目からウロコが落ちる、とは新たな理解力や観方が備わること、の譬え。
出典は、バイブル(新約)の使徒行伝、第9章。
クリスチャン迫害の急先鋒であったパウロ(旧名サウロ)が、神によって失明し、その後、視力が与えられた場面に、そう記されている。
(であるから、ヘブライ文化がこの言葉を産み出した)
まぁ、実際には、普段からそれについて思考していることが根底にあって、なにかのきっかけで、インスパイアされたり、確信を深めることが多い。
たとえば、ニュートンの林檎は、その例。
日ごろ引力の速度計算について思い悩んでいたからこそ、林檎の落下に確信を受けたのだろう。(ただし、そのエピソードが本当かどうかは怪しい)
新加入の、#7田中パウロの挨拶に触れた際、個人的に目からウロコ、という感銘を受けた。
―力を合わせて戦いましょう、という文言がそれ。
どんなメンバーであっても山雅は山雅、それを言い表す最高の言葉だとあらためて教えられた、といえばよいのか。
すべての場面で〈共闘〉、まづは、共闘する舞台アルウインの再来を。
ひとりのファンとして、この気持ちを持って開幕を迎えたい。
では。