強みの最大化こそ (秋田戦プレビュウその❶)

ブラウブリッツ秋田には、格別の思いがある。

長野パルセイロと対戦する際には、東和田や南長野へ出かけて行った。
気持ちだけでも、と思って、マンチェスターシティのユニフォーム(ブルー)を纏って。

アウェイのゴール裏に独り離れて座っていたら、秋田サポーターの方がやって来て、お菓子をいただいたのも懐かしい。

〈このまま躍進か?、ブラウブリッツ〉
第5節、対京都戦の前半を、DAZNで観た。

J2昇格のホーム開幕の喜びが、バックスタンド観衆からも伝わってくる。
雨中の中、3,000人のご来場か……。

ゲームは、京都がほとんどボールを握り(支配率65%)、シュートは相手4倍強の23本を放つ。
スローイン52本は、いかに秋田がクリアに逃げざるを得なかったかを語る。

しかし、最終ラインに抛り込まれたボール処理のミスひとつから、前半41分に失点。
先制した秋田の堅い守備を崩せずに、そのまま ジ エンドで、0 – 1の敗戦。

おそらく秋田ファンサポーターには、サンガによる長けたボールフィードや連携に、これが、J2かぁ!、という新鮮な驚きが在ったはず。

けれど、明らかに地力に優れた側が、思うようなゲームができずに、ピーターウタカも不発。

これもまた、サッカーのむごさ。

敵味方関係なく、いままで幾度も観てきた試合展開だ。

〈相手に合わせないサッカーの強み〉
ボールを奪ったら自動的のごとく、特に右サイド優先でボールを蹴り出し、そこに殺到する。
キャプテンの中村 亮太らが、そこへ絡んで来る。
そのためには、右サイド左サイドの飯尾 竜太朗らがキッカリと、その側からの相手侵入をガードしておく。

ハイボールの連続を苦にすることなく、中途半端なルーズボールの繋ぎも献身的におこなう。
セットプレイでは、ハーフライン手前からでもロングボールを入れてくる。
さらには、ロングスロウを活かす。
……箇条的には、こんなサッカー。

手際の良さ、スマートネスなど、もともと眼中にないようだ。

サンガは、ボールの動かしを、こういったルーズさと破調に乱されて、攻めあぐねる、という状況に追い込まれた。
フラストレーションが相当嵩じたに違いない。

秋田は、アウェイ連続4ゲームで始まったリーグ戦を、ここまで、3勝1分1敗。

実に、見事な滑り出しであります。

指揮官は就任2年目というから、既に名伯楽の入り口には立った。

このままJ2リーグを席捲できれば、なおのことだ。

プレビュウその❷は、山雅の考え方について。

では。

軽井沢とは 誰のもの?

今年の松本マラソンは挙行する、とのメールが来ました、と孤高の長距離ランナー ルノワール氏からうかがった。

ルノワール氏は、軽井沢出身。
浅間山の山麓で、その健脚を磨いたお方なのだ。(当時は中距離専門)

先般、軽井沢の町長さんが、町外の者が、その製品などに〈軽井沢〉を使うのは困る、 と苦情を呈したらしい。

気持ちがわからないではないが、だったら、長野市や千曲市は、〈更科そば〉を名乗った江戸の蕎麦屋に文句を言わなくちゃならないが、こちらは時既に遅し。

北軽井沢は群馬県であることだし、我がもののごとくに主張するのはいかがなものか。

軽井沢とは今や、独り歩きしているブランド。
そこに住んでる、ってだけで、とやかくできるシロモノではない気がする。

だいたいが、軽井沢に目をつけたのは、明治時代の外国人宣教師たちが始まりであって、やがて、昭和初期のハイカラ文芸青年が息抜きのためやって来た。

我が地を有名にするため、地元の人間がどれほど奔走したのだろう?

江戸の世、軽井沢は、中山道(木曽街道六十九次) の主要な宿場のひとつだった。

『柳多留』(川柳集)では、軽井沢にはもっぱら、田舎の無骨な飯盛女(他のサービスもした) が詠い込まれた。

ところで、軽井沢に住む息子の家の近く、別荘地の中に、洒落た教会と宣教師ハウスが、ひっそりと建っている。

先年、その門に〈売物件〉の看板を認めた。
息子に聞いたら、価格は数億円らしい、とのこと。

    住む人も   去りて黙さん    軽井沢   萬年

では。

【コメント】
☞ルノワール氏 より (4/2 17:17)
松本マラソン10月03日開催
日本陸連公認の42、195㎞
コースルートをリニューアルして松本城、県の森&薄川
内田地区→スカイパークでゴール
私の職場の先輩にはマラソンのボランティアに駆り出される人もい
そのなか私が出場するのは申し訳ないかと思いますが
多分出場するでしょう😁
軽井沢
萬年さんの紹介のとうり
その昔は
沓掛村→中山道のお茶屋(休憩所)
借宿村→旅の旅籠
から構成されて今に至ります。前者は中軽井沢
後者は西軽井沢です
私的には軽井沢は私の故郷ではありません
軽井沢は旅人のもの
私の故郷は旧沓掛村であると思っていますが🐼

プレミアリーグの創設?

大分トリニータさん、ありがとう!

