たまにはプロテストする。

ゴルフやボクシングなんかの、プロとして認定されるために受けるテストのことではなくて。

世の中の大勢や体制がおかしいんじゃあないか?、と抗議する歌、プロテストソングを、たまには聴いているというお話。

プロテストソング、と言っても、結局は聴く方がどう捉えるか?、のことなので、たとえば、ビートルズのエリナ リグビー だって、そういった趣きで受け止める向きもあるかも知れない。

今回は、『Waiting on the World to Change』(世界が変わるのを待っている)。

ジョン メイヤー(1977年~)が、2006年に発表した3作目のアルバム『Continuum』の冒頭に、収められている。

2008年当時、僕は富士市(静岡県)に単身赴任していたが、このアルバムをば、殺風景なアパートの部屋でよく聴いていた。

僕や友人たちは皆
定見もなく なんにもできはしない と思われている
世界とそれを牛耳る者たちが すべてを悪いほうへと導いていて
それを乗り越え叩きのめすのは  とうてい無理と感じる

体制を打つのは むづかしい
そういったところから離れた場所にいる僕たちであれば なおさらのこと

だから 世界が変わっていくのを待ち続けるんだ

僕らに力があれば
隣人たちを 戦場から戻すこともできるし
クリスマスを家で一緒に祝えるだろう
ドアに黄色いリボンを掲げることも要らない
テレビを信じてみたところで
映っているものしか見えないし
好きなように情報が捻じ曲げられているんだぜ

戦いはとてもフェアでないことは承知しているが
そんなことは かまっていられない

いつか  僕らの世代が  大勢を占める日が来る

だから 世界が変わっていくのを待ち続けるんだ

もちろん、プロテストなどと構えたりしなくとも、ステキな曲に変わりはないことが、こんなカヴァーを聴くと実感されます。

では。

オリンピックを観るか?

もともとがオリンピックにほとんど必要性を感じない僕であるので、観るかも知れないし、観ないかも知れない。

すくなくとも、楽しみに座して放送を待つ、ってことはなくて、時計がわりのTV画面を見つめる、あるいは、ハイライトをチラ見するくらいか。

ま、インフルエンザワクチン接種を、やってもやらなくともかまわない、と思うのと、同じような気持ちでいる。

ここへきて、観客を入れる入れない、といったことで騒がしいようだ。

で、サッカーの日程をみてみたら、会場は分散しているんだが、ゲーム終了時刻が、22:00 とか、23:00 が目白押し。
註:開始17:00とあるが、数ゲームがまとめて書かれてあって、最終ゲームの終了時刻のこと。

こうなると、観客の帰宅時間を考慮した国内リーグ等の運用ルールからは大きく逸脱していて、同じ日本で開催する同じスポーツ興行との整合性が取れない。

なんだったら超法規的な措置で、強引に有観客とする判断もあり、とは思う。

けれど、そもそも、観客を入れないとする根拠が、ただただ首都圏などにおける現下の感染増加傾向のようだけれど、ただ、それだけのことかいな?

上のようなゲーム時間の設定も含め、1年という時間があったにもかかわらず、催行方法の条件出しを、ほとんど真剣にやっていなかったことがうかがわれる。

時の過ぎ行くままに、成り行きまかせにやるんだったら、はじめからそうアナウンスしておけばいいのに、策も無いのにもったいぶるから、見苦しくなるわけで。

まさか、80年前戦争に突っ込んで行った時もこんな感じだったのか、とか疑ってしまうような白々しさが、なんとも辛い……。

ただし、たとえ国民の声に頬かむりしてもですよ、なんとかしてIOCとの約束を果そうとしている現政権を、僕は責めるつもりはない。

某国に対しては、国際的な約束事を守れ、と断固言い続けている立場であり、

なにせ一国のトップが仮装までして乗り込んだ調子づいたカラ騒ぎの結果としての招致なんだから、その尻ぬぐいはしなくてはなりません。

現首相の苦衷を思うと泣けてきます、まったく。

では。

どこまで壊せるか? (水戸戦レビュウ 後編)

名波氏が就任してからの戦績はこれで、1勝3敗。

それなりの覚悟でチームを託しているのだから、たった3週間の、しかもゲーム結果だけを取り沙汰したところで意味もありません。

ですから、当方としては、これからのリーグ中断3週間、次の2点に関し、内部事情を承知もせず、ただ感じながら暮らすことになりそう。


❶水戸戦、アルウィンに 7,600人を容れた期待と憧れ(アウェイサポーターを含む)が、この先どこまで持続するか。

これは、今、チームのどこらへんにファンサポーターが魅力を感じているかにもよりますが、義理や愛着とはまた別の、やってるサッカーの面白さ、ここで勝負してもらいたい、ホントに。

❷検証がかなり進んだであろう、個およびチームの技量の算定をもとに、指導層が、現状をどこまでひっくり返してしまえるのか?

