大宮に学びつつ (栃木SC戦プレビュウ 後編)

学ぶ、とは言うものの、アルディージャとやって、0 – 4 で敗退した山雅にそれができるのか?、はこの際、棚上げにして、まぁ、聞いて下さい。

〈ともに下位に沈む者の明暗〉
前節、大宮はアウェイで栃木と対戦して、3 – 1 でこれを退けている。

開始早々4分に先制したのがかなりおおきな要因、ですが、

被シュート22本、与えたコーナーキック10本、打たれたクロス39回。
ボール支配は、栃木が53%

対し、大宮のシュート 5本、コーナーキック 1本、クロス 7本。

ペナルティエリア侵入回数は、栃木 27、対し、大宮 3回。

これ、同時刻に行なわれた千葉 vs 山雅のスタッツと寸分違わないので、びっくり。

【シュート】千葉 22本、山雅 5本。【コーナーキック 】千葉 13本、山雅 0本。
【クロス】千葉 39本、山雅 7本。 【ぺナ侵入回数】千葉 21、山雅 3。

同じようにスタッツで圧倒的に劣勢でありながら、片方は快勝(結果として)を得、他方は、0 – 0の引き分けに持ち込むのがやっとだったのだ。

やった相手が違う、というのは確かなんだけれど、実は、栃木と千葉は、相似なサッカースタイルを持っていて、特長を一言でいうと、

ボールを手中にしたら、とにかく速く敵陣へ入るショートカウンター、これに尽きる。(ただし、守備に回った際の帰陣は、千葉のほうがすこし優る)

ならば、ゲームを有利に遂行した巧者アルディージャに、やはり学ぶべきでありましょう。

〈プランを、いくつか持つべし〉
下位に低迷しているだけあって、苦しみながらも大宮のやったことは、
先制した強みを背景にして、
栃木にボールを持たせることによって、その速く強度ある攻撃を封じた、こと。

栃木にしてみると、相手の守備陣形が整うまえにショートカウンターで侵入するという武器を、みづから手放す格好になった。

大宮ほどの狡猾な手際を持ち合わせてはいない我がチームは、ゆえに、いくつかのプランを考えておいて、臨戦することになる。

その際、栃木と秋田のスタイルの類似性に着目して、8月の対ブラウブリッツ戦の勝因を紐解きながら、それを行なうことが大切。

❶中盤飛ばし策
栃木のショートカウンターに対抗するため、こちらが先手で相手ディフェンスの裏を、ロングな、あるいはラインをひとつ飛ばすくらいのボールを多用して、狙う。
できれば、この場合は、ツートップ(のような態勢)にして、ヨーイドンで走り込むのが好ましい。
で、陣形を縦に間延びしないように、コンパクトにして連動しながら押し上げる。
当方は相手の中盤をスカしてその頭を超えるけれど、相手にはこちらの中盤を使わせない、これが重要。

❷持ちたくないが、持たざるを得ない局面でも
サイドを突破口にするしかありません。
両サイドで優位に立つことによって、ひとつは、たとえ、クロスが制止されても、コーナーキックを獲られるチャンスがある。
ふたつめには、栃木にサイドを譲ってしまうと、こちらが苦し紛れでタッチラインに逃れた場合、ロングスローの洗礼を浴びる。

栃木のゲーム当りスローイン回数は、リーグトップ。
どのチームも、そのカウンター攻撃をサイドに回避する傾向がわかります。

いまや、豊田、矢野といった百戦錬磨のフォワードを擁する栃木には、深い位置でのスローインを与えると致命傷になり得る。

❸セットプレイを狡猾に
栃木のトップスコアラーは、センターバックの柳。

実際、アウェイでは彼のヘディング2発に沈んだ山雅。

ですから、上で指摘したように、スローイン、それとサイドを割られた結果としてのコーナーキックは極力避ける。

と同時に、こちらがプレイスキックをできる限りゴールに繋げるように持っていかないと。

繰り返しになりますが、サイドで克つことが第一。

さらに、こちらから前へと先手で仕掛けることで、相手のファールを誘うこと、これでしょうね。

千葉戦では存在感を消していた、外山、下川らサイドアタッカーが仕事をしないと始まりませんよ、このゲーム。

正直言って、勝機はそれほど多くはないでしょうけれど、相手がわかりやすいサッカーであることを救いと考えたうえで、そのお株を上まわるのか、あるいは、徹底的に押し込むのか、方法論についてのチーム内意思統一をはっきりさせること、これを期待します。

では、アルウィンで。

胸算用の時 来たる (栃木SC戦プレビュウ 前編)

