挑発には 報え (レアンドロ ぺレイラ移籍)

今季も、ゴール裏で掲げるつもり、某選手のゲートフラッグ。

そのユニフォーム部分を、2021仕様に塗り直して完成させた。

準備も、あとは、オーセンティックユニフォームくらいか……。

実は、ホームのデザインがかなり気に入らなくて、購入をためらっている。
どうしても、ということならば、アウェイだろうな。

たとえば、アスレチック バルビオ(スペイン1部)のユニフォームを、ご覧あれ。

赤白のストライプで、ブラックのパンツとあわせて、100年間ほとんど不動だ。

毎シーズンの変化は、ストライプの太さ(本数)、襟スタイル、ストッキングの差し色の入れ方、といったごく細部のみ。

我が山雅も、毎季ほとんど違いがわからないくらいの路線でいけば良い、と思っている。

それでこそ、100年構想のクラブでありましょう。

萬年の押しは、クラブ創設時に戻って、緑と白の縦ストライプとすること。

ホームはほぼ不変にして、お遊びならば、アウェイ用でやってもらいたい。

自動車のデザインなどもそうだけれど、日本人はとっかえひっかえが早すぎる。

さて、ついに、クラブ公式で、レアンドロ ぺレイラがガンバ大阪に完全移籍することが発表された(1/22)。
結局は、クラブ予算50億円超のところが争奪戦を制する、ってわけだ。

ぺレイラを活かせなかった山雅が、どうこう言えることでもないか。

前々からの報道があったから、今さら感が否めないが、コメントが洒落ていて気に入った。

J1のステージ、アルウィンで山雅と対戦する、それがぺレイラドリーム、だと。

たとえ、リップサーヴィスであったにせよ、こういう挑発に報うためにも奮戦だ。

来年、その対戦が実現するように。

では。

しあわせ、最高潮の頃。

さぁ、メンツも決まり、キャンプが続く。

思うに、これからのひと月あたりが、ファンにとっては、期待感に満ちた、いちばん幸福な時季、かも知れん。

いざリーグ戦に突入すれば、一喜一憂のルーテイン、それに反し、今は、楽しみしかないのだから。

ひらチャンこと、平畠 啓史氏といえば、Jリーグを丹念に愛するサッカー通。

彼が、2021山雅について、(笑いながら!)出入りが多過ぎて、〈わからない〉と評してくださっている。

たしかに、どういうフォーメーションを採って、誰が先発を獲るのか、皆目、見当がつかない。

せいぜい、これだけのタレントを使いこなしてもらいたい、と願望するのみ。

好き勝手な夢想、妄想、ドキドキをこんなにもプレゼントしてくれる我がチームには、それこそ感謝してもし切れない。

去る22日には、シーズン42戦の日程が発表された。

このスケジュールとおりに進行することを祈らずにはいられないけれど、日程をスクロールしていると、気の抜けない難敵ばかりとの対戦が続くなぁ、という思いばかり。

最終戦は、12月5日。

ホームでVファーレン長崎とやるんだが、果たしてその時、どうなっているのか?

最後の最後まで、昇格競争がもつれるていることの予兆であってもらいたいような、もらいたくないような……。

では。

逃げたい心、

は、阪口 安吾による短編(1935年発表) で、松之山温泉(十日町市)がその舞台。
途中には、長野市が描かれている。
五十路に近い男の逃げたい心、を扱っているのだから当たり前なんだろうが、なんとも暗い気分を持つ作品だ。

紀伊国屋書店。
といえば、たいていの人は知っている日本有数の書店。
他に出版もやっていて、劇場(紀伊国屋ホール)も持っている。

この紀伊国屋が、書店として創業したのが、94年前の、ちょうどきのう1月22日だった。

もともと薪炭業を営んでいた商家の跡取り息子が、在った。

彼、『丸善』(書店、日本橋)に魅了されて、家業を本屋に求めようと決意したのだ。

当時、『丸善』は単なる本屋以上の、なにか文化的イメージの本拠みたいな存在だったんでしょう。
梶井 基次郎の短編『檸檬』(1925年発表)には、丸善河原町店(京都)の本の上に、檸檬をひとつ、あたかも爆弾と夢想して置き去りにする、という描写がある。

さて、一念発起したこの倅が、田辺 茂一(1905~1981年)。
当時は、22歳の青年だ。

それから50数年後、田辺は、ラジオ番組に出演し、パーソナリティーの小室 等(歌手)にこう問われる。

― 炭家の片隅ではじめた本屋が日本一の本屋になるような、そんな時代はもう来ないんでしょうね?

