正直言って、対モンテディオ戦のプレビュウを書くのが、しんどい。
なぜか?
その理由は、後編で、解き明かします。
初心忘るべからず、というのは、能役者の世阿彌陀佛、略して世阿弥が、その著『風姿花伝』(1400年頃に成立?) の中に書き記した言葉。
この書物に世の人々が接することができるようになったのは、せいぜいここ100年のこと。
それまでは、能楽の一流派、金春(こんぱる)流に代々伝えられる秘伝書だったから、その存在は、世間にほとんど知られていなかった。
それを、歴史学者の吉田 東伍(1864~1918)が、校注を施して学会に発表してくれたおかげで、市井の僕らが読めるようになったのだ。
だから、江戸時代から明治にかけての文学に、花伝書は一切出て来ません。
世阿弥は、能役者の現役を三つの時期に分け、駆け出し(幼年~成人前)、円熟(成人~中年期)、老成(引退までの老年期)、とする。
そして、〈花〉のある役者で在るためには、人生それぞれの時季に、自分の演技に関するベンチマーク(基準、水準)を明確にしてその上を目指して精進せよ、と説いた。
……前置きが、長いんだよね。ごめんなさい。
Jリーグに参入してちょうど、10年目。
山雅は今こそ、苦闘してようやくたどり着いた現在地に甘んずることなく、より上を目指さなければならないが、なにをもって〈初心〉(ベンチマーク)とするのか?
クラブとして、チームとして、ファンとして考えていきたいシーズンだと思う。
振り返ると、J初年(2012年)のホーム開幕戦は、モンテディオ山形とやったのだ。
弦巻 健人のゴールで一度は同点にしたものの、秋葉 勝の 2ゴールによって、1 – 2 の敗戦。
シュートは、当方の3倍弱の18本を打たれまくったゲーム。
GKの野澤 洋輔は、指揮官反町から、被シュート20本は覚悟してくれ、と言われて山雅にやって来たらしいが、まさにそれが実現したのだった。
山形にとって2012年は、トップリーグから降格した直後のシーズンだったわけで、やっとこさJ2リーグに上がった新参チームとの対戦は、それなりのプライドをかけていたはず。
僕らにしても、Jリーグのゴール裏とはああいうレベルなんだ、と痛く感心したっけ。
14日の対戦、当時ピッチ上にいたプレイヤーは、(出場すれば) 山田 拓巳たったひとり。
隔世の感ある中、さて、どうやって戦う山雅?
ヒントは、当日の試合後の監督インタビュウにある。すなわち、
― 相手ありきではなくて、自分たちに目を向けてやっていかなきゃならない。
では。