損失は 見積もれない。

持っていたものを失うことは、人生において、多々ある。

その喪失感をどうこうしろ、っていわれても、どうしようもならない。

大抵は、ひたすら時間の経過に任すしかないが、かと言って、時間が癒してくれる保証などないのが辛いところ。

どこかの映画のセリフに、
― 時が癒す?、でも、時が病んでいたらどうするの、なんてのがあったな。

でも、もっとマズイことを、人は往々にしてやっている。

おそらくは、現在の自分を幸運な者として考えたいために。

それは、

もしも自分がこれこれを知らずに、これを身につけずに生きてきたら、どんなにか不幸だったろうか?、と想像すること。

知らないでいれば必ず、その損失も感じないで生きているに違いない。

残念に思う自分など、決してどこにもいない。

だから、仮定さえ成り立たない話だけれど、人間は、わざわざ喪失感の裏返しまでやることで、現在の境遇を慰めたいらしい。

これを自分についてやっているうちはいいが、他人の身の上についてそれを行なうようになると、かなり悲惨な人格が出来上がる。

一見、他の者を肯定的にみているようだが、実は、けっこう厳しく裁いているのに気づかない。

他人を裁くのは、人の仕事ではないのに、とつくづく思う。

では。

80年代も まんざらでない?

僕にあって。

1980年代は、J.D.サウザーの『You’re Only Lonely』(1979年8月リリース)で始まった。

このディケイド(10年間)については、その前の70年代に比べると、どうしても、停滞と保守化の年月のように思われて、あまり見るべきものもないような印象を持っていた。

この感じはこれからも変わらないだろうな、とは思うが、

『Just the Two of Us』(1981年2月リリース)といった曲を聴くと、80年代をあんまり悪くも言えないかなぁ?、という気持ちも湧いてくる。

曲が生み出されるのには時流の影響があるにせよ、出来た作品が良すぎた、ってことだけのことかも知れませんが。

では。

若さの苦さ,射程の歯がゆさ (鹿児島戦チラ見)。

指揮官発言についてのお題、その2、です。

讃岐戦(後半の)不出来は、圧倒的な声援を前に我を失ったせい?、とかの言いぶり。

アルウィン全体が高揚してたんだから、プレイヤーだけに冷静さを求めてもなぁ、とは思う、監督の気持ちもわかるが。

どうだろう?
あのチャント攻撃に免疫を持っていたのは、あの夜だと、パウリ―ニョ、橋内、村山、下川くらいではなかったか。

波状的チャントとコールに初洗礼であった者が大方。

不完全とはいえアルウィン戻って来た〈日常〉が、我が身にとっては〈非日常〉であったプレイヤーがほとんどだった。

空白の 1,000日は、チームにとって諸刃の剣になるほどに重い。

ピッチ内(11人) の平均年齢が(ゲーム終了時点で)、24.45 歳であってみれば、それも致し方ないさ。

【追記】極端な話、ビクトル(33)、パウリ―ニョ(33)をオーバーエイジ枠として使う、U-23 のチームとも呼べた。

プロとは言っても、大学生とそうは変わらないチームの若さでやりくりする道を選んでいる以上、
あと 12ゲームを、それを覚悟で闘い、そして支援するのみ。

もちろん、中堅、ベテランとの結集効果を無視するものではありません。

彼等の力があってこそ、若さが活きる。

 

さて、リーグ戦の3分の2を経過したところで周りを見回してみる。

山雅は、首位いわきに勝ち点4差、2位鹿児島とは、勝ち点で並んだ。

追走の射程内には十分に入れているとはいえ、上位ふたつとは最早対戦がないから、直接は叩けないこの歯がゆさ。

❶いわきFC
ひたすら勝利を積んで快走中。
強いのは確かなんだが、対戦の工夫が皆無か?というと、そうでも無い。
いわきの攻撃起点は、せいぜい、2~3ポイント。

そこにボールを出すから、必ずそこに走っておけ、という戦術的な規律が徹底されているから、それに対して後手を踏みやすくなる。

ペナルティエリアのラインが見えたらシュート!、がお決まり。
だから、単なる被シュート本数にはビビるな。

それらポイントのところへ、山雅がやったように、マンツーマン的にフタをするのが現実的な対処法。

果たして他チームは、それをできないのか、あるいは、敢えてそれをやらないで自己スタイルを貫徹しようとしているのかは不明だが、おそらくは前者が多いのだろう。
藤枝みたいに自分のサッカーをやって散るのは少数派かも知れん、このリーグでは。