で、この時の田辺の答えが、ふるっている。

―そりゃあ、おめぇ、何でも時代のせいにしてりゃあ、それゃあ楽だわな。

こういう江戸弁というのは、軽妙で、かつ、こちらに響いてきますね。

……〈逃げたい心〉から、なんとなく連想されたお話ではありました。

ところで、紀伊国屋ビル(新宿3丁目)の地階、〈モンスナック〉のスープカレー。
ここのは、スープとライスの分量のバランスが絶妙で、しかも美味い。

新宿あたりに出かけた際には立ち寄ることしているけれど、近年はトンとご無沙汰であります。

では。

怒りの矛先は どこへ?

ジョー氏から、萬年氏は、キレることがあるか?、と問われた。

彼、怒りの爆発と、そのやり場に苦しんでいるんだろうか。

―うん。自分に許すことで、それに対処しているかな。

不快で、不合理と思われることに出逢えば、瞬間的にムッとくることは、人間ならこれはどうしようもない。

で、そこまでは自分の感情を肯定しておいて、さて、それから先は、自分の選び次第と考えて行動する、ということを言いたかったんだな。

怒りの感情は、無理やり飲み込んでばかりいると、今度は自分をあざむくことにもなりかねない。

腕力に訴えて相手を打ち倒すやり方は、萬年、小学生2年の時の喧嘩を最後に、決心して、これをもうヤメにした。

後年、それに近いところまで行ってしまい、警察を呼ぶゾ、と相手が息巻いたことが1回あったが、口頭で応戦してしまってから、苦い思いをすることは多い。

お袋の遺言とかうそぶいて、これからも慎まねばならぬ。

力づくでも言葉の刃であっても、それで誰かを凹ましたとして、いちばん傷つくのは、当のご本人であることは、いままでの経験から、ほぼ間違いない。

落ち着いて、生きのびよ、わたしの心。

では。

【コメント】
☞ジョー氏より (1/22 12:37)
ココ最近、色々な事が重なりまして、いつも冷静で大人な萬年さんに問うてみた次第です。

自分は子供の頃から感情が顔にモロ出てしまう性分でして。
ある人から、凄い顔してるよ。と言われてハッとしたのは忘れないです。
やはり感情的になるのは良くないと思うし、自分自身を出せなくなりますしね。
これからの人生、気を付けて生きていかねば……

超預言作! 『家族ゲーム』(1983年)

― 家でもね、マスクをするべきなのよ。

ついに、家人がこう言い出すところまできたか、このパニック。

誘導された騒擾によって、なにがなんでも感染防止、がはなはだしいけれど、角をたわめて牛を殺す、って領域に入りつつあるかも知れない。

コロナ怖しの一辺倒でやったあまり、生活そのものが崩壊する、ってこと。

もう相手はウイルスそのものではなく、人間の描いた幻想っぽいな。

やる/やらないの限界点を一向に明確にせず、限界に近い困った困った、などと言ってオドすばかり。
だから、ナショナルおよびローカルのリーダーは、ますます信頼を失くす。

いまや、拙宅では、スーパーマーケットへは敢えてふたりして行かない。

テーブルの片側に、ふたり並んでの食事ですよ。

この前など、間仕切りを作って置こうか、なんて話にまでなった。

あぁ、これ。
映画『家族ゲーム』が、40年も前に透かせて見せてくれた、互いの信頼を喪失した家族が向かう、食卓風景そのもの、ではありませんか。

深刻な話題になると、家から出て車の中に座り、前を向いたまま相談する中年夫婦(伊丹十三、由紀さおり)の姿もまた、預言的だった。

ホンネのところですでに破綻している家庭に、大学7年生の家庭教師(松田 優作)が入り込んできて、トドメを刺すさまを描いたコメディ。

萬年ランキングでは、11~20位あたりに入っています。

松田のコメディアン的な要素が、新鮮。

だが、オロオロと定見なき母親を演じた由紀さおりの演技に、いちばん惹かれる。

では。