僕のカーライフ❶

ステアリング操作に、そこそこ機敏に反応してくれて、

走る、曲がる動作に、フラストレーションを感じず、

路面をしっかりとつかんでいる感覚が、腰や手に伝わってくる。

……それ以上は、〈車〉には望んでいない。

自動車の基本性能が向上している昨今、

だから、僕は、きわめて謙虚な車乗りだろう。

最近、車を変えた家人が、

― あたしの場合、車とのつき合いは、ス〇ルにはじまって、ス〇ルに終わる

…… と感慨深そう。

里山に近い坂のあたりに住んでいれば、一年中、アウトドアライフをやってるようなものだから、4駆、という保険はかけたくなります。

試しに、家人の新しい車を運転してみたら、

信号が青になると、〈前車発進〉とインジケーター内に表示される。

いいんだよ、こっちは一呼吸おいて出るんだから。

連続したカーブを、中央線ギリギリをトレースして抜けようとしたら、〈はみだし注意〉の警告音が鳴りだす。

他者の迷惑にならないような、自由な走行意思に楯突くような手厚さが、果たして、装備として必要なのだろうか?、と思うが、

これがウリになるような世情なんでしょうかね?

では。

大相撲に,八つ当たる。

知らないにうちに、春場所が始まっていた。

奇数月には興行がある、というのに、

いまは、御嶽海が前頭十枚目で勤めているといった一段落なムードと、メディアによる騒ぎ方の減衰もあってか、忘れてしまうんですね。

僕は、幕内で取るだけでも、たいした出世、と思っている。

だから、家人から、TVインタビュウの中で、

アナウンサーが、(言外にあきらかに) 三役から陥落したことを含んでおいて、

― いまの状況となった要因は?、と訊ねると、

運です、と御嶽海がキッパリ応えた、という話を聞くと、

その通り!!、と本気に、彼の肩を持ってしまうのだ。

露骨な誘導質問には、これくらいの返しでいいし、

御嶽海の場合は、真摯な意味で、〈運〉の一文字を使ったのだと思う。

加えて、僕が、大相撲に肩入れできない理由は、

❶制限時間一杯の立ち合いが常態化し、観戦に目を離せぬ緊張感のないこと。
一回目からの仕切りから、呼吸が合えば力士は立っていいのであるから、
義務的に、塩まきと仕切りを繰り返しているようにしかみえない。

☞ 内緒な話。
もともとは、放送する某局の、番組取り置き時間内に、取り組み全てがちょうど収まるための、巧妙なるしかけが、相撲そのものを変質させた説、を僕は採る。

❷立ち居振る舞い、といったことを持ち出す向きがあるにしては、力士に美しさを求める動きがないこと。

マワシの配色に気をつかうのなら、同じように、

出来る限り、身体には、バンデージやサポーターの類いは着用しないべきであって、

現横綱(四股名が出て来ない)の、両膝関節をおおう分厚いサポーターは見苦しいし、

かつ、その装着目的が、身体能力の補強であるならば、いくら、フェア精神が希薄な武道であっても、対戦において優位過ぎないか。

そこまでして勤めさせるのか?

興行(競技ではない)ならば、柔よく剛を制す、小兵の大物食いを狙って、批判覚悟で、

横綱の膝にケタグリを入れる力士が出て来るような、勝ちへの執着心を求めます。

では。

老いることとは、

肉体的に、いろんなところが衰えてしんどくなること。

たしかに、それはある。

でなけりゃあ、あれほどTVに、非科学的なもの言いで、健康や美容効果をまくしたてたコマーシャルがあふれるはずがない。

30分以内で注文すれば、とは、まるで、詐欺商法のタイムリミット方式ではないか。

(いや、詐欺のほうが真似たのだろう、オペレーターへつなぐには……、などと言うから)

だが。

ああいった乱暴な宣伝に飛びついてしまうのは、実は、精神が病んでいるからなのであって、

老化とは、ある種の精神疾患である、と考えざるをえない。

加齢がすすむと、かなりメンタルヘルスが変調、変質する(個人差はある)。

高齢者の行動を観察したり、自身の精神活動を冷静に振り返れば、これはもう、

僕のなかで、否定できない定説となった。

だから、〈老醜〉とは、精神が病むことについて言うのです。

我が物顔の身勝手な走行への怒り、

老人を介護する側のフラストレーション、

これらすべては、相手が健常なる精神の持ち主と、勘違いしていることに発する。

現代では、〈老成〉は幻想であって、

介護されて、それを感謝する高齢者が稀少であることを知らないと、

けっして高齢者を巧く扱えない、と思われる。

(年齢が上がるほどに、ありがとう、をしなくなるのが、一般的ですがね)

では。

ようこ,だったら……。

(画像の版権帰属先:オフィス ウエストウッド)

― 山本 陽子さん、亡くなっちゃったねぇ、と家人。

最近、『〇〇の部屋』に出たばかり、と付け加える。

― あれって、いまはメッタにお目にかからない往年の芸人を出演させることで、高齢の好奇心を誘う番組だから、そこに登場したら、いつ死んでもおかしくない、ってことだね。

― なに言ってるのよ、司会者の〇〇さんがそもそもご高齢だから、呼ばれる人もその年代、ってこと。

(そんなこと言って、登場したガチガチの厚化粧を笑ってる)

そして、その日。

職場へ行くと今度は、ルノアール氏が、

山本 陽子が亡くなった、と 四度も声をかけてきた。

彼にとっては、沢口 靖子に比肩するほどの、絶世の美形だった (近年の姿は知らんとのこと) らしいのだが、

僕にとっては、まるで、代表作や、はまり役が思い浮かばない女優さんなのだ。

そこで、

― ようこ、といったら、僕には断然、松山 容子ですよ、一択で。

と応えておいた。

では。

☞ 記事中の固有名詞をご存知ないお方は、ご自分の〈若さ〉に感謝すべき。(特記)

他人事ゆえの、好き勝手。

高宮の、イト〇ヨーカド〇が、来年1月をメドに閉店、と聞いた。

僕の記憶では、20世紀末にオープンしているから、25年くらいしかもたなかったお店の寿命。

グループの、コンビニ運営会社からは、俺たちが稼いで食わしているのに、図体ばかり大きくて利益を損ねている、と思われてきたんだろうし、

株主からは、不採算部門を切って、今出てる膨大な利益を散らすな、

と強烈な圧力がかかっていたから、当然な経営判断であって、むしろ遅すぎた感はある。

こういう局面では、もはや消費者の利便の観点などは、どこかに吹き飛ぶのが、高度化された資本主義なんだ。

で、あいかわらず、近くて、便利、といったコピーを掲げているから、

コンビニで不足をまかなってよ、ということなんだろう。

じゃあ、残ったハコ(建物) はどうするのか?

僕からしたら、駐車場はふんだんにあるし、市街地の、ほとんど中央に位置するから、

現在地に建て替えが予定されている市庁舎の、

住民サーヴィス部門だけでも、ここへ入居したら?、と思うが、

地方政府の発想は、そんなにスピーディーではあるまいから、まぁ、無理か。

せめて、お隣の、ド〇キホーテに頼み込んで、こっちに移ってもらう?

とにかく、前向きになりたいよね。

では。