塚川 孝輝を 2度失うな (FC岐阜戦プレビュウ 前編)

長良川は、好きなスタジアムのひとつ。

今度の日曜日は、4年ぶりの参戦だ。

2018シーズンの対岐阜戦は 、1分1敗。

2戦とも、(相手側で) ビクトルと田中パウロが先発していたのを思うと、時と人のめぐりの因果、を感じます。

さて。

その間、チーム山雅における、最大、かつ基軸的なトレンドは、なけなしの得点力、これに尽きるでありましょう。

それを堅い守備で補ってきたが、2020年あたりから、ディフェンスのタガが緩むと、見る間に凋落が始まった。

2019年はトップリーグ参戦の高揚によってボヤけてしまったけれど、貧弱な攻撃力を更に弱めることとなった、ローンによる放出が三つおこなわれた。

残留を賭けたもっとも苛酷なシーズンなのに、よくやったものだ。

まぁ、ローン移籍のメカニズムも承知せずに、今になってから言う愚痴みたいなものなんだが、ひとつは前田 大然、もうひとつは塚川 孝輝、あとひとつは、レアンドロ ぺレイラのレンタル。

特に塚川に関しては、山雅における出番がほとんど想定されなかったためなのかどうか、夏にFC岐阜に移ると、その後ほとんど先発を確保した。

が、健闘むなしく、岐阜は最下位で終わり、3部に降格。

塚川は、2020季、山雅に復帰する。
当初はボランチでの起用だったが、後半には、シャドウ、そして遂には、トップに配され、チームランク1位の、9得点。

で、(おそらくは)その攻撃的な才能を買われて、2021シーズンにフロンターレに完全移籍。

……、と何故、過去をくどくど語るのか?

その理由は、さしあたっての2部昇格、それに続く、確実な将来を掴みたいため。

ひとつ。
まだ始まって5戦を消化したに過ぎないけれど、攻撃力上向きの傾向が露わになっている。

そこには、いままでよりも力量が落ちる3部リーグでやっているという事情もあるが、前へ速く反転攻撃、というスタイルを打ち立てようとする共通意思は、依然より増している、とみる。

ふたつ。
攻撃性の向上を、積極的な若手起用を絡めながらやっていること。

たとえば、菊井 悠介は、その代表格に躍り出た。

塚川 (2016年度) に遅れること5年して、流経大を卒業。

2021年に関東1部リーグを制した同大サッカー部からは、12人がJリーガーとしてキャリアを始めた。

その内訳は、トップリーグ 7人、3部リーグ 5人。

うち、山雅には、菊井と、GK薄井 覇斗が入団した。

このふたり、同窓のライバルに追いつこうと、より上のステージでプレイすることを熱烈に目指しているはずであって、そういった向上心を、山雅は巧く取り込んで、推進力に変えるべきシーズンなのだ。

要は、今季にあっては、ルーキー、とそれに準ずる世代を、武者修行などを名目に、軽々にローン放出している場合ではあるまい。

堅守は、これを否定しない。
守備に関する、細かな戦術や手当てはやるべきだろう。

けれど、たとえ打たれても、それ以上に打ち返すくらいの得点力、それがなければ、ここ数年のジリ貧は、くつがえせないのでは?

新しく胎動しつつある、無骨で緻密な攻撃サッカーの芽、これをなんとか育てたい。

ひとりのファンとしてできることは、そのやり方を支持することくらいですがね。

ヴェテランを多く補強した岐阜との対戦は、そういう意味でまさに、絶好の授業ではありませんか。

払った授業料は、もちろん、元を取りましょう。

では。

『ジョニーへの伝言』(1973年)

