時は どこへ赴くのか?

『Who Knows Where the Time Goes?』(1967年)は、
サンディ デニー (1947~1978年)が作った曲。

もともとのタイトルは、疑問形による否定構文だから、
〈時がどこに行くのか、誰にもわからない〉……か。

☞ 昨日よりインターネット接続不良のため、この記事は中途で投稿されてしまいました。改めて再投稿しますのでご容赦ください。(11/21 20:20)

では。

 

ひとつになる とは… (レノファ戦プレビュウ)

いまや、ゲームの戦略や戦術について語る時季でもないだろう、と思っているので、それは省略。

ボールを受けに来る味方を探している、とか、パスコースから消えてしまうのを減らす、なんてのは戦い方以前のことでもありますし。

さて。
COVID-19の第6波と、年末の忙しなさの来る前に、というタイミングをみて、一昨日、或る先輩とお会いした。

で、自然、山雅がどうのこうの、という話題になる。

― 最近はねぇ、負けているのはわかってるけど、いくつで負けてるの?、って、女房が聞いてくる始末でね。
一体、この無様な戦果をどう思う?

― リーグ屈指の技量、そこそこの年俸取りの集まりであるはずなんです。
が、ピッチ上でゲームを統率するリーダーシップをあまり感じないんですよね。
悪い流れを断ち切るとか、ひとつのプレイで他のメンツの意欲を引き出す、といった。

― あれだけの大量失点と、得点力の喪失はね、昔の監督、今の監督うんぬんじゃあない。
ふん、どうでもいいや、と腹背して、チームの結束を阻むような個とか勢力。
要は、チームの結束を阻む力学がそこには在るな、どうも。

……かつて同じ職場に在った時、この方の、組織や個人を診る眼と判断力はかなり鋭く、舌を巻くことが多かった。
ゆえに、参考にすべき視点だろうな、と思っている。

その指摘は、甲府からの帰り道で急に胸に来た、これだけゲームを落としまくる不自然な感じ、それと奇しくも合致する。

かと言って、犯人探しをする気にもなれないが、もしも、そういう事態が生じているのならば、どこかでそれを断ち切らないと、来季もまた同じ轍を踏むこと必至でありましょう。

この前は、甲州人のリアリズムに学べ、とか書いた。

が、武田軍団の速やかな壊滅は、指導者(主君)の下に結集できない背信、要は、内部崩壊のゆえだ。

組織は外からの攻撃によってよりも、むしろ、内部から瓦解する―とは、言い得ている。

まるで、どこかのチームがやっている負け試合の様相が浮かんで来てならない。

他方、なかなか一つになれないのも、人の世の現実。

ユダヤ人は、全会一致の評決が出たら、いったんそれを無効にしてしまって、再度議論を尽くすと聞いた。

これ、安易な、主体性なき一致、それもまた組織をそこなう、という信念からだ。

意見の衝突を怖れず、違いを宿しながらも、目的において一致することのむづかしさよ。

となれば、レノファ戦のみどころは、自分とチームメイトに厳しく要求し合いながら、結束によってゲームを崩壊から救えるか?、これですかね。

残り5ゲームの時点で予想した1勝を、そろそろ挙げるもいいのでは?

では。

きら星たちよ (東日本女子駅伝2021 より)

去る14日、福島県で開催された大会。

42.195kmを、9区に分け、うちふたつを中学生が受け持ち、あとは、高校生以上でチームを編成するというルール。

東海以東の 18チームがエントリーして競った。

3位でタスキを受けた、群馬チームの最終走者、あの! 不破 聖衣来が、前走する宮城、千葉を逆転してトップでゴールに飛び込み、チーム優勝に貢献した。

区間賞(31分29秒) を獲った不破にしてみれば、スタート時の、トップとの38秒差なんてのは、モノの数に入っていなかったのかも知れない。

……、とここまでだと、またもや不破 聖衣来の快走、で終わってしまうんだけれど、我らが信州チームが、第2位を獲ったことを大いに称賛しなくてはならぬ。

山雅や御嶽海だけが、この県のスポーツではない、ってこと。

不破と同区間を走り、区間第2位(31分40秒) の走りを魅せたのが、和田 有菜(わだ ゆな 名城大4年)。

一時は、不破に並ぶくらいの追い込みをするも、ここは、不破が一枚上手であった。
並ばせておいて、一気に引き離すことで、相手の戦意を消失させる老獪さをみせる(ルノワール氏評)。

