願う カウンター VS カウンター (山形戦プレビュウ 後編)


ゲーム様相としては、 カウンターの応酬を渇望する萬年。

チームの勢いからすれば、山形にかなり分があるのは明白。

押し込まれた時間帯に、堪え切れずに失点を重ねてきた山雅。
変化の兆しはあるものの、そういう展開にしないためには、カウンター攻撃に活路を、という願いなんであります。

❶モンテディオ式
ボール保持に長け、パスで組み立てたいのが山形、とみる。
が、インサイドハーフのところ(南 秀仁、藤田 息吹)での高いボール奪取力に注目すれば、そこを起点にして長短のカウンター攻撃を仕掛けられるのが強み。
となれば、ボランチから左右サイドへ展開して、アウトサイドハーフがシュートまで持ち込んでくるだろう。
山形のチーム内高得点者に、加藤 大樹(左アウトサイドハーフ)や山田 康太(右アウトサイドハーフ)、加えて藤田 息吹(ボランチ)が並ぶのは、そうしたスタイルを物語る。

少なくとも、群を抜いて屈強なセンターフォワードめがけてボールを入れる単発攻撃でなくて、左右から素早く入れて仕留める、といった剛毅さ、そんな感じ。

❷山雅流
前節ヴェルディ―戦で奏功したのは、基底から組み立てようとする相手に対し、機をみてかなり高い位置からファーストディフェンスを敢行、そこでボール奪取して攻め込むやり方だった。

全体の陣形をコンパクトに保つのが絶対条件にはなるが、ショートカウンターの発動に活路を見い出す、というのが復習としての今節。

……がぶつかり合う、と考えたい。

〈勝ちを呼び込むためには……〉
❶ひたすら高い位置でボールを奪うことを狙う。

ボランチを含めた5人がパスコースを消しながら追い込むだね。
要は、ゲーム冒頭からこれを徹底して飛ばす。
ボールを動かすことによって、山形がリズムをつかむその前にこちらの時間進行に引きずり込むために。

更に、こういう圧力をかけておくことで、ボール保持が相手に傾いた場合でも、相手ディフェンスにタメライやミスを生じさせる伏線になろう。

❷山形4 – 4 – 2 のシステム、実際には、センターバックふたりが底辺となり、攻撃に推進力を加えるため、サイドバックは高くワイドな位置を取るものと予想。

ならば、センターバック両脇にできるスペースを、当方は3人くらいの連携で深く侵す、これでしょうね。
ヴェルディ戦のように、河合 秀人が、2列目の左右をワイドに動き回ることに専念、そこへ、ボランチ(佐藤、前)が絡むと、サイドをトライアングル殺法でモノにできそう。

❸3バックでありながら、片方のサイドバックが落ちて4バックを形成するやり方、これヴェルディ―のサイド攻撃への手当てであったと思いますが、それと近親性を有するモンテディオサッカーにも、かならず有効だと思いますよ。

併せて、宮部 大起のオーバーラップは、サイド侵入を厚くするでしょうし。

気になるのは、山形が、山雅に前方へ喰いつかせておいて、ひとつふたつ飛ばしのロングボールを使って裏へ走り込んでくるか?、ということ。

それへの対処としても、4バックもどきにしておいて、相手をタッチライン沿いへ追い出してから、裏を狙ったボールによって背走させたいですね。

追い込むにせよ、侵入するにせよ、先手先手でサイドを制すること、これが焦点でしょうか。

で、コーナーキックが獲れたら、デザイン度が高まっている山雅式で、ゴールを決めるだけ。

今回は、悠長さを捨てて挑むチームに応えよう、と思います。

では。

予習はできたか? (山形戦プレビュウ 前編)

前節ヴェルディ戦は、辛くも勝利できた(2 – 1)が、終わってみれば、ボール支配は……、

37 : 63 と、圧倒的にヴェルディに握られた。

もともと 40 : 60 がいいところ、と思っていたので、大して意外でもフラストレーションでも無かった、というのが ホンネか。

〈モンテディオ戦への遺産〉
光明のひとつめ。
それは、開始から15分を、51 : 49 のボール支配で闘えたこと。
これによってヴェルディの出鼻をくじいた、と言える。

次に、ふたつめは、
阪野による追加点を、ボール保持が 最低水準の30%を記録した、後半の中盤(61~75分)に奪えたこと。

この2点の中に、
ヴェルディほどには華麗でないげ、けれど、もっと剛直で骨太な攻撃スタイルで襲うモンテディオ山形サッカーを攻略するポイントが在る、と思う。

〈わかり過ぎるモンテディオ〉
では、山形がどれほど攻撃的なのか?

成績不振により解任(4/21付)された前監督の石丸 清隆氏はもともとが攻撃的なサッカーを目指していたはずで、その後任(4/30付)の、ピーター クラモフスキー氏は、さらに攻撃的にチームを再構築している、と診てよい。

クラモフ氏は、2018~2019年シーズン、横浜Fマリノスでヘッドコーチを務めた。

山雅がトップリーグにあった2019年11月23日。
アルウィンのピッチ練習に立ち合っていたお姿を拝見した。

その時のFマリノス、シュートに至るまでの練習が、ほとんど実戦形式。

いろんなチームのゲーム前練習を観ているけれど、ここまで本気度と緊張が徹底しているのは稀で、あのシーズン、Fマリノスがペナントレースを制した原動力というか、その根拠を思い知らされた。