前回記事からの尻取りゲームみたいな感じで、たどり着く曲。

歌詞が秀逸。

― 気がつけば寂しげな街ね  この街は、という一節。

これが、感情が表出される、ただ一箇所として、特に効いてます。

同じ作詞家のものでは、『さらば涙と言おう』(1973年) や、『白いサンゴ礁』(1969年) も好きだけれど、これが一番かな。

この曲とか、『石狩挽歌』(1975年) は、突然それだけがそこに在る、という感じで、流行り歌の中に屹立している。

1960~70年代をクラシカルとみる態度は、僕の中でそうそう消えそうにない。

では。

ヒーローからの伝言。

4/10宮崎戦のゲーム終了後、アルウィンには、多くの人々が居残っていた。

高崎 寛之氏 の現役引退、その区切りの儀式に参加するために。

僕の前方に座るご婦人など、背番号#9のユニフォームを大切そうに取り出して、準備に余念がない。

山雅の一員として闘ってくれた4シーズン (うち2016季は、鹿島からのレンタル在籍)。

屈強で献身的なセンターフォワードとして、一時代を画した男。

本当は、まだ現役を続けたかったに違いないんだろうが、サッカー選手として第一線を退いた今は、その表情には、かつての厳しさが陰をひそめていて、柔和な笑顔が印象的だった。

挨拶の中には、山雅の現役プレイヤーへの発信もあった。

― まづは自分のために闘え、自分の(プレイヤーとしての) 価値を高めよ、
それが、山雅ブランドの価値を高めることになる。

……、という提言。

まったく同感。

ファン、スポンサーがあってこその客商売、という一面からすれば、ファン&サポーターには、そこそこの配慮を込めて接してはもらいたいけれど、プロフェッショナルとしてみずからの技量、度量を高めること、それに専心してもらえればよし。

前にも書いたが、いちばんのファンサーヴィスは、ゲームに勝つことであろうから、それに向かって精進せよ。

こっちにしたって、義理もないのに、ただただ好きで応援しているのだ。

しかも、勝手に共闘しているつもりでいるんだから、余計な注文をつける気などさらさらなし。

お互い、変におもねることもなく、淡々と礼儀をもってつき合い、苦楽をともにできれば、と願っている。

現在のチームを観ていて感じることのいちばんは、

監督/コーチが、ゲームメンバーの決定などにおいて、いわば、プレイヤーの生殺与奪の権限をキチンと使っている、という雰囲気。

そこにはきっと、試行錯誤もあろうけれど、個々のプレイヤーにとっては、そこにこそ自己アピールと成長のチャンスもあるはず。

指導においてハラスメントが在ってはならないが、
首脳陣がプレイヤーを、勝利のためには、〈冷徹に〉駒のように運用すること。

そういう健全さが、チームの活力を生むことを期待します。

松本の街と、山雅を愛してくれる高崎。

その次なるステージよ、Bon Voyage !!

では。

夏休みの宿題 (宮崎戦 その後)

ゲーム翌日、職場で、モモ氏にお会いすると、

― せっかくリードしていたのに、終盤で、立て続けに失点するなんて。

と、DAZN契約もしてなさそうなのに、まるで、ゲームをずっと観ていたような口ぶり。

そうしたら、なんてことない、アルウィンにいらっしゃったんだ。

それも、バックスタンドのホームゴール裏寄りに。

もしやと思い、スタジアムでは、携帯電話の着信を確かめてもいたんですが。

ともかく、お誘いした甲斐がありました。

― 初めの勢いでそのままいけばいいのに、なんか中だるみになってしまったね。
最後、あれだけ力づくで得点できるんだから、もっと早く手にをつけろよ、って感じ。

……、と話し込んでいたら、日かず残り少なくなってやっとこさ始める夏休みの宿題、みたいな総括になってきた。

ところが、プレイヤーのゲーム後インタビュウを読んでみたら、みづから攻撃的な姿勢を緩めたわけでもなくて、どうも暑さによる疲弊がチームにかなりあったようだ。

あらかじめボールを持たせた態勢をセットしておいて、さぁ、そこから、という呼吸合わせをしようとしたものの、プレイの連携に齟齬が生じてきた、というのがホンネだったんでしょうか。

