アベちゃんと衝突する。

彼が、ハウルの動く城(2004年)、をえらい高く評価する。

なので、

宮崎作品は、新しい〈神話化〉を追求しているように思える。

だとすれば、風の谷のナウシカ(1984年発表)で、既にその最高点に達しているから、

それ以降は、同工異曲の焼き直しに過ぎず、

いまさら、採りあげるものがないよ、とか感想を述べると、

いやいや、あのカテゴリーは、

その作画(美術的な)が、重要な要素を占めるし、その点、ハウルの~は素晴らしい、という。

そうかなぁ。

もともと日本のアニメーション動画は、安価な制作方式(それ自体は否定しない)で作られていて、

発信(制作者)、受信(観客)の双方が、そういう技法的な枠組みを了解した中での、画仕事。

人物の動きを、解剖学的に捉えて再現してみせるディズニー作品群には及ばないのでは?

……親子ほどに年齢の隔たったふたりに、こんな会話が成立すること自体、

この80年間、日本のアニメーション界隈には、制作システムにおける断絶がないのだろうか。

では。

メリハリは大切 (宮崎戦プレビュウ)

知らないことは、解からない。

山雅のほかは、対戦相手となる時以外、ほとんど関心もないので、

だから、テゲバジャーロ宮崎についても、あまり知ったような事も書けない。

……と言ってしまうと、身も蓋もないから、少々。

宮崎について。

先季あたりのデータをみると、

まづは守備からのサッカー、と診る。

それも、出来る限り高い位置でボールを手に入れたい、といった。

こういうのを、〈守備的〉と呼ぶのには、チト抵抗がある。

(だとすると、山雅のサッカーも、守備的となるが)

リセットするのに、守備から始めたいだけの話としておこう。

で、今季。

下川 陽太の加入によって、その左サイドが、特に活性化している感があって、

そこに、あるいは、そこから、FW橋本、MF#10井上らが絡むとかなり厄介そう。

対し、山雅について。

成果のために踏むべき手順は、前節や前々節と、それほど変わるわけもない。

変化としてみられるのは、

前後(守功のスイッチ切り換え)への連動に、より規律性と速さを求めようとしていること。

ただ、現在、これを 90分間持続できないでいるのと、

一本調子でやって、果たしてゲームを握れるのか、というふたつの側面があって、

ゆえに、ゲームが止まった際は、こっちに時間の流れを引き込むような手練手管を使うべき。

☞ 今のスタイルで、ゲームをとおして圧倒できる技量を養わないと、リーグ無双はとてもできない (追記)

幸いにして、前節の奈良のように、宮崎は、敢えて低い位置でボールを動かすことで、こっちの陣形を崩そうと図るようでもない(あくまで仮説) から、

真っ当に、自分流のサッカーを全うする、これでいいんじゃあないか?

ただ。

こっちの右サイドに負担かかりそうなんで、

野々村が引っ張り出された時の手当て、つまり、ひとつ内側に入ってくる宮崎のプレイヤーを阻止すること、これは準備しましょう。

と同時に。

ルーカス バルガスと伊藤 陸音(2種)の選手登録が完了したことのほうに興味はいきます。

では。

喜ばないアルウィン,に関する考察 ❷

さて、

感情論に走ってしまう、みっつめの、絶対的な大要因

それは、

ゲームをどこからみていようと、一緒に闘う、と言ってみても、

観客は、決してピッチでプレイしない、ただ、観るだけ応援するだけ。

そして、展開されるプレイの連続と、ゴールと勝敗(いわば結果)を、味わうだけ。

当たり前だろうに、と言われそうですが、

これは、決して、動かしようのない桎梏。

さて。

なぜ、感情論で語ることが危険かと言えば、

過去、現在、将来にわたり

クラブとチームの勢力と意欲、それと、ファン&サポーターとの共闘を損ねるからだ。

山雅が、かならずしも期待される成果を挙げていないと、こういう傾向は、よけいに目立つ。

ただし、その期待値が、クラブ/チーム力から妥当であるか否か、は別の問題で、これだって感情で染められやすい。

勝率 58%。

と、歴代最高値を叩き出した名波体制(2022季)でさえ、

上位リーグへ導けなかったことからか、良い評価はほとんど聞こえてこない。
(根底には、3部リーグを見下す態度が僕たちに在るからだろう)

アルウィンが、果たしてプレイヤーを鼓舞しているのか?

