インターネット時代ゆえの孤立、

というか、蚊帳の外に身を置く、といった趣きのお話。

東京へ行って電車に乗ったりすると、車中の約9割くらいは、

思いつめたような顔で、じっとスマフォに見入っている、あの有り様。

僕にとっては、ほんと、ゾッとする光景で、

こういう景色に囲まれる日常ならば、すぐに、そこから降りてしまいたくなる。

といっても、ウェブでつながる世界からは、恩恵も得ているので、ますます逃げ出せなくもなる。

新聞は止めて久しく、週刊/月刊誌には、最近とんとご無沙汰。

給油待ちのガスステーションの待合で、手に取るばかり。

TV画面にしたって、出勤前の、時計代わりにぼうっと見るくらい。

他方。

日々起こる出来事を、丹念にインターネット上で捕捉しようともしない。

おかげで、小澤 征爾氏のご逝去を、一週間ほど経ってから、知った。

個人的なつき合いもない御方なので、訃報を逃がして日を重ねても、別にどうってこともないけれど、

小澤氏が、松本の街を本拠に、ずっと定期的な公演を持ってくれたおかげで、

ふさわしい会場としての、市民芸術館も成ったわけだから、

あれだけの、にぎにぎしい新体制発表会を観られることについては、

山雅ファン&サポーターとして、

氏に、深く感謝しなければならない、と思う。

享年88。

ご冥福をお祈りします。

なにか曲を、

で、ブルーベックとデズモンドによる演奏。(jazzです)

鳩が、青く見える、からの、タイトルなのかしら?

では。

この熱心を見習え。

― ねぇねぇ、これ聞いてよ。

昨日、入っていたんだけどねぇ、と言って家人が、

固定電話の留守録をひとつ、再生してみせた。

……(こちらは)総務省、電波監理審議会です。(何十分後に?)この通信を停止します……、とかなり早口にまくしたてていて、

画面には、問い合わせ先を思わせる電話番号があった。

発信元の局番をみると、81 から始まっているので、

― なんだこれ、海外からの電話だね。

他人をダマすならば、総務省を名乗りながら、外国経由で着信するようなのは徹底度がアマい。

かつ、言葉の調子があまりにも余裕がなくて、一本調子。

というわけで、高齢の主婦ひとりをダマすことさえに失敗だ。

やるなら、もうすこし、細部にこだわってもらいたいもんだが、

でも、日頃、電話料金を滞納気味にしているお方、または、あまりにも生真面目な人には、本当らしく聞こえて、折り返し電話してしまうのかも知れない。

このほかにも、アンケート調査に見せかけて、それに引きずり込むような着信は、しばしば。

こちらは、音声の頭が切れていて、入り方が唐突で、お話しにならない。

しかしまぁ、ダマすほうは、それはそれは(あまり無い)智恵を絞って、新しい手法の開拓に忙しいに違いない。

こういう熱心だけは、見習いたいものだ。

では。

浅ましきこと 浅ましきこと。 

ふと気づくと、メルセデスは、

フロントグリルにでっかいエンブレムが鎮座、さらに、エンジンフードの突先にも、エンブレムを施してある。

そういえば、アウディもかつてより、ずいぶんと、四連のサークルが、大きくなった。

レク〇スの顔は、ダースベイダーとそっくりさんで、

八つ当たりあたりついでに、

ラルフロー〇ンのエンブレムは、左胸にべったりとデカく伸び切って付く。

これらエンブレムの巨大化は、

僕の正当なる偏見と推断によれば、

すべて、かのシナ市場において売上を伸ばさんとする、欧米企業の、臆面なき浅ましさの産物に他ならない。

が、今後もそれでいいのか?

見直しは、早晩おこなわれると思いますが、

それとて、どうでもよいこと、どうでもよいこと。

偏見は人間にとっては都合よくできている。
それは、気安めとうぬぼれを助長してくれる。(by エマヌエル カント 1747年頃)

気をつけねば。

では。

夢想し過ぎて,買う怒り(おそらく)

