冷酷と不信と『死刑台のエレベーター』

先日、家人がTVで、『ニキータ』(1990年 仏 監督リュック ベンソン)を観ていたので、

― そのうち、老いたジャンヌ モロー(1928~2017) が出てくるよ。お楽しみに、と言い置いて居間を出た。

ニキータに出演した当時は 62歳であったから、〈老いた〉というのは失礼な表現だったかな、と反省している。

せいぜい、老けた、ぐらいにしておくのが良かったのだろう。

僕にとっては『死刑台のエレベーター』(1958年 仏 監督ルイ マル)が、この女優との鮮烈な出会い。
この時、御年 30歳。秘すれどもはじけるような輝きを放っていた。

原題は、死刑台(絞首台)へ続くエレヴェーター、なんだが、上の邦訳で、なんとなく通じてしまうところが、日本語の曖昧さのよいところ。

作品中、ジャンヌ モローは、愛人に夫を殺害させる悪女を演じている。

たとえ殺人を犯してまでも我が手中に入れようと、男(モーリス ロネが演じた)に決意させるほどの女。

女主人公の美貌と魅力があってこそ成立する映画だから、そんな女性を表現できるのは、やはりモローだった、ということですかね。

自殺に見せかけた完全犯罪は、しかし、ささいなことから破綻していって、
パリの夜、約束どおりに現われない愛人を求めては彷徨う女ひとり。

そこに流れるサウンドトラック。

これ、マイルス デイビス(即興演奏)の名誉なのか、それとも作品の名誉なのか、まぁ、どっちでもいいんですが、フランス映画には、口あたりの苦い佳品が多い。

ところで、家人には今度、『グロリア』(1980年 米)を観てもらいたい、と思っているんです。

この作品が、ヴェネツィア映画祭で金獅子賞を、ルイ マル監督『アトランティック シティ』と分け合ったからではなくて、監督のジョン カサヴェテス(1929~1989)とその奥さんを知ってもらいたいものだから。

では。