失意のクレ に捧げる。

註:クレとは、バルセロナファンの愛称。

同僚のカン太くんは、たしか20代。

彼にとって、リオネル メッシのいないバルセロナFCなど、あり得ない。

2003年以来、クラブに18年間も所属して、輝かしい時代と実績を残したスター選手なんだから。

なので、バルセロナファンのカン太氏、リオ メッシが、2021/2022シーズンからパリ サンジェルマンの一員としてプレイ、との報に接し、その落胆たるや甚だしい。

たしかに、ボール扱い、パスセンス、FKを含むシュートの秀逸、どれをとってみても、どのポジションでプレイしても、卓越した才能だもんな。

重心の低い、独特のリズムで刻む、俊敏なステップワークのユニークさは、僕にでもわかります。

その年俸(推定) 50億円にたまげていた家人、他に、例えば、アディダス社との年間契約料が11億円と聞いたら、どんな顔することやら。

ところで、パリサンジェルマン(PSG)は、フランス1部リーグ(リーグ アン)に所属するクラブ。
このところ、(中東のマネー力を使って?) ビッグプレイヤーの蒐集に精を出している。

DAZNは今回、リーグアン独占配信を獲るべく動くでしょう、多分。

さもないと、メッシのプレイが世界中の耳目から消えてしまうわけで、その存在が、放映の世界構造を変えてしまうくらいのプレイヤーなんです。

さて、PSG。

リーグ アンでは〈一強〉といえる存在。

Jリーグでは、某ヴィッセルというクラブが近年、高名なプレイヤー集めを繰り返していて、どうやらリーグ一強の座を狙っている。

これ、人気を獲るための、マットウな手段のひとつでもあるわけで、たとえ巨人化、と批判されても、そういう球団がひとつやふたつあってもいいではないか。

この手法でトコトンやってもらって、リーグの注目度が挙がれば、なにより。


さて、失意の底に在る、東洋のバルサファンに対しては、

―いっそのこと、山雅に眼を向けたらどう?  いまここに在るサッカーも、なかなか味わいがあるから。

と、他人の不幸を逆手に取っている僕なんであります。

では。

『Who’ll Stop the Rain?』

天候だけを言うんだったら、サッカーという競技の特質上、ゲームをおこなわないといけなかった。

ただし、密着をうたっている、その地域に、警報が発令されたり、避難指示が出た日には、アルウィンだけが愉しみに浸っているわけにもいかないし、交通も遮断されていれば、出入りする人々の足許も危ういし。

―まぁ、セルジ―ニョとか、万全の態勢でサンガとやれる、って考えればいいことで。

―あらま、ツイッターなんかでそう言ってる人がけっこういたりするのよ。

さすが、山雅ファミリー、考えることは同じ、ってことでしょうか。

では。

山雅 決意の河を渡れ。


京子さんから、煽りのメールが家人宛てに入る。

―もろもろなこと、今朝ジャンプの新聞で確かめて、と。

そこで、隣家に頼み込んで、読み終わったニュースペーパーをもらい下げて来た。

ふむふむ。

首位京都との対戦の厳しさ、新戦力に関する内輪話等々、話題には事欠かない。

どうやら本日のゲーム、注目のひとつは、昨秋に大怪我を負った 山口 一真がメンバー登録されるかどうか、であるらしい。

秋田戦で途中投入された伊藤 翔(移籍加入)に続き、新しい戦力がいよいよアルウインのピッチで、あからさまになるのか。

で、その次は、コンディションを100%にまで高めた、セルジ―ニョと御目文字、という流れ。
(選手登録の手続きは、8/13に完了したので出場はいつでも可能)

まるで、ホップ ステップ ジャンプ の、FWの揃い踏みストーリー。

2021初秋のプレゼント、とでも名づけてしまおう。

阪野、鈴木、ルカオらにしたって、当然、黙っちゃあいないだろうから、なんとも熾烈な、前線の定位置競争、になるわけだ。

もちろん、新戦力のピッチ投入によって、すべてがオーライ、と思うほど能天気でもない僕なんだけれど、切れるカードや、引き出しが増えるという報せは、嬉しいもの。

お客さん商売は、とにかく話題性が大切。

チームがこれから飛び込んでいく、リーグ戦のクライマックス。

期待の高まりとドキドキを、この曲に託しているんです。

Many Rivers to Cross  (渡るべき河の多さよ)
written by Jimmy Cliff ,
recorded in 1969

渡るべき多くの河を眼前に
はるか自分の道を  見とおせない私
まるでドーバーの白い絶壁に沿って航行するかのよう
迷い、そして、自分を見失いそうなんだ

生きているのは  自分の意思のたまもの
何年も試され続け、疲れ切ってしまったけれど
ただただ、プライドってやつのおかげで 生き延びている

孤独は 私を 解き放ってくれそうにないが
独力でやってみよ、という試しなのか
恋人は何も言わずに去っていったけれど
そうだ、チャレンジしよう、と 自分に言い聞かせる……

今回は、トニ チャイルズ(Toni Childs 1957~ ) によるカヴァーで。

では。

一点の曇りもなき (サンガFC戦プレビュウ)


京都と戦ったのは、約5箇月前(3/7) の、第2節。

たしか、じりじりと痺れるような内容の、スコアレスドローだった、のは憶えているが……、はて、サンガって、どんなサッカーだったっけ?

