自力と他力 (金沢戦レビュウ本論)

ゲーム翌日、職場でヴァン氏が、

― 昨日の試合、後半をTVで観はじめたんだが、つまらなくってチャンネルを変えたんだよね。

彼はサイドバックとして、サッカー(シニアの部)を楽しんでいた御方であるから、それなりの知見をお持ち。
だからこそ、この感想は重い。

あのゲーム、前半はセカンドボールを拾いまくっていたから観ていて期待感が在ったけれど、後半は大味なゲームになった。
サッカーファンからすると、やはり、面白みに欠けたか……。

〈生産性の低調な ゲーム〉
各個のテクニックは相当に上がってきていて、随所に巧い!、と思わせるプレイはあった。
トラップとか、身体の入れ方やボール奪取に。
特に、浜崎や小手川は、ボールさばきに秀逸さが目立つ。

ただし、それらはすべて、ゴールという結果を出すための手段であるはず。

そういう観点からすれば、個とチーム連携は相当に高まってきたものの、あらかじめ準備したであろう戦術の再現と、連動性において粗雑だった。

個のタレントを得点に結びつけられない、生産性に乏しいゲームだった、と言えましょう。

相互理解の不足なのか、パスのズレや、イージーなボールロストでリズムを崩す。

横山 歩夢による、相手ディフェンス裏への再三の飛び出しと、そこへの(主に浜崎からの)ボール供給。
これ、かなり効いていて、金沢ディフェンスを後方へと追いやり、結果、その陣形が間伸びしたため、中盤で山雅が使えるスペースが生じ、セカンドボールをけっこう回収できた。

後半はこういった懸念がなくなったためか、金沢の陣形が引き締まる。
すると、こちらが中盤を上手く使えなくなる。
同じ裏狙いでも、ヨーイ ドン! のスタイルになった分だけ、組立てが単調になり、ボールが手に入らなくなった。

そういう意味で、横山君を60分くらいまで使ってみても良かった。

また、サイドを追い越していくプレイヤーをあまり使わなかったことも不満。

上背のある金沢ディフェンスに対しては、深くえぐったクロスを徹底し、横から崩すことをやってもらいたかったなぁ。

ただし、プレイスキックに際し、キッカー浜崎の近くに佐藤が位置することで、相手を惑わしたり、CKの守備からひとりふたり引っ張り出すような〈狡さ〉は、続けるべきでしょう。

プレイスキッカーを、これだけ豊富に抱えるようになった……とは。

〈田中パウロの孤独〉
60分から投入され、今季いちばん長い時間ピッチに立ったパウロであった。

左サイドを前方に突っかけていく姿は、溌剌としてエネルギッシュ。

ただし、その厄介さは相手もわかり切っていて、ふたりで挟み込むように潰しに来る。
抜き去るシーンは確かに醍醐味かも知れないが、あの突破力は周囲との連携があってこそ相手にとって脅威となるはず。

まだまだ連携不足で、孤立感が否めず、ここらへんは要改善事項だろう。

隙あらばシュートを叩き込もうという姿勢は、もちろん買い!、でありますよ。

〈ひとつ高いステージへ〉
総括。
ベースは形成されてきた。
これから、フィニッシュに向かう連携をより深め、十八番と呼べるような定番的な攻撃方法を確立すべき時季。

河合、鈴木のサイドチェンジの前後、
❶ディフェンスから出るパスをもっと攻撃的なものに、❷ペナルティエリアラインあたりでのショートパスの精度向上、そこが、ポイントに思います。

各自の優秀さはあるのだから、互いにもっと他の者を使うことでチームが高まること。
― 自力と他力を結びつけて、ひとつの壁を乗り越えたい。

では。

評価がむづかしいゲーム(2021.5.15金沢戦レビュウ序章)

天気晴朗なれど、またまた強風下、のゲームとなりました。

0 – 0 のスコアレスドロー。

うーん……。

ゲーム後の挨拶にまわるプレイヤーの表情をみても、出来が芳しくはなかったゲームであることは歴然でした。

暑さの中、奮闘した労に対しては拍手するけれど、って感じか。

―勝てる試合で、勝っておかないと……。(家人評)

