なでしこを 悪く言うな。

中継をチラッと、あるいはハイライト映像を観ているだけで、言わせてもらうと。

対イングランド戦の失点シーンは、単純にゴールキーパーのミスによるもの。

ヘディングの体勢に入っている相手FWの後方から競って、しかもパンチングを空振りしていれば、ゴールマウスはがら空き。

まぁ、我慢して待っていたとしてもヘディングシュートの弾道からしたら、ゴールインだったかも知れないが。

ゲームの全般的な様相はどうあれ、ランキング10位のなでしこが、8位カナダとドロー、そして 6位イングランドに 0 – 1 というのは、しごく順当な戦績ではないか。

そこそこ健闘、と評価していいと思う。

次戦は、ランキング37位のチリなんだから、これは必勝、というストーリーだろう。

予選リーグの組み合わせの妙もあるけれど、参加12チームのうち、日本よりランキング上位が7チームなんだから、応援するなら、もっとアタマを冷やして見守るべき。

しかも、自国で開催しているからの出場権という、ハンディキャップ(決してアドヴァンテージではない) がこちらにはある。

言わば、おこぼれで出場できている現実を忘れるな。
(これ、男子サッカーだって同じこと、言い訳にしてもらいたくはないけれど)

論評には、10年前くらいのひとつのピークをいまだに懐かしむ態度が濃厚だ。

進化のレヴェルという点で、チームやプレイヤーよりも、取り巻く観戦者のほうがよっぽど遅れている。

まして、勝ちたいという気持ち、とかいう精神論を持ち出されると、何をこの期に及んで、と思ってしまう。

2010年5月、アルウィンでやった対メキシコ戦を現地観戦しましたが、なでしこはたしかに強かった。(4 – 0の勝利)

過去の栄光と成功を、人はなかなか捨てきれない。

じゃぁ、どうしろ、ということなんだが、フィジカルをもっと追求するしかないと診ますね。

同じ規格のピッチでやるのがフェアでないほどの、主に白人種との体格(身長とウェイト)差、これを埋めることは今すぐにはできない。

いわば、無差別級の世界で戦っているくらいに思わないといけないはず。

ならば、スピード(走力)とアジリティ(俊敏性)を徹底して強化するのが現実的。

要は、何か年計画で、そういうプレイヤーを発掘する、日常的なリーグ戦でその部分を強調する、そういう活動を地道に続けることです。

乱暴に言うと、テクニック面は放っておいても、世代が進めば向上していく。

なでしこの将来は、現状のピッチサイズを諸外国チームと同じように使うスタイルではなく、もっと狭い局面の中、一気に加速して相手を置き去りにしてしまうようなスピードサッカーにこそあるのではないか?

では。

午後の殺戮。

……1920年に発表された詩がある。

草の  一本橋
あお空  高い
太鼓  たたいて
てんとうむし  渡れ。     ( by 都築 益世)

益世(1898~1983年)は、KO大学医学部卒のドクターだった詩人。

しかし、〈続きますよ〉とは、ずいぶんと人を食ったペンネームではありませんか。

てんとうむしが、葉の先までつたっていって、ついに行き場所がなくなると舞い立つ習性を観察して、はじめて生まれる視点。

ずいぶんと前に、日本の詩人は〈詠う〉ことをやめてしまったので、最近は、詩というものから力がなくなってしまった。

ところで、ここ10日ほど、ニジュウボシテントウムシを相手に、あまり勝ち目のない戦いを続けているのが、我が家。

ナスやトマトの葉を喰いつくす草食性の害虫として、目の仇となっている。

哀れにも葉脈ばかりが残るまでに、葉っぱをなめ尽くす。

家人などは午後ばかりでなく、朝昼晩と畑に出ると、一回で数十匹はひねりつぶしまくるのが、日課。

―この野郎、この野郎、とあまりお上品でない言葉を発しながら、この仕事に精を出す、殺戮の天使として生きている毎日、というわけ。

で、ナナツボシテントウのほうは、肉食性だからと見逃している、これまた、まことに勝手な、人間本位のお話。

こうなると、詩的な気分など微塵もないことです。

では。

もうひとつの プロテスト。

7月と8月、祝日がどうもカレンダーと違っているぞ、というのは何となく気づいていた。

きっと、変更が印刷期限に間に合わなかったんだろうなくらいに思っていたが、
今日昨日から4連休、そして、8月には3連休になってることを、今頃になって切実に知った次第。

