山雅 NOW ❾ 傾聴しつつも,上を向く

いつの間にか、眠りに落ちたようだ。

メールの着信音に反射的に起き上がって、画面を確かめた。

あまり前面に押し出さず、けれど、山雅に関心と思いを寄せるファン、というかシンパは、けっこういらっしゃる。

その中のおひとりからのメール。

なになに?、と読むと、次のようなこと。

……、山雅の新布陣を、ネット上のニュースで拝見。

入れ替えはそれほど多くないようです。

落ちた責任をとって契約更新、ということかしらん?

他からオファーがなければ残る、ってことでしょうか。

チームが大幅に変わらないということは、これ、巧く機能しないと、昨季の二の舞、ということもあるってこと。

ダメなところを各人がどれだけ思い知ってリーグに参戦するか、が問われるのでは?……。

短くも、言いにくいところをグサッとご指摘ですなぁ……、と思ったところで、今度は、本当に目が醒めた。

いま一度、携帯の画面を開けてみたけれど、そんなメールの痕跡がない。

冬の夜の夢ひとつだったのか?、という思いでずっと一日暮らして、勤務から戻ると、

居間で家人が、チャーリイ チャップリン(1889~1977) の『キッド』(The Kid)を観ていた。

いまから、ちょうど一世紀前(1921年公開) の映画か……。

不思議な一日にふさわしいよなぁ、作品には夢のくだりもあるし。

で、チャップリンの言葉を、ひとつ思い出す。

    ―下を向いていては、虹は見つからないよ。

では。

美は,やはり,敗残者に宿る?

それに近い現象を、判官(ほうがん)びいき、とか言いますな。

源 九郎義経。

兄頼朝の不興(怒り)を買って、追討される身に転じ、やがて滅びて(自害させらせる)いった。

平家を滅ぼした後、義経には増長、傲慢の姿勢が顕著となって、独断専行をおこなったこともあったから、一族の主たる頼朝が、弟の行動に反感と激怒を覚えるのも当然ではあった。

けれど、滅びる義経に対し、世人が、義経の行動の是非などにはかまわずに、ひたすら同情を寄せる。

そうした心の動きを、義経の官位をそのまま使って、判官びいき と呼ぶようになった。

高校サッカー選手権の決勝(1/10) をご覧になった、クレ君いわく、

―あれだけ青森山田が強いと、大津のほうを応援したくなりますよ。
公立校なのに、良く勝ち上がってきたと思います。

僕は、このゲーム、ハイライトさえ観ておらず、また、観る気にもならないのだが、こういうのも、確かなる判官びいき。

クレ君に言わせると、山田のプレイヤーは、これが高校生か!、といったフィジカルの強さで、ずば抜けて強靭なサッカーをやってみせたらしい。

それほどまでの鍛錬と研鑽は、称賛されていい。

なのに、まるで悪役(ヒール)みたいに取り上げられてしまうのは、人間の根性が、そもそもマットウにできていない証拠に違いない。

対象が弱くなってはじめて、それに憐れみを覚えるのが、人間の哀しさ、というべきか。

余談ですが、山雅の常田は、青森山田高の出身なんだけれど、その風貌に、鍛え上げた剛性を感じないのは、何故なんだろう?

むしろ、キョトンと柔和すぎるくらいだよね。(もちろんホメているんです)

敗れた、というものの、大津高校は、高校年代サッカーの最高峰であるJFA高円宮杯プレミアリーグの西地区で 4位(2021季)なので、ばりばりの強豪校。

ちなみに、プレミアリーグには20チームが参戦、東と西にわかれ、それぞれ10チームでリーグ戦をやっている。
Jクラブユース16チームと、高校では、青森山田、市立船橋、流経大柏、大津の 4つ。青森山田は、東地区で 1位(2021季)でした。

ところで、全豪オープンへの出場で、豪州政府などと揉めているジョコヴィッチ。
この事案、彼の強者ぶりが災いしている部分が、かなりあるように思えるんですね。

愛される強者であること、これは至難。

出る杭は、かならず打たれます。

他方、いくら愛されても、敗残の身は辛かろうに。

でも、こういう不条理への理解があったからこそ、アントン チェーホフ(1860~1904)の戯曲や小説は、読むに値すると思っています。

(以前の投稿のリライトに近いことをお断りします)

では。

やがて記憶の彼方だけれど。

最近の〇〇といったら……だ、という切り口は、あまり好きでない。

むしろ最近のほうがずっとマシ、ってことも多いから、極力使わないようにしている。

だが、それにしても、この人の歌いっぷりに比すものには、最近、おめにかかったことがないなぁ。

決して懐古趣味ではない。

本家に忠実にありながら、それを凌ぐ迫力の演出を、ただただ楽しむ。

日本人による英語発声ということについて、いちばん成功している歌手。

ブラックアメリカンの歌唱を真似るならば、この人のようにやれ、とボブ ディランに忠告したいぐらい。

それらしき英語表現の裏には、相当な研究があったはず。

亡くなってから1年半。

2月5日がやって来ると、存命だったならば、75歳。

時が経てば、やがては、人の記憶から遠ざかるとは思いながら、どこかで再発見、再評価の時は来ると信じる。

それって、今世紀半ば頃かなぁ……。

では。

 

