雨に フットボールを恋ふる。

朝起きると、春の雪になっていた昨日。

 雨すぎて たそがれとなり
 森はただ 海とけぶるを

宮澤 賢治 (1896~1933) が原稿紙に残したメモ2行を、ふっと、思い出させるような景色。
5・7調の 2連の後に、どんな詩を続けるつもりだったんだろう?

賢治が見たのと同じような森は、けれど、北穂高あたりまで出向かないと手に入らないか……。

いよいよ明日は、今季初アルウイン。

開始の笛が鳴ってからの10分間。
ここでどれだけ山形のプレイヤーに、おい、この山雅はただごとじゃあない、と印象づけられるか。

ゲームの8割方のポイントは、おそらく、そこらにかかっている。
強烈な圧力を加えるには、観客の力もきっと、大きいはず。

仕事の都合で、後半からの現地参戦となるため、冒頭、リアルタイムの目撃者にはなれそうにない。

はやる心を落ち着かせるには絶好の、雪まじり雨まじりの静かな一日であった、と書いておこう、今は。

では。

昭和から 最後のプレゼント。


※本文とは、ほとんど関係ないかもしれません。

某公共放送でやっている連続ドラマの主人公は、女優 浪花 千栄子 (1907~1973 )がモデルなんだそうな。

ずいぶん渋い選択だなぁ。

思うに、浪花が活躍したのが、昭和初期から1970年代、というのがミソ。

昭和の残光を嬉しく想う世代へのプレゼント、というわけだな。

本名が、南口(なんこう) キクノだった縁で、大塚製薬『オロナイン軟膏』のCFに登場。

この女優について萬年が知っているのは、ホーロー看板の中、両手でその製品を掲げて優しく微笑んでいる姿が、ほとんどすべて。

ただし、映画『悪名』(1961年大映) の中で見せた、女親分の演技。
あれは、凄みがあった!

この作品では、山茶花 究(さざんか きゅう 1914~1971 )が演じる、落ち目の親分役の演技と、いわば双璧でありました。

となると、主演 勝 新太郎 (1931~ 1997) の歌なんかを聴きたくなるわけです。

では。

 

 

容赦なき具体論で克つ【山形戦プレビュウ 後編】


乗鞍岳の昨日、版権帰属先:オフィス/モモ

〈あの日の落差〉
第2節の、対京都戦がスコアレスドローに終わった、そのすぐ後

DAZNの画面を、それより1時間遅れて始まった 東京ヴェルディ vs  山形 に切り替えた。

やってる、やってる……。

でもね、5分としないうちにスイッチをオフしたんです。

なぜか?

なんとも気の抜けた、平板で淡泊なゲームにみえてしまい、たちまち興が失せてしまったから。

器ばかりが大きいあの味スタの、がらんとした環境もあるが、これが、ヴェルディのサッカーかい?、っていうくらいプレイヤーが立ちんぼに感じられ、切り裂くような活発な動きが、そこには感じられない。

対するモンテディオ山形も、似たり寄ったりの動きでつき合っている。

さっきまで観ていた、あのギリギリまで高められた、緊迫のサッカーとは、なんという落差なんだろうか!

〈しぶとい猛者、山形だろう〉
山雅を支えてトップリーグに導いてくれた勝負師 石丸さんの指揮も、2年目。
スタイルも深化しているだろうし、息吹も戦列に加わった。
FWヴィ二シウスは、昨季14得点で、この前のヴェルディ戦で早くも2得点。
他にも、相当な戦力を擁し、最後方のゴールマウスは、藤島 栄介(元山雅)が守る。
2019年は第6位、昨年は第7位。
……であれば、14日は、リーグ屈指の強豪との対戦には違いない。

〈見出したベンチマーク(基準点)に 殉ぜよ〉
となると、相当な対策を練ってゲームに臨むのは、あたり前なんだけれど、
そっちの戦術はともかくも、先のゲームで到達して魅せた〈強さ〉があの時だけのものでなかったことを証明することこそが、このゲームの最大テーマでありましょう。

監督インタビュウによると、レボリューショナルな京都との戦いに向けては、チームに相当なネジを巻いて臨んだらしい。

だとしたら、次は、対戦相手におかまいなく、あの高みを常に維持できること、これが至上命題になる。

強い、という印象はもちろん、やってるサッカーの具体的な手順と場面の集積があってこそ。

例えば、京都戦の前半のキックオフが、そのひとつだった。

たしか、佐藤から安東へと、横に短くパスを出すと、安東は間髪を入れずに、サンガの右サイドバック飯田が駆け上がって空いたスペース目がけてボールを蹴り込む。
そこには既に、外山がタッチライン沿いに走り込んでいた。
キックオフのやり方を変えてでも、ゲーム冒頭から、容赦のないプレイに徹底、執着したのだ。

山形が、山雅にとってベンチマーク足り得た時代は、既に5年前あたりで終わっているのだから、
ひたすら自分にしっかりと向かいあい、そのスタイルを確立する。

さすれば、結果はおのずとついて来るでありましょう。

では。

今季初ゴールに近き者 背番号 8。

京都戦の翌日、職場であったヤマガ課長が、
―新聞を読むと絶賛なんだけど、どうだったの?