前半のボール保持率が、山雅にしては、異常に!高かった。

ここに幻惑されてしまったためかも知れませんが、
本質的には、金沢の狙いのほうが、当方のそれを、かなり上回ったゲームだったように思えます。

コイントスに勝って、敢えて風下のピッチを選んだところなどにそれが顕著。

厳しく言うと、今季ワーストに近いゲームの、より詳細な点は次章で検討してみます。

では。

石川に秘密? あり。

5月14日(昨日のこと)、と聞いてピンと来たら、その方は相当な日本史通だ。

高校時代、日本史の教科書を一度も開いたことがなく、で、見事に赤点をいただいた萬年など、どんな日なのか、まったく無知で今日まで生きてきた。

今回、この日の出来事について知ることで、実は、ご幼少からの疑問が解決した、というお話をひとつ。

1878(明治11)年5月14日 午前8時30分。

馬車で皇居に向かっていた、内務卿(実質的な首相) 大久保 利通は、紀尾井町清水谷において、士族6名によって暗殺された。

大久保は1830年生れだから、享年47。

世に〈紀尾井坂の変〉と呼ばれる、テロリズム。

事件直後、現場に駆け付けた者のひとりが、前島 密(1835~1919年)。

大久保の遺体について記しているけれど、その惨状には息を呑む。

ところで、実行犯の内、5名は、石川県の出身。

携えていた斬奸状(ざんかんじょう)には、政治家としての大久保に五大罪あり、との告発がしたためてあった。

さて、事件発生当時の石川県は、現在の石川県(旧 能登と加賀)に加え、富山県(旧 越中)全域と福井県(旧 越前)の大半を含んだ、それは大きな県だった。

けれど、事件がきっかけとなって、不平士族が多く、しかも大県なので統治するに厄介なエリアだ、と明治政府に認識されることになる。

結局は、数年後、現在のとおりの、福井、石川、富山、の北陸3県に分割された。

だから、紀尾井坂の変なくば、石川県は今頃、全国屈指の大きな県だったはず。

例えば、静岡県(駿河+伊豆+遠江)や、岐阜県(飛騨+美濃)をしのぐくらいの。

小さい頃、日本分県地図を眺める度に……、
口を開けた、鼻の長い横顔そっくりな、この石川という県。

なぜ、喉元を富山県によってひどく狭めれられ、また、腰から下は、福井県に乗っ取られたような格好なんだろう?、とよく気になった。

昔の能登と加賀をそっくり引き継いだ県境線、といってしまえばそれまでなんですが、ツエ―ゲン金沢のお膝元が持つ、深く、密やかな歴史ではあります。

では。

継続を力に (金沢戦プレビュウ)

【果敢なサッカーが持ち味の、ツエ―ゲン】
前節の山口戦(0 – 2の敗戦)では、3 – 5 – 2 と相対し、まるで今節の予習をしたような格好で、アルウィンに乗り込んでくるツエ―ゲンなんであります。

柳下監督の5年目、フィットしていたプレイヤーを毎年引き抜かれながらも、やりくりして闘っているのが、外から観てよくわかるチーム。

オーソドックスな、4 – 4 – 2 を採用。
前から果敢にボールに寄せて来て、特に、中盤のダブルボランチ(藤本や大橋)のところでボール奪取力が高いのが目立つ。

今季出場機会を減らしているが、GK白井 裕人でくるのかどうか?
あるいは、庄司 朋乃也はセンターバックで出場なのか?、その辺が気になります。

3連敗中のツエ―ゲン。
となると、相当の危機意識だろうから、気持ちで負けていては、まづは論外。

【前節の総括を表現せよ、山雅】
対新潟戦、好調な首位とやって引分けで良くやった、とするのか?

あるいはあれを、痛恨の引き分け、と考えるのか?

後者でなければ、順位的にも、チームのクオリティにおいても、より高みをこれから望めないでありましょう。

その意味で、金沢戦は、前節で表現できていたコンパクトな陣形と、守功の切り換えの速度と強度、これをフツーに再現しながら、ゴールを複数回決める、これ以外にテーマはなし。

❶相手の4バックに対して、こちらは3トップ気味にしておいて、前線からボールを追いかけまわすことで、ボールをサイドに押しやっておいて、そこから反転。

❷ダブルボランチに対しては、これをできるだけ回避してサイド攻撃に持ち込む。
逃げる、というよりボールタッチをさせないくらいに先手で動くということで。

❸前線の走力、ボール競合での優位が前提でしょうけれど、今の山雅は、安定的にセカンドボールを回収することで、決定機の起点を創っている。

ならば、適宜ロングボールを使用することでツエ―ゲンの陣形を緩くしてしまう。

いちばんやってはいけないこと、それは、緩くゲームに入ること。
それがもたらす惨憺は、対愛媛戦で経験済みなわけですから。

……、ざっとは、こんなことを期待して、天気は上々なことを喜びつつ。

では、アルウィンで。

現在無敗、上出来の2位。

プリンスリーグ北信越 に参戦2年目の、松本山雅U-18 の現在なんです。

観戦が制限されつつも、なんとか、リーグ戦を消化している。

第5節を終えて、10チーム中、
勝ち点11、3勝2分0敗で、第2位につけている。

1位が、富山第一高で、やはり、勝ち点11。

得失点で▲2の差で、なおかつ、山雅のほうが消化ゲームが1つ少ない。

しかも、無敗は、我等だけ。

残り13節(10/10まで)とはいえ、なかなかの健闘ではないか!

5/9の、山雅公式ニュースをみれば、
トップチームの対アルビレックス戦結果と並んで、
U-15、U-13、U-12、U-18、U-15レディースと、ユース年代チームのゲーム結果が軒並みに掲げられた。

着々と、ユース世代が育っていることが実感され、関係者の方々には心より感謝なんであります。

たとえば、トップチームの前 貴之の場合は、コンサドーレ札幌で、ジュニアからユースへと育った。

U-18の時は、プレミアリーグイースト(最上級リーグ)で、チームの初優勝メンバーとして活躍。

2011年に2種登録されると、翌年に、榊 翔太(現長野)らとトップチームに昇格。

2012年はトップリーグで戦った季だったが、岩波 俊介らとサイドバックのポジションを競いながら、20試合超のゲームに出場した。

こういった先達のクラブに遅れること、約10年。

ユース生え抜きの小松 蓮は、すでにレノファ山口にあって修行中だけれど、山雅にも、ユースから多く競りあがる時代が来つつあることを感じるこの頃です。

では。