今一度、それを考えてみないと、チームにばかり〈強さ〉を求めるのは、アンフェアだ。

ひとつの成果が出るには、それ以前に仕込みがチャレンジされるはずで、

たとえば、奈良戦でアシストを記録した #22 佐相の(菊井を狙った)前方フィード。

あれを、佐相は、ゲーム中で 3回はおこなっていて、そういった一見ムダにみえる仕事を見逃したくはない。

果敢にチャレンジしたが、成就しなかった縦パス、

実は、受け手が走り込まなかったのに、誰もいないじゃん、と一笑されるロングフィード、

そんなものが、すべてミスとして、ため息で断罪されるような現象が、

チームを鼓舞しないことを、

そろそろ、アルウィンは気づくのがよい。

結実させるために払われた、地味なルーティンとムダに思える仕事を救え。

ゴール後のハイタッチは、まったく喜ばしい。

ただし、喜ぶココロが、同時に、不興、批判を発するココロにも転化することを自覚せねば。

所詮は。

飲み食いしながら楽しんでいる観客と雰囲気(舞台)には、

そんなものを求めるほうが酷なのかなぁ、と思うものの、

やはり、チームに変われ、と注文するのなら。

(僕からみると、チームはあきらかに変わろうとしているのが2つのゲームを観てわかるので)

こっちはどうするの?、ってお話です。

では。

喜ばないアルウィン,に関する考察ひとつ ❶

日頃、不思議に思うことがあって考えていた。

― それは。

山雅を観続けている方々が、

なぜに、これほどまで感情的で、情緒的に傾く発言を繰り返すのか?、ということ。

ひとつには

SNS上で発信する場合、フォロワー(視聴してくれる人)を増やしたい欲求があるがゆえに、

とにかく、人の関心を惹こうと、情感に訴えることをまづ求める。

そのため、強い表現と語調で、他人の心境に至るよう書かれる。

本人だけがシャレて悦に入ってるような皮肉、悪口、攻撃的口調は、発言者みづからの品位を落とすだけ。

とは思うが、 SNS特有の匿名性の影に逃げるから安心して反復する。

発信者の素養とセンスはおおよそ、常套的語句の選択によってわかるけれど、人に訴えるぶんだけ、自己感情の表出が、際どい。

とにかく、思弁的、分析的な姿勢がかなり低い。

ふたつめ

マスメディア、フリーランスによる投稿、そういったものの論調に左右されると、どうしても煽情的になりやすい。

彼らもまた、購読数を狙っていて、キワモノ的な語彙を選ぶから。

関係者インタビュウから引用する場合、

インタビュアーが、これを言わせたいと誘導している事実(仮説)を知っておかないと

プレイヤー自身が、ゲーム直後冷静であるとは限らないので、

その仮説 を、即、実際の事実、と受け取ってしまいやすい。

ただし。

上のふたつは、せいぜい全体の 10%くらいの重みであって、

次のみっつめが、決定的な要因

それについては、その❷に続きます。

では。

春の雪に,無題。

今朝は、春の雪。

2月28日の夜に。

友人からショートメールが入っていた。

ジーン ハックマン亡くなりましたね。エネミーラインや、ポパイ渋かったです。

〈フレンチコネクション〉(1971年 米映画)で演じた、

ニューヨーク市警察の麻薬課のドイル刑事。そのあだ名が、ポパイでした。

好漢、悪漢、どちらも上手くこなせる俳優だった。

さらに他の作品を、いくらでもとめどなく、引き合いに出したくなるけれど、ここは我慢して、

フレンチコネクションでは、相棒のロッソ刑事役を演った、ロイ シャイダー(1932~2008)が、良かった。

あだ名が、クラウディ(cloudy)なんで、その性格が〈暗い〉。

クラウディが、颯爽としたアメリカントラディショナルの着こなしで、

ポパイの強引な捜査に嫌々ながら(憂鬱に)つき合う、ってところがなんとも味があった。

(コンビを組む刑事物のはしりでもあったか)

ロイ シャイダーは、

後年の、ジョーズ(1975年)の警察署長、マラソンマン(1976年)での実業家(ダスティンホフマンの兄として) のほうが、世に有名かも知れない。

……と、ここまで書いて。

訃報に接しては、故人を偲ぶ自分に、少々ウンザリときてしまう。

存命であろうとなかろうと、

今の今だって、誰かに思いを馳せたり、できれば、その人のため時間を使わなければいけないのに……と。

ま、せっかくなんで。

おふたりのご冥福を祈りつつ、

フレンチコネクションから、車のロッカーパネル内に、密輸された麻薬を見つけ出すシェーケンスをご紹介します。

では。