『Speak Like a Child』

ハービー ハンコック (1940年~) の、同名タイトル(1968年発表) のアルバムに収められている曲。

親しみやすいメロディ。

落ち着いた雰囲気の ホーンセクション。

ピアノに、表情豊かに美しく語らせている、っていう感じがいい。

子どものように語ろうよ、と言っておいて、このアルバムには、別に、

『Goodbye to Childfood 』という曲も入っている。

子どもの頃に さようなら……。

6歳になったばかりの子が、積み木遊びをしていて、青と黄色のスティックが並んだら、

―ウクライナだ、これ、と独りごとのように話す。

彼、将来になって、この戦争をどういう気持ちで、振り返るんだろう?

では。

打つか打たれるか (宮崎戦プレビュウ 後編)

何を?

極論をいうと、

クロスの打ち合いで優位を獲れるかどうか?

ゲームの帰趨はそこらあたりに在る、と思います。

そこから、コーナーキックが多く獲れるわけでもありますから。

ポイントその❶
第3節、宮崎はSC相模原と対戦、次の節は山雅が、そことやっていて、
同じ相手に対して、

宮崎は、ボール支配 60%、山雅は、45% を記録した。

これは推定なんだが、相模原は宮崎にボールを持たせようとして、山雅は、その相模原に対して、ボールを持たせようとしたのか?

いずれのゲームも、保持率の低いチームが勝利したのは興味深い。

乱暴に言うと、宮崎はできればボールを持ちたいチーム、対し、山雅は、ボール保持にそれほどこだわらない、そんな風貌がみえてくる。

攻撃するため前がかりになった相手守備の虚を衝こうとすれば、あらかじめリスクを抑えながら、相手にボールを持たせ、虎視眈々と、ボール奪取を狙って、こちらの態勢をセットする。

活きの良い、無骨で緻密なサッカー、というスタイルを求める中、今の山雅には、(相手技量の高低にもよるだろうけれど) 向こうがボールを持ったところから始めるのが自然。

スピード豊かな反転攻撃を狙う。

その場合、ゲーム冒頭、押し込まれてペースを掴めないことに悩むが、これも節を追うごと、苦しい時間帯は少なくなっていることが救い。

ポイントその❷
昨季の宮崎は、リーグ第1位の得点を誇った。

指揮官が交代し、陣容も多く入れ替った中、攻撃サッカーの面目は、これを保ちたいようだ。

初期システムに、4 – 3 – 3 を採用していることでもそれはうかがえる。

運用的には、2 – 5 – 3 となり、サイドバックから高く押し上げる格好で、奥深くをえぐる。
で、クロス、あるいはカットインして、しとめる。

相模原戦では、クロスを 26本叩き込んでいて、今節だって、それを再現したいに違いない。

ポイントその❸
対し、山雅は、初期 3 – 3 – 2 – 2 か。
攻撃する時は、 3 – 5 – 2 で運用 。(守備時は、5 – 3 – 2 になる)

前線は、2トップ。

前節は、その下に、菊井 悠介と住田 将、それに前 貴之の3人が、逆三角形で展く形で中盤を形成。

菊井と住田を、攻撃的なボランチ兼インサイドハーフ兼シャドウ、みたいに活かしたのがずいぶんと効いたので、人選が変わったとしても、明日もそれを踏襲するのでは?

もちろん、サイドバックには高い位置で相手を押し込むことを期待するけれど、その基いは、ぶつかりあう中盤のところで、絶対優位を創り出すことに在る。

……、ということで、宮崎に関する情報大いに不足なるも、強固な中盤が攻撃の起点になりながら、相手ディフェンスの裏とサイドのスペースに飛び出していって、4人はペナルティエリアに侵入している、そんなサッカーを観たいものです。

とにかくです、昨年9月26日以来ご無沙汰の、ホームでの勝利を掴まずして、なんとする。

では。

名前をつけてやる (宮崎戦プレビュウ 前編)

― テバ?、テゲ?

