ほぼ満点とせよ (八戸戦レビュウだめ押し)

 

 

せっかくだから、陸奥の国に学ぶ……。

北信(長野)と中信(松本)の、歴史的な確執など、いまの時代では、そう云々することでもなかろう、と僕は思います。
(特に、地域的不仲を、サッカーに絡めるのは一切ご勘弁)

ところで、これとおなじような地域対立を巧く乗り越えたのが、青森県人の智恵。

津軽藩と南部藩の二大勢力によるムダな争いを回避するため、
弘前でも、八戸でもない、
陸奥湾に面した〈青い森〉が在った港町に、敢えて県庁を置いた、という発想は、ややもすると、理(ことわり)多くして事を進められない山中の蛙には、学ぶべきところは多い。

さて、KDDIの通信障害が、僕の生活にも微妙な影を落として。

ナイトゲームは18:00キックオフと勘違いした息子家族は、あらかじめ僕に電話がつながらないままに、ゲームセットの頃合いを見はからって、拙宅にご到着。

ところが、実際は、ハーフタイムあたりでして。

夜間の昆虫採集への熱心なるお誘いを、断腸の思いでお断りして、ゲームを観続けたんだけれど、どうしても集中を欠くことに相成り候。

そこで再度、見逃し配信で確認しておいて、このレビュウをダメ押しで書いているのでございます。(断りが長文となり失礼します)

で、ゲームの総括。

あらかじめ思ったほどに相手が熱心に前から押し込んでこなければ、ああいった展開になるだろうことを前提にした上で、
こういうゲーム運びと、得点に持っていく仕上げは、ほぼ満点だった、と思います。

❶特に、ゴール前30あたりに侵入した際、相手がディフェンス網を締めてくれば、ミドルレンジから打つべきのも選択肢。

今回、得点は生まれなかったけれど、けっこういいシュートが多かった。

相手が引いて守ってくる傾向は、今後ますます高まるはずなんで、次節以降に期待します。

❷ただ、中盤のせめぎ合いについて。
キッチリと執着してやってるんだけれど、ボールが偶発的に相手の側にこぼれてしまうと言う現象は、リズムを損ね、危い場面を招く。

こういうのは、ボールホルダーに向かっていくプレイヤーの周囲の者が、こぼれを予測した位置取りするしかないんでしょうかね?

❸ゲーム開始から、山雅の左サイドでの攻防が熱を帯びた。

こっちも外山 凌が盛んに仕掛ける、また、八戸も常田 克人の背後を執拗に狙う、という具合に。

そのため自然と、常田の守備が、クローズアップされることに。

実直な守備は有り難いんだけれど、ああやって後方からボールホルダーにいけば、相手はしなだれかかって来てホールディングのファールをもらおうとするだろうに。

とか、その身体の向き次第では、あのボールを蹴り出してもタッチライン沿いに前へと距離を稼げないないだろうにとか。

相手はロングスロウがあるんだから、その位置で蹴り出しはない、とりあえずセーフティといった守備なんだろうけれど、後処理を大変にするではないか、とか。

と、まぁ、いろいろ言いたくはなるんですが、常田、時として素晴らしいパスを供給してくれるからなぁ

❹多くクロスを供給する外山(あるいは下川 陽太)に、ボール精度を期待するのはもちろんとして、中に入ってくるプレイヤーが、クロスを活かす動きがまだまだ少ない。
ただ止まって待っていたって、それだけのことじゃんね。

で、山雅の右サイドは、左に比べ、やや停滞感があった。
でも、下川のゴールでそれを帳消しにしてくれたし、終盤、下川が左サイドに回ってからは動きに改善が観られたと思う。

❺65分、菊井 悠介から、浜崎 琢磨を経て、外山へと、ボールが右から左サイドへと流れるように展開した場面。

あれなんですよね、相手守備態勢と意識の、その上をいく攻撃とは。

4 – 4 – 2に変換した時の、パウリ―ニョと浜崎のダブルボランチと、その前の、菊井(右)、佐藤 和弘(左) の配置。

ここに(YS横浜戦以来?)久しぶりに回帰。
追記、いや相模原戦だったっけ。

というか、ゲーム中に選択のひとつとして持っているというのは、かなりの価値ですよ。

……以上、ゲームをこしらえたほぼ満点の仕事の評価と、❶~❺は、これからの注目点であります。

ここまで来ると、次節カターレ戦プレビュウに半分足を踏み込んでいるようなもんですがね。

では。

【速報ベース】これが今のスタンダード? (2022.7.2八戸戦レビュウ)

