【現時点】なにを信用しないのか?❶

友人に教えてもらったこと。

対COVID-19ワクチンには、有効性90%が確認されている製品もある。

従来の季節性インフルワクチンのそれが、60%強であることを考えると、驚異的な有効性。

これはもう画期的なシロモノ、といえる。(生製方法の徹底的な違い)

いままで、季節性のワクチンを打っていても、インフルに罹ってしまう例はあった。
家人など、二年連続で罹患した。
そうであっても、発症の苦しみや、人に染すことを恐れて接種してきた。

で、新型のワクチン接種が開始されたことで、世界中で、いわば大規模な治験がおこなわれているわけだ。

かつてワクチンについてそれほど注文もつけなかった者が、なんで、この度のワクチンについては、これほど危険性をあげつらうのか?

まぁ、そういうお方は、COVID-19に感染するリスクと、ワクチン副作用で具合が悪くなるリスクを、正確に天秤にかけて発言すべきだ。

けれど、そんな計算式にもとづいた上で、どうこう言っているとも思われない。

では。

使いたい、けれど使えない

清水キャンプも今日まで。

ナショナルトレセンは清水区の山中に在るので、残念ながらこんな富士山は拝めない。

チームは、これから鹿児島へと向かい、桜島を眺める地でキャンプを張る。

旧聞に属すけれど、先月28日の 対モンテディオ山形テストマッチ(@御殿場)。

45分 × 3 本やって、合計で 2 – 2 の結果、という公式リリースだった。

―公約の、ゲーム当り 2得点したんだから、いいんじゃないの?、と家人。

―まぁね。でも、山雅の失点のひとつは、オウンゴールだから。
山雅が挙げた得点は、3 点だった、ってことだよ。

鹿児島入りして早々、サンフレッチェとテストマッチが組まれていて、楽しみ。

更に、昨年のように鹿屋体育大ともできれば、いいんだが。

結果はともかく、まづは、取り組み課題の達成度を感じたいね。

ところで、身辺整理をしていたら、10年位前の、山雅オリジナルのメモ帳(未使用)が出てきた。

旧エンブレムがなんとも懐かしく、クラブ名を透かしで印刷するおごりよう。

このエンブレム、個人的には気に入っていて、復刻の記念グッズがそのうち出てきてもいい。

ところが。

さて、メモとして使いたい。
……が、なんとも勿体なくて、手をつけられない。

そんな優柔不断に、呆れます。

では。

【挽歌】クロリス リーチマンに捧ぐ

女優のクロリス リーチマンが、1月27日に亡くなった。
1926年生れの、享年94歳。
老衰の、大往生だったようだ。

萬年が、リーチマンを認めたのは、『ラストショー』(The Last Picture Show 1971年)と、『ヤング フランケンシュタイン』(Young Frankenstein 1974年)の、ふたつの映画だった。

特に、ラストショー。

1971年はキネマ大収穫の年であったから、〈令和キネマ座〉トップ10では、たまたま選外となってはいるが、同等の評価を与えるべき作品かも知れない。

その映画の感想は、いつ(何歳のどんな時に)、どこで(または誰と)観たか、という個人的な事情に決定的に左右される。

なので、ラストショーのように、滅びゆく、ゴーストタウンに近いような、辺鄙な街の青春群像が描かれていると、評価は、なおさら大きく別れて当然だ。

たとえば、テキサスの空っ風が渡っていく、閑散と寂れたメインストリートを、カメラが、左から右へとなめていくシーン。

これひとつとっても、ご鑑賞になるあなたの年代(=人生経験の集積)によって、景色の見え方が、よっぽど変わってくるだろう。

それはさておき。
この作品の良さは、観てわかっていただくしかありませんが、
ここでは、役者陣の充実した演技に脱帽、とだけ申し上げておきましょう。

ティモシー ボトムズ、ジェフ ブリッジス、シビル シェパード、ベン ジョンソン、ㇰロリス リーチマン、エレン バースティン、アイリーン ブレナン、ランディ クエイド…、これだけ並べてみても、おそろしくなるほどの芸達者ばかり。

よくこれだけ集めたもの、と感心するけれど、実は、ㇰロリスにはゴメンナサイ。

萬年的にはここでは、アイリーン ブレナン(1932~2013年)の演技に、いちばん惹かれる。

『スティング』(1973年)で、ポール ニューマンの情婦役を演ってた、と言えば、ピンと来る方もいらっしゃるか。

アイリーンには、『プライベート ベンジャミン』(1980年)の、ルーキー兵(ゴールディ ホーン)に、さんざ振り回される鬼大尉役があって、これもおすすめ。

ラストショーは、130万ドルの製作費。
対し、2,900万ドル超の興行収入。
脚本と役者以外には、大したお金をかけていない、という意味で、模範的なヒット作なのだ。

作品40周年を記念して、監督(ピーター ボクダノヴィッチ)と4人の出演者が集ったリユニオン(同窓会)めいたパネルディスカッション(2011年頃)を観たことがある。
杖をついてそろりそろりと登場するクロリスを、皆が次々と抱擁するシーンには、泣けた、泣けた。

心の中で、老いることの魅力と迫力に大いに感涙した、のであります。

では。

突き放して 眺める。

或るSNS上の書き込みを読んでいて、ずいぶんと笑いながら、しかし、考えさせられてしまった。

その内容は、こうだ。

―自分が若かった、ずいぶん昔のこと。
入院した時に、同室になった爺さんは、戦争中はいかに大変だったか、今の若い者がどれだけ恵まれているかを説教する人だったが、食事の時に、こんなものが喰えるか!、と病院食を放り投げていたので、案外戦争の時って楽だったんな、と思うようになった―

くどくどとコメントするつもりもないが、あの戦争をまるごと、ナマのままで読み解くには、こういう観点が必要だろうなぁ、と思う。

これを、フテブテしく眺める視点、といってもいい。

けれどね、老いての傲慢さ、これだけは、いただけません。

老醜、という言葉があるくらいですから。

では。

碌山美術館の ケチ

荻原 守衛(もりえ、1879~1910年) は、第一級の彫刻家である。
号は、碌山。

安曇野穂高の、碌山美術館は、たまたま碌山の生まれ故郷に在る、ってだけの話。

ご当地が生んだ芸術家、とわざわざことわる必要のない、卓越した才能なのだ。

思い立ったら簡単に、その作品に接することができるしあわせを、僕らは持っている。

が、この地へ赴く楽しみのひとつは、美術館のチャペル風なたたずまいを味わえるところにあった。(1957年建設)

ところが、である。

いまや、この敷地内へ足を一歩踏み入れるだけで、入館料(大人700円也)が求められる。

いつから、なぜに、こうなったのかは知らないけれど、たとえば、今回は、館内へは入らずに、この敷地内を散策したいと思っても、あなたは、散策料を払わなければならない。

たとえば、静かなる庭の緑陰。

落ち着いて恋人と時間を過そう、なんてお洒落を禁ずるとは、まったく、なんというケチで、無粋なココロなんだろうか。

もちろん、碌山氏には、これぽっちも恨みはない。

では。