信州チームは中学生をのぞくと、全員が、長野東高校の出身者。

1970年代に新設された県立高校。
なので、地元出身のランナーばかり。

とは言え、過去、全国高校女子駅伝で準優勝 2回(2017、2018年)とは、なかなかやる。

和田 有菜は、大学女子駅伝の全国大会をすべて制した実績をひっさげ、来年、日本郵政(陸上部) への就職が決まっているらしい。

となると、五輪マラソン代表 鈴木 亜由子らと切磋琢磨する世界に入っていくわけか。

しかし、まぁ、田中 希美、不破 聖衣来、鈴木 亜由子、そして和田 由菜か……。

女性ランナーが、銀河星団のように、次から次へと立ち現れる日本。

某サッカーのナショナルチームをとやかく言っているのが、なんだか、いじましくなります。

……以上、ほとんどそのまま、ルノワール氏情報の受け売りでありました。

では。

裏切りを 糧にする。

先日14日、対ヴァンフォーレ敗戦の帰途、甲州街道を辿りながら、考えた。

ここ数年、挫折を味わいながらも、そこそこの成績で戦えていたので、いつか、妙な思い込みにとらわれ、自分のファインダーには曇りと偏狭がヒタヒタと忍び込んでいたんだろうか?

最後まで諦めない、これはこれでいい。

だが、ここまで 39試合消化して、たった 7勝。

最近は、引き分けふたつを含んで、8戦やって凱歌を挙げていないのであるから、 こういうチーム(組織)はやっぱり、顔を洗って出直す、というのがスジだろう、と。

もともと草の根(5部あたり)から成り上がってきたんだから、上昇するにつれて背負いこんできた不要なものをそぎ落とせば、ただ、それでいいだけの話。

この先、いろんな意味での〈裏切り〉や〈離散〉を眼にするんだろうけれど、そんなものは世の常。

甲州の人々は、いまだに尊敬を込めて、信玄公、とその名を呼ぶ。

ところが、織田 信長が、木曽口から信濃/甲斐に侵攻を開始するや、ひとつふたつの例外を除いて、主君 武田 勝頼を早々に見限り、不戦、寝返りに走っている。

武田二十四将、とかよく言ったもんだよ、まったく。

それでも、400年経った今も、いまだ、信玄公なのだ。

甲州人の損得に関する抜け目なさ、リアリズムに学ぶべき時が今。

それまでベンチにも入れていない高崎 寛之を、マッチデイプログラムの全面に掲げるようなヴァンフォーレ甲府の商売上手を、すこしは参考にしてもいいかもな。

で、白州の道の駅で汲んだ名水を、今日で飲み終える僕なんであります。

では。

舞台裏がよっぽど面白い。

芸術家の楽屋は、醜いものだ

……は、当のご本人が語っているはずだけれど、誰の言葉だったっけ?

たとえ芸術家で無くたって、表裏に一分のブレもないような人格はそうそう在るとも思えないから、舞台裏の醜悪/醜態は、彼等の専売特許でもあるまい。

生れてこのかた、私は一度も偽証(=ウソ)したことがありません、と心底言える人格などいるんだろうか。

(僕の中では、『罪と罰』(ドストエフスキー、1866年)の登場人物である娼婦ソーニャは稀な例外だが、その個性にせよ、作者の創作した人物)

さて、リハーサルのほうが、コンサート本番よりも数倍魅力的な動画をみつけたので、今回はそれをご紹介。

芸術家の舞台裏のほうが、面白い、ってわけです。

ジェイミー カラムとルーマーのふたりがヴォーカルを採って、それに、スイングルシンガーズがバックコーラスをつける、といった構成。

『Tiny Dancer』(by エルトン ジョン)の、クラシカルな選曲も萬年好みです。

おそらく、スイングルズの誰かが撮っているんですが、殺風景なアパートの一室に、ヤマハのキーボードを持ち込んで演ってる雰囲気が、実にいいなぁ。

では。