1 – 0 の勝利。

前節いわき戦から、安東 輝(今節出場停止)のところに、住田 将のみを入れ替えた、3 – 5 – 2 の初期布陣。

ここへ来て、先発については、ひとつの解ともいうべきものに到達、といった趣きではあります。

こちらが落ち着いて観られなかった、という事情もあってか、ピリッとしない感のゲームではありましたが、60分過ぎから4バックに変換しながら、ボールを落ち着かせておいて、結局はチャンスをモノにした。

……、という流れを振り返れば、こういうゲームにこそ価値がある、と言えなくはない。

特に、采配の妙という点で。

浜崎 琢磨のボランチ起用は望むところであるし、佐藤 和弘からのクロス、スルーパス(to 横山 歩夢) は見応えがあった。

全体として、パススピードが上がってきたことが、高評価。

良くも悪くも、常田 克人のプレイに、山雅ディフェンスの現在地が示されていたと感じました。

……、とまぁ、印象に偏った、まづは、走り書きのレビュウです。

では。

 

仕事に戻った、1969年の夏。

いまから、半世紀前の、1969年。

6月を休暇で過ごしたビートルズの面々は、7月1日からふたたび、ロンドンのスタジオに戻りつつあった。

実質的に彼等のラストアルバムとなった〈アビーロード〉を仕上げるため、そのセッションに集まったのだ。

8月8日には、スタジオに面した道路で、横断歩道を渡る4人が映る、あのジャケット写真が撮影された。

アルバムは、2箇月をかけて作られ、8月25日にマスターテープが完成。

その年の、9月29日に英国で発売になった。

制作されたのが夏のさなか、そして僕が聴き出したのがたまたま、夏。

というわけで、今頃になると決まって、ジャケットの、青いミニスカートの女性が、かすめるように写り込んでいる写真を想い出すのが常、となってしまいました。

ただ、それだけのことなんですが、その中からすこし。
サイドBの後ろのほうのメロディーをカヴァーしている動画。

7月冒頭の4日間で各曲を創り、同月末からは、それらをどうやって繋げるかの作業をおこなったらしいです。

では。

慌ただしさは いつか来た道 (八戸戦プレビュウ)

❶乱暴に、ヴァンラーレを描写する
前節、ヴァンラーレ八戸は、ホームで福島ユナイテッドと対戦、1 – 0 で勝利した。

どれ、そのゲームを観て、ひとつ予習でもしましょうか?、

と見逃し配信の前に座ったのであるが、ゲーム開始9分、カウンター攻撃を止めようとした福島ディフェンダーのファールが、決定機阻止と見なされて、一発レッドで退場となってしまう。

あぁ、これじゃあ、残り80分を、双方に本来的なサッカーを望むのも無理だわ、と決めつけて、早々にDAZNの画面を切った。

けれど、開始から少しを観ただけでも、休まず速く、手段を選ばずに前へ前へが、八戸サッカーの本髄なんだろうな、と見当はつく。

クロスを入れるのも、早い早い。

前節のいわきFCもそうだったけれど、呼吸を合わせて立ち合う、といった悠長なサッカーは、2部より上のカテゴリー未経験のチームには、望むべくもない。

とにかく、先手先手の精神と、数打ちゃあ当たる量的重視のサッカーを貫くことで、技量差を挽回したいのだから。

思うにこれは、ある意味、弱者サッカーの常道でもある。

かつての山雅だって、敢えてそのスタイルを、手練手管の域にまで徹底して戦っていたんだ。

(註;このやり方もちろん、ある地点に来たら限界は厳存する、たとえば、トップリーグではそれだけだと、なかなか通用しない)

