

へぇー、これで彼、八ケ岳の帰りに諏訪店に立ち寄らなくとも、もっと近くで楽しめる、ってわけか……。

では。

〈椿〉のウソ。

ヤマボウシの白い花(実は、総苞片)は、やがて茶色に枯れると落下していく。

すると、それを待っていたかのように、隣にある沙羅の樹で、花が咲き出した。

へぇー、まるで花期のバトンタッチのように。

平家物語の冒頭にある、沙羅双樹の花の色、でおなじみ。

家人もシャラ、シャラ、とありがたがっている様子。

ガウダマ シッダールタ(釈迦)の入滅に際し、臥所のまわりに在ったという沙羅。

ゆえに、仏教にとっては、シンボリックな樹だから、寺院にはかならず植えてある。


ところがです。

本物は、耐寒性に乏しいため、日本では、温室でないと生育できない。

そこで、似て非なる〈夏椿〉をご本家に見立てて、沙羅としている、というのが真相。

沙羅は、フタバガキ科の常緑高木。対し、夏椿は ツバキ科の落葉高木です。

代用、といえば聞こえはいいが、日本全体の仏教界による公然たる〈ウソ〉であることを、知っておいてから、この樹を楽しむのがよい。

映画『椿 三十郎』(1962年公開、黒澤 明監督)では、主人公の名前や、襲撃の合図として、椿がたいへん効果的に使われている。

この作品の圧巻は、最後の、三船 敏郎と仲代 達也による決闘シーン。

かなり誇張された描写が、その後の時代劇で模倣を数多く生んだ。

ただし、表現は決してリアル(現実的)ではなくて、かつて日本軍人による軍刀を使った殺害場面に遭遇した人が、このシーンを観て、

― あれはない、と絶句した、というのを、どこかで読んだ記憶がある。

だから、これは、黒澤組による架空の演出、つまりは〈ウソ〉の世界。

後方に並ぶ侍9人の画面への入れ方が、巧い。
反応の迫真性を出すため、彼らには演出方法が秘されていたらしい。

(註:接近戦のゆえ、三十郎(三船)は、敢えて左手で抜刀、右手で剣の峰を押し出す、イチかバチかの居合い抜きを披露してます)

この作品、1962年度のキネマ旬報賞では、第5位。(主演男優賞は、仲代が受賞)

選考の好みもあるんでしょうけれど、この程度の順位であったということは、当時、俊才が多く映画製作に結集していた、つまりは、この業界に活力があった証拠でありましょうか。

2007年に、まったく同じ脚本を使ってリメイクされているのを今回知りました。

では。

とにかく習慣化せよ。

ジョー氏は、2年間でウェイトを、18キロ落としたのである。

その後、リバウンドもなく、70キロを切ったあたりを保っている。

― どうやって?、と訊ねたら、

運動によってでなくて、食事だけを工夫したらしい。

最初の1年は、夕食を一切摂らなかった。

要は、1日2食で過ごした。

苦しかったのは、最初の1箇月くらい、あとは習慣化して過ぎてしまった。

次の1年は(そして今も)、夕食は白米抜きでおかずだけ、という食事を続ける。

大好きだったスイーツや、甘いコーヒー類も遠ざけているようだ。

― ベルトの穴が3つも動きまして、着るものにはなかなか難儀します。

― で、奥さんの受けはどうなのよ?

― もっとウエイトがあってもいい、と言ってはいますけどね。

まぁ、たとえご伴侶からの称賛はイマイチであっても、高校生の娘さんは喜んで並んで歩いてくれるだろうから、そちらのほうを喜ぶべきではあるまいか、ジョー氏。

では。

【コメント】
☞ジョー氏 より (6/26 14:45)
ダイエットのきっかけは、自分自身の病気ですね。
薬を毎日服用する様になり、これ以上他の薬を飲みたくない思いからのダイエットです。
何となく始めてみたものの、まさかここまで痩せるとは。
大成功!?でしょうかね。

この勢いで禁煙をチャレンジしてみたいですねぇ、、
多分無理でしょうけども。笑
17歳で反抗期真っ只中の娘も、ダイエットより禁煙を望んでいる様子です。。

☞萬年より (6/26 20:38)
禁煙ね。
それは、いいじゃあないですか。
マーク トェインは、
― 禁煙など簡単なことだ。なぜなら、自分は何回も禁煙しているから。
とフザケたことを言っていますけれどね。

六月の空に 詩ふたつ。

〈シャボン玉〉

シャボン玉の中へは

庭は這入れません

まはりをくるくる廻ってゐます
          (ジャン コクトー作、堀口 大学 訳1925年)

 

〈紙風船〉

落ちてきたら

今度は

もっと高く

もっともっと高く

何度でも打ち上げよう

美しい

願いごとのように  (黒田 三郎 作 1964年)

 

六月の空に、そんな気分を懐かしんでいる。

では。