悩みは、ふたつだけ。

人生には、二種類の悩みがある。

ひとつは、自分にできることがありそうな問題。

ふたつめは、自分がジタバタしてもどうにもならないこと。

―このふたつ。

最初のほうは、手をつけてみて、好転すれば良し、とする。

もしも、にっちもさっちもいかなかったら、すべての問題が解決されるために在るわけじゃあない、と言い聞かせて、すこし距離を置く。
― かなり居心地は悪いけれども。

二番目の悩みは、もっぱら放っておく。
特にそれが、他人の考えや行動にかかわる場合、それを変える力など自分に有るとも思っていない。

さて、悩みを抱えている御方があって、萬年のところに来たとしよう。

まづは、話を聴く。
で、なにか求められたら、自分だったらこうするかもな、を語る。

というのは、過去の経験からすると、他人に悩み事を相談する時は、8割方は話を共有したいためであって、実は既に、自分に確信の答えがある場合がほとんど。

多くの場合は、ブラインドスポットの有無がないか?と、それが正答であるか? の確認に過ぎない。

もともと人間は、問題解決に着手するようにプログラミングされた生き物だ。

冷たい言い方になるが、それぞれ違った人生なんだから、アドヴァイスをそっくりそのまま盲信的に受け入れて行動されてもなぁ。

こういう対応はもちろん、成人向けであって、若い世代については、もっとこまごまとした話をやり取りするかも知れない。

幼く若い魂の場合、ほんの些細なことひとつひとつに丁寧に応えていなければ、もっと大きく重大な悩みなど決して持ち込んでくるわけがない。

ただし、若い世代には、君の不機嫌と何気ない言葉に、いい歳をしたオヤジ(父親)が弱い心を傷つけて悩んでいること、―そんな問題を抱えていることを、忘れてもらいたくない。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (9/21 8:14)
悩んで成就した恋愛の果て。
病院のベッドの上、萬年さんのブログを読んで、考えは脱線し、こんな事を考えた。
昔見たドラマ「ふぞろいのリンゴたち」での台詞
「あなたの事は嫌い、でもその三倍くらい好き」
100嫌いなところがあっても、300も好きなところがあるのか。なかなかいい台詞だ。
奥さんに言ったらこう返されるだろう。「あなたの事は好き、でもその三倍くらい嫌い」ひとつ好きなところがあって、みっつ嫌いなところか。まあ、そんなところだろう。
「少し愛して、ながーく愛して」大原麗子さんのCMでの名台詞、奥さんに言ったらこう返されるだろう。
「少しは愛するけど、長くはならないわね」
病床にある私には、辛い話しだ。
では、また。

☞萬年 より (9/21 14:12)
長が~く愛してですか、萬年が写真集を持っている唯一の女優のコマーシャルのセリフを聞けるとは……。
あばたもエクボ、その反対は、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
愛憎の振幅はなんと大きいか。
しかし、いちばんのダメージは、憎からず思う御方から、なんの関心も得られないことではないか、と思います。僕の経験では。

無関心とは、最大の冷酷なり。

では、お大事に

☞ジョー氏 より  (9/22 0:48)
夜分にすみません。
過去の経験からすると、他人に悩み事を相談する時は、8割方は話を共有したいためであって、実は既に、自分に確信の答えがある場合がほとんど。

全くもって、その通りだと思います。
若輩ながら、たま〜に相談受けたりしますが、、
9.5割と言ってもよろしいのではないでしょうか。
恋愛の悩み、相談なんかはまさに、それ、かと。
話を聞いてもらって満足し、それで安心するんでしょうね。私も人様から相談を沢山受けられる様な人間にならなければ……
そう感じましたよ。

 

采配の妙に救われた (2020.9.19 長崎戦レビュウ)

0 – 2 の劣勢から終盤に阪野の連続弾で追いついて、なんとかドローで終える。

久しぶりにアルウィンが湧く活況 ― と言えば聞こえはいいが、たかだか観客5,000人弱で良しとするのも、いかがなものか?