❷あれは、ちょうど3年前……
この慌ただしいサッカーに、3年前の7月3日、天皇杯2回戦(@アルウィン)で、延長戦までやった末に、2 – 3 で敗退。

苦杯をば、嘗めた嘗めた。

まぁ、あれは、こちらのターンオーバーと、ゴールキーパー(村山 智彦)のチョイスがものの見事に機能せず、大味な、カウンターサッカーに引きずり込まれた、と僕は思っている。

責めているわけでは、決してない。

対人には強い反面、村山の位置取り(シュート準備) については疑問が多いので、その資質をわかったうえで出してしてるんだから、ここでは、首脳陣の起用ミスとしておく。

❸やはり、山雅は挑戦者。
3年も経ちゃあ、下部リーグのサッカーチームは、もはや別物。

なんだろうけれど、あの時アルウィンのピッチに居て、現在も在籍のプレイヤーは、

山雅は、安東 輝と米原 秀亮のふたり。
対し、ヴァンラーレには、5人。

となると、DNAの伝承、ということではヴァンラーレのほうに一貫性あり。

他方、山雅は今や、若手世代にリフレッシュ再建の途上であることを勘定に入れれば、

むづかしい考えは棄てて、前節と同様、一貫したテーマの、強く、速く、聡く、これを踏破するため戦う、ってことでいい。

向こうが3バックなので、敢えて3バックにして対面を突破するシーンへと、みづからを追い込むのも手だろうし。

そして、相手のあわただしさのどこに、どこのスペースを使って、閂をかけるのか?

そこを意思統一しておいてですね、

前節は、状況的に許されなかった浜崎 琢磨投入による、山雅流テンポの創出を楽しめればなぁ、と思っています。

忙しないサッカーに、ベッタリと律儀につき合うこともなく、こっちのペースにどれだけ陥れるか?

その意味で、菊井 悠介と浜崎の組み合わせは、かなり面白いと思うんです。

さて、今節は、DAZN画面で参戦。

では。

洋服論 (1916年の) を少々。

(時候の憶え、6/28、庭の桔梗がひとつ開花)

西暦1916年は、元号でいうと、大正5年。

その8月に、永井 荷風 (1879 ~ 1959年) は、随筆『洋服論』を発表している。

ダンディズムとは、結局、何を着るか? (または、何を着ないか?) に尽きる。

ゆえに、稀代のスタイリストであった荷風先生が、西洋由来の服飾について論ずるのは、まったくの好テーマであった。

今から、ほぼ1世紀ほど前のご教示ではあるが、時空を越えてなお傾聴すべき内容です。

興味あれば、青空文庫 (荷風作品にもはや著作権はない) で手軽に読めるので、ご一読をお奨めしたい。

で、少しそこから、箇条的(原文もその体裁) に引用すると……、(註:現代文に変えています)

〇ハンカチーフは、晒麻(さらしあさ)の白いものを上等とする。
縫取りや他の色モノは女性用であって、男性が使えば、気障りでしかない。
米国では、キザな男が時々スーツの胸ポケットからハンカチをちょっと見せたりする。(ポケットチーフのことですな)
英国人は、袖口へハンカチを丸めて入れ込む流行がある。(へぇ~、知りませんでした、試してみたくなりますよね)

〇洋服はその名のとおり西洋人の衣服であるから、すべてにおいて本場である西洋を手本とすべきなのは当然。
ただし、日本人が洋服を着る場合、黄色い顔の色に似合ったものを選ぶことが肝要だ。
黒、紺、鼠(グレイ)などの地色であれば、ほとんどの者に合うので無難だろう。

〇洋服の仕立ては日本人よりも支那人のほうが遙かに上手である。
東京でいえば、帝国ホテル前に在る支那人が営む洋服店の評判が良い。
銀座(4丁目の) 山崎洋服店なんかはぼったくるばかりで、縫い目とかボタンのつけ方が堅固でない。
こういうのは、縫い糸を惜しむ行為であるから、日本人の商人ほど信用の置けないものはない。

……どうです?、なかなかの見識でしょう?

たとえ、相手が当世の有名店であっても、クオリティーの無さを具体的、かつグサリと批評するところなんか、流石は、荷風。

こういう悪口には他意がないので、読んでいてすっきりと腑に落ちます。

では。