合作回答による プロフィールは?

不真面目な態度でもって、ストレスチェックの回答を出したことは前に書いた。

先日、その調査票による、僕のストレスプロフィールが届いたのである。

まづは、項目ごとの評価点。(点数が小さいほど良好な状態)

ストレスの要因に関する項目 ➡ 評価点 40      17~68 (最低得点~最高得点)

心身のストレス反応に関する項目 ➡ 評価点 52      29~116 (同上)

周囲のサポートに関する項目 ➡ 評価点 17       9~36 (同上)

面接指導の要否について➡ 否

〈あなたはストレスをあまりかかえておらず、またストレスの原因となる要素もあまりないようです。活気、イライラ感、疲労感、抑うつ感、身体愁訴、全てに問題はありませんでした。〉(省略あり)

……なるほど、ね。

続けて、〈普段からストレスをためこまず、気分転換をはかるようにこころがけることをお勧めします〉と、ありがたいご忠告でコメントは終わっている。

このように世界の片隅で、ブログに好き勝手を書いているのが、かなり効いているのだ、きっと。

ただし、身動きできないほどのストレスに襲われたら、徹底抗戦するか、あるいは、さっさとその環境から一目散逃走するか、どちらかにしよう、とは思う。

ストレスとの同居ができるほど、僕は図々しくないから。

ここ一箇月、車の中ではビル エヴァンス『Danny Boy』がずっとリピートしていて、スタジオ録音ヴァージョンなのが難(ライブ版が良い)だけれど、案外、そんなことがストレスを紛らわしてくれるのかも知れない。

では。

モモちゃんの テレビ。

モモちゃん(同僚)が、高校に入学したての頃、アンケートをとられた、というお話。

テレビはどんな番組を観るか?、という設問があって、(悩んだ末に?)
ニュース、と書いた。

それをみたクラスメイトに、お前そんなものばかり観てるんだ、と突っ込まれた。

実をいうと当時、モモちゃんの家にはテレビがなかった。

だから、さしさわりなく、適当に答えたつもりだったのだ。

中学一年の時だったかな、テレビが故障して映らなくなって、そのまま高校卒業するまで、約5年間は家にテレビのない生活でね。

勉強机のある部屋にテレビが置いてあったから、テレビを観ていたら僕も妹も勉強に身に入らないというタテマエだったけれど、実際のところは、貧しくて買うお金もなかったんでしょうね。

今はね、キッチンにテレビが置いてある。

ところが、奥さんはベッドルームで過ごす時間が長い。

僕がテレビばかり観ていると、わたしよりテレビが好きなの?、と言って怒りだすわけ。

だから、そこそこにして切り上げるんだけど、わけのわからん芸人みたいのがでてきて騒いでいる番組ばかりで、たいして面白くもないし。

…、僕からすると、羨ましい限りの夫婦愛なんだが、話がさらに艶なる方面に向かうのもなんだから、今回はここらで失礼。

では。

サッカーのある日常に戻ろう。

リーグ戦の再開が、あと6日後に迫った。

ゲームごとに、一週間が刻まれていく日常生活が、ようやく戻ってくる。

その嬉しさを味わうためにも、あえて吐き出すことで、この不快を葬ってしまおう。

対ニュージーランド戦を延長戦の前まで観た限りでは、相手のシステム変更にぜんぜん対応できず。

引き分けに持ち込んだニュージーランドの手腕を褒めるべきなんだろうが、ほとんど無策の、魅せ場に乏しいゲームでした。(U24日本準々決勝)

ところで、サッカー無知を自称するジョー氏によるなでしこ評(対スウェーデン戦)とは、巧いし、けっこうやるじゃん、日本。体格差はどうしようもないが……、というもの。

確かに同点に持ち込み、逆転の芽もあったという点で、そこそこの健闘だった。

ともに予選リーグを突破。
面白くもないゲームをPKでようやく切り抜けたU24と、果敢に格上を追いつめながらも地力差に涙を呑んだなでしこ、と。

両者にそれほどの違いを認めたくない僕なんだが、世間の扱いがずいぶんと違うのには唖然となる。

これは、日常、それぞれのリーグにそそがれる関心とお金の、大きな落差に正比例していると言えるだろう。

で、なでしこについては、元なでしこだった連中がやたらと苦言を呈した。

かつてトップを獲った者の発言は、それなりに尊重されてしかるべきとは思うものの、では、この人たち、この10年、サッカー界からまったく足を洗っていたのか。

サッカーでメシを食ってこなかったのならまだ許せるんだが、いままで影響力を持っていたのならば、なでしこをサポートする仕事の実際はどうだったんだ?

