真価を問われるゲーム (鹿児島ユナイテッド戦プレビュウ)

ダーヴィーとか、対いわき、なんてのは、ムダに熱くなってやらずともいい。

ああいうサッカースタイルと対戦する場合は、面白くもない単調さにつき合う我慢が必要だから、醒めたアタマでプレイすることが有効。

他方、今節の相手、鹿児島ユナイテッドは、 どこからでも、なんでもできる、かなり深みのあるサッカーをやってるチーム。

4バックを採用、ダブルボランチはしたたか、サイド攻撃は果敢、2列目とフォワードは強烈、とくれば、バランスのとれた、センターラインがしっかりしているサッカー。

前回対戦の内容をみても、攻守で山雅を上回っていた。

となれば、蟷螂の斧のごとく、弱小な者が自分の立場をかえりみずに強大な相手に向かっていく、そんな熱さと決心を、全面に押し出さないといけない。

こういうチームとの対戦こそ、山雅の真価を問われるのだ。

COVID-19禍をなんとかくぐり抜けた?、のだから、さて、残暑の中、自分たちで積み上げてきたものを信じて戦うのみ。

直近5試合、獲れてもやっと 1点、が続く。

守備陣の安定、それ自体は喜ばしいけれど、山雅は、あくまで攻めるための守備を目指しているはず。

せっかくリーグ筆頭の強敵とやるからには、とにかく複数得点を狙いましょう。

奪って、速く、シュートまでやり抜く、それらの挙動において〈熱く、強く〉。

鹿児島は、サイドのプレイヤーが高い位置まで駆けこんでくるから、それをひっくり返すために、ビッグスイッチなどによって、ピッチを広く使ったサッカーを。

ゆえに、このゲームの注目は、サイドバックと、2列目のプレイヤーの絡み。

さらには、横山 歩夢をサイドへ走らせてから中で勝負する、そんなところでしょうか。

加え、安東 輝が、水戸ホーリーホックで同僚だった相手ボランチ(おそらく) 木村 祐志との対決を優位に進められれば。

DAZNで観戦します。

では。

夏の 往来。

居残らない者、なんて題名が、そもそもいけなかった……。

記事を投稿したその日に、#5 前 貴之 が、レノファに完全移籍とは。

3年ぶりに、山口に復帰。
レノファは今季、決して楽なリーグ戦を戦っているわけでもない。

だから、かなりのチャレンジを引き受けたね、前よ。

来季、2部リーグで再会したいプレイヤーが、またひとり増えた。

で、昨日は、熟年のご婦人3人から相次いで、その移籍に絡んで、落胆の声を聞くはめに。

あぁ夏に来て、また夏に去る、年増ゴロシの 良い男。

ふざけた都々逸で、喪失感をイナてみても、歌われることのなかったチャントが切ない切ない。

夏の移籍期間で、実質的なアウトが、これで 5名。

このくらいの員数を出して、所帯を整えるかな?、と思っていた。

ただ、加入が、たとえ、ひとりくらいあってもいいか?、と。

でなけりゃ、〈往来〉(行ったり来たり) の二文字が成立しなくなる。

指揮官が、誰かに声掛けしている、とか、勝手の妄想を、許してもらいたいものだ。

けれど、本日12日で、ウインドウは閉じる。

さてさて。

ついでに、すこし早いけれど、逝く8月を惜しみながら。

では。

居残らない者よ。

息子の息子は6歳になる。

彼がしばらく留守にすることになって、その間、育てているアサガオをあづかっている。

朝晩の水やりはともかく、毎日、いくつ開花したのかを記録するように頼まれた。

通っている小学校で、ひとり一鉢が与えられたらしく、夏休みの課題のひとつなんだろう。

アサガオの花は、朝咲くと、その夕べにはしぼむ。

ひとつひとつが、一回こっきり、いち日だけの人生だ。

なので、眼前で咲いている数が、そのまま本日の開花数を意味している。

世の中にこんなにわかりやすいことがあるなんて。

と、やけにありがたく思っている。

一期一会、という言葉を思い出しながら。

では。
(画像は、別のアサガオです)

自分をどう思うか? が鍵。

女性ドライバーの山雅サポーターさんに、昨日お会いした。

― あれ?、ずいぶんと、不満そうじゃあない?

― そりゃあ、あんなに雨あられのようにシュートを見舞われてんだもの。
で、こっちはシュートまでいかない。
打たなきゃあ、何も起こらないでしょうに!!