いまだに、テゲバジャーロ、と憶えられない家人。

そういう僕だって、テゲバロ―ジャ宮崎、と平気でキーを叩いておいて、気がついて訂正してるくらいだから、他人のことをどうこう言える身分でもないか。

こういった、舶来語をもじったような造語は、もはや、20世紀の遺物だと思っていたら、2015年にもなって、クラブ名として採用した勇気は見上げたものだ、と思う。

できれば、口に出す際のフラストレーションがなければ、もっとありがたいんですがね。

そう、名前は、かくのごとく大切。

ということで、山雅が発信している攻撃性豊かなサッカーに、なんとか、アドバタイジング スローガン (宣伝的な惹句)を与えたい、と考えている。

現時点では、〈無骨で緻密な攻撃サッカー〉が、そこそこピッタリだろうか?

個とチームの強みを、飾り気なく率直に打ち出し、かつ、アイデアと工夫を凝らしてひたすらと攻撃に向かう。

前節の相模原戦は、相手の、特に、守備の出来が悪すぎ。

だから、結果は快勝だったとは言え、快活な攻撃サッカーが、果たしてホンモノなのか?は、まだまだ予断を許さない。

過去2年間のことを思えば、そうたやすく高評価にも走れず、いまだ真価としてとらえることができないのが、山雅ウォッチャーとしてのホンネだろう。

そこで、ホーム第2戦は、宮崎ご一行様との対戦。

前々節の鹿児島、そして、この前の相模原ほどには、老けておらず、平均年齢にすると、我がチームと0コンマ以下の違いで、ほぼ同じ。

けれど、各所には、経験豊富なプレイヤーが、配置される。

しかも、昨季は、3位の好成績で、リーグ戦を締めくくった。

と、なればですよ。

打ち出しつつある容貌を、アルウィンで思い切り発揮するには、それこそ格好の対戦相手、と言えましょう。

では、もうすこし突っ込んだ内容は、後編で。

【すこしお詫び】誤審(競技規則適用ミス) の続報。

前回記事の、誤審(正確には競技規則の適用間違い) についての続きです。

実は、案件の決定は既に、投稿前日の夕、Jリーグから公式リリースされていました。

それを確認せずに、萬年、翌日になって投稿した。

内容については、論旨はあれで良しとするが、〈最終決定待ち〉としたのが、その時点で誤りでありましたことを、お詫びいたします。

Jリーグによる説明は、上にリンクを張っておきますので、ご参照いただくとして、要は、再試合となった。

先のゲームから 2日経過する中で決定が発表された、というのはまぁまぁ迅速なのではないか。

山形、岡山両チームには、誠にお疲れ様のことですが、特に山形におかれては、リーグ戦を約5分の1 消化して、現在順位が 19位とあっては、負けが取り消されて再試合、を大切なこととしたいだろう。

ところで、審判団の不手際は明確に指摘されていますが、今回のことによる処分はないんでしょうかね。
或いは、そういう条項がないのかも知れません。

家人など、主審の姓(清水)を聞いて、
―この人、大分戦で岩間 雄大に不当なレッドだした人じゃあない?、とか発言する始末。

―いやいや、別のお人です。

ことほど左様に、ファン&サポーターにおいては、いつまでも恨みのネタになるんでしょうし、そういう悪評こそが、ご本人にとって、いちばんの処罰なんでありましょうか?

では。

〈物言ひ〉の有りや無しや? (誤審を前提にせよ)

― こないだ、2部リーグでミスジャッジが、あってねぇ。

― はいはい。そうみたいね、とレスポンスするところをみると、ほぉ、丹念に情報を集めていらっしゃる。

でも、一応は、ことの重さもあるから、家人に向かい少々レクチャーに及ぶことに。

J2第8節、モンテディオ山形 vs ファジアーノ岡山 (4/3 14:00~ )。

ゲームが開始して10分で、それは起きた。

山形ディフェンスからのバックパスが、あわや無人のゴールマウスに吸い込まれそうになる。
ゴールキーパーは猛ダッシュ、ボールがゴールラインを割る直前で、右手でこれを掻き出し、オウンゴールの難を逃れる。