そこからいろいろと変化変転があった僕らにとって、なかば記憶のかなたに茫洋としてしまっているのではないか?、実際のところ。

それではいかんと、前節の、ホーム町田戦(2 – 1で勝利) をDAZNで観たのであります。

〈遊びも、余分もないサンガ〉
結論から言うと、ゲーム冒頭のたった5分間もすると、京都のやってるサッカーは、歴然と理解される。

そこには、様子見もなく、秘密や秘策など微塵もなく、直截で、あからさま。

ただただ剛直に、ひたすら相手ゴールに迫るサッカー。

現監督、ベルマーレでもそういうサッカーを志向していたような。

初期布陣4 – 3 – 3 が、2 – 5 – 3に変容すると、攻撃圧を強めて侵攻する。

センターバックの#23ヨルデバイス、または、両サイドプレイヤー、いづれの起点からも、鋭いボールが切り裂くようにして、ペナルティエリアあたりに走り込んできた#9ピーター ウタカに入ってくる、という方程式。

脅威なのは、飛び道具(=ロングボールやクロス) ばかりではない。

サイドバックの、#2飯田や、#17萩原が、勇猛果敢なドリブルで地上戦を仕掛けると、ボールをペナルティエリアに持ち込んでくるのだ。

ボールが一旦ウタカに収まってしまえば、今季、ここまで12得点7アシストの個人技が存分に発揮され、シュートまで持ち込んでしまう、という寸法。

町田戦の、2得点。
これは、ウタカとイスマイラの両FWによるもの。
それがキックであっても、ヘディングであっても、最前線のプレイヤーが仕事をキチンとする図式は、やはり、サッカーの王道だろう。

24ゲームを、ぶれずに戦い続けた結果の、リーグトップ。

― 恐れ入りました、と素直にその強さを認めるしかありませんわ。

〈ディフェンス網の真価と、よってたかる攻撃の深化〉
でも、当方にしたって、それに平伏するわけにもいかぬ。

❶守 備
飛び道具、地上戦のどちらにしたところで、最終的には、ウタカやイスマイルと身体を張った勝負になることは必定。

星キョーワァンは、ウタカとの真っ向勝負を制することに専心だ。

ただし、できるならば、最終局面となる前に、バイス、あるいは、サイドプレイヤーからのボール供給を絶ちたい。

前線とボランチによる京都センターバックの追い込み、それと、両サイドバックが京都のサイドバックを自由にさせない、これがポイントか。

❷攻 撃
京都はセンターバックの二人が最基底に居残るような格好になる。

ゆえに、この両脇のスペースを速く侵すような反転攻撃が必要。

ロングボールであっても、ショートカウンターであっても、秋田戦で魅せたように、サイドから逆サイドへとボールを動かし続け、そして、シュートで仕上げる、がいったい何回できるか、が鍵。

その中で、守備にかなり疲弊するとは思うけれど、センターバックが相手陣内の深いところまでボールを持って駆け上がるぐらいをしないと、京都の中盤にはなかなか穴は開かない、と思います。

攻撃は、寄って集ってコレクティブに、これがひとつ。

ふたつめは、セットプレイを狡猾に緻密に。

……、こんなことを手を抜かずにやり通せば、果報がこちらに転がり込んで来る。

そう思って、悲観的に準備して、楽観的に戦うしかありません。

とにかく、首位のチームとやるのですから。

では。

基本スタイルと修正と (秋田戦レビュウ 後篇)


4得点のうち三つは、こちら側、つまりは、アウェイゴールでの出来事だった。

すべてが秀逸のシュートだったためか、一瞬のことで、その詳細も見極められず。

しかたなく、その都度、前方に出て行って振り返っては、オーロラビジョンに映されるリプレイを見上げて納得している、そんな山雅ファンサポーターの皆様でありました。


要はですね、ホーム&アウェイのゴール裏は、ほとんどフラットなコンクリートの階段状。
それなりの地上高もないから、トラックの彼方でおこなわれているゲームの臨場感にかなり欠けて、視認性も良くない。

しかも、アウェイゴール裏からはゲームの時間進行がまるっきりわからない。

……、とまぁ、今後、修正するお気持ちがあるのかないのかは不明ですけれど。

苦言は以上、さてと、後編は、主に、ゲームマネジメントについて。

先の五輪日本U24チームについて、いちばん面白くなかったのは、ゲーム内の修正や、相手の虚を衝くような策の繰り出し、を感じなかったこと。

監督采配のほとんどは、先発のメンツに尽きてしまい、交代カードによって戦い方が変わるマジックは、期待薄だった。

対秋田戦は、それよりかは、かなりわかりやすい。

❶秋田のスタイルは、ひたすら不変。
守から攻への切り換えの瞬間、ボールを遠くへ蹴り出すと、前線プレイヤーが既に落下点めがけ走っている、というオートマティカリーを身上とする。

この時の、手数と時間のかけ方をいかに素早くおこなうか?、に賭けるわけだ。

前半の中盤、山雅はこれにずいぶんと手こずっていたが、後半に入ると、相手を真似するかのように、ロングボールの蹴り出しを敢行。

たまたま、後半開始早々に追加点が入って、ゲーム進行に余裕が生じた事情もあって、これが奏功。
セカンドボールが拾えるようになる。

加えて、競り合いの部分では、リフレクションを怖れずにボールを叩くことで、競合そのものの負荷を減らした。

ただし、ゴール前30mに侵入すると、トライアングルのワンタッチパスを織り交ぜ、人がスペースにどんどん入ってくるようにボールを動かすことで、秋田守備の目線を左右に振り続けて、シュートチャンスを創出。

スタイル遵守の相手に対しては、みづからが変わりながら、しかし、追求するボール支配は押し通す、それが今回の勝因だっかのかも知れません。

ここらのさじ加減、かなりむづかしいチャレンジかも知れぬ。

最後に、蛇足です。

主審清水なにがし、との場内アナウンスがあった時、あぁ、あの御方か……、と不安になったものの、なんと、カードが1枚も出なかった。

クリーンなファイトに徹した両チームのやり方にも、山雅がのびのびと闘えた要因があった、と考えています。

では。