山雅 NOW ❽ 回帰とは、不動であること。

昨日の萬年ブログを読んだ、写真の、幼な児の母親。

すぐに感想を送ってくれた。

この子、アルウィンの前を車で通りかかる度、決まって、また、来ようね、と言う。
ゲーム内容もわからず、いや、むしろゲームなんかほぼ観ていないと思うけれど、また来たい、と思わせるような魅力がアルウィンには、確かに在る、ってことだと思う。
だから、降格になったからと言って、クラブにはどのカテゴリーに居るのかってことを、さも強調するのだけはやめてもらいたいな。

決意表明の、ある意味ポ―スとして、回帰を口にするのは、まぁ、わからないでもない。
(見た目のポーズは、とても大切だから)

クラブの外へよりも、むしろ内側への危機意識の醸成、という意味合いもあるだろうし。

ただし、それはあくまで、参戦カテゴリーとはまったく無縁な、不変の価値観の確認行為にしておいたほうがいい。

まるで天が落ちてくるようなドタバタは、もう一切やめにしましょう。

リーグが始まってごらんなさい。
もっと違う切実なこと、たとえば、このメンツでどうして勝てない?、とかできっと悩むんだから。

そう、いばらの道、に備えないと。

観ていて、あぁ、このぶんでは、勝つためにかなり鍛えてきたな、という、練習における裏付けを強く印象づけるゲーム、それに集中ですよ、これから。

なに練習してんのよ、っていう昨シーズンのようなため息だけは勘弁してください。

アルウィンに魅力をもっと注入することとは、ゲーム観戦そのものの嬉しさを追求すること。

そうなれば、自然と、戻りオフサイドなんて知らないジジババにだって山雅の魅力が拡散されます。

なお、あの写真の子、ゲーム観戦の日、アルウィン内のエレヴェーターで、その日欠場した高崎 寛之と遭遇。
ユニフォームの背中にサインをもらったようだ

では。

山雅 NOW ❼ 悔しかったら ノセてみな。

新体制発表会は、You Tubeの動画配信で、ところどころを拾い観戦した。

❶ 全体として、堅い印象。
降格を受けての通過儀礼だから、まぁ、それも仕方ない。
でも、例えば、JFLから始めた佐藤 和弘のような平常心が今こそ貴重、と思う。

❷#1、#18、#20、#23は、移籍を前提として交渉中、#28 は療養中ということか。
33名体制でスタートというのは、規模として妥当な感じ。
GK5人は、チト贅沢だが。

❸ ― 屈指の、熱い、ファン&サポーターの存在がクラブの財産 ―、そんな感想もチラホラ。

それはそれでいいんだけれど……、
もしも、そう思うんなら、ピッチ内外で、そのファン&サポーターを、どうやることで、より沸かせて、その熱量を曳きずり出すのか?
そこのところの方法論を、これから究めなきゃな、クラブ、チーム、プレイヤーとして。

印象こそが、人の記憶には強烈に残るから、あの頃は、走っていた、諦めなかった、とかいった表現になりがち。

けれど、走る、諦めない、闘う、なんてことは、勝つためには、どのサッカーチームもやっていることなので、ことさらに、我がチームに求めることではない。

走らないバルセロナ、闘わないリバプール、なんて言わないでしょう? ふつう。

振り返って言うならば、
Jリーグ40チーム体制の、どん尻として滑り込んだ山雅にとって、一朝一夕ではなんともしがたいクオリティ(技量)を、攻守切替えの速度と、ボール保持に劣るが故の、カウンター攻撃特化を採用することで挽回しようとした。

その前提として、走力重視のチームスタイル、という方向に向かった、と僕はみている。

思ったほどに希望するメンツを集められなかった事情も、そこにはあったに違いない。

そのやり方が、もっとも勝ちを見込めたんですな、当時から数年間は。
だから、観ている側も、自然に親しんでいた。

あれから10年。
現有戦力の強みの最大化、といった観点からすれば、
ただ走ればいい、ってわけでなく、あたりまえのように〈堅守速攻〉の旗印をおっ立てることも、不要。

まぁ、堅守速攻は、ほとんどのチームがやりたいことですが。

ここで、ご参考まで。
どうしても、あの頃の山雅に遭遇したい御方は、現在、ジェフ千葉が採用/定着させつつあるサッカーをチラ見したらいいかも知れません。

J2で唯一、(反則ポイントが多いため)フェアプレイ賞を逃がす(2021季)ことも恐れず、ひたすら、球際と対人に厳しいサッカーやってますから。

で、昨日の指揮官発言に接すると、そこのところの勘違いはないようなのでひと安心。

周囲からの、チーム不足感の声には耳を貸しつつも、いま在るタレントによる戦略構築には軽々に触れない部分、クレヴァーだなぁ、って感じです。

今オフの出入りの少なさをみると、要は、昨季の技量をベースにJ3に参戦すれば、活路(昇格)が見いだせる、とクラブは踏んでいるわけだ。

僕らファン&サポーターもその胸算用に同調していくことになるんだろうが、それが、まさかの幻想にならないためのポイントは、

ここ2年間感じられた、サッカースタイル追求における突き詰めと、細部の緻密さへのこだわり不足、そんなところに在るのでは?

別な表現をすれば、2021季後半からは改善がみられたものの、

公式ゲームが、まるで練習試合のような趣きであったこと。

これこそ、ファン&サポーターに対するプロとしての、最大級の背信でありましょう。

では。