なかなか無理です、というお話。
どこかに自分に適した仕事が在る、というのは幻想で、ダブダブの制服にやがて身体が馴染むように、自分が仕事に見合うようになるのだ。
責任とか貢献にフォーカスしないと、まるで仕事=人間関係の、荒廃した職場になるが、それでも、心を奮い立たせる。
―こんなことは当たり前過ぎるので、誰もあえて口にしない。
だから世の中は、将来の夢、とかでことさら若い魂をアオるな。
その道を究めた人、みたいな老爺が出て来て、これが自分の天職、とか述懐するインタビュウをみる。
これは、他の道を切り捨てて一点集中でなんとかたどり着いた感慨に過ぎない。
仕事にも馴れてきて、余裕を持って臨める、つまり、ルーチンが居心地よくなる時期が、きっと来る。
そしたら、ほんのちょっとでも、より高い視点、深い角度から仕事をしようと自分を駆りたてられるか。
仕事の選択よりも、そういう習慣を身につけることのほうが大切だ。
では。
〈コメント〉
☞つーさん より (8/8 16:38)
人生堪える事が肝要。
全く同感です。新しい仕事についたら先ずは我慢そして努力、それ
しかし、世の中見えたつもりが実は全く見えてなかったと言うこと
しかし、そんなに悲観する事はない。20年乃至は30年我慢すれ
もちろん、結婚当初からうまくいく夫婦も沢山いる。
かく言う我が家もそんな夫婦だ。
では、また。