当方の知らない間に、国会議員の方々、祝日の切り貼りにいそしんでいたわけか……。

まぁ、エッセンシャル ワーカーなどと、言葉の上では持ち上げられている僕のような者にとって、連休はほとんど他人事の世界なので、そう騒ぎ立てるほどのことでもない。

仕事量に多少の波が生ずるくらいかな。

エディー コクラン(1938~1960年)の、『Summertime Blues』(1958年発表)は、夏休みにも無縁で働きつづけるテーンエイジャーのグチを歌った曲であるから、これも、立派なプロテストソングと言えなくもない。

サマータイム ブルース

大騒ぎしたいし、叫びたい
たいした稼ぎにもならい ってのに
この夏は働きづめなんだ

恋人とデートの約束をとろうとするたんび
〈ダメだ、若いの、今日は残業だぜ〉ってボスはぬかす
一体どうしろ ってんだよ、まったく

夏の憂鬱には 効く薬なんかなさそうで

〈今度の日曜に車を使いたけりゃ、金を入れてくれないと〉
って 母さんと親父に言われる始末

ボスには病気を口実に 仕事を休んだのさ
そしたら

〈あのな 仕事をしないやつに車は使わせらないな〉と来たもんだ

2週間ほどくれないか
バケーションを楽しむのさ
そして この苦境を
国際連合に持ち込んでやる

地元の議員に電話して訴えたらね
先生 こう言うんだな
〈助けてやりたいけれど、君、まだ選挙権がないんだろう?〉って
あぁ、夏の憂鬱は 直りそうもないよ

エディーは、21歳で交通事故死した。
もし生きていたら、いくつになるまでこの曲を歌っていたんだろうか?

では。

やっとこさの RAZUSO更新。

物事をうしろに引き延ばす性格を、なかなか克服できないでいる。

先日の、水戸戦の会場でやっと、今季のRAZUSO会員を更新した。

3,000円の少額ではあるけれど、ユース年代の育成に少しでも役立ててもらえれば本望。

北信越プリンスリーグでは、松本山雅 U -18 、現在10チーム中の第3位につけて健闘中。
2位の金沢U18から、8位の新潟明訓までが、勝ち点6のなかにひしめいていて、混線模様のまま。リーグ戦の半分を消化している。

これから一箇月、準備を怠らずに、次節8/28の富山U18との対戦に備えてもらいたいものだ。

うだるような夏を、やっつけてしまう気持ちで乗り切れ。

では。

たまにはプロテストする。

ゴルフやボクシングなんかの、プロとして認定されるために受けるテストのことではなくて。

世の中の大勢や体制がおかしいんじゃあないか?、と抗議する歌、プロテストソングを、たまには聴いているというお話。

プロテストソング、と言っても、結局は聴く方がどう捉えるか?、のことなので、たとえば、ビートルズのエリナ リグビー だって、そういった趣きで受け止める向きもあるかも知れない。

今回は、『Waiting on the World to Change』(世界が変わるのを待っている)。

ジョン メイヤー(1977年~)が、2006年に発表した3作目のアルバム『Continuum』の冒頭に、収められている。

2008年当時、僕は富士市(静岡県)に単身赴任していたが、このアルバムをば、殺風景なアパートの部屋でよく聴いていた。

僕や友人たちは皆
定見もなく なんにもできはしない と思われている
世界とそれを牛耳る者たちが すべてを悪いほうへと導いていて
それを乗り越え叩きのめすのは  とうてい無理と感じる

体制を打つのは むづかしい
そういったところから離れた場所にいる僕たちであれば なおさらのこと

だから 世界が変わっていくのを待ち続けるんだ

僕らに力があれば
隣人たちを 戦場から戻すこともできるし
クリスマスを家で一緒に祝えるだろう
ドアに黄色いリボンを掲げることも要らない
テレビを信じてみたところで
映っているものしか見えないし
好きなように情報が捻じ曲げられているんだぜ

戦いはとてもフェアでないことは承知しているが
そんなことは かまっていられない

いつか  僕らの世代が  大勢を占める日が来る

だから 世界が変わっていくのを待ち続けるんだ

もちろん、プロテストなどと構えたりしなくとも、ステキな曲に変わりはないことが、こんなカヴァーを聴くと実感されます。

では。