そのクラモフ氏、さらに、同時就任のヘッドコーチが元愛媛監督の川井 健太氏となれば、攻撃的以外の道はなし、で突っ走って当たり前ではないか。

で、就任以来、リーグ戦11試合を戦い、8勝2分1敗となれば、いまやノリにノッっているチームのひとつ。

さぁ、山雅、どうする、ってのが、プレビュウ後編に続くお話。

では。

差別の対極は、たとえば。

人種差別の記事に、すこし補足します。

差別は、自分とは異質な、個体や集団に出会った時に感じる驚き、戸惑い、不安といった生理的な反応を、思想的な言い訳で偽装して正当化しながら、ずっと繰り返されて来た。

今世紀になって、自分ではどうしようもないことがら、例えば、出自、性別、容姿、家族関係などを、本人を評価する際に問うのはおかしい、ということになってきていて、まぁ、すこしは喜ばしいけれど、

差別してはいけません、と唱えたり、やたらとハラスメントの種類を増やしてみたところで、差別が無くなるわけがない。

じゃあ、どうする?、差別するところから遠のくには。


1937年のキャパ

例えば、ロバート キャパ(写真家、1913~1954年)が、レンズを通して人間に向けた眼差し、といったものに希望を託せるのかな、と今は思っています。

キャパは、1954年4月、毎日新聞社の招待によって来日。

3週間をかけて、奈良、大阪、焼津、熱海、東京の街を訪ねた。

そこで撮影された作品には子どもを対象にしたものがめだつが、これらをみてびっくりするのは、まるで、日本人が日本人の日常をなんの変哲もなくして撮った、という印象を受けること。

日本人に限らず、キャパの手にかかると、被写体が、どんな民族、階級、老若男女であろうと、個性と行動そのものに迫って捉えられているために、これぽっちも異邦人扱いが、されていない。

画面の中、皆が同郷人として振る舞っているんだが、それを惹き出す力こそが、この写真家の才だったんでしょう。

ひとりひとりに肉薄してつきあう以外、いくらキレイごとをならべてみても、友人にはなれない。
そんな視線か、キャパから学ぶのは。

あとひとつ。

人は、写真家に撮影されるために生きてはいない、ということを思い知っていたのがキャパだったように思う。

だから、かろうじて捉えられた人生の瞬間であれば、焦点が合っていようといまいと、構図が破綻していようと、おかまいなしの彼だったんだ、きっと。

(来日の翌月、5月25日。キャパは、北ベトナム(当時の呼称)の地、抵触した地雷の爆発に巻き込まれ、戦場に散った)

では。

朝顔と訃報。

おや、今年最初の朝顔の花、と庭を眺めていた日。

夜になって明日は七夕か、と思っていたところへ、友人からの電話。

敬愛すべき先輩が昨日亡くなった、という報せだった。
どうも、癌だったらしい。

久しぶりの連絡が訃報というのはまったく恐縮ものです、という挨拶だったので、

いや、これも〇〇さん(故人)の功徳のなせること、と思いますよ、と返す。

今夜、星が見えても見えずとも、どうでもいいけれど、ただ、こんな曲を聴いて過ごそうか。

では。

幼い人種差別主義者を 擁護する。

幼い、つまりは、幼稚なお話をひとつ。

フランス代表のサッカー選手がふたり、何年か前に来日した折のこと。

宿泊先のホテルで、そこの日本人スタッフを愚弄している動画を蒸し返され、東洋人への人種差別だ、と糾弾されているらしい。

FCバルセロナという有数のビッグクラブに所属していることもあって、その世界ではそれなりに有名なんだろうから、メディアやSNSなんかにとってはオイシイ餌食になるんだろう。

糾弾に対する釈明を読んでみたら……、

―たまたま日本の地で日本人相手だから、ああいったマネをしただけ。
自分たちの交友の中では、ああやって人を侮蔑することはよくやること。
ただ、気に障ったのなら、謝るよ。
……、とひどく正直に語っている。

特段の悪意ではなく、これからもこの程度の無節操な会話をしながらサッカーやって生きて行くんだ宣言、という感じがした。

サッカーの技量に優れていれば、自動的に、人格的に洗練された知性を有しているわけでもあるまいし、あまり目くじら立ててもなぁ、というのが僕の考え。

渦中のふたりにしたところで、その素養の低さを責められるほどに、高級な教育を受けてきた、とも思えない。

良いこととは思わないが、人種の壁がやすやす乗り越えられる(べき)と思うことのほうが、むしろお気楽な考え。

―フランス人てのは、ケチでねぇ。
そのくせプライドが高い。
こちらが英語で話しかけても、そんな野蛮な言葉を使えるか!、って態度で知らんぷりするんだよ。
そうなると、こっちも頭にくるから、金銭的な話題を匂わせるのね。
すると、お金で損すると困るから、途端に英語で返してくるわけ。

これ、数十年前、昔フランスへ留学した人(故人のフランス語教師) から聞いた話。

結局のところ、人種その他の差別には、こういった個人的な応酬で報いるしかない。

自分の裡に在る差別意識や行動を、いつも検証しながら、その時のために、せいぜい差別の突破口を開けるような武器(もちろん比喩です)を準備しておくことだ。

ただ、フランス人の肩を持つわけじゃあないけれど、パリの真ん中で、大部分が塩化ビニールで仕立てたバッグに群がる若輩の日本人、ってのはいいお客さんなんだろうが、尊敬はできない人種でしょうね、きっと。

僕にしたって、ブランドマークを大きくあしらったポロシャツを着込んだ東洋人などを冷ややかに観てますしねぇ。

とまぁ、あまり熱くなっても仕方のない話題ですが、ただ、ミステリアスなのは、なぜ今ごろになって、数年前の差別行動が蒸し返されたんでしょうか?

もしもですよ、プレイヤーふたりとの契約交渉を有利に運びたい陰謀がそこに在るのならば、これこそ、冷酷なクラブ経営と言えましょう。

もちろん、山雅にはやってもらいたい手法ではありません。

では。