そうだよな。

ボール保持では、ほぼトントンだったのに、20本を超えて被弾。

山雅の枠内シュート0本は、寂しく、いただけないけれど、いわきの枠内が2本。

それからすると、両者ともに、プアな仕上げ力、ではあった。

全体としては、85%くらいで圧倒された。

とも言えるが、ただ〈優勢勝ち〉が一切無いのがサッカーなんだから、こういうゲームは観方を変えないと、我がチームを責めてそれで終わり、となってしまう。

今節のゲーム評価は、結局のところ、自分(山雅)をどう考えるか、にかかっている。

かつてはトップリーグだった、といったプライドを棄てられなければ、しょうもない試合だったに違いない。

まぁ、僕の場合は(レビュウ本章で述べたとおり)、スクラップ&ビルドを進行中の、 3部リーグをかつかつに戦っているチームなんで、けっこううまく切り抜けたゲームだった、と捉えています。

では。

あまりに執着することの危険 (いわき戦レビュウ 本章)

まづは、昨日の、〈序章〉で発した問いへの解答。

実質的な勝者は、もちろん、山雅のほうだった。

前節の、対ヴァンラーレ八戸戦をまったく裏返した様相、と思えばよい。

押し込み、シュートを打ちまくったいわきが、ついに無得点に終わり、他方、こっちは、アウェイで勝ち点1を積めた、という点で。

もしも、こちらに、セットプレイの絡みから得点が転がり込んだら、それこそ、八戸とそっくりな、会心勝利ではあったろう。

たしかに、どちらがそのスタイルをおおく表現し得たか?、という議論は残る。

このゲーム、アンカー(パウリ―ニョ)を採用した意味は、中盤の高い位置で、逆三角形のボランチシステム(菊井 悠介、安東 輝、パウリ―ニョ)を形成することによって、いわきのカウンター攻撃を阻止し、ボール奪取を最優先とすることであったのではないか?

はじめから、カウンター攻撃を基調とした守備的姿勢でゲームに入ったのでは?
― 僕も、プレビュウでは、それを推奨した

で、いわきは徹底して、山雅ディフェンスラインの裏狙いを敢行、中盤を省略したサッカーを押し出してきた。

このため、山雅トライアングルには、なかなかボールが収まらない。

かつ、いわきの速い寄せと、ひとつ飛ばし的なハイボールやパスによって、山雅の中盤が、攻撃の起点にもならない。

たとえば、菊井が効果的なボールタッチから、横山 歩夢にスルーパスを配球するなんてシーンはあったかいな?

要は、ロングカウンター攻撃は未遂、いやほとんど不発だった。

(もちろん、いわきのセットプレイへの頭からの飛び込みに対し、野々村 鷹人、常田 克人の上背を用意したことは、奏功した)

で、後半は、ルカオを投入することで、ロングボール戦法に特化し、落としたボールを回収する、というサッカーに専念した山雅。

そういう意味で、いわきは、あくまで平常運転。

たとえスタイルを変容してでも、がむしゃらに勝ちにいったのが山雅、という図式だった。

互いに3部リーグでやってるチーム同士、そこにサッカーの質的な上下など言っている暇などあるはずもない。

定番の手法を徹底的に深め、高めるいわきは、まことに見事なチーム。

多少大ざっぱなボール供給であっても、約束どおりに、あらかじめそこに走っているから、ボールに絡めるチャンスが生まれる、これを連続することは並大抵ではありません。

だから、とにかく、ひたすら前へ、ひたすら打って来る相手に対し、無失点に終えようと執着すること自体は、一向にかまわない。

けれど、一戦一戦を勝ちに固執するにせよ、近い将来という視点からこっちを観たところの、山雅サッカー像は、どうなってるんだろう?

いわきほどには、高度に徹底できないにせよ、同様にやりたい3部リーグのチームに、その都度、たやすくこちらのスタイルを変えていいのだろうか?

……勝利への執着がかえって、みづからを見失う落とし穴となりませんように。

ゴールネットが見えたら打ってしまえ、という決め事と、そのシュート精度の不足からいって、記録上のシュート数だけで、このゲームの優劣を評価するのは早計だろう。

けれどやはり、山雅には〈前へ〉というポリシーが、ゲーム内で相当数のシュート本数として結実することを望みたい。

ぼちぼち5本、それも枠内ゼロとは、いかにも寂しく、相手がどうのこうのではなく、自分に負けたと思うべき。

最後。

結果的には、いわき対策の処方箋は示し得た、と思う。

つまり、強度と(カードを厭わずに) ねちっこい守備を、集中力を切らさず90分間マットウする、これです。

なんてことはないが、まぁ、これができないから、いわきに大量得点を献上しているチームがあるんですけれどね。

つまり、いわきは、今後も、強度の足らない守備脆弱な、主に中下位のチームから勝利を挙げ続ける、という図式はほぼ不変だろう。

ま、もう対戦がない我等には、どうでもいいか。

……ということで、今節の、萬年視点によるMVPは、大野 佑哉です。

では。