COVID-19 への恐怖心に対しては、どうのこうの言えないけれど、シーズンパスのおよそ4,000枚は使われなかったことは現実。

チーム戦績を、どの顔で批判できるのか。

あれが劇場などとは思っちゃあいないが、かりに、劇場のようなもの、だったにせよだ、それを創り出したのは、ピッチのプレイヤーであったことはハッキリさせておきたい。

さて、ゲームそのものについて。

飲水タイムでゲームを区切り、90分を、23分 × 4 と考えると、開始早々 4分に失点したことで長崎を調子づかせたこともあって、最初の 23分はピッチ上で大した仕事ができなかった。
ミスも目立つ。

こういうところは、いい加減にしてもらいたいわ、ほんと。

このツケが響いて、実質70分のゲームを戦ったような格好だから、逆転にまで持っていくためには、やはり時間と気持ちの余裕が不足した、とみるべきだろう。

先発の布陣はこれで良し。
ただ、攻撃に少々手数を加え過ぎる感あり、やりたいことはわかったけれど。

❶良点を先に挙げると、交替カードが見事にハマったこと。

右サイドハーフ中美、センターバック左の常田、ボランチのアウグスト。
これで、ボール奪取、攻撃の組み立てとボール運びにかなり力強さが出て、ボールが良く動くようになる。

特に、中美は要所でボールの出どころになっていて、魅せましたねぇ。

おかげで、サイドの空いたスペースへ展開して、クロスが自在に入れられたわけだ。

残された時間からすると、こむづかしいことは止めて、もっとシンプルに速く攻める、と気持ちを割り切ったのが、いちばんなのかも知れない。

阪野とイズマのツートップで始めて、途中からジャエル投入のほうが相手にとって脅威が増すのではないか知らん?

2得点の阪野には申し訳ないけれど、MVPは、監督の采配だったと思う。

❷次に、改善点。
やはりボランチの出来がゲームのキモだったこと。
この点では、長崎に軍配が挙がる。
秋野とカイオ セザールのボランチセットは、位置関係、ボール保持と配球に優れ、山雅の側に学ぶべき点が多い。
特に、カイオの存在感が目立ち、長崎の攻守の起点になっていて、山雅はこの箇所でずいぶんと手こずりました。

徳島もそうであったが、ボランチが最終ラインまで落ちて センターバックふたりと 3バックを形成、その分だけ左右サイドバックが高い位置を採るやり方は、攻撃面でかなり手厚い。
これ、上位で好調さをみせるチームからもらえるヒントかも知れない。

プレビュウでも指摘しておいたけれど、このゲームが、米原 秀亮にとって切実な学習機会であったことを望む。
特に、前に打って出る守備のタイミングと、相手を狩る強さという点において。
今後はチームにその経験値を還元してもらえれば、グッドなのだ。

それでも、同点にまでは持っていけるようになったじゃん ― と大方の者はすこしでも気分を前向きに持っていこうとしているアルウィンではあった、とブログには書いておこう。


萬年にとっては、昨日、北ゴール裏の同志チノ氏と約10箇月ぶりに再会できたことが、なによりの収穫だった。

まぁ、監督一年目はかなり苦しむだろう、とは思っていましたけれどね―、とのチノ氏に対し、

―これだけのタレント陣が苦戦の続く中、(チームに)嫌気を感じなければ良いんですがね、と告白する萬年でありました。

では。

雨に追想する秋。September in the Rain

〈秋の長雨〉とは短い雨季のこと、と思っている。

梅雨と一対の、日本の雨季。

雨の日と月曜日にはいつだって、私の心は沈む……、と書いたのはポール  ウイリアムズ。

となれば、雨の月曜日なんかは、最悪の気分なんだろうかね。

でも、〈誰かに愛されてるってのは,素敵なもの〉という一節は光っていて、歌詞には希望も宿る。

とは言え、雨の日であるからこそ、甘い追想に浸りたい。

September in the Rain は、1937年発表の曲。

身は春にあるけれど、失った恋を、過ぎた九月にさかのぼって追想する曲。

ただし、動画の和訳は、ほとんどオリジナルです。

聴くに心地よい。

自然な日本語にこんなにもホッとするとは、ふだん不自然な日本語があまりに多過ぎる、ということだろうか。

そういえば先日、TVで気象予報士が、雨脚(あまあし)を、あめあし、と発音していたっけ……。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より (9/19 7:19)
9月の雨は涙雨。
昨夜は病室のベッドの上で、9月の雨音を聴いたような気がします
「9月の雨」と言うとやはり、太田裕美の曲を思い出します。
ルノワール氏それにちなんだ話しを寄稿してくれないかな。
スマホのイヤホーン無くて曲が聴けないのが残念です。
体調の崩れは、突然訪れます。
萬年さんも、くれぐれも無理しないように。
では、また。