❷鹿児島ユナイテッドFC
前節対今治戦、終盤15分くらいを(ハイライトを含めて)ライブ観戦した。

COVID-19禍によって、なんと!  ゲーム登録が15人という苦境でアウェイを闘い、4 – 3 で勝利した今治を讃えるべき、と言ってしまえば事は簡単だ。

けれど、鹿児島ユナイテッドにしてみれば、これを単なる〈感動の美談〉としたところで、なんら救いもないはず。

失点シーンをみると、特に、センターバックの強度が緩すぎて話にならない。
ただそこに居るだけで、まったくのフリーでシュートを許している。

加え、チーム全体が走れていないから、効果的な守備網が形成できない。

その中、今治の攻撃陣が5人、対し、鹿児島DFが2人となる被カウンター攻撃の決定的シーンが生まれる。

疲れからだろう、今治の仕上げに雑が生まれたので得点にはならなかったが、要は、もっと失点してもおかしくなかった。

でもって、守備破綻の報いとして、ボランチ木村 祐志が、イエロー2枚で退場処分。

だから、対鹿児島攻略法のヒントは、いかにこのチームを後方に走らせて疲弊させるか?、に在る。

素人でさえこれくらいはわかるんだから、これからここと当たるチームは、せいぜい智恵を使ってもらいたいもの。

……と、こう書いてみても、結局は、他力本願のグチか。

という事で、我らはひたすら、(自分自身の)若さに、強さ、速さ、賢さを、シンプルなプレイに注入しませんか?  ( ☜ これ、愛媛戦プレビュウへの伏線です)

では。

若さはすべての理由にならないが (讃岐戦の後に)

勝利の街の余韻に浸っていると、オーロラビジョンで監督会見の一部が上映されたりするんですね、今は。

そしたら、スタジアムによる鼓舞への感謝に続いて述べられたのは、後半65分以降の出来についてだった。

『最後のほうはまるで守備練習をしているような有り様だった』と、これがまぁ、えらい酷評ぶり。

― あの調子だと、ロッカールームでは、指揮官からかなりの喝、が入ったんでしょうかね?、と僕。

― でも、交代カードは監督自身が切っているわけだから、プレイヤーに意図や指示をどれだけ落とし込んだのか?、ってことじゃあないかなぁ? 問題は、とチノ氏。

パウリ―ニョを〈ピッチ上の監督〉と呼ぶべきなのは、彼がピッチを後にすると、ゲームが創れなくなる事情が物語るかも。

それじゃあいけないんでしょうけれど、もちろん。

鹿児島戦といい、一昨夜といい、ゲームの締め方については難ありが続く。

ただし、僕からすると、守備に追われる終盤も気にはなったが、讃岐戦のいちばんの不出来は、後半開始15分間で、攻撃アクセルを巧く踏み込めなかったことにある、と思う。

後半冒頭からの〈疾走〉は、今季のゲーム創りのポイントになっていて、ここをいかに自分たちの時間に持ってこられるか?で、結局は、その後の交代も含め、ゲームの帰趨がある程度決まってくる、と診ているのです。

その根本には、指揮官が存分にその意思を貫ぬける、すなわち、采配を振るいやすい今季チーム編成が在る。

それは、つまり、チームの若返り。

以前にもやったけれど、保有メンバーの平均年齢をみると、我が山雅は、3部リーグでもけっこう若い方。
(某所より流用した最新データでは)、25.3 歳。これは、リーグ8番目の若さ。

で、これをさらに、(登録)ポジション別に分解すると、
ゴールキーパー 26.7歳、ディフェンダー 26.9 歳、ミッドフィルダー 25.27歳、フォワード 21.1歳。

特に、フォワードは、リーグでいちばん!!若い。

もっと重要なのは、実際のゲーム登録メンバーでみたら、さらに若年化するはず、ということ。

❶経験値では劣るけれど、伸び代で期待できるプレイヤーをどんどん投入して戦っているのが山雅であること。

❷そこでは、指揮官采配と、ピッチ上のリーダーシップが大いに問われること。

この2点をしっかりとアタマとココロに叩き込んでおく必要がある、これからのアルウィン劇場なんです。

もちろん、手加減して観戦せよ、ということでもないが、見守る中でそういう視点は必要。

最後に、4敗のすべてが、より平均年齢が高いチームとの対戦であったことを指摘しておきます。

では。

薄氷を踏む者たちへ (2022.8.27讃岐戦レビュウ)