すると、主審清水某は、GK後藤 雅明に対して、レッドカードを提示。

直後の間接フリーキックは無失点で乗り切ったものの、残り80分間、山形は、10人で闘うハメになった……、というのがおおよそのこと。
(註 : ゲームは、90分に岡山が得点して、1 -0  で勝利)

その後、Jリークは、ゲーム帰趨に明らかに影響を及ぼすような誤審があったことを認めた。

現時点では、今後の裁定、つまり、このゲームをどう扱うのか?、の決定が待たれるところ。

さて。

ゴールキーパーは(ペナルティエリア内で)、味方のプレイヤーが意図的に蹴ったボールを、手や腕で処理することはできない。

このキックを、ふつうバックパスと呼ぶが、たとえそれが後方からであっても、とにかく意識的に、意図して蹴ったものは、これを含む。

ゆえに、GKが手や腕で処理しまうと反則が宣せられ、相手側に、間接フリーキックが与えられる。

ディフェンスとGK間で、チンタラとボールを蹴ったりキャッチングをおこなうことで時間を浪費させないこと、それが、本ルールの主意。

ところが、JFA(日本サッカー協会)の競技規則12条には、
〈間接フリーキックが与えられるが、懲戒の罰則は与えられない〉と明記してるんですね。

このゲームの主審は、この条項を知らなかったのか、あるいは知っていてそれに従わなかったのか、とにかく、懲戒のしるしとして、赤いカードをキーパーに対して呈示した……。

この程度の見識の者が、こういうゲームで笛を吹くのはいかがのものか?、はともかくとして、僕が不可解なのは、2人の副審と4番目の審判の計3人は、この時、どう考えたのか?、ってこと。

皆でヘッドセットを身につけているのは、一体何のためなのか?

誰も主審が間違ったことに疑義を唱えなかったのか、或いは、抗弁された主審がそれを無視して自分のジャッジに固執したのか。

まさかとは思うが、全員が競技規則に無知だったのかも知れん。

そこら辺を、言い訳としてでなく、事実として、知りたいところです。

サッカーで、複数人の審判員でゲームを仕切ったり、あるいは、最近ではVAR(ビデオ アシスタント レフェリー)制度が導入されているのは、そもそも、一回こっきりの、やり直しがきかない一瞬のプレイを、独りで完全には判断かつ裁定できるのは困難と考える、つまりは、誤審も在り得る、という前提であるはず。

極端な話、サッカー審判は、性善説に則るのではなく、性悪説でジャッジすべきであって、シュミレーション(被ファールを装うこと) というものを想定していることが、それの証拠。

審判団にしても、互いのジャッジを、厳しく、批評的に判断すべきでは?
しかも、今回の案件は、ジャッジ基準の一貫性以前の、初歩的な部分。

こう考えてくるとですよ、大相撲の柔軟性というか、先進性が羨ましくもなる。

いまから半世紀も前からビデオ判定を採り入れてきたし、そもそも、行司軍配(勝敗のジャッジ)に対して、複数人の審判委員から〈物言ひ〉の申し立てができる制度とか、しかも、最終的な裁定理由が、会場に審判長から告げられること。

さらに、この〈物言ひ〉は、控え力士にも、発動権があるんですよ。

なんとも、オープン、かつ、民主的なことではありませんか。

あのゲーム、レッドカードの直後、山形キャプテン(おそらくは)の 南 秀仁はなにか未練そうに主審に話しかけたのがチラと観えたけれど、果たしてそれが、
― こういう時に、カードが呈示されるって、規則でしたっけ?、とかだと嬉しいんですが。

せっかくの解説者は、こういうジャッジの不可解にも、シビアに言及してナンボだと思うんですけれど、実際は、どうだったんでしょう。

レッドカードのお蔭で、皮肉にも、今季初出場できたのが、元山雅戦士の藤島  栄介だったのが唯一の救いでは、あまりにもお寒い話ではありませんか。

では。