この時季だから,ではなくて。

僕は、8月15日を、それほど、絶対視していない。

つまり、この日を境に、日本が180°までは変わってはおらず、

滅びたのは、絶対天皇制くらいで(徹底的な武装解除政策は、その後、数年で変更される)、

2発の原子爆弾によって、万事休した日本政府が、ポツダム宣言受諾を宣した日に過ぎない。

もちろん。

米国が、投下の正当性として主張するとおり、本土決戦が敢行されていたら、もっと多数の日本人が殺害されたことは、間違いない。

ただし、米国には、原子爆弾を使用しない選択肢もあったわけだから、

投下について、知らんぷりや、正当を決め込んでもらっては困る。

(日本人のほとんど誰もが、いまだに、米国の投下責任を追及しないが、何故?)

そうしておいて、米国発の音楽、流行を受容する僕ら。

……前置きはここまで。

勤務先の食堂に置いてあった、某市民タイムス8月9日版を、山雅の話題でもあるかやぁ、とめくっていたら、ひとつのコラム記事。

佐藤 進氏 署名。

冒頭、ひとつの短歌を採りあげておいて、

その作者の石川 啄木が、最晩年(26歳で亡くなる)に、

社会主義思想に関心を深めていきました……と続ける。

啄木が、社会主義に〈好意的な〉関心を持ったのは、間違いない。

が、当時の、

かなり無理をした格好での、後発的の急激な、資本主義化が進む状況下では、

知識青年層の多くが、社会主義への憧憬を抱いたのであって、啄木が特別ではない。

もちろん、啄木を題材に採りあげることは構わない。

氏は、つづけて、

その目指した理想は、共同原理に基づく民主主義と平和主義、そして福祉主義の相互扶助の社会だった、と。(ここらは、岩手県立図書館による資料の抜粋)

これを引用するなら、なぜ、民主、平和、それと社会の3つの主義が、セットなのか?を、歴史の検証によって述べねばならないが、

それも、ここでは、我慢するとして、

問題視されるのは、段落が変わって最初の、

平和憲法が邪魔とばかりに戦争準備が着々と進む今を、啄木が見たらなんというでしょうか。(原文) ― の文言。

マジメに反論するのが、かなりしんどいのだが、

平和憲法が邪魔とばかりに進む戦争準備……か。

僕は、フト目にした記事だから、これがシリーズ化していて、この筆者による、他のキチンとした論証を見ていないせいかも知れんが、

しかし、こういう呈示のしかたは、ひとっ跳びの決めつけ論調で、かなり狡く粗い。

して、最後の締めはこうだ。

啄木が生き返ったら、今の日本をみて、

― 国民を守るどころか滅ぼしかねない戦争を、なぜ?と問うのでは?(原文)

ならば、

この筆者に訊ねたいのは、

❶押し付けられたものだが、せっかくだから、第9条の理念は、都合よく使う(僕の考え)として、

リアルな世界情勢で、独立国の日本が、武力(=軍隊)を保有することは避けられない。

ゆえに。

国民を守るような(可能性としての)戦争の〈仕方〉について議論することが、僕らのすべきことと思うが、どうか?

❷国民を滅ぼす戦争とは、具体的に、どういう戦争をいうのか?
負けいくさをするな、ということか?

とにかく、それを規定した上で、

制度的な防止策を議論すべきだと思うが、どうか?

❸最後の蛇足。

日米安保条約による在日米軍の件。
もしも、条約を破棄、あるいは修正して、米軍基地を廃すれば、
有事のために、備える自国軍隊とその装備は、いまの国家予算の規模ではとてもおこなえないが、どう考えるのか?

たかが、いち地方新聞の、エセ平和論に対し、

真面目に、喰いつき過ぎた、かな。

では。

とことんマジメな 信濃の民。

(by アンドリュー ワイエス 〈島のポーチ〉部分 1999年)