1 – 0 の、最少得点で逃げ切っての、勝利。

【耐性をもって、見守れ】
やってるほうが、どれだけ計算づくだったのかはわからんけれど、終盤は特に、守備に追われるゲームとなりました。

これには、65分からの選手交代の妙、そんなものがかなり影響していたと思います。

いづれにしたって、ボール保持に関して、それを、自分でしっかりとコントロールできるほど成熟したチームではない、と考えておきましょう。

とにかく今は、ドキドキ、ハラハラに堪えながら、共闘する時季なんでしょうね。

勝利が、内容をも錯覚させる、とか言いながら。

というのは、移籍したての中山 陸(21歳) を、すぐさまベンチ入りさせるほどに、チームは有能な若い世代を抬頭させたいわけであって、そこには、羽化したばかりの蝶のような危うさ、脆さがどうしたって出てしまうのは、事実。

それでも、1対1の絶好機を外してしまうその若手が、次は、無人化させたゴールマウスに、絶妙なアウトサイドループでゴールを決めるんですから、そういう舵取りなんだと、割り切らねばなりません。

【讃岐の善戦、復習の山雅】
チーム創りのひとつの到達点、とも言える 3 – 3 – 2 – 2 を採用して臨戦した山雅。
(しかも、先発の顔ぶれは、前節とまったく同じ)

対し、讃岐も、まったく同じ布陣。

ゲーム後、北ゴール裏での総括談義で、チノ氏が、

― 相手の中盤のところ、#20、#7 のあのパス回しの巧さ。
あのプレイが出来るチームなのに、どうして?
最下位近くに沈んでいるのが不思議。
フォワードに難ありなのか?
相手は(山雅の左サイド) 外山 凌の側を狙ってましたね。

― 特に前半、讃岐が思うようにボールを握りました。
ファールの笛がほとんど鳴らなかったのは、山雅が寄せ切れない (=ファールも犯せない) ほどにボールが早く回っていた、ということでしょうから。

讃岐にしてみれば、ゲームの出来自体は、今季の最上部類ではなかったか?

ただ、その3トップは高さもあるのに、上手く活用されていない、という印象。

他方、山雅。

言ってみれば、前節北Q戦の復習、といった感あり。

今のところ、(アンカーの)パウリ―ニョ、その前に、逆三角形に菊井 悠介と佐藤 和弘が開き、菊井と佐藤に、攻守にわたって高い自由度を与えるやり方が、ベストなんでしょう。

こうすることで、チノ氏の表現によると、パウリ―ニョが〈ピッチ内の監督〉として、より機能するわけだ。

― あとは、中山 陸から出るパスに、横山 歩夢がどれだけ反応できるようになるか?、でしょうね、とチノ氏。

前節同様、センターバックの駆け上がりは顕著。
守備に切り替わった際、サイドバックよりもむしろ、センターバックがボールホルダー深く迫る、なんてシーンも多々ありました。

ただ、野々村 鷹人と下川 陽太の右サイド。

野々村から下川へのパスが、(相手が寄せると)時間的に余裕に乏しい格好になってしまう。
下川の、利き足の窮屈さがあるのかも知れないけれど、そこで、一旦後方へボールを下げざるを得なくなり、前進が停滞する。

(こちらへ相手をスライドさせておいて、空いた左サイドへと展開する含みなら構わないが)
あそこは、野々村から縦にボールが出る危険を、相手に感じさせたいところ。

だとすれば、中盤、前線プレイヤーがもっと絡んで、縦方向のパスコースを生みだしてもらいたい。

【声援復活の効果あり】
― 声援そのおかげで、プレイヤーの足が、3~4歩分は余計に出ていた、と思います、とチノ氏。

それは、確かに言えた。

今節目立ったのは、攻撃に反転した際の、プレイスピード(とパススピード)がかなり向上していること。

日頃の練成のたまものが、声援によってアルウィンのピッチでさらに倍加するならば、万々歳。

萬年的には、カマタマーレには失礼なんだけれど、このゲームを、次節愛媛戦の〈予習〉に捉えたいところがあった。

愛媛のエレガントな攻撃サッカーには、こっちも、かなりプレイスピードを上げておけないと対峙できない、と思っています。

そして、コイントスに勝っても、無声の時とは違って、後半、自陣ゴール裏へ向かって攻撃するという意図にみられた、細かいベンチワークも見逃してはいけません。

大胆に、丁寧に、これが次なるテーマなんでしょうか?

では。