佐藤、小手川に続き、なんと、山雅へ、町田 也真人が再加入か、明日4/2の移籍ウインドウ締切を前に。
……、は、もちろんエイプリルフール、ってやつ。

―Jリーグでね、プレミアリーグ創設を検討するんですって(家人)。

ほう、丹念に情報を拾っているではありませんか。

そこで、チョイとニュースを斜め読みした。

斬新なアイデアのひとつとして、これを議論の俎上に乗せる、ということらしい。
14~15チームを想定か。
現状20チームから資金的に青息吐息の6チームを削る、ってことかいな?
楽天ヴィッセルなんかは、参入に即手を挙げそう。

議論はどんどんすべきでありましょう。
ただし、ここまでは行く、という限界点を明確にした上で。

どうも、イングランドをお手本にしている感じ。
最上級リーグ(1部相当)を、プレミアと呼ぶところなんかに、露骨ですな。

イングランドのプロサッカーの構成は?、というと……、

・プレミアリーグ (1部相当 20クラブ)
・EFL(English Football League)チャンピオンシップ (2部 24クラブ)
・EFLリーグ1 (3部 24クラブ)
・EFLリーグ2 (4部 24クラブ)

……、計92クラブからなる、4階層のピラミッドを成していて、各リーグ間には昇降格のはしごが在る。
以下に、実質5部のナショナルリーグ(プロアマ混在?)と続いていて、裾野は広く、深い。
渡英した息子の友人は、このあたりのリーグでプレイした、と聞いた。

EFLの創設は、1888年(世界最古)。

1992年になってプレミアリーグが創設されるにともない、EFLはその下部リーグとなった。

要は、歴史は古く、全英フットボール協会が管轄するリーグは 11部まである、というハンパなさ。

こういう先達を横目にみながら、Jリーグはいろいろ模索しているのだ。

ところで、プレミアリーグ導入とともに、外国籍プレイヤー枠の撤廃も検討されるらしい。

現行は、登録は制限なしで、ゲーム時は、J1は出場最大5人、J2&J3は最大4人。

これを、ゲームに何人出てきても良い、としたいわけか。

面白い構想だとは思う。

けれど、獲得資金面の問題はさておき、外国籍プレイヤー枠が撤廃されても、イングランドプレミアリーグのような外国籍盛況の図は、おそらくは生まれない。

いまだに、手垢に汚れた用語〈助っ人〉で、外国人差別をしている社会では、門戸開放において、放っておいても歯止めがかかるだろうから。

だから、いますぐにでも、外国籍プレイヤー枠なんか取っ払っても構やしない、というのが萬年持論。

いざとなると、先生!、と呼ばれて出てくるやくざお抱えの用心棒は、せいぜい2~3人ではないか。

イングランドプレミアリーグをベンチマークとするのなら、まづは最初に、膨大な資金を投入できる外国資本(組織&個人オーナー)参入を許容すべき。

でないと、差別化されたビッグクラブは生まれないし、チームの大半を外国籍プレイヤーで編成する、という発想もみなぎらないだろう。

※英国プレミアリーグにおける外国籍プレイヤー活躍は、EU加盟国のクラブチームでは、ボスマン判決(1995年)により、外国人扱いされない事情が決定的な要因になっている。

では。

この春を 忘れない。

― あれは、梅でもなくて、やっぱり桜なんだ……。

沿道で、花をつけている樹を眺めては、我ながら間抜けな自問自答をしている。

3月の末、そこそこ満開な櫻花を観るのは、静岡や山梨での話、と思っていたので、どうしてもにわかに信じられないでいる。

今年は稀有な春だった、とせいぜい憶えておこう。

おかげで、西行(1118 ~ 1190年)の短歌が、当地でも同じ季節感で味わえた。

    ねかはくは花のしたにて春しなんそのきさらきのもちつきのころ

『山家集』(巻上 春) に収められている。
詞書は、花の歌あまたよみけるに、とあり、桜を詠んだ多数の中にある一首。
(当時、和歌の世界で、ただ花といったら、桜を指した)

読みやすいように濁点などを振って、訳すと……、

    願はくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの 望月のころ

(できることならば、桜の花の下、春に死んでいきたいものだ、如月(二月)の満月の頃に)

西行は、文治6年2月16日(1190年3月31日)に亡くなった。

まさに、この歌に詠んだとおりの往生は、当時の学芸世界の住人に、かなりの感動を呼び起こした。たとえば、藤原 定家とか。

大げさにいえば、文学史上の奇跡、であったわけです。

なお、昨晩は、薄曇りの中、満月の翌々日の月(居待月)がぼうっ、と浮かんでおりましたよ。

西行の没後、ちょうど831年が過ぎたその夜は。

※西行と同じ年に生まれたのが平 清盛と憶えておくと時代感がわかりやすいか。清盛は西行よりも9年早く亡くなった。

では。

ひと粒で 二度おいしい理由。

― かならず二度楽しめること、それはなにか?

答えは、孫の来訪、というのが、萬年式ナゾナゾだ。

子の子、すなわち孫は、来ても嬉しく、帰って行く時もまた、嬉しいもの。

そのワケは敢えて言わないけれど、実感をお持ちの読者諸氏は多い、と思う。

ある日、5歳になった孫に、ナゾナゾ遊びを仕掛けてみた。

― 道端に、赤い顔をして立っていて、葉書を食べてしまうものは?

こういうのは、説明を加えながら、正解にたどりつくことができる。

次に、

― 大きいものは入れて、小さいものは入れないものは?

と言いかけ、途中で言葉を飲み込んでしまう。

正解は〈蚊帳〉なんだが、きょう日、とても使えないネタなことに気づく。

ナゾナゾの古典も、いまや風前の灯だ。

では。