TVが、今回の長野県知事選挙の投票率は、40%を、チョッと超えた、と言っていた。

僕の空耳でなければ、これは、史上最低らしい。

メディアの言いたいのは、過去いちばん低い投票率、のところにあるのかどうか知りませんが、

僕からすると、このような選挙、いわば、選択の余地もない投票を求められた有権者は、

とてつもなくマジメな投票行動を採った、と思える。

僕は、そうだな。

投票率は、よくいって、30%前後くらいか、と考えていた。

棄権することで、現職でいいよ、との意思表示、といった。

過去4期を積む中で、相当に磐石な権力態勢をつくりあげ、

しかも、これといった失政と、対立勢力がない。

やっとのこと、

コミュニスト政党が、県組織の副委員長を、〈義務的に〉擁立し、競合相手は、彼ひとりだけ。

この図式では、

それこそ、どこかの週刊誌が、機をみて、現職のスキャンダルをぶっ放さない限りは、

現職の当選は、200%超 確定だ。

対立候補者だって、承知。

かように、実質的な選択肢がない。

にもかかわらず、

有権者の、10人に 4人も!! が投票所に出かけて行って、

その90%近くは、現職の名を用紙に書く。

万々が一、間違って、

コミュニストが当選しても、長野における地方政府の共産主義化などはあり得ないのだが、

今回の選挙は、一見、現職への信任投票にみえるけれど、

僕は、コミュニストパーティ出身首長(県知事)への、拒否権行使とみるべき、と考える。

まぁ、それはそれで、マットウなんだが。

世はほかに事もなし、ただ、つまらない、といったら失礼か。

では。

木霊(こだま)を信じるか?

木魂、とも書きますな。

老木や、大木には、精霊が宿っている、という考え、または、信念。

結論からいうと、

僕は、動物同様に、植物もやはり、〈霊魂〉を有する、と思っているので、

それを、巨木に感じとるのは、ごくごく自然で、理解できる心情です。

先日。

職場のロッカールームで、同僚が、今度、家の樹を切る(倒す)ことになった、という。

― それは、ねんごろな弔いが必要だろうね。

そしたら、既に、玉串料を支払って、神官に祈祷をあげてもらった由。

ちなみに、伐採費用は、かたづけをふくめ、80,000円とのこと。

これぞ、まことにもって、あるべき姿であろう。

ところで。

かなり以前から空き地になっていた場所には、

そうだな、高さ 8メートルくらいの、立派な合歓の木が立っていた。

ところが、数年前に。

周囲の草木が、除草剤で、褐色に全滅したのと同期して、

その合歓の木も、二年くらいをかけて、枯死してしまった。

きっと、除草液が、悪さをしたに違いない。

なんとも、無残な最期ではないか。

……と、傍らを通る度に、ココロを痛めていたのだったが、

最近。

その土地にブルドーザーが入ったな、と思っていたら、

今度は、土地造成のための、L型擁壁(コンクリート)が、多数積まれてある。

どうも、土地を分筆(分割) して、何軒かの家を建てるらしい。

さて。

ひとかどの樹に、あのような最後を遂げさせた土地所有者はともかく、

新たな住人に対し、木魂が、怨念を晴らすようなことをしなければよいが、と心配している。

では。

神保町で,九死に一生を得る。

三省堂ビル(@神田) での、出来事。

(再発防止のために、店名を記す)

店内のカフェで一休みした折、

小学五年生が、トイレに行きたい、というので、捜しながら同行した。

― あ、会計(と受付)が面している廊下を進んだ、いちばん奥のあそこね。

彼は駆けだすと、右側のトイレへと入っていく。

僕は、10メートルほど遅れてその後を歩くと、トイレに近づき、

フト、左側をみたら、

そこには、男性用(青)を示す表示が。

待てよ、と思い、小学生が消えたトイレの入り口看板を見ると、

な、なんと、女性用ではないか。

しかし、時すでに遅し、だ。

仕方ないから、トイレから悲鳴が上がりはしまいかと、不安に見つめること数分。

……しばらくして用を済まして出て来た彼に、黙って、入り口の表示を示す。

― うわーっ!!
どおりで、立ってやるのが、ひとつもないわけや。
他に誰もいなくて、助かったよ。

実は。

この本屋は、なにか含むことがあるのかどうか?、

男性、女性の〈画〉は、ユニバーサルデザインを使っているんだが、

男女ともに、同じ青色を掲げているのです、トイレの案内に。

帰り際に、そうする理由を尋ねようと思ったけれど、やめにした。

しかし。

小学生とは、

月に一度くらいは、間違って入ってしまう哀れな闖入者が発生し、

不幸なトラブルになるんじゃぁない?、と話している。

では。