☞萬年より (9/19 11:11)
病院のベッドでお目覚め、とはなんとも……。
くれぐれもお大事にしてください。
ところで、詐欺のひとつとして、アンケート詐欺という手口があるんですね。
留守電の録音再生したら、アンケートのご協力ください、で始まるメッセージ。
どうも太陽光発電に関する商談に引き込もうとの狙い、らしい。今更です。
アンケートは、某有名酒造会社が、大量資金を投下してサプリメントで現在展開中。
こんなのが横行して
良いのでしょうか?

外連味のなさ,と闘う (長崎戦プレビュウ)

外連味、と書いて、〈ケレンミ〉と読ます。
もとは歌舞伎用語で、奇抜な演出を指していたが、やがて、受け狙いのハッタリ、といった悪い意味で用いるようになる。
外道、とも言いますな。

ゆえに、外連味がない、というと、正統的な本道、という褒め言葉。

前節の対磐田戦(0 – 0) の前半の前半を観た限り、長崎のサッカーは、外連味がない、がそのまま当てはまるような印象だ。

キビキビと、ボールの動かしに迷いなく、ゴールに向かう。
あるいは帰陣がすばやくて、(フォワードを含め)精力的に守備をこなす。
(―いわば、これがいまトレンドなスタイルとも言えるだろうか)

正直、長崎とはトンとご無沙汰で、ピンとこなかったけれど、
要は、たいへん組織的に攻守をこなすサッカーができていて、リーグにおいて現在、昇格圏内に在るのがうなづける。
(追加)ずばぬけた才能が突出しているのではなく、全員が共通理解で連動する。


山雅が逆転負けを喫した磐田に対して押し気味にドローで終わるんだから、
今の長崎と山雅がやったら、勝機は限りなく少ない、というのが順当な予想に違いない。

チーム熟成の彼我の差からすると、こりゃ、かなりむづかしい、というのが萬年の真情。

でも、ないような智恵を絞ってでも、ここは勝機を探らないわけにはいかない。

〈王道のサッカー〉に対して、まさか邪道で臨むわけにもいかないが、せいぜい相手の圧力に出来る限り屈せず、長崎のディフェンスを突破しなくてはならぬ。

長崎のボランチ(=インサイドハーフ)ふたりとアウトサイドハーフふたりが喰いついてくるところを外して、アタッキングサード奥へと外へ逃げるように人とボールを動かす。
そしてクロスを入れるか、さらに中央や逆サイドへ展開して、守備網に穴を開けて、フィニッシュ。
これで行きましょう。
長崎にしたって、山雅の攻撃を外へと追いやってからボールを奪いたいはずなんで、敢えて、虎穴に入って虎児(=得点)を得る、の策。
ポイントは、サイド攻撃に絡み、ボールを運べるタレントを配すことでしょう。

さらに、スカシたロングボールを最終ラインの裏に入れる手を織り交ぜるのならば、先発要員には細心を払い、各自のミッションと意思統一を徹底しないと攻撃が停滞して、相手のカウンター攻撃を発動してしまいます。

つまり、どこに配球しようとか考えていうようではダメで、次、そのまた次の展開が全員に了解されている、そこまで準備しておかないときつい。

❷長崎は、最終ライン➩中盤(インサイドハーフ)➩前線、というボール運びを、かなり直截的にやってくる。
インサイドハーフからアウトサイドハーフへの展開を中間にかます場合でも、やはり、遊び心に無縁の、無駄のないパスが入る。
一連の流れはかなり練度を有するから、見た目、オートマティカリイにボールが動く。(組織的サッカーの面目!)