できるのにやらない、は論外。

でなくて、できないのならば、精進してその不足を克服してもらうしかない、というのが僕の考え。

あまりの不出来については、勝手にいろいろと言いますがね。

さしあたっての目標である、最短での2部リーグ復帰がいつも胸のどこかにあるから、ゲーム評価にも、その切迫感が影を落とすのは、これは、今シーズンの宿命と割り切る。

現状は、実績にこだわらない人選のもと、あの手この手でゲームを握ろうと工夫を重ねているのがうかがえる。

実際、途中投入の安田 理大(プレイスキッカー)と、榎本 樹(ヘディングシュート)が仕事をしているので、采配は当たっているのだ。

濵名 真央のミドルシュートが決まっていれば、それこそ、大絶賛だったはず。
その不発をも、成長のための糧にせよ、というところか。

やり繰りの中、ゲームを追うごと平均年齢は落ちていて、
特に、フレッシュな才能の躍進と、その伸びしろをもっと楽しまなくては、と思います。

挑戦するのならば、リスクも引き受けないとならない。

チーム登録の員数は、数名過多。
同時に、(おそらくは)人件費は昨季に比して圧縮しているに違いない。

だから、費用対効果では、過去2シーズンよりはマトモになっている、と考える。

リーグ前半戦は、もがき続けながら、チームとサッカースタイルのデッサンを描き上げる、そんなところを着目します。

(註:失点時、ビクトルが抱き起して鼓舞したのは浜崎、と前回レビュウに書きましたが、あるいは、大野だったのかも知れません)

では。

みづから墓穴を掘るな (2022.4.10宮崎戦レビュウ)

2 – 2 のドロー。

今シーズン、アルウィン初参戦でした。

これはモノにできる!!、と思って観ていたので、勝ち点勘定ではゲーム当り2 (5試合消化して勝ち点10)  をクリアはしているけれど、
そして、諦めずに同点に持ち込む気持ちが、チームに備わってきたものの、
フォワードが得点しているという真っ当さはあるものの、
やはり、勝ち点2 を落としたゲーム、という評価にしておきます。

総体的な、山雅に優位な、個及びチームの力量差、という観点からすれば、こういうゲームを勝ち切ることの大切さと、主導権を渡さないことの肝要、これ強く感じます。

おそらくは、これから何度も言いますが、無骨で緻密な攻撃サッカーを貫くならば、まるで自分からシフトダウンするように、攻撃の手を緩めてはいけません。

つまり、3部にあっては、90分を果敢にやり続ければ、主導権はおおかたこっちに引っ張ってこられるものを、それを相手に渡してしまうのは、どうみたって、みづからの怠慢。

自分の墓穴を自分で掘るのは、なんと愚かしいことか。

ゲーム開始早々からのピッチを大きく使ったサッカー、あれをもっと続ければ良いのに (実際得点が生まれた!)、10分過ぎからの、アンフォーストエラー気味なパスミスが、4つばかり立て続けになってリズムが崩れる。

けれど、ここはなんとか立て直しながら、前半は、凌ぎ切った。

ところが、不可解なのは、後半開始から60分過ぎまでは、ヤケにプレイヤーの動きから活発さ、快活さが消えると、局面ごとに後手感が生じる。

おや?

暑さ対策もあって、後半の前半は、体力温存策で行くのかいな?、と萬年は善意でとらえていましたが、山雅のプレイヤーはあまり給水もしないので、どうしたものか、と観ておった。

結局、こういったみづから犯したゲームの緩さが、80分過ぎの宮崎の躍動の伏線となったわけで、一度落としたペースは、例えば、パウリ―ニョが入って奮闘しても、なかなか上がってこない。

観戦中、工藤 壮人も怖いけれど、前線左サイドの岡田 優希がいちばん厄介なはず、と横の家人に話していたけれど、なんと、その彼に、2得点を献上か。
対町田戦でも、やられていたし。

ただ、逆転弾を許した直後、その起点となったキックでうなだれる浜崎 琢磨を、ひき起こして鼓舞するようなビクトルがそこにいた。

これを観て、これで終わりにしないつもりだろうな、と期待させるだけの意思を、今季のチームがまといつつあることだけは認めたい。

……、というわけで、悔いは残るが、希望も消えないゲームでありました。

最後に、萬年式MVPは、大野 佑哉。
そして、MIP(もっとも印象に残ったの)は、2アシスト未遂の 菊井 悠介と、もっとやれるはずの浜崎 琢磨。

では。