―はい。勝敗にかかわらず、熱くさせる好ゲームでした。

けれど、ひとつ忘れちゃあいけないのは、対京都戦、強度においては高きものを魅せてくれた山雅だったけれど、ゲーム総体としては、40 : 60 くらいで劣勢だったこと。

サンガとは、5箇月後の 8月14日に再戦するので、その時分には、ホームの圧力も含め、こちらに多くシーソーが傾くようになっていたい。

ただし、山雅としては、多くの才能が新鮮な光をみせたゲームだったことは確か。

萬年視点では、河合 秀人が最大収穫だった。

攻守にアグレッシブに走り続け、常に前進を意識した姿勢は、新たに背番号#8 を担うにふさわしい。

京都橘高から大阪学院大へと進んだ河合。
だから、サンガ戦は、ある意味凱旋ゲームだったわけで、相当なモチベーションがあったはず。

それなりの結果もほしかったんだろうが、あの勢いをもってすれば、チームの初得点に絡む可能性は大きく、アルウインでは、カットインからの右足一閃のゴールを期待したくなります。

J3の鳥取からプロキャリアをスタートし、ここまでステージを上げて来たからには、なんとかトップリーグでやらせてあげたいプレイヤーだ。

京都橘の後輩にあたる、仙頭 啓矢と小屋松 知哉はステップアップして、今は鳥栖に所属。

ならば来季は、アルウインで彼ら後輩と対戦する、そのイメージを強く持って戦おう、河合 秀人よ。

では。

義務感の プレビュウ (対山形 前編)

正直言って、対モンテディオ戦のプレビュウを書くのが、しんどい。

なぜか?

その理由は、後編で、解き明かします。

初心忘るべからず、というのは、能役者の世阿彌陀佛、略して世阿弥が、その著『風姿花伝』(1400年頃に成立?) の中に書き記した言葉。

この書物に世の人々が接することができるようになったのは、せいぜいここ100年のこと。

それまでは、能楽の一流派、金春(こんぱる)流に代々伝えられる秘伝書だったから、その存在は、世間にほとんど知られていなかった。

それを、歴史学者の吉田 東伍(1864~1918)が、校注を施して学会に発表してくれたおかげで、市井の僕らが読めるようになったのだ。

だから、江戸時代から明治にかけての文学に、花伝書は一切出て来ません。

世阿弥は、能役者の現役を三つの時期に分け、駆け出し(幼年~成人前)、円熟(成人~中年期)、老成(引退までの老年期)、とする。

そして、〈花〉のある役者で在るためには、人生それぞれの時季に、自分の演技に関するベンチマーク(基準、水準)を明確にしてその上を目指して精進せよ、と説いた。

……前置きが、長いんだよね。ごめんなさい。

Jリーグに参入してちょうど、10年目。

山雅は今こそ、苦闘してようやくたどり着いた現在地に甘んずることなく、より上を目指さなければならないが、なにをもって〈初心〉(ベンチマーク)とするのか?

クラブとして、チームとして、ファンとして考えていきたいシーズンだと思う。

振り返ると、J初年(2012年)のホーム開幕戦は、モンテディオ山形とやったのだ。

弦巻 健人のゴールで一度は同点にしたものの、秋葉 勝の 2ゴールによって、1 – 2 の敗戦。

シュートは、当方の3倍弱の18本を打たれまくったゲーム。
GKの野澤 洋輔は、指揮官反町から、被シュート20本は覚悟してくれ、と言われて山雅にやって来たらしいが、まさにそれが実現したのだった。

山形にとって2012年は、トップリーグから降格した直後のシーズンだったわけで、やっとこさJ2リーグに上がった新参チームとの対戦は、それなりのプライドをかけていたはず。

僕らにしても、Jリーグのゴール裏とはああいうレベルなんだ、と痛く感心したっけ。

14日の対戦、当時ピッチ上にいたプレイヤーは、(出場すれば) 山田 拓巳たったひとり。

隔世の感ある中、さて、どうやって戦う山雅?

ヒントは、当日の試合後の監督インタビュウにある。すなわち、

― 相手ありきではなくて、自分たちに目を向けてやっていかなきゃならない。

では。