そして、軽々にはクロスは入れず、中央へ運ぶなりして最後はショートパスでゴール真直まで迫って、シュートを決める、そんな感じ。

ペナルティエリア内で、最後のショートパスの局面までいってしまうと、もう手遅れ。
ゆえに、怖いだろうけれど、守備ラインをやすやすと下げずに、2列目、つまり中盤でなんとか長崎の攻撃の芽を摘めれば、それに越したことはない。

思い切って3バックを採って、5バックでガチガチに守る手もあるが、その時であっても、当方のボランチの〈狩り〉は強く、何度でも敢行しなければならない。

パスの供給手として活かすため、米原 秀亮にはどうしても、より手強い守備を装着してもらうしかない。

……、悲観的になりながらも、チームには、現時点での最上級のパフォーマンスを望む。

だが、10,000人入場可となり、手拍子が解禁された今。

それでもやはりさまざまな制限の下、僕たちがどのようにしてどのくらい彼らを鼓舞できるのか?、問われているのは、むしろそこじゃあないか、と思います。

素敵な55年メモリアルユニフォームをまとうチームを、なんとしても勝たせたい。

では。

正義に悩む思春。 『人生案内』

映画『人生案内』は、革命が成って日のまだじ浅いソビエト連邦で製作された。

1931年の発表だ。

萬年、これをたしか神保町の岩波ホールで観た。

物語の細部はほとんど忘れたが、悪事に日々を費やす少年ホーボー(浮浪者)の一団(チンピラですな)を、集団工場(コルホーズ?)へ連れていって、更正させる、という筋書き。

共産主義下では浮浪者など在ってはならぬ、というプロパガンダ映画なんだが、主人公らの演技が素晴らしく、少年期の普遍的な悩みや葛藤がみずみずしく描かれていて、教条的なお説教からは大きくはみ出した魅力を持っていた。

特に主人公が、アジア系の少年、という設定が、より親しみを感じさせた。

さて、1931年といえば、日本が満州事変を始めた年。

けれど、共産主義国製の映画はチャンと輸入されていて、翌年のキネマ旬報賞を獲っている。

敵対的な体制の、国家お墨付きの作品が、当時国内で鑑賞されていたという事実。
こういうところが、既に僕たちの感覚では、ぜんぜん捉えられない。
へぇ~、そうだったんですか~!、くらいの感想が浮かぶだけ。

当時は軍国主義にまっしぐら(の暗い社会)、といった史観で徹底的に教育された戦後世代の盲目と悲哀、と言えるだろう。

隣国の反日教育を笑う暇が有るのなら、むしろ、自分のやった教育に心を向けないといけません、日本人は。

さて、題名は、英語にすると Road to LIfe。
それを、人生案内、としたのは、実に名訳だと思う。

言語感覚が、90年前のほうが優っていた証拠ですな。

はて、某読売新聞の人生相談欄のタイトルは、ここから採られたんだろうか?

ロシアの歌『黒い瞳の』からの連想で、こんな曲を聴きながらの秋……。

では。

〈コメント〉
☞つー さん より (9/17 16:42)
触れたい芸術は多い、されど人生案外短い。
ロシア映画と言えば、戦艦ポチョムキン、惑星ソラリス、僕の村は戦場だった等々、歴史的名作は沢山ありますが観る機会を逸してきました。
暗く難解であると言うイメージが、観ることを遠ざけていたのかもしれません。
戦争の暗雲が垂れ込めつつあった時代、けれど大衆からは戦争はまだ遠く、浅草辺り娯楽を求める人で今以上に賑わっていたでしょうね。
ロシアの映画で、キネマ旬報賞驚きです。芸術、文化、娯楽に対しまだ、束の間の余裕があった時代と言うことでしょうか。
ところで、昔あれほど聞いたアリスの曲も遠くで汽笛を聞くように、過去に遠ざかり寂しい限りです。時折脳裏に浮かぶ彼らの曲を心の中で口ずさみ、さほどいいことも無かったこの街で残り少ない人生、あの昴のように慎ましく輝き生きて行こうと思う次第です。
では、また。

☞萬年より (9/17 19:18)
1930年代は、日本にとっては空前の経済的繁栄だった、と思います。
東京オリンピックの開催(結局は中止)にも手が届く時代だったので、映画輸入も盛んだったんでしょう、きっと。
革命後の国家創成期では、大衆情宣のためには映画(フィルム)がいちばん効果的な手段だったんでしょうね。
冷戦時代のハリウッドによる赤軍の描写には、画一的なものがあってうんざりもしますけれど、『レッドオクトーバーを追え』(1990年)は、主役をソ連潜水艦の艦長にすえたところ、従来の視点とはちょっと違っていて面白かったです。
まぁ、この艦長、西側への亡命を企図しているという条件つきでしたが……。

前年1989年にはベルリンの壁が崩れていて、時代が動き出した、そんな時でしたね。
では。