業界のしがらみの中、口出し手出しができない事情もあったのかも知れぬ。

けれど、敗退後、批判的コメントを採りにやってくるメディアに、待ってましたとばかりに応えるのは、なんだか、仁義にもとるしわざに思えて仕方がないんです。

望むことではありませんが、もしもスペイン戦で敗北しても、同様のU24叩きは見聞したくありませんね。

では。

令和の発明に 文句言い。

気象庁のお方、このキャッチフレーズの開発について、内心かなりの自信をお持ちなんではないか。
画期的な発明である、と。

なぜなら、事あるごとにお使いになる。

それは、〈いままで (あるいは 過去に) 経験したことのないような……〉、という形容詞。

なるほど、そうなのか~、と毎度聞き流すんですが、では、いったいどういうことで過去に味わったことがないのか?

それがすこしも判然としないところが、このフレーズの絶妙さ、だ。

経験などは、人の数だけあるはずなのに、ずいぶんと大ざっぱな描写ではありませんか。

要するに、聞いている者に、覚悟をしてもらうための常套句ですな、今や。

そうしたら最近……、

過去経験したことのないような感染爆発、とかいう見出しが目に入る始末。

おいおい、こういうふうに使うか?

他人に覚悟をさせたいのならば、僕たちの周囲でどんなことになるのかの結末を具体的にご教示願いたいのだが、大変だ大変だばっかりで、いっこうにラチが明かぬ。

おそらく、いろんなところ、主には医療機関で限界点の〈歩留まり〉をみているに違いなく、そのためか、掛け値なしの危機の内容が一向に伝わってこない。

仕組みがどうまわっているかを知りたいのに、医療従事者は寝る間もない、といった強制労働的なお話ばかり。

医療崩壊と騒ぎはするが、こういう数値がまづくて、これだと、出口でこうなりそうで、だからこの数値をコントロールして、ここを限界値とみる、といった科学的なお話をほとんど聞いてないぞ、大方の市民は。

かつ、これだけ人的設備的な手当てをしてきていて、現在はこう、これからの計画はこう、いつまでに、そんな説明はどうした?

染るんです、と言って言われて、早1年半。

すくなくとも、仕事のレベルとして、かなりまづいんじゃあない、これじゃあ?

この騒ぎ、鎮まるまでは3年かかるとみている萬年からすると、ようやく折り返し点を過ぎたあたり。

そんな思いで、今月末のバクシン接種に備えている。

では。

ツバメ去りて 秋を知る

相方は今年も、

熟れつつある無花果(イチジク)の実のことで、野鳥らと争奪戦に突入した昨日今日。

僕は時々、その戦果にあずかって、くちばしが一刺し二刺したやつを、フレッシュでいただいているのだ。

先月25日あたりに、職場の軒下で子育てをしていたツバメたちが、その巣からいっせいに姿を消した。

きっと、もっと大きな群れへと合流し、南方への渡りに備えるためだろう。

僕の知っている限りでも今年、3~4羽のヒナが落命しているが、それでも多くの次世代を成長させて旅団に加え、南国に向かう。

で、隣家で営巣していた家族はどうかと観察しているんだが、こちらはまだ巣を後にしてはおらず、拙宅の上空をさかんに飛び交う。

頭上高く、あるいは、僕の腰くらいの高さで、僕の立っている数メートル先を滑空しているさまは、長距離飛行のトレーニングに余念なし、とみえる。

そうこうしているうち、もはや、季節の中には秋が紛れ込んでいて、雲は空に筋状に乱れているし、月見草の花が、目につき出す。

   ツバメ去り   空に残るる  ひっそりの月  萬年

彼らの長旅の無事を祈る、そして、互いに生き延びていれば、また来年。

別れの曲、『ラ ゴロンドリーナ』(メキシコ民謡、つばめの意) をたむけに。

では。