静岡市清水区の〈河岸の市〉といったら、あの界隈では、鉄板級の、食事処。

活気に満ちた魚市場が在って、その奧には、まぐろ館という、豪華な海鮮ものを押し出す食堂街。

が、僕のお目当ては、魚市場入り口の右手。

店のドアがわからないほど、ひっそりと、女将さんと、ほかに女性がふたりでやっている食堂〈どんぶり君〉

たしか、朝7:00から始めて、13:00には閉店。(日曜日定休)
なぜなら、おもに、清水港で働く人々や地元民が利用するからでして、

豊富な定食メニューから選べて、たとえば、

まぐろ定食は、まぐろ丼の他に、たしか2品ついて、千円で食せる、というコスパの良さ。

主に、観光客狙いのまぐろ館のお品代が、3,000円はくだらないのとは、世界がまったく違う。

しかも、ここのは、酢飯でなくて、あったかなご飯を使っていて、ありがたい。

ゆえに、どんぶり君へは、サッカー観戦(@IAIスタジアム)をかねて参上するには、土曜の午前中を狙うのみ、と稀少。

我がチームのことをのぞけば、昨季は、エスパルスがトップリーグ昇格を逸したのが、いちばんの衝撃であったのですが、

来季、どんぶり君行きが実現するためには、カップ戦で清水さんとやるか、それとも、リーグ戦で当るのか?、の二択。

で、後者を希求する、なんてぇのは、

それを知ったエスパルスファン&サポーター様ならば、怒り心頭となるや、必定でありましょう。

滝 裕太放出の、忘恩甚だしい、とか。

……、なんてことを、壁一面に、歴代の季ごとのエスパルスポスターや、プレイヤーによる色紙が貼ってある、どんぶり君の光景を思い出しては、

清水の皆様には、あくまで内緒で!!!、願っています

では。

思想で敗けた,あの戦争。

明日2月11日を、建国記念の日、と名づけるのも無理があるだろうに。

と、年に一度は、思う。

かつての紀元節を踏襲した日取りに過ぎないし、

そもそも〈建国〉の時季さえはっきりしない(神話) のが、この国の長い歴史の故なんだから、あえて国家独立の日は、きめなくていい。

やりたけりゃ、元旦と一緒に祝ったら?

さて。

神武即位で始まった〈紀元〉の、数えて 2,600年目が、1940 (昭和15年)に当り、

この年に、帝国日本海軍に採用された戦闘機だったので、下二桁 00 を採って、

零(00)式艦上戦闘機と命名されたのが、ゼロ戦の名で有名な、あの戦闘機。

実戦投入から2年間くらいは、他に圧倒的に優位な性能を誇った。

その速度、航続距離、上昇能力の運動特性、重火器武装などによって。

いまだに、レイセンを、傑作機と持ち上げる論調があるし、性能だけを言えば間違いではなかろう。

が、その性能を生みだすためには、徹底した軽量化を施していて、

そのために、機を駆るパイロットの、居住快適、安全は、無視された。

この国の、労働者全体に対する安全思想全般が、当時、その程度だったから、

発注した側の海軍や、受注した三菱重工業社を、

パイロットの労働安全衛生確保の思想が皆無だった、といって特別に責めることはできない。

たとえば。

台南基地を本拠とした零戦部隊は、

味方の爆撃機を護衛するため、エアコンなき氷点下の操縦席で、高度数千キロを数時間かけて飛行。
爆撃地に着くと、数十分の迎撃作戦に従事。
それからまた、数時間かけて帰投、その連続だった。
操縦席では、握り飯数個とお新香くらいを食す。

当時、これが、日本人の当たり前だったのかも知れない。

ただ、そうやって作戦の日々を通じて、多くのパイロットが損耗していった。

他方、米国は、作戦中に鹵獲した零戦を徹底的に分析して、これを〈脆弱な〉戦闘機と結論。

以後、対零戦用の戦術を開発、あるいは、ゼロファイターを上まわる性能を有する戦闘機を投入する。

太平洋戦争は、物量差を生んだ経済力(総力戦)で負けた、とよく聞く。

それも一理。

ただ、それは開戦当初からわかっていたことではないか。

だからこそ、あの戦争を、奇襲作戦ではじめたんであって、ならば、

いつ戦いを終わらせて外交が出るのか?、の時季を冷静に読んで、終結するべきだった。

が、そういた青写真もないままに無為に時間を過ごした、国家指導層の怠慢がひとつ。
(戦争終結の動きは、あったにせよ)

もうひとつには、

上に書いたような、パイロットの安全(=生命)軽視にみられる、

玉砕しても戦い抜け、といった労働者(人間)の使い捨て思想が、

どうにもならなくなったら投降せよ、と教える、労働者(人間)の温存と、その再生と活用までを計算に入れる、合理な思想に負けたのだ。

(民主主義 対 独裁体制、といった薄っぺらい構図ではないことに、注意せよ)

 

いつまでも、一面だけをみて日本海軍の傑作機、と誇ってていいのかいな?

そして。

人間の使い捨て思想は、いまも、僕らの周辺に形を変えて生き延びているので、

90年前の日本人を笑ってもいられないことは、確か。

では。