はたして、夏季移籍ウインドーを使うか?、もあるけれど、戦力と戦術の棚卸は、どうしても必要でしょうし、しなくてはならない。

素人が観ていても、あの体勢で無理にヘディングにいったところで、落ちたボールをどうやって繋ぐのか、とか、クリアボールをたやすく相手に渡す、だとか。

あるいは、ボール回しにしても、利き足とあのステップからだと、あきらかに進路を予想されて追い込まれるだろうに、といった技術。

これ、個とチームでやることの整理、とも言えましょう。

たとえば、ディフェンスにまわった際の、縦ライン(≒横へのスライド)の距離の保ち方もひとつ。

直近、かなり緻密になってはいますが、90分間やり続ける練度がこれからの課題。


そういう面を克服しないでおいて、観客に嘆息するな、とか失望の声を挙げるなとか、そいつはいかがなものか。

一緒に戦っているからこそ、期待値の裏返しとしての落胆は覚悟してもらわないと困るし、すべてに求道者的な観戦を強いるのはおかしい。

もちろん、サッカーにミスはつきもの。

ただ、観る眼が肥えてきているアルウィンは、逃げるような怖気づいたミスと、果敢に仕掛けた結果のミスが、キチンと理解されつつあって、優秀なプレイには称賛が送られていることを忘れてはいけません。

では。

無駄に使った46分 (2021.7.17水戸戦レビュウ前編)

0 – 1。

観ていて挽回できる匂いがしない、プアな敗戦でした。
今季ワーストに近い出来。

水戸のほうが、特にその攻撃、はるかに魅力的で、かつ、破壊的でした。

すこし前なら、0 – 3 だったところ、なんとかこのスコアで凌げるようになったことが収穫だった。

確かに後半は、けっこう攻めに転じはしましたけれど、なぜギクシャク。
魅せるシーンに乏しかった。

ハーフタイム、小手川と田中パウロが強度の高いアップをしているので、後半冒頭からふたりの投入があるな、と診ていましたが、案の定。

プレビュウで指摘したとおり、であるならば、ゲーム開始から、佐藤、小手川、前を揃えるべきだった。

〈半分を、まったく無駄に費やした〉
前半を終わった時点、この先、たとえ同点、あるいは逆転しても、ゲーム総括のタイトルは、これにしようと思っていた次第。

推定ではありますが、前節山形戦の、後半の出来が良かったことがチームの残像としてあって、それをなぞりたかったこと。

それと、おそらく指揮官からはシンプルに、という指示があったのではないか、ほぉ!、と言うくらい、ロングボール多用なゲームの入りになった。

ま、この展開もわずかな時間のみ。
山雅のプレイヤー全般に、動きの悪さ、というかボールや人への寄せの緩さが目につくばかりで、ボールを手中にできずにいると、じきに水戸ペースになってゲームは進行。

北ゴール裏の同志チノ氏は……、

センターバックを含めたプレイヤーがサイドからの相手攻撃に対応すると、インサイドハーフ(ボランチ)がボールウォッチャーになってしまって、中央に侵入してくる相手をケアできていない、というご指摘。

なるほど、失点シーンもそうでしたが、水戸のインサイドプレイヤーには、すべて前に入れらていましたから、あれでは捕まえられない。

前半、佐藤も前も眠っていた、ということになるのか……。


〈じゃあ、後半はどうだったのか〉
ゲーム終了の笛がなると、水戸の何人かはピッチに倒れ込んだところをみると、山雅の攻撃圧は相当なものだったんでしょう。きっと。

けれど、小手川が多く捌いて、パウロ、パウロで侵入とクロスを繰り返す攻撃。

心躍ることは間違いないが、すくなくとも、山形戦ほどの脅威はなくて、チームへの落とし込みにしてもまだまだ未成熟。

これ、おそらくは、パウロを配することによって、彼を囮にしたチーム戦略、というレベルまでもっていかないと、山雅の武器としては、道半ば、でしょうか。

つまり、ロングスローがあるという脅威を、ロングスローを使わないことで活かす、そんな戦略。

たとえば、昨晩の水戸が魅せた、前線のプレイヤーの落ち着いた、俊敏な連動が加わってこないと、このリーグでは、とても相手は崩れません。

では。

この国の 国民による 国民のための詐欺。

ついに、米国が言い出した……か。

この国の、外国人技能実習制度を、体裁ばかりの人身売買制度に等しい、との声明を政府高官が出した、というニュース。

たかだか150年ほど前まで、奴隷制度を運営していた国に言われるのも面白くない。

けれど、以前当ブログでつぶやいたとおりであって、これ、まったく米国の指摘が正論だから、僕は言い返せないなぁ。

誰もやりたがらない仕事、という弱みがこちらに在るにもかかわらずですよ、

将来、母国で役にも立たないような〈技能〉を、しかも〈実習〉させるといった上から目線でもって、人を連れてきて使う神経。

これをおかしいと思わないのが、おかしいよ、日本人。

この扱いが、僕らのアジアの人々に対する差別でなくしてなんなんだ。

でも、おそらくこの制度は、あと10年もすれば機能しなくなるから心配もしていない。

平成年間をかけて、日本人は、社員をいつでも買ったり切ったりできるような制度を編み出し(いわゆる非正規労働のしくみ)て、とことん人件費を切り詰めた。

新疆に強制労働があるとして他人の民族差別を責めるのならば、同じ民族に対して不当労働を強いている自分を、どう説明するのか。

おかげで、いまや、世界でマックのバーガーを一番安く食べられる国となり、100円消費を楽しめるようになったものの、国際比較で、日本の給与水準はかなり低下している。

だから、あと10年もたたないうちに、シナや南朝鮮のほうが高給を示すようになるから、〈技能実習生〉たちの足は皆、そちらに向かうだろう。

その時になって、あわてて今の制度に、たとえば、〈条件付きの永住権〉を付け足すような、恥の上塗りだけはやめてくださいよ。

では。