〈乱暴な胸算用だと……〉
J2が、22チームで争われている限り、という条件だと、過去実績から……、

トップリーグへの昇格勝ち点の目安は、ゲーム当り2点で、累積 84点
下部リーグへの降格勝ち点の目安は、おなじく1点で、累積 42点

……これが、ざっくりとした勝ち点勘定。

残り10試合を切ったあたりから騒ぎ出せ、と以前書いた手前、ここで、こんな算数をしてみる。

現在、山雅のゲーム平均勝ち点は、(ニヤリー)ジャストの 1点。(勝ち点31)

要は、このままの勝ち負けペースで最後まで行くと、ほとんど降格が待っているという現実。

よって、それを回避するには残り10試合で、勝ち点 15(累計で45点) を積むことが至上命題。
つまり、ゲーム当りの勝ち点にすると、 1.5 を獲ること。

これ、けっこう厳しくて、引き分け2試合続けてもおっつかない。

極端な話、1勝1敗の戦績をずっと刻まなければいけません。

もちろん、連勝、あるいは1勝1分すれば違う世界がみえてくるが、今季の我がチームに、それを期待するのは虫のいい話だろう。

たとえ負けを挟んでもいいから、勝ちを貯めることが必要。

つまり、指揮官の言う〈ホーム全勝〉とは、おそらくこの勘定に基づいているはず。

得点しなければ決して勝ちはない、となれば、残り10ゲームは、ゲットゴールにフォーカスを絞る、これしかないのであります。

〈踏んだり蹴ったりは、もう嫌だ〉
さて、明後日の栃木戦。

振り返れば、5月第15節のアウェイでは、0 – 3 のミゴトな敗戦でありました。

プレイスキックからヘディング被弾の 2発、ポスト直撃の跳ね返りをニアに撃ち抜かれて 1発。

ゴールキーパー村山は3失点のシーンすべて、すこしは動いてみせろよ!、と思うくらいに棒立ちの酷さ。

さらに、捕球に行った場面では、頭部を足蹴にされたりで、文字通りの、踏んだり蹴ったりの厄災日。

あの後味の悪さ、これをアルウィンでは吹き払うため、その対策については、後編で。

サビアを擁した頃の栃木SCには、とても勝てる気もしなかった。

トップリーグの燃えかすも既にとぼり、金沢や千葉に、やっとこさで引き分けるような山雅の現在地は、その当時に戻ったくらいのことと割り切って参戦だ。

では。

冷酷と不信と『死刑台のエレベーター』

先日、家人がTVで、『ニキータ』(1990年 仏 監督リュック ベンソン)を観ていたので、

― そのうち、老いたジャンヌ モロー(1928~2017) が出てくるよ。お楽しみに、と言い置いて居間を出た。

ニキータに出演した当時は 62歳であったから、〈老いた〉というのは失礼な表現だったかな、と反省している。

せいぜい、老けた、ぐらいにしておくのが良かったのだろう。

僕にとっては『死刑台のエレベーター』(1958年 仏 監督ルイ マル)が、この女優との鮮烈な出会い。
この時、御年 30歳。秘すれどもはじけるような輝きを放っていた。

原題は、死刑台(絞首台)へ続くエレヴェーター、なんだが、上の邦訳で、なんとなく通じてしまうところが、日本語の曖昧さのよいところ。

作品中、ジャンヌ モローは、愛人に夫を殺害させる悪女を演じている。

たとえ殺人を犯してまでも我が手中に入れようと、男(モーリス ロネが演じた)に決意させるほどの女。

女主人公の美貌と魅力があってこそ成立する映画だから、そんな女性を表現できるのは、やはりモローだった、ということですかね。

自殺に見せかけた完全犯罪は、しかし、ささいなことから破綻していって、
パリの夜、約束どおりに現われない愛人を求めては彷徨う女ひとり。

そこに流れるサウンドトラック。

これ、マイルス デイビス(即興演奏)の名誉なのか、それとも作品の名誉なのか、まぁ、どっちでもいいんですが、フランス映画には、口あたりの苦い佳品が多い。

ところで、家人には今度、『グロリア』(1980年 米)を観てもらいたい、と思っているんです。

この作品が、ヴェネツィア映画祭で金獅子賞を、ルイ マル監督『アトランティック シティ』と分け合ったからではなくて、監督のジョン カサヴェテス(1929~1989)とその奥さんを知ってもらいたいものだから。

では。

歓迎と惜別への助走(または序奏)。

Jリーグの各クラブからは連日、学卒者の来季入団の内定ニュースが伝わってくる。

山雅だと、東京学芸大(関東2部) キャプテンの、住田 将君の内定、および2種登録(リーグ戦出場が可) がリリースされたばかり。

これからは、彼に続く内定者の発表が楽しみな時季。

有望な新卒者の獲得は、リーグ参入2年目の2013年ごろから、活発に着手した我がクラブ。

が、頭角を現してレギュラークラスにまで躍進したメンツとなると、やはり少ない。

加えて、そこにレンタル移籍での出入りが挟まると、数えて折る指がもっと少なくなる。

もちろん、プロで生き残る厳しさがそこに在るだろう。

とはいえ、山雅でゲームになかなか絡めなかったタレントが、他へ行って活躍しているのを見ると、山雅での修行が報われて今がある、と考えるべきなのか?、はたまた、山雅で育て切れなかったのか?

チーム内情も知らずして、なんとも考えさせられ、志知 孝明なんかを思うと、そういう疑問は強い。

どうだろうか?、ルーキー(および準新卒) を積極的にレギュラー登用したのは、昨季あたりからのような感がある。

昨季、レギュラーの平均年齢はグッと下がり、その分、プレイの未熟によって払わされた授業料が増えたとは言え、若手躍進の観点からすれば、布、柴田両指揮官の手腕は評価されていい。

出来るならば、帰還した下川 陽太、榎本 樹、レンタル先でやっている小松 蓮や山本 龍平、三ツ田 啓希、さらには、アピール中の村越 凱旋や横山 歩夢、彼らが山雅の中心メンバーとしてやっている日が来ることを願う。

さて、内定がリリースされ出したということは、その裏で、来季の戦力外通告が始まっているわけだ。

まぁ、来季は来季でいいんだが、しかし、去就への序奏が、リーグ最終盤におけるプレイのパフォーマンスに影響しないことを祈るばかり。

幸運にも、松本マラソン中止によって、エントリー料のうち10,000円が戻って来ることになったルノワール氏に、

― あと、何試合残ってるんです?、と訊かれたので、(トラック競技に譬えて)

― 400mでいえば、最後の直線100mに入ってきた、そんな感じです。
ゲーム内容としては上向きなんで、希望はありますよ。

そう、これからは下降気味のチームを喰っていかなければなるまいが、みづからの内部事情によって、上昇の勢いが湿らないようにしなければ。

では。

ほとんどイジメ 。

― あたしから言わせれば、マスメディアの姿勢、あれはイジメ以外のなにものでもないわ、ほんと。
ま、記事を詳しく読むこともしないけど。

このところ話題を提供している、皇籍あるお方のご成婚について、家人が感想を漏らしたんです。

おおくの人に、モバイルやパソコンの画面が身近な昨今。
見ざる聞かざる、と思っても入りこんでくる、どうでもいいニュースのひとつ。

では、言わざるにしようか、と思ったが、たまたま家に来た娘に、この案件で意見を求められたこともあって、すこし記しておきます。

人間生きていれば、挫折、失敗もあるだろうし、100%品行方正でいられるものか。
どこかで、いろいろと病まざるを得ないもの。

赤の他人の自律に、いろいろケチをつけるとは、いったい何様のつもりか?

自分が正義の側に在る、と思った瞬間、人は残酷になるのであって、ゆえに〈復讐するは我にあり〉として、聖書は、人が人に報復することを禁じた(ローマ人への手紙)。
要は、報復とは、神の仕事なわけだ。

なので、西洋には、すくなくとも理念として報復は禁じ手であるが、そういった禁忌が存在しないこの国では、正義に名を借りた虐待(イジメ)には、まったく歯止めがかからない。

読む側の正義感や健全なる者としての自負心をくすぐりながら、記事は仕立てられるんだろうけれど、たかが他人の髪型をもっともらしく論じるだけでメシを喰えるって、それこそ、虚業で、マットウな商売じゃあない。

多額の?一時金にしたって、たとい本人から辞退の申し出があっても、支給すればいいではないか。

その出所が税金云々とか、なんという了見の狭さ。

なになにの名誉総裁とかに担がれて、退屈な仕事の数々につきあってきたことに報うのは、当たり前でありましょう。

皇室の周辺、そこに妙な完璧を求めることが、そもそも間違っている。

彼等が〈国民の象徴〉であるならば、負債、被差別、心身の貧困と向き合わざるを得ない多くの日本人とは断絶した世界観を、その言動に期待することのほうがよほど不自然。

バリバリの有望な若き外務官僚が、皇室に浸かった途端、メンタル不調になって数十年を費やしてしまう。

それが、不変で、リアルな皇室の姿、と思うところから始